第6話 いなくなっても、誰も気づかない
どうすれば、楽になれるのか。
その夜も、俺は、天主にひとり、いた。答えは、出なかった。敵を倒しても、楽にならない。天下を取りかけても、楽にならない。なら、いったい、何をすれば、この胸の重さは、下りるのだ。
俺は、欄干にもたれて、闇に沈んでいく城下を、ぼんやりと眺めていた。金の壁が、蠟燭の火を照り返して、背後だけが、やけに明るい。
そのとき、ふと、第九の年の、あの夜のことを思い出した。比叡山を焼いて、号泣して、帰蝶の前で初めて、声に出した、あの願いを。
普通の人間に、戻りたい。
戻りたい。
けれど、どうやって。天下人が天下を捨てる方法など、この世の、どこの書物にも、書いていない。辞めます、と頭を下げて、辞められるものでもない。俺がふいにいなくなれば、家臣どうしがこの城の下で争い、また、戦が起きる。逃げ出せば、地の果てまで追っ手がかかる。第六天魔王ともなれば、なおさらだ。
そう思って、俺は、もう何年も、この願いを胸の底に沈めて、諦めていた。
だが。
その夜、闇の中で、俺は、ひとつのことに、気がついた。
俺は、もう、誰にも近づけない魔王に、なってしまった。家臣は皆、俺の影にすら平伏する。誰も、俺の顔をまっすぐ見ない。にじり寄る膝は、震えている。
つまり――誰も、本当の俺を、見ていない。
その瞬間、ぞくり、と、冷たいものが、背筋を駆け上がった。恐怖とも、興奮ともつかない、これまで感じたことのない、何かが。
誰も、俺を見ていない。
なら。もし、ある日、この「織田信長」が、ふっといなくなったとしても。誰も、本気で、その骸を検めになど、来ないのではないか。
考えてみろ、と、俺は、自分に言い聞かせた。心臓が、妙な具合に速く打っていた。
第六天魔王の骸に、いったい、誰が近づける。焼け落ちた城の中から、黒焦げの亡骸が一つ出てきたとして、「これは、本当に信長の骸か」などと、灰をかき分けて確かめる命知らずが、この世の、どこにいる。
皆、遠くから震えながら、「魔王が、死んだ」と信じ込んで、それで、終わりだ。
恐れられている、ということは、誰も近づいてこない、ということだ。近づいてこない、ということは――俺が、ある日ふっと消えても、誰も、追ってはこられない、ということだ。
長いあいだ、俺を夜ごと苦しめてきた、この魔王の名が。背負ってきたどんな鎧より重かった、この看板が。ここに来て、初めて。
俺を、自由にする、たった一つの鍵に、見えた。
俺は、震える手で、欄干を握りしめた。手のひらに、じっとりと汗がにじんでいた。
そうだ。
俺は、死んだことに、なればいい。第六天魔王は、この世から、消えればいい。
そして、俺は。
誰にも怯えなくていい、ただの人間に、戻る。
恐れられているからこそ、たどり着いた静かな答え――その切実な高揚に胸がざわついたら、【びっくり】か【いいね】を! 願いが像を結ぶこの先を、ブックマークで見届けてください。




