第6話 本当の願い
鍛錬の合間に、俺は時々、城の外れまで馬を歩かせる。人気のない、田んぼの畦道だ。誰もいない。誰も、近づいてこない。背後を気にしなくていい。それだけで、いつも強張っている肩の力が、すこしだけ抜ける。
城の中では、そうはいかない。廊下を歩けば人とすれ違い、部屋にいれば小姓が控え、飯を食えば毒味の膳が回ってくる。四六時中、誰かの気配を数えて、息が詰まる。だから俺は、時々、こうして誰もいない場所へ、逃げてくる。
その日も、俺は馬を止めて、ぼんやりと田を眺めていた。
百姓が、何人か、泥に膝まで浸かって、苗を植えている。腰を曲げ、汗を拭い、隣の者と何か言い合っては、声を立てて笑っている。
俺は、その光景から、目を離せなかった。なぜだか、胸のあたりが、ざわざわした。
あの人たちは、明日、誰かに殺されるかもしれないなんて、考えながら苗を植えてはいないだろう。朝、目を覚まして、飯を食って、土を耕して、また飯を食って、日が暮れたら、眠る。誰にも怯えず。背後を気にせず。腰の袋にサトイモを忍ばせる必要も、夜中に槍を振る必要も、なく。
ただ、生きて、笑って、眠る。
――いいなあ。
ぽろりと、口に出してから、自分でも驚いた。
天下人になりたいなどと、俺は一度も思ったことがない。武勲も、栄華も、いらない。俺の願いは、あの畦道の向こうにあった。ただ、あんなふうに。誰にも怯えず、誰にも怖がられず、好いた相手と田舎の畑でも耕して、飯を食って、眠りたい。
朝、目を覚まして、真っ先に「今日も生きていた」と胸を撫で下ろす暮らしなんて、まっぴらだ。そんなことを考えずに、ただ、土を触って、笑って、日が暮れたら眠りたい。
それだけだった。俺の野望は、たったそれだけだった。
だが、たったそれだけのことが、織田の嫡男に生まれた俺には、たぶん、一生、手の届かない夢なのだ。そう思うと、胸の奥が、しんと冷えた。ここまで鍛えても、この身一つ、あの畦道へは、逃がしてやれない。
「殿。お顔の色が、すぐれませぬが」
供の若い者が、馬を寄せて、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
俺は、田を見ていたことを悟られたくなくて、慌てて表情を引き締めた。臆病な腹の底を、見られたくなかった。
すると、供の者は、俺が田を睥睨していたとでも思ったらしい。俺の強張った顔を、深い思案の表情と受け取ったのだろう。馬上で背を伸ばし、感じ入ったように呟いた。
「殿は、民草の暮らしまで、お心にかけておられる……。やはり、ただのお方ではない」
違う。羨ましかっただけだ。あの泥まみれの百姓が、俺には、まぶしくて仕方なかっただけだ。
心の中で、俺は、いつものように、声にならぬ訂正をした。そして思った。
この、ばかみたいに小さな願いを。
いつか、たった一人でいい。
笑わずに、聞いてくれる人が、現れてくれたなら。
――その人は、もうすぐ、美濃から、嫁いでくる。
田舎で静かに暮らしたいという小さな願いが、最後に睥睨と誤読されるオチに笑って、少し切なくなったら【笑える】か【にこにこ】を! この願いの行方まで、ブックマークで見届けてください。




