第5話 天魔のごとし
困ったことに、俺の臆病は、ことごとく裏目に出ていた。いや、裏目というのは正しくない。世間が、俺の臆病を、まるごと逆さまに読んでくれていた、というべきか。
怖くて震えていると、肝が据わっていると言われる。怖くて逃げると、深慮遠謀と言われる。何をどう怯えても、それが勝手にひっくり返って、立派な話になって返ってくる。
これはこれで、恐ろしい。俺が何もしなくても、俺の像だけが、俺の知らぬところで、どんどん大きくなっていくのだ。
数えてみよう。
暗殺が怖くて、狂ったように体を鍛えた。
――「常人離れの武勇。武神のごとし」
筋肉が落ちるのが怖くて、歩きながらサトイモを齧った。
――「飢えた狼。常に飢え、常に渇いておられる」
人が怖くて、ろくに口をきかなかった。
――「寡黙にして底知れず。何を考えておられるか、誰にも読めぬ」
女が怖くて、縁談から逃げ回った。
――「色になびかぬ、並外れた胆力」
何一つ、合っていない。
俺は強くもないし、飢えてもいないし、底も浅いし、胆も小さい。ただ、怖いだけだ。怖くて怖くて、震えながら、生き延びる工夫を重ねてきただけだ。なのに、その工夫の一つ一つが、噂の中で勝手に膨らんで、尾ひれがつき、いつの間にか――
「織田の若殿は、天魔のごとし」
そんな言われ方まで、されるようになっていた。
天魔。
人ならぬもの。
はじめて耳にしたとき、俺は、ぞっとして、しばらく声も出なかった。冷や汗が背を伝った。そんな大層なものに祭り上げられて、いよいよ怖い相手として狙われたらどうする、と。的が、大きくなってしまうではないか、と。
けれど、ある晩、土間で槍を振りながら、荒い息の合間に、俺は、ふと気づいてしまった。
天魔だと思われている間は――誰も、近づいてこないのだ。
恐ろしい相手には、人は刃を向ける前に、まず足がすくむ。間合いを詰めてこない。背後に立とうとしない。魔物に、わざわざ近寄る者はいない。
つまり、怖がられるというのは。
俺にとって、いちばんの、護りなのではないか。
槍を止めて、俺は暗い土間にしゃがみ込んだ。肩で息をしながら、その考えを、ゆっくりと転がしてみる。
うつけと笑われるのも、悪くない。だが、天魔と恐れられるのは――もっと、いい。うつけは、侮って近づいてくる者がいる。だが、天魔には、誰も近づいてこない。
怖がられるのは、嫌いじゃない。むしろ、ありがたい。だってその方が、誰も近づいてこない。誰も、近づいてこなければ。
背後に、誰も立たなければ。
少しだけ、安心して、眠れる。
怖がられていれば、生きていける。ならば、いっそ、とことん怖がられてやろう。うつけの皮の上から、天魔の面を、もう一枚かぶってやろう。そうすれば、この震える臆病な腹の底は、二重の面の奥に、きっと誰にも見つからない。
そう思ったら、なぜだか、笑いが込み上げてきた。天下一の臆病者が、天下一の魔物を演じる。こんな滑稽な話が、あるだろうか。
――今思えば。
この夜の、暗い土間で膝を抱えた、ちっぽけな思いつきが。
のちに、世界一ばかげた計画の、いちばん最初の煉瓦になるなど。
このときの俺は、まだ、知る由もなかった。
「怖がられれば、少しだけ安心して眠れる」――自衛の魔王伝説の芽にゾクッとしたら、【びっくり】か【いいね】を! 伝説の育ち方を追いたい方はブックマークを。




