第8話 戦術革命
長篠の戦が終わると、世はひっくり返るほど騒いだ。天下無敵と謳われた武田の騎馬軍団を、鉄砲で打ち破った、というのだ。
なにしろ相手は、あの甲斐の虎の軍団だ。誰もが恐れ、誰もが敵わぬと思っていた。それを、鉄砲の煙の向こうに沈めた。噂は尾ひれをつけて、日ノ本じゅうを駆け巡った。
家臣たちは、誇らしげに語った。目を輝かせ、まるで自分の手柄のように。
「殿は鉄砲隊を三つの組に分け、入れ替わり撃たせ続けられた。これで玉込めの間が消えたのだ」
「絶え間なく撃ち続ける、この新しき戦の形。古き騎馬の世を終わらせる、まさに戦の革命よ」
「鉄砲をこれほど見事に使いこなす御方が、ほかにおろうか。織田信長こそ、時代を変える天才ぞ」
戦の革命。時代を変える天才。
そう聞いて、俺は思わず遠い目になった。
そんな大層なものではない。あれの正体は、腹を下した男たちの、順番待ちの列だ。
のちの世の者も、きっとこう書くのだろう。
『織田信長、鉄砲三千挺を三段に構え、入れ替わりに撃たせて、武田の騎馬を撃ち破れり。これぞ、時代を変えし戦術なり』
三段撃ち、と、人はそれを呼んだ。
神算の極み、と讃えた。
鉄砲という新兵器の力を、誰よりも早く見抜いた革新者の発明である、と。
だが、本当のところを知る者は、誰もいない。
俺は別に、新しい戦術を編み出そうとしたわけではない。
ただ、武田の騎馬が怖くて。
近づかれるのが嫌で。
遠くから撃ち続けたかっただけだ。
そして、その「撃ち続ける」やり方を思いついたのは、合戦前夜、腹を下して並んだ、厠の行列だった。
一人出ては下がり、次が入る。あの途切れない流れを、ぼんやり眺めていて。
「ああ、鉄砲も、こうすればいいのか」と思った。
ただ、それだけのことだ。
俺は、ただの臆病者だ。腹の弱い、怖がりの平和主義者だ。戦の前夜に厠へ駆け込み、行列に並んで震えていた、ただの一人の男だ。
なのに世は、俺を鉄砲の威力を見抜いた、日ノ本一の火力の持ち主と呼び、戦術を創造した、稀代の天才と讃えた。
そのあまりのずれっぷりに、俺は笑うしかなかった。
けれど。
笑いながら、俺はふと思った。
俺が何をしても、世は勝手に俺を恐れ、讃え、近寄れぬ化け物に仕立てていく。将軍を追い、武田を破り、鉄砲を極めた、第六天魔王。新しき世の申し子。その化け物は、どんどん大きく、分厚くなっていく。本当の俺との間に、いくつも壁が積み上がっていくようだった。
誰も、本当の俺を見ようとはしない。
それは、たまらなく寂しいことでもあったが。
――もしかしたら。
その分厚い誤解の向こうへ、俺がある日、ふっと消えてしまっても。
誰も、追ってこられないのではないか。
その誤解が、いつか俺を自由にする。
そんな、ばかげた考えが、頭の隅をよぎった。
だが、それを形にする日が来るとは、まだ俺は知らなかった。
ただの臆病者が「神算の天才」と讃えられる――答え合わせの快感にニヤリとしたら、【びっくり】か【笑える】を! 「その誤解が、いつか俺を自由にする」の意味を、ブックマークで追ってください。




