第3話 追い詰められて
逃げ場が、ない。
その感覚が、いちばん嫌いだ。金ヶ崎で、前を朝倉に、後ろを長政に塞がれたときの、あの袋の鼠の恐怖が、また蘇ってきた。
中立でいてくれ、という俺の願いを、山は聞き入れなかった。延暦寺は、浅井・朝倉を匿い続けた。俺の背後に、刃を抱えた山がそびえている。そういう状態になった。
考えてみてほしい。俺の領地のすぐそばに、敵を匿い、僧兵を擁し、いつ背後を突いてくるか分からない、巨大な山がある。
夜も、眠れなかった。いつ、あの山から軍勢が雪崩れてくるか。いつ、寝首を掻かれるか。俺のもっとも苦手な種類の恐怖だった。
家臣たちは、口々に言った。
「山を攻めましょうぞ。背後の憂いを、断つべきです」
「叡山が敵に回った今、もはや容赦は無用かと」
俺は、その言葉を聞くたびに、胃が縮んだ。攻めるなど、したくない。だが、攻めなければ、俺が殺される。
家臣たちは、俺のこわばった顔を見て、「殿は決断を迷っておられぬ」と、頼もしげに頷いていた。
迷っている。迷ってばかりいるのだ。ただ、それを口に出す勇気すら、なかった。
俺は、もう一度、使者を送った。最後の通牒だった。
『浅井・朝倉を引き渡すか、せめて、山を下りて退いてくれ。さもなくば、儂にも考えがある』
そう書かせた。書きながら、手が震えていた。頼む。どうか、応じてくれ。これ以上、俺を追い詰めないでくれ。
だが――山は、応じなかった。返事は、来なかった。沈黙が、答えだった。
俺の最後の願いも、風に消えた。
寺には、寺の理屈があったのだろう。千年、守ってきた聖域の誇りが。俺のような新興の田舎大名の脅しに、屈するわけにはいかなかったのかもしれない。それは、分かる。頭では、分かる。
だが――俺には、もう、退く道がなかった。
俺は、岐阜の城で、一人、頭を抱えた。どうすれば、いい。寺を攻めるなど、したくない。仏罰が怖い。坊主が怖い。人を殺すのが怖い。だが、放っておけば、背後から殺される。
帰蝶が、俺の肩に、そっと手を置いた。
「無理を、なさいますな」
そう言ってくれた。俺は、頷くこともできなかった。
「……どうすれば、よい」
掠れた声で、そう訊いた。帰蝶は、すぐには答えなかった。答えがないことを、帰蝶も分かっていたのだ。どちらを選んでも、地獄だった。
俺は、もう、どうしていいか分からなかった。
そして、その日が、来た。
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