第3話 小豆の袋
その報せが届いたとき。俺は、最初、何を言われているのか分からなかった。
「申し上げます……浅井長政さまが、御味方を離れ……お背きになられました」
伝令の声が、震えていた。
長政が。
背いた。
俺の、背後で。
「……何かの間違いだろう」
俺は、そう言った。
声が、自分のものでないように上ずっていた。
「あいつが、裏切るはずがない。妹の夫だぞ。あいつは、俺に味方すると言った。何があろうと味方だと――」
「されど、浅井の兵がすでに北近江で挙兵し……我らの退路を断たんと」
退路。
ということは。
俺は、前を朝倉に。
後ろを長政に。
挟まれた、ということだ。
その瞬間、体が裏切った。心臓が、どっと暴れ出した。
息が、吸えない。冷や汗が噴き出して、背中を伝う。指先が震えて、止まらない。視界の端が、白くにじむ。
挟撃。袋の鼠。逃げ場が、ない。
死ぬ。殺される。
――いや。
違う。
俺の頭をいちばん大きく占めていたのは、死の恐怖ではなかった。
なぜだ。
なぜ、長政が。
俺が、あいつに何をした。
そこへ。陣中見舞いだ、と言って、一つの袋が届いた。妹の、お市からだという。
家臣が、不思議そうに差し出したそれは、小豆の入った袋だった。
ただし。
その袋は、両の端を固く固く縛ってあった。
俺は、それを手に取って。
しばらく見つめて。
そして、悟った。
両端を塞がれた、袋。
前も後ろも塞がれて、出口のない、袋。
――義兄上は、いま、この袋の中におられます。
お市は、そう言っているのだ。夫を裏切ることは、できない。けれど、兄を見殺しにもできない。
板挟みの苦しみの中で、妹は、言葉にも文にもできぬ報せを、この小さな袋に託したのだ。
縛られた両端を撫でながら。
俺は、こみ上げてくるものをこらえきれなかった。
お市。お前は、どんな思いで、これを。
夫を選べば、兄を殺すことになる。
兄を選べば、夫を裏切ることになる。
どちらにも転べぬ妹は、ただ、両の端を固く固く縛ることしかできなかったのだ。
その指の震えが。
縛り目の固さから伝わってくるようだった。
***
長政が、裏切った。妹の、夫が。俺が、生涯でたった一度、心の鍵を開けて信じた男が。
俺は、前を朝倉に、後ろを長政に塞がれた、袋の鼠だった。
なのに。
頭の中は、「なぜだ」でいっぱいで。
死の恐怖よりも、先に。
ただただ、悲しくてたまらなかった。
長政。
なぜ、だ。
俺は、お前を信じていたのに。
「なぜだ。儂が、何をした」――死の恐怖より先に、ただ悲しい。兄と夫に挟まれた妹の哀しみにじんときたら、どうか【泣ける】を。この痛みの続きを、ブックマークで。




