↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
48/81

第5話 律儀な男

その男を初めて見たとき、俺は思った。


ああ、こいつも、俺と同じだ。無理をして、気を張って、本当はもう限界なのだ、と。


美濃を獲り、岐阜と名づけ、天下布武の印を捺すうち。俺の周りには、いろいろな者が集まってくるようになっていた。その中に、一人。


明智光秀(あけち みつひで)、という男がいた。


歳は、俺よりいくらか上だろうか。落ち着いた品のある面構えで、言葉遣いも立ち居振る舞いも隙がない。聞けば、もとは流浪の身で、諸国を渡り歩き、苦労を重ねてきたという。和歌も、茶も、礼法も、何でも心得ている。教養の塊のような男だった。


この光秀が、とにかくよく働いた。俺が何か、面倒な用を言いつけると。


「承知、仕りました」


そう深々と頭を下げて、引き受ける。そして、寝る間も惜しんで、寸分の狂いもなく片づけてくる。書状の差配。客のもてなし。諸方との取次。どんな細かい仕事も、決して手を抜かない。誰よりも早く、誰よりも丁寧にこなしてみせる。


家臣たちは、舌を巻いた。


「明智どのは、できすぎる」


「あの律儀さ、あの有能さ。殿の覚えも、さぞめでたかろう」


確かに、頼りになる男だった。任せておけば、間違いがない。


だが――俺はその光秀を見るたびに、なぜか胸が苦しくなった。


なぜなら。あの男は、いつも気を張りつめていたのだ。完璧にふるまおうとして。一つの粗相も見せまいとして。眉間に、うっすらと皺を寄せ、肩に力を入れて。宴の席でも、ふと見ると、一人だけ笑っていない。気を抜いた顔を、誰にも見せない。


俺には、それが痛いほどよく分かった。俺だって、そうだからだ。本当は怖くて震えているくせに。家臣の前では、口をへの字に結んで、低い声で短く言い切ってみせる。臆病を悟られまいとして、必死に魔王のふりをしている。気を抜けば、化けの皮が剥がれる。だから、片時も気を緩められない。


光秀を見ていると、まるで鏡を覗き込んでいるようだった。こいつも、俺と同じだ。何かに追い立てられて。怖いのを隠して。無理をして、無理をして――気を張りつめている。


***


あるとき、俺は光秀に声をかけた。


「明智。少し、休め」


光秀は、驚いたように顔を上げた。


「は。いえ。某は、まだ働けまする」


「……そうか」


それ以上、俺は何も言えなかった。「休め」と言われて素直に休める者なら、そもそもこんなふうにはなっていない。それも、俺がいちばんよく知っていた。


***


明智光秀。生真面目で、有能で、律儀すぎて損をする男。


俺は、この男に奇妙な親しみを覚えた。同じ匂いがしたのだ。無理をして。気を張って。本当はもう限界の――そんな男の匂いが。


このとき、俺はまだ知らなかった。その親しみが、いつか俺たち二人を、世界一ばかげた、ある約束へと結びつけることを。


「まるで、鏡を見ているようだ」――気を張りつめた光秀に自分を重ねる親近感にじんときたら、【にこにこ】か【いいね】を! この苦労人と主の縁を、ブックマークで見守ってください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。