第5話 律儀な男
その男を初めて見たとき、俺は思った。
ああ、こいつも、俺と同じだ。無理をして、気を張って、本当はもう限界なのだ、と。
美濃を獲り、岐阜と名づけ、天下布武の印を捺すうち。俺の周りには、いろいろな者が集まってくるようになっていた。その中に、一人。
明智光秀、という男がいた。
歳は、俺よりいくらか上だろうか。落ち着いた品のある面構えで、言葉遣いも立ち居振る舞いも隙がない。聞けば、もとは流浪の身で、諸国を渡り歩き、苦労を重ねてきたという。和歌も、茶も、礼法も、何でも心得ている。教養の塊のような男だった。
この光秀が、とにかくよく働いた。俺が何か、面倒な用を言いつけると。
「承知、仕りました」
そう深々と頭を下げて、引き受ける。そして、寝る間も惜しんで、寸分の狂いもなく片づけてくる。書状の差配。客のもてなし。諸方との取次。どんな細かい仕事も、決して手を抜かない。誰よりも早く、誰よりも丁寧にこなしてみせる。
家臣たちは、舌を巻いた。
「明智どのは、できすぎる」
「あの律儀さ、あの有能さ。殿の覚えも、さぞめでたかろう」
確かに、頼りになる男だった。任せておけば、間違いがない。
だが――俺はその光秀を見るたびに、なぜか胸が苦しくなった。
なぜなら。あの男は、いつも気を張りつめていたのだ。完璧にふるまおうとして。一つの粗相も見せまいとして。眉間に、うっすらと皺を寄せ、肩に力を入れて。宴の席でも、ふと見ると、一人だけ笑っていない。気を抜いた顔を、誰にも見せない。
俺には、それが痛いほどよく分かった。俺だって、そうだからだ。本当は怖くて震えているくせに。家臣の前では、口をへの字に結んで、低い声で短く言い切ってみせる。臆病を悟られまいとして、必死に魔王のふりをしている。気を抜けば、化けの皮が剥がれる。だから、片時も気を緩められない。
光秀を見ていると、まるで鏡を覗き込んでいるようだった。こいつも、俺と同じだ。何かに追い立てられて。怖いのを隠して。無理をして、無理をして――気を張りつめている。
***
あるとき、俺は光秀に声をかけた。
「明智。少し、休め」
光秀は、驚いたように顔を上げた。
「は。いえ。某は、まだ働けまする」
「……そうか」
それ以上、俺は何も言えなかった。「休め」と言われて素直に休める者なら、そもそもこんなふうにはなっていない。それも、俺がいちばんよく知っていた。
***
明智光秀。生真面目で、有能で、律儀すぎて損をする男。
俺は、この男に奇妙な親しみを覚えた。同じ匂いがしたのだ。無理をして。気を張って。本当はもう限界の――そんな男の匂いが。
このとき、俺はまだ知らなかった。その親しみが、いつか俺たち二人を、世界一ばかげた、ある約束へと結びつけることを。
「まるで、鏡を見ているようだ」――気を張りつめた光秀に自分を重ねる親近感にじんときたら、【にこにこ】か【いいね】を! この苦労人と主の縁を、ブックマークで見守ってください。




