第1話 美濃を獲ってしまった
俺は、天下なんて欲しくなかった。
なのに、なぜかどんどん獲れてしまうのだ。
桶狭間から、七年。俺はいつのまにか、隣国の美濃をまるごと手に入れていた。斎藤の本拠、稲葉山の城を落とし、美濃一国を織田の旗の下に置いた。
家臣たちは、沸き立った。
「ついに、美濃を併呑なされた」
「尾張一国の主が、二国の主に。殿の天下取りは、いよいよ本物じゃ」
そう言って、みなが目を輝かせて俺を見上げる。評定の席は、勝ち戦の熱気で満ちていた。次はどこを獲るか。次はどこへ攻め上るか。家臣たちは口々に、威勢のいいことを言い合っている。
俺は、その視線が、その熱気が、怖かった。みなが、俺に求めている。もっと勝て。もっと獲れ。もっと大きくなれ、と。誰一人、「もう、十分でございます」とは言ってくれない。
誤解しないでほしい。
俺は、美濃が欲しかったわけではない。ただ、怖かったのだ。美濃は、尾張のすぐ隣だ。あちらが攻めてくれば、俺の首はすぐに危うくなる。
夜、寝ていても思うのだ。――今ごろ斎藤の手の者が、国境を越えて忍び寄ってきているのではないか。明日の朝には、刃が俺の喉元に。
そう考えると、震えが止まらなかった。だから、攻められる前に攻めた。殺される前に、相手の力を削いでおこうとした。それだけのことだったのだ。
なのに。必死で自分の身を守ろうと、もがいていたら。気づけば、領地が倍になっていた。
落城の知らせを聞いたとき、俺は喜ぶどころか青ざめた。
ああ、また増えてしまった。
守らねばならぬ土地が増えた。仕えてくる者が増えた。そして――俺を妬み、狙う者も増えた。領地が広がるというのは、俺にとって、自分の身をさらす的が大きくなる、ということだった。
斎藤の者たちは、強かった。決して、油断して負けたのではない。道三公以来のしたたかな美濃武士たちだ。落とすのに、何年もかかった。
俺は、彼らを侮る気にはなれなかった。ただ、運が悪かったのだ。俺という、臆病で必死すぎる男に隣り合わせてしまった、それだけだ。
落とした城を見上げながら、俺はひとつ息を吐いた。これで、しばらくは夜も眠れる。そう思おうとした。
だが、城を眺めるうち、ふと嫌な考えが胸をよぎった。美濃を獲ったということは。これからは美濃を、守らねばならぬ、ということだ。
美濃には、また別の隣国がある。その隣国はいつか、美濃を欲しがるだろう。そうなれば、また攻められる。攻められれば、また怯えて夜を数える。
獲っても、獲っても、終わらない。むしろ、獲るほどに守るべき境が長くなり、敵と接する場所が増えていく。
俺は、城を落として安心するどころか――前よりずっと怖くなっていた。
心の隅では、もう分かっていた。
勝てば、領地が増える。
領地が増えれば、敵も増える。
敵が増えれば、また戦わねばならぬ。
そうやって、勝つたびに降りられなくなっていく。
俺は本当は、どこかで降りたかった。「もう十分です。これ以上は要りませぬ」と、誰かに言いたかった。
だが、この階段には――上りしかなかったのだ。
「天下なんて欲しくなかった。なのに、どんどん獲れてしまう」――上りしかない階段の重圧に唸ったら、【笑える】か【いいね】を! 望まぬ高みへの物語、続きはブックマークで。




