第2話 草履の温もり
ある冷え込んだ朝のことだ。
その日、俺は寝つけなかった。夜半に物音がするたび、刺客ではないかと身を起こし、朝までに何度も冷や汗をかいた。おかげで足先は、感覚がなくなるほど凍えていた。
俺は縁先で、草履に足を入れた。その瞬間、足の裏にふわりと温もりが伝わってきた。
おかしい。
外は、霜が降りるほどの寒さだ。土間に置かれた草履は、本来なら氷のように冷たいはずだった。なのにその草履は、まるで人の懐から出したばかりのように、ほんのりと温かかった。
凍えていた足の指が、じんわりとほどけていく。俺は足を止めて、あたりを見回した。
縁の下で、あの猿が、藤吉郎が、ぺこりと頭を下げていた。懐元が、まだ少しふくらんでいる。霜の朝だというのに、額にはうっすらと汗さえ浮かべて。
こいつ――俺の草履を、ずっと懐に入れて温めていたのか。この寒空の下、自分の体を火桶がわりにして。
俺は、言葉を失った。
なぜなら。俺がひどい冷え性であることを、誰も知らないはずだったからだ。
物心ついた頃から、俺は怖いことがあると、手足の先が氷のように冷える。
評定の前。出陣の前。眠れぬ夜。
恐怖で、体の隅々まで血の気が引いて、指先も足先も、感覚がなくなるほど冷たくなる。震えを抑えようと拳を握っても、その拳がもう氷のようで、爪の色が失せている。
それは、臆病者の生理だ。魔王が暗殺を恐れて、いつも震えている証だ。だから俺は、それを誰にも悟られぬよう、袖の下で拳を握り、足を袴の裾に隠し、必死にごまかしてきた。
冷えているなどと知られれば、この男はいつも怯えていると見破られる。それだけは、避けねばならなかった。
なのに。
この最下級の奉公人は。何も言わずに毎朝、俺の草履を懐で温めておいたのだ。
「殿の御足が、いつも冷えておいでのようでしたので」
藤吉郎は、にっと笑って言った。
「余計な、お世話でございましたか」
余計なものか。
喉の奥が、熱くなった。誰にも隠し通してきたはずの、俺のいちばん惨めな臆病を。この男は、とうに見抜いていた。見抜いた上で、責めもせず、笑いもせず、ただ黙って懐で温めていた。
俺は、何も答えられなかった。ただ、温かい草履の中で、足の指をそっと丸めた。
***
この草履温めの話は、後にずいぶんと世に伝わったらしい。
いわく――卑しい奉公人の身でありながら、主の足を懐で温めた、見上げた忠勤の機転である、と。
家中の者も、感心して言った。
「履物番の分際で、よくぞそこまで気の利くことよ」
「あの小男、見どころがあるやもしれぬ」
なるほど。忠義者の機転。そう言えば、聞こえはいい。
だが、本当は。こいつは――気づいていたんだ。魔王と呼ばれる俺の足が、いつも怯えて凍えていることに。
世間は、主に忠義を尽くす健気な奉公人の話だと思っている。
違うんだ。これは、震えている臆病者を、見て見ぬふりで温めてくれた、たった一人の男の話なのだ。
「なぜ、こいつは、俺が冷え性だと知っているんだ」――懐で温めた草履の真相にじんわりきたら、【にこにこ】か【いいね】を! 見抜く男の正体を、ブックマークで見届けてください。




