表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/13

第1話 うつけと呼ばれて

俺は、生まれてこのかた、ずっと何かに怯えて生きてきた。


朝、目を覚ますたびに、まず思う。今日も、誰かが俺を殺しに来るかもしれない、と。


薄目を開けて、天井の梁を確かめる。次に、寝床のまわりの闇を探る。人の気配はないか。畳の擦れる音はしないか。障子の向こうに、影は差していないか。そこまで確かめて、ようやく、詰めていた息を、細く吐き出す。ここまでが、俺の朝だ。


戦国の世だ。隣の国の大名も、同じ城の家臣も、下手をすれば飯を運んでくる小姓だって、いつ刃を抜くか分からない。父も、その父も、寝首をかかれるのを恐れて生きてきた。織田家の嫡男に生まれた、というのは、要するに「いちばん狙われやすい的」に生まれた、ということだ。


的は、逃げられない。的は、ただそこに在って、射られるのを待つしかない。そう考えると、朝から胃の()が、きゅうっと縮む。


だから俺は、町を歩くとき、こういう格好をする。


茶筅(ちゃせん)に結っただけの、ぼさぼさの(まげ)湯帷子(ゆかたびら)を肩からだらしなく脱いで、片肌を出す。腰には火打ち袋に、瓢箪(ひょうたん)に、餅やら干し柿やらをぶらさげる。


餅を(かじ)りながら、腰の瓢箪をぶらぶらさせて、わざと足元をよろけさせて歩く。


那古野(なごや)の町衆は、俺を見ると、こそこそ袖を引き合って笑う。


「ご覧なされ、織田のお家の大うつけよ」


「あれが跡継ぎとは、尾張(おわり)も終いじゃのう」


聞こえている。全部、聞こえている。けれど、それでいい。むしろ、それがいい。


俺は、()()()()のだ。


笑っているこの町衆だって、本当は何を考えているか分からない。にこにこ近づいてきた誰かが、懐に短刀を呑んでいないと、どうして言える。膝をついて頭を下げてくる相手が、その懐で刃を握りしめていないと、どうして言い切れる。


無理だ。俺には、言い切れない。誰のことも、信じ切れない。だから俺は、近づかれたくない。近づかれるくらいなら、笑われていたほうが、ずっといい。


「あいつは変な奴だ」と思われていれば、人は距離を取る。距離が取れれば、刃も遠い。刃が遠ければ、俺は今日も生き延びられる。


このだらしない格好は、俺なりの、必死の鎧なのだ。笑われるための、渾身の細工なのだ。誰にも、言えないけれど。


――そのはずだった。


ところが、だ。ただ一人、町外れの古い茶屋の前で、白髪の老人が、笑わずに俺を見送ったことがあった。じっと、底を覗くような目で。


「……あのうつけ殿は、底が知れぬ」


そう、ぽつりと呟いたのを、俺は聞いてしまった。


やめてくれ、と思った。心の臓が、どくんと跳ねた。底なんてない。あるのは、震えている臆病な腹の底だけだ。うつけの皮を一枚めくれば、ただ怯えた男が一人、うずくまっているだけなのだ。それを、見透かさないでくれ。


俺は瓢箪の水を一口飲んで、老人に背を向け、足を速めた。背中に、あの目が張りついているようで、なかなか振りほどけなかった。


明日もまた、誰かが俺を殺しに来るかもしれない。うつけの皮も、いつまで俺を守ってくれるか分からない。だったら、やることは、一つしかない。


震える手を握りしめて、俺は思う。


――強く、ならなくては。


「大うつけ」の異装に、実は女避け・護身の裏があると知ってニヤッとしたら、【笑える】を! この臆病者の一代記、続きが気になったらブックマークで一緒に見届けてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ