↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
19/81

第4話 ただ一人、案じる人

抹香の一件で、俺の評判は地に落ちた。いや、もともと地に落ちていたのだから、正しくは、地の底をさらに掘り進んだというべきか。


「織田家は、もう終わりだ」


「あんな大うつけが当主では、家中はばらばらになる」


そんな声が、もう隠そうともされずに、城のあちこちで囁かれた。


家臣たちは、一人、また一人と、俺から目を逸らしていった。


そんな中で、ただ一人。俺を見限らない人が、いた。


平手政秀(ひらて まさひで)。


俺が物心つく前から、守役(もりやく)として仕えてくれた老臣だ。


「殿」


その日も、政秀は、俺の前に白髪頭を下げて座っていた。


「またしても、巷では、よからぬ噂が。葬儀の場での、あの御振る舞い……老臣、心を痛めております」


来た。政秀の、小言だ。


この爺は、暇さえあれば、俺の前に座って、小言を言う。異装をやめろ、立ち食いをやめろ、相撲ばかり取るな、もっと当主らしくしろ、と。正直、うっとうしい。


俺の奇行には、ちゃんと理由がある。人が怖いから、女が怖いから、暗殺が怖いから、わざと「うつけ」を演じて、人を遠ざけているのだ。だが、それを、この爺に言えるはずもない。


「殿。お願いでございます。どうか、人並みの当主に。亡き殿が、どれほどあなた様の行く末を案じておられたか」


「……分かっておる。下がれ」


俺は、いつものように、突き放した。


政秀は、悲しげに、もう一度頭を下げて、退がっていった。


だが。


戸が閉まったあと、俺は、ひとつ、息を吐いた。うっとうしい。確かに、うっとうしい。


けれど。


考えてみれば、おかしな話だ。俺を本気で叱る者など、もう、城にはいないのだ。皆、見限った。どうせ何を言っても無駄だと、匙を投げた。


なのに、この爺だけは、いまだに俺の前に座る。無駄だと分かっていて、なお、座る。


それは。


それは、たぶん、この爺だけが、まだ、俺を諦めていないからだ。


***


その夜、俺は、帰蝶にぽつりと零した。


「政秀の爺だけは、俺を諦めん」


帰蝶は、繕い物の手を止めて、俺を見た。


「皆、俺を見限った。当然だ。俺は、うつけだからな。だが、あの爺だけは、いまだに俺を叱りに来る。……うっとうしい。うっとうしいが」


俺は、膝を抱えた。


「あの爺だけは、俺の味方なんだと思う。たぶん、城で、ただ一人」


帰蝶は、しばらく、俺を見ていた。


そして、静かに、言った。


「ならば、殿。一度、そのお人に、ほんの少しでも、本当のことをお話しになってはいかがか。あなた様が、うつけを演じているだけだと」


俺は、首を振った。


「……できぬ。怖いのだ。打ち明けて、もし、あの爺にまで、軽蔑されたら。あの爺にまで、見限られたら――俺は、本当に、独りになる」


それが、怖くて。


俺は、政秀にだけは、本当のことを言えないまま、ただ、突き放し続けた。


うっとうしい顔をして、下がれ、と。


味方だと知っているのに。


***


それから、しばらくして。


俺は、ふと、気づいた。近頃、政秀の様子が、おかしい。


小言は、相変わらず言う。だが、その顔が、いつにも増して青い。何か、思い詰めたような影が、差している。廊下ですれ違ったとき、その背が、ひどく小さく見えた。


「爺」


俺は、呼び止めようとした。


だが、政秀は、深々と一礼すると、何も言わず、立ち去っていった。


その後ろ姿が、なぜか、胸に引っかかった。


引っかかったまま。


俺は、それを、ただの気のせいだと思おうとした。


思おうと、したのだ。


見限られる中でただ一人、うつけの奥を信じ続ける老臣の存在にじんときたら、【にこにこ】か【いいね】を! 思い詰めたその顔の意味を、ブックマークで見届けてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。