01 油断はできない
「はい、完了。これでもうこの部屋に悪意あるモノは入ってこられない」
ぱんぱんと両手の埃を払うかのようにして、エレナは宣言した。
「ああ、すまないな、寝る前に無理言って」
「どうせいつもやってるもの。あなたが同じ部屋なら範囲も狭いし、自分用と大して変わらない」
「う……そうか、俺が見えないところにいると負担がかかって……」
「誤差みたいなものよ。神力が枯渇するような状態だったら無理はしないけれど、これから月神の癒やしを受けるところなんだし」
月神の癒やし、つまりは睡眠。眠れば体力も同じように神力、いわゆるHP、MP的なものも回復する。ゲーム的でもあるが、数値ではっきり出る訳じゃないので、現実的でもある。実際「よく寝たら疲れが取れてまた活動できる」のは事実だもんな。
月神と太陽神は表裏、というこの世界の考えが、改めてじわじわ理解できてきた。
「書きものも終わっているし……もう寝ようと思うけれど」
「ん?」
エレナが小さなノートみたいなのをしまうのを見て、俺は首をひねった。初めて目にする。
紙自体はそれなりに貴重なものだが、ものすごい高額とかとても手に入らないとか言うほどじゃない。転移前の世界ほど一般的じゃないけど、神殿では普通に使うそうだ。
「何か書いてるのか? 日々の感謝とか?」
言ってからはっとした。毎日の感謝の記録だとしたら、実質、日記じゃ? プライバシー侵害になるのはよろしくない!
「あ、な、何でもな」
「出納帳。町では出費が多いから、記しておかないと」
俺が慌てて「見せなくていい」とか何とか言う前に、エレナはぱっとそれを開いた。
「……出納帳」
そこには主に数字と、使用目的が……え、そんな記録までしてくれてたの……?
「見て面白いものでもないと思うけれど。見る?」
「えっ、見る! ちょっと青みがかってるんだな。これってどんな墨? エレナの目の色みたいできれい!」
「……変なところに食いつくのね」
「あ、いや」
こほん、と俺は咳払いをした。
好きで。インクとか。いい色だなー、これ。
あ、いや。こほん。
待って? 俺いま変なこと言ったな? 鈍感主人公が無自覚にヒロイン口説くみたいなヤツやってなかった?
幸い、エレナは完全にスルーしてくれた。さすが、『地の文』保証の脈のなさ。よかった。これでエレナに「ばっ、馬鹿! 何言ってるのよ!」なんて顔を赤くされたら解釈違いすぎる。
だいたい、いまはそんな場合でもないんだよ。
「その、驚いた。そこまでしっかり管理してくれてたなんて。有難う」
「趣味みたいなものだから」
どうにか俺がごまかすと、エレナは肩をすくめる。優しい。可愛い。女神。
「もういいなら、寝ましょうか。せっかくの宿だもの、身体を休ませなきゃ」
「ああ、そうだな。俺はこっちで寝るから」
「その問題があったわね。じゃ、お言葉に甘えるわ」
部屋に寝台はひとつだ。俺はさっさと部屋の隅に寝転び、エレナが服を脱いで布団に入るところを見ないようにした。
さて、本当にこのまま寝る訳にはいかない。エレナから危険が去ったとは言い切れないからだ。
彼女は、普段から結界を張っていると言った。確かに野外ではやっていたが、宿でもやっていたのは知らなかった。しかも俺にまで……頭が上がらない。
とにかく、俺が飛び込んでこなくても彼女は結界を張ったはずだ。それでも『地の文』があんなことを言ったのなら、まだ油断はできない。
【エレナの寝息が安らかになり、彼女が完全に寝入ったと思われる頃、アーサーは身を起こした。身を横たえていては、とっさに反応ができない。不寝番のように、座っておこうと考えたのだ。】
お、その通りだな。俺は『地の文』の提案に従った。いくら緊張してても、横になってたらいつの間にか寝ちまうかもしれないし。
【とは言え、「不吉な予感」は予感にすぎない。警戒する対象も判らないまま暗がりでじっとしていれば、月神が彼をも癒やそうと肩に手を置く。】
いまばかりはこないでくれ、月神。無事乗り切ったと確信できたら頼む。
【微かな物音にも過剰に反応した。風が窓を叩けば毛布を跳ね上げ、廊下にきしむ音がすれば聖剣を握り締めた。】
まじでこれ。俺は息を吐いて軽くストレッチをした。
暗闇のなかひとりこの状態を保つのは限界がある。気を張っていたって、ぼんやりするタイミングはどうしたって出てしまうだろう。
エレナに本当のことを――「お告げ」があったのだと言って、対策に協力してもらうべきだっただろうか。彼女なら、恐怖でパニックになる、みたいなこともないと……いや、判らないか。
〈聖なる勇者〉が聞く「お告げ」は神のものだと、少なくともエレナはそう解釈しているはずだ。彼女の崇める神が、自分の死を告げたら?
悪いシナリオその一。ショックで何もできなくなる。その二。神がそのように言うなら運命だと受け入れてしまう。
そこまで考えて俺は首を振った。
やっぱりこれでよかったんだ。エレナ自身に話をしなかったのは正解。たぶん。きっと。そうに違いない。そう思いたい。
俺は何度目になるか、眠気覚ましのために静かに立ち上がった。
そのときだ。
【何かが聞こえた。アーサーは眉をひそめて辺りを見回した。】
小さな雑音。ホワイトノイズと言うんだろうか。ワイヤレスイヤホンで音を小さくしたときに聞こえる感じの。
機械音だと言うんじゃない。これは、風が小さな穴を抜けてるみたいな……?
【慎重に部屋中を観察したアーサーは、鏡台の上に置かれた小物に目を留めた。】
うん? 何だこれ。白い……巻き貝? 見覚えはないが、エレナの持ち物だろうか。二本の指でつまめる程度の大きさで、鏡台に付属している装飾品だと言われたら、そうも見える。
耳を近づけると、小さな音はそこからしているように思えた。
何だ……?




