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第18話 後輩による名推理

 浴室から脱衣室へ出た俺は、震えていた。


 寒い。あまりにも寒すぎる。

 設定温度を極限まで下げたシャワーを浴び続け、俺の体感温度は凍りついていた。


 だが、それくらいしなければ、俺の中で燃える情欲の炎を鎮めることは不可能だったのだ。


 ……ふぅ。


 なんとか、理性を融かさずに済んだ。


 俺の息子はうなだれている。

 偉いぞ、お前はモラリストの鑑だ。


 たとえ扉の向こうに風呂上がり美少女たちが待ち構えていようとも、俺たちは紳士としての矜持を忘れてはならない。


 イエス美少女ノータッチ。


 触れたら最後、俺は止まれないから。


 俺は新品のタオルで頭を拭きながら、意を決してリビングへ戻った。

 

「お待たせ。いやあ、やっぱり広い風呂はいいなあ」


 棒読みになってしまったが、二人の反応はない。


 俺の脳内の警報機が、レッドアラートを鳴らし始めた。


 ……おかしい。

 

 空気が、明らかに《《変質》》している。

 先ほど映画を見ていたときの、どこか和やかな雰囲気は消え去っている。


 そこにあるのは、獲物を追い詰めた捕食者が、トドメを加える直前の静謐。


 あるいは、爆発を待つ火薬庫のような、ヒリつくほどの緊張感。


 ソファには、バスローブを深々と羽織ったナツキと、パーカーのジッパーを少しだけ下げてくつろぐコハルが、並んで座っていた。

 

「おかえりなさい、先輩。……男性のシャワー時間の平均より、ずいぶんと長い時間をかけていたようですね」


 ナツキが、冷えたハーブティーのカップを置いて立ち上がる。


 ローブは結構なオーバーサイズで、肩や胸元がぶかぶかになって色々と際どい。


 おい、そのローブ、わざとか? 計算なのか?

 ナツキ、ちょっと前までは一緒にソシャゲをやりながら『露出度の高すぎる女キャラって媚びすぎてて逆にソソられませんよね』と言っていたのに。


 誰からそんなエッチな媚びを教わったんだ!?


 俺か。俺しかありえないか。


「お疲れサマ、トーマ! 顔色わるくない? 冷水シャワーでも浴びてたの?」


 コハルが、クスクスと喉を鳴らして笑う。


 そのポニーテールが揺れるたび、石鹸の香りとココナッツの甘い匂いがふわふわただよう。


 ……あ、これダメなやつだ。俺が必死に冷却した血流が、再び沸騰し始めているのがわかる。


 すぐに体あったまっちゃった。

 風呂いらずで助かるね(現実逃避)。


「ま、まあな……。ヨシ! じゃあ動画編集しようぜ。まだ8時だし、ちょっとは進められるだろ」


 俺は逃げるように、隅にあるワークデスクへ向かおうとした。だが。

 

「……動画編集。確かに重要ですが、今でなくとも良いでしょう」


 ナツキが、まるで影のように俺の行く手をさえぎった。

 

「時に、先輩」


「な、なんだいヤブからスティックに」

 

「先輩。月澄つきずみフユミさんについて質問です。彼女が昨日、あの『あーん』の際に見せた、確信に満ちた笑み。……先輩は、彼女のあのような表情を、以前から知っていたのですか?」


「え? いや、幼馴染だし、昔からよく知ってるけど……」


「いいえ。私が問うているのは、歴史的経緯ではなく、実存的な『親密度』の変化です。……先輩。質問を変えましょう」


 ナツキの瞳が、深淵のような暗い冷たさを帯びて俺を引き込む。

 彼女の声は、低く、しかし驚くほどハッキリと、俺の耳から脳へ浸透していく。


「昨日の家庭科室の動画。月澄さんが先輩にクレープを食べさせたシーン。最高でしたね。真面目でクールでパーフェクトな月澄さんが、あんなに乙女チックな姿で、いじらしい表情を見せるとは。ギャップ萌えというのはベタですが、中々どうして侮れません」


「だ、だよな〜〜!! フユミの名演とコハルの名演出のおかげで。な! だよな? コハル? コハル……?」


 コハルに視線を送り助けを求めるが、にこにこと見つめ返されるだけだった。怖い。下手に睨まれたり真顔になられるより怖い。


「だからこそ、気になるのです」


 ナツキは人差し指を立てて続ける。


「なんでも気になってしまうのが、私の悪い癖です」


 右京さんか?


「月澄さんに、あそこまでの演技力はありません。となると、アレは月澄さんの素であると考えるべきでしょう。しかし、ここでまた疑問が生じます。なぜ、月澄さんは素を出したのでしょうか? これは私見ですが、彼女は幼なじみの前では、むしろ素直になれないタイプに見えます」


「すっ、すばらしい推理だな探偵さん。推理小説家にでもなったらどうだ?」


 裏返る俺の声に、ナツキは静かに答える。


「もうなってますよ」


 そうだった。

 ナツキは大人気の覆面作家であり、著作の中には探偵小説のシリーズもある。


「先輩。月澄さんは、何故あんなにも素直だったのでしょうか?」


「そ、そんな難しいこと言われても……。プロ意識の賜物たまものだろ、フユミは真面目だからな」


「しかし先輩、マジメな女子高校生が男子高校生の自宅に入りびたるでしょうか?」


 するどすぎるだろ、いろんな意味で。


「それはまあ、そういう場合もあるだろ。なんか複雑な事情のアレとかで」


 我がことながら、しどろもどろになっている。

 ナツキが何らかの真相に迫っている気がして、平静でいられない。


「ふむ。それは失礼しました。差し出がましいことを申し上げましたね」


 頭を下げるナツキを、「いやいやそんな」と手で制しようとした、そのとき。


「ただ、一つだけお願いがあります」


 ナツキががばっと頭を起こした。


「お、お願い?」


「ええ。役者のコンディション管理も脚本家の務めですから」


 ナツキは真剣な瞳で俺を射抜き、


「月澄さんのこと、ちゃんと見てあげてくださいね」


 ただ、そう言った。


 ほっ、と安堵の息が漏れる。

 なんだ、ビックリした。何か恐ろしいこと言われるんじゃないかと身構えてしまっていた。


 女の子同士の思いやりがあるだけだったんだ。


「もちろんだよ。言われるまでもないっつーの」


「信じがたいですね。月澄さんが化粧品を変えたの、気付いてました?」


「あー、それは気付いてなかった。俺、そういうのうとくてさ」


「先輩は外見に無頓着な陰キャですからね。かくいう私もそうですが」


「今のナツキが言うと違和感あるなぁ。完全にオシャレ一軍女子じゃん。コハルもそう思うよな?」


「それなー。ナツキちゃんは元が良すぎるから、磨くだけでチョー眩しくなるんよね」


「コハルさんこそ、最初からオーバースペックなのに完全武装しているではないですか」


「そんなぁ、もー、褒めすぎだよナツキちゃん」


「あはは」


「うふふ」


 俺たち3人は笑い合う。

 よかった、修羅場なんてなかったんだ。

 仲良しの女の子たちがいるだけだ。みんな楽しく平和に幸せ。俺の不安は杞憂だったんだ。


「ところで先輩」


 ナツキは微笑を浮かべ、


「月澄さんに、ひとつだけ伝言を」


「おう、なに?」


「カプサイシン配合リップはやめておくように、と。口の粘膜が荒れてしまうかもしれませんから」


「フユミの奴、そんなの付けてたのか? 俺はカユくならなかったけどなぁ」


 俺はアゴに手を当てていぶかしんだ。


 ちなみに、俺にはカプサイシンアレルギーがある。唐辛子などに触れると、触れたところがカユくなる。耐えようと思えば耐えられるレベルだが、フユミは聖人君子の完璧主義者なので、カプサイシンが含まれる食事には手を付けない。


 そんなフユミが、カプサイシン配合リップ?


 妙な話だ。


「妙ですねえ」


 ナツキは微笑を崩さない。


「月澄さんがカプサイシン配合リップを付けていたとして、なぜ先輩が『俺はカユくならなかった』と述べるのでしょうか」


 ──あ。


 時が、止まった。


 俺の目の前で、ナツキの微笑が、溶け落ちるように消え失せる。


「トラップにかかりましたね」


 バレた。

 フユミとキスしたことがバレた。

 『バレた』の三文字が頭の中をぐるぐる回る。


 完全な無表情。

 『美人が怒ると怖い』とは、よく言ったものだ。絵画のように整ったナツキの顔は、表情筋を微動だにさせないだけで、凄まじい重圧を放っていた。


 俺の視線は、気付いたらコハルへ逃げていた。


 コハルはやっぱり笑顔のままだ。純粋無垢で天神爛漫、無邪気極まる天使のスマイル。真意が全然うかがえない。


「トーマ、いいねぇ」


 コハルは笑顔のまま、


「フユちゃんと、そこまで行ってたんだ。平気で出来ちゃうんだ、そーゆーこと。いいねぇ、トーマ。モテる男はツラいねぇ」


 いつも通りの声色、いつも通りの口調でそう言いながら、ゆっくり歩み寄ってくる。


 どうしよう。


 ナツキの方へ視線を戻す。凍結して保存したような真顔のまま。





 どうしよう。




 どうしよう。


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