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第19話 コハルの口づけ

 コハルは天真爛漫な笑顔を貼り付けたまま、ゆっくり歩み寄ってくる。


「フユちゃんと、そこまで行ってたんだ。平気で出来ちゃうんだ、そーゆーこと。いいねぇ、トーマ。モテる男はツラいねぇ」


 ナツキは無言で俺を見つめる。


 どうしよう。


 どうしよう。




 どうしよう。


 俺の脳内CPUはマッハで演算を繰り返す。

 だが、どのルートをシミュレートしてもYOU DIEDの血文字が視界に浮かぶ。死に、祈りを。


 コハルは俺の鼻をつまめる距離で立ち止まる。にこにこ笑っている。完璧なスマイルなのに、『この笑顔のままブン殴られてもおかしくない』という恐怖感がある。


 ナツキがコハルに並ぶように、少しだけ俺へ歩み寄る。

 ナツキの黒い瞳は風穴のようで、見ているだけで吸い込まれ、どこまでも落下するような錯覚に襲われる。


「……《《裏切り》》は」


 ナツキは出し抜けに口を開いた。


「ダンテの【神曲】において、裏切りは、最も重い罪とされています」


 低く、重く、冷たい声が部屋に響く。


「地獄の最下層には、ルシファー、ユダ、ブルータス、カシウスなど、歴史上の様々な《《裏切り者》》が氷漬けにされている、との描写があります。ところで先輩、ずいぶんと体が冷えていますね……」


 ナツキは細い指先で、俺の首筋をなぞった。刃物を押し当てられているかのような恐怖感がある。


「あの、」


 俺が何か言うより早く、ナツキの指が俺の唇に触れた。


「『人にできるのは心構えだけ』」


 ナツキは人差し指と親指を俺の口の中へ押し込み、舌をつまんだ。


「『しゅが舌に答えるべきことを与える』。旧約聖書・箴言しんげん第16章1節です。私が先輩の御主人様です。私が先輩の神様です。私が先輩の罪を許します。私が先輩の罪を罰します。あの日あの夜そうしたように」


 ナツキは俺の舌を、ぐにゅぐにゅコリコリもてあそんでいる。指の腹で撫でてみたり、軽く爪を立ててみたり、好き放題している。


 ぞわぞわ肌が粟立つのが、快楽によるものか恐怖によるものか、自分でも分からない。


 ってか『あの日あの夜そうしたように』って、俺とナツキは空白の一週間でどういうふうに《《初めて》》を迎えたんだよ!?

 

「先輩の答えは私が決めて私が与えます。私が殺します。私が生かします。私が傷つけ私が癒します。私があなたの神様ですから」


 俺は答えられない。心理的にも物理的にも。


 なすすべなく呆然とする俺の顔に、コハルが手を伸ばした。


「ねえ、トーマ」

 

 そっと俺の頬を撫でるコハルの小さな手からは、ココナッツの甘い匂いがする。


「アタシが、きょう、どんな気持ちで準備してたか、わかる……?」


 コハルが俺を見つめて問う。

 カラコンを入れていない瞳はいつもよりも幼気いたいけで、こぼれ落ちそうなほど潤んでいる。


「アタシたち、今夜が特別な思い出になればいいなって思ってたのに。……そんなアタシたちを裏で笑いながら、フユちゃんの唇のこと思い出してたってコト? ひどいよ。あんまりだよ、こんなのってないよ……」


 コハルは、のどに込み上げたような涙声でそう言い、うつむいた。ちらりと見えた表情は、寂しさと悲しさでしぼんでいた。


 罪悪感は刃となって、俺の胸へと突き刺さる。そして毒のように、俺の体中へ重苦しい痛みが染み渡る。


 俺が悪い。


 フユミとキスをしたのは、記憶喪失とは関係ない。今の俺が自分の意志でしたことだ。その事実を見破られ、ナツキとコハルを悲しませている。


 自己嫌悪で頭おかしくなりそうだ。


 なにがハーレムだ……自分をプレイボーイか何かと勘違いしてたんじゃないか。


 こうなることなんて分かってたはずなのに。

 その場その場で最善を選んだつもりでも、前提に無理があっちゃ成立するはずがない、それに──

 

 好きな子を傷つけちゃ意味ないだろ!


 慰めたいが、何もできない。ナツキに舌をつままれたままだし、俺から言える言葉が見つからない。


 自分の不甲斐なさに涙が出そうだが、加害者の俺が泣くなんて許されない。


 八方ふさがりの俺に、


「先輩」

 

 ナツキが、そっと囁いた。


「言ったでしょう。『先輩の答えは私が決めて私が与えます』。先輩は、『俺に出来る事なら何でもする』と思っていますよね。もしそうなら、うなずいてください」


 俺は迷わずうなずいた。


 すると、ナツキがぱっと手を放した。


 俺は口元を拭い、二人に向き直る。

 たとえどんなことになろうと、今は真摯に話したい。


「コハル、ナツキ、俺は──」


「いぇーい、大成功!!」


 コハルは起き上がり、両手を掲げる。


「グッジョブです、コハルさん」


 ナツキが応じ、二人はハイタッチした。

 パァン!と小気味よい音が部屋に響いた。


 ……何だ。何が起こっている。何が何だかわからない。


 コハルのほうを見る。満面の笑みである。きらきら輝くスーパースターのウルトラスマイルだ。


「こ、コハル、嘘泣きだったの……?」


「いや? 笑いこらえて涙が出そうだったよ。ベロつままれて変な顔になってるトーマ、ちょー面白かったし」


「同感です。先輩のあんな顔は初めて見ました。まるでカリカチュアのようで、真顔を保つのに苦労しました」


 ねー、と首をかしげて笑い合う二人。


「コハルさん、それにしても名演でしたね。儚げな薄幸美人の雰囲気が醸し出されておりました」


「ナツキちゃんこそ、名推理すごかったよ〜ガチで名探偵ナツキって感じだったよ!」


「いやぁ、コハルさんがカプサイシン配合リップの話をしてくれたからですよぉ」


 キャッキャウフフとかしましい二人。


 俺は置いてけぼりで唖然としていた。


「ふ、二人とも、怒ってないのか?」


「怒ってますよ? 抜け駆けされたのは事実ですし」


「んね。ただまあ、アタシらが同じ立場でも似たようなことしただろうし、フユちゃんが悪いとは思わないかなー」


「そ、そうか……」


 展開が早すぎてついていけないが、なんとかなった、のか? 


 いや、それでも真剣に話し合うべきだろう。


「ごめん、二人とも。俺のせいで」


「そんなことよりさぁ」


 コハルは俺の話を聞きもせず、つぶらな瞳をギラつかせている。


「トーマ、『なんでもする』って言ったよね?」


 ゆ、ゆってない。


「言ってはいませんが、契約は結ばれています。テスタメントです。さて、先輩」


 二匹の捕食者が、じりじり俺ににじりよる。


「覚悟はできてるよね?」


 コハルは当然のように俺の頭を抱え、唇を重ねた。




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