第17話 ☆ナツキ「先輩を襲っちゃいましょう」コハル「いいよ。ヤッちゃおっか」
「今夜、先輩を襲っちゃいましょう」
ナツキは真顔でそう言った。目が据わっている。
「今このときに攻めれば、先輩は絶対に拒めません。今を逃しては、お泊りデートはありえないでしょう。今です。今しかないのです」
コハルは息を呑んだ。
理論先行型と思っていたナツキが、超行動派になっている。
圧倒的成長に絶句した。
永遠にも思える数秒の後、コハルの目尻がゆるゆると下がる。
「いいよ。ヤっちゃおっか」
ゾッとするほど妖艶な微笑。
普段のコハルからは想像もつかないほど大人びた色香に、ナツキもまた言葉を失った。
いける。勝てる。
ナツキがそう確信した瞬間。
「……あ、でもさ、ナツキちゃん」
コハルは先ほどまでの妖艶な微笑をふっと崩し、真剣な顔で人差し指を立てる。
「最後まではしないよ? 念のため言っとくけど」
あまりにもあっさりした確認に虚を突かれたナツキは、柳眉をひそめて問い返す。
「……もったいないと思いませんか? これだけの舞台は二度とないかもしれないのに」
「それはそうなんだけどさー、やっぱ二人きりがイイっちゅーかさー。そーゆーのはスペシャリティが大事だし。それに、ぶっちゃけ人前でヤるのってチョー恥ずかしくない? アタシ、実はシャイなとこあるからさ〜」
コハルはそう言いながら、パーカーの襟を両手で引っ張り上げ、顔の下半分を隠す。
せわしなく揺らぐ瞳には、一軍ギャルとしての奔放なイメージとは裏腹の、羞恥心とロマンチシズムがあった。
それに、とコハルは続ける。
「それにさ、もし本当に最後までいっちゃって、それがフユちゃんとかアキハ先輩にバレたら──って想像してみ? マジで色々ヤバいでしょ。昼ドラみたいになっちゃうよ」
「…………」
ナツキは、ぐうの音も出ずにシュンと肩を落とした。
彼女の脳内では既に、先輩との「実存的融合」による多幸感溢れるラブストーリーが書き上げられていたのだ。
それがコハルの現実的な指摘によって、一瞬にしてボツ原稿の山へと積み上げられた。
ああ、コハルさん。あなたはウチの編集より優秀な御方です。
心の中でそう言いつつ、ナツキは気落ちした声を返す。
「……おっしゃるとおりです。私の情熱は、夢物語に過ぎなかったというわけですか」
「落ち込むのはまだ早いよナツキちゃん。ギャルは提案を拒むとき、必ず代案を用意するものなんだよ」
コハルはにやっと口角を吊り上げる。
その瞳は、自信と決意に輝いていた。
「要はさ、『抜け駆け』がダメなんよね。裏を返せば、フユちゃんや会長と足並みが揃うなら、何をしてもいいワケ」
ナツキが首を傾げて続きをうながすと、コハルは指を立て、名探偵のような手つきで語り始めた。
「昨日のフユちゃんの動画、見たでしょ? あの『あーん』の後のフユちゃんの顔。あれ、ただ照れてるだけじゃない。もっとこう、何かを思い出してる感じだったんだよね」
「ふむ……月澄さんが抜け駆けをした可能性がある、ということですか?」
「イエース。察しが早くて助かるわ〜」
「確かに、月澄さんは幼なじみですし、ご自宅も隣同士ですし、合鍵まで持ってるんですから、抜け駆けのチャンスは多いですね」
「だっしょ〜? それに、最近のフユちゃんはチョー積極的なんだよね。ゴールデンウィーク前まではマジメな優等生で、トーマと話すこともほとんどなかったのに。ここ数日はつきっきりでデレてる。なーんか進展するようなビッグイベントがあったと思うんだよね」
コハルは身を乗り出し、ささやき声で断定する。
「フユちゃんはトーマとぉ……チューまでは済ませてる。間違いないっしょ」
ナツキの白い肌が粟立った。
本能的な嫉妬と焦燥が、彼女の思考をドス黒く塗りつぶす。
が、こんなときこそ冷静にならねばならない。
ナツキは自分自身にそう言い聞かせ、息を整える。
深呼吸をひとつ。ふたつ。
取り繕える程度に落ち着いてきた。
「……納得、せざるを得ません。あの品行方正な月澄さんの変化。あれは『成した者』の躍進でしたか……不公平です。アンフェアです。格差社会です」
「だっしょー? だからさ。フユちゃんがやったなら、アタシらがしたっていい。むしろ、すべきである。……そう思わない?」
コハルの提案は、もはや悪魔の囁きに等しかった。
しかし、今のナツキにとって、それはこの不条理な世界を正す唯一の『正義』に聞こえた。
「……ええ。平等のための一手。正統な権利の行使。体験価値の再分配です。月澄さんにのみ許された独占を破壊し、我々の唇にもその『承認』を刻むべきです」
二人の少女の視線が、再び一点で交差する。
「よし、合意成立だね。……あ、トーマ、シャワー止まった」
コハルが耳を澄ませる。
浴室から、扉が開く音が聞こえてきた。
「……ナツキちゃん。ここぞってときにビビらないようにね」
「……それはこちらのセリフです。コハルさんがギブアップしたら、後は私が持ってっちゃいますからね」
ナツキはローブの襟を正し、静かに深呼吸をした。
心臓の音は、かつてないほど高く、鋭く、夜のスイートルームに響き渡っていた。




