第19話 ☆生徒会長の本心
前回のあらすじ。
「頑張ったあなたには、ご褒美が必要ですね。……思い出させてあげますよ。あの夜、私たちに何があったのか」
アキハ先輩から誘惑されている!
つややかな長い黒髪、涼し気な目元の大和撫子。そして、奥ゆかしさの裏にある絡みつくような妖艶さ。
魔性である。
十八歳にもなってないのに。
「せ、先輩、俺……」
「アキハと呼んでください。あなたに呼ばれると、聞き慣れた自分の名前すら愛おしく感じられるんです……」
アキハ先輩の顔が近づいてくる。まつ毛が長い……それに目鼻立ちが整っている。この人、信じられないほど美形だ。
吐息がかかる距離。お菓子と紅茶の匂いがする。
キスをするのか、それとももっと深いところへ堕ちていってしまうのか。
俺は、無意識に彼女の肩を掴み――そして、押し止めた。
「……っ、だめです!」
俺はなんとか体を引き離し、荒げた息を整えた。
アキハ先輩はキョトンとした顔で俺を見ている。
「どうして? 嫌なのですか?」
「い、嫌なわけないじゃないですか! アキハ先輩みたいな美人に迫られて、喜ばない男はいません!」
俺は叫んだ。本音だ。理性なんてとっくに焼き切れている。
でも。
「でも……先輩が言ってくれたんじゃないですか。『公平に』って」
「……」
「誰か一人をヒイキすれば、均衡が崩れる。俺は潤滑油にならなきゃいけない。……ここでアキハ先輩に応じてしまったら、俺はフユミたちを裏切ることになるし、何より、あなたとの約束を破ることになります」
俺は拳を握りしめ、アキハ先輩の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「俺は、実行委員長としての責任を果たします。だから……今は、受け取れません」
沈黙が降りた。
心臓が破裂しそうだ。
断ってしまった。あの木南 秋葉の要求を。
怒られるか? それとも嫌われるか? 最悪、消されるかもしれない。
ってか正直もったいない気持ちもある!!
俺が処刑を待つ囚人のように身構えていると、
ぱち、ぱち、ぱち。
控えめな拍手の音が、静寂を破った。
「……素晴らしいです」
アキハ先輩が、満面の笑みを浮かべていた。それは誘惑の笑みでも、冷徹な嘲笑でもない。
感心の笑みだった。
「流石です、トーマさん」
「え……?」
「あなたの忍耐力を試しました」
先輩はコロコロと楽しそうに笑いながら、デスクに戻った。
「もしあそこで流されていたら、あなたは四天王の均衡など保てるはずもなく、いずれ破滅していたでしょう」
彼女は振り返り、悪戯っぽくウインクをした。
「ですが、あなたは理性を保った。私の誘惑よりも、私との約束を優先した。……ふふ。やっぱり、私の目に狂いはありませんでしたね」
試されていた。
俺は脱力し、その場にへたり込みそうになった。
この人、ほんっと……いい性格してるわ。
まあ、だからこそ頼りになるんだけど。
「安心してください。今日のご褒美は『お預け』にしておいてあげます。……利子をつけて、七曜祭が終わった後にたっぷりと頂戴しますから」
アキハ先輩はそう言って、色っぽく微笑んだ。
「さあ、帰りましょうか。あまり遅くなると、こわぁい幼馴染さんがご立腹なさるでしょう?」
俺は深くため息をついてから立ち上がり、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、アキハ先輩。それじゃ、今日は失礼します」
「ええ、またお願いします」
にこにこ笑うアキハ先輩を背に、生徒会室の鍵を開けた。
廊下の窓から差し込む夕日が目に染みる。
なんとか。
なんとか、こらえきれた。
なんとか、理性的に振る舞えた。
本当の本当にギリギリだった。
フユミの泣き顔やコハルの無邪気な笑顔、シミズの『なんでもします』という決断表明、アキハ先輩による種々の協力、四人とのコミュニケーションがあったから、水際で踏み止まることができた。
気付けば四股していた俺だが、全員を幸せにしたい。そのための成功体験を一つだけ得ることができたのだ。
ぱん、と両頬を叩き、気合を入れる。
「よし、行くぞ」
俺は夕闇の迫る中、歩み出した。
◆◆◆◆
木南秋葉は、優雅に微笑み手を振る姿勢のまま、彫像のように固まっていた。
トーマの足音が遠ざかり、やがては完全なる静寂が訪れる。
彼女の膝から力が抜け、ドサリと革張りのソファに崩れ落ちた。
長い黒髪が乱れるのにもかまわず、彼女はゴロゴロと転げ回り、
「……い、いけずやわぁ〜!」
くぐもった叫び声を上げた。
「絶対に堕とすつもりやったのに!」
試したというのは、嘘だ。
アキハは本気だった。
言葉巧みに誘導し、吐息がかかる距離まで詰め寄り、唇を重ねるつもりだった。
トーマの理性を焼き切るつもりだった。そのまま既成事実を積み重ねて、リードするつもりだった。
とっさに口をついて出た『忍耐力を試した』という言い訳は、精一杯の強がりだったのだ。
「急に美人とか褒めてくるし……それに、あんな、あんな目で断られたら、何も言えへんようになるやんか……」
アキハは唇を尖らせた。
なぜ、あそこまで焦ってしまったのか。
アキハ本人は絶対に認めないだろうが、『嫉妬』が主たる理由である。
幼馴染の月澄フユミに向けられる信頼の眼差し。
火伏コハルに向けられる呆れつつも親しげな態度。
冷水夏希に向けられる庇護欲のような優しさ。
それらを目の当たりにした瞬間、秋葉の胸の奥で、コールタールのように黒く粘着質な感情がどろどろ渦を巻いたのだ。
『ウチが一番なのに』
トーマが他の女と楽しそうに話しているだけで、心臓が焼き焦がされるようだった。
だから、確かめたかった。
自分のほうが愛されていると。
トーマは自分の魅力には抗えないのだと。
その証明が欲しくて、なりふり構わず誘惑したというのに。
「『公平に』……やて」
秋葉はくすっと笑った。
思い出すのは、トーマの真剣な眼差しだ。
欲情に揺れながらも、最後の一線で踏みとどまり、約束を守ろうとしたあの姿。
もし、あそこでトーマが流されていたら?
秋葉の自尊心は満たされただろう。トーマを手に入れ、勝利の美酒に酔いしれたはずだ。
だが、今ほどの興奮は得られなかったかもしれない。
「……ほんま、難儀やわ」
木南秋葉の人生は、常にイージーモードだった。
大企業グループ総帥の愛娘。才色兼備にして文武両道。
欲しい玩具も、学業の成績も、勝負事での活躍も、周囲の賞賛も、何もかも。
手を伸ばせば、あるいは手を伸ばすまでもなく、すべてが彼女の手中にあった。
努力らしい努力などしたことがない。
勝つことも得ることも、アキハにとっては当たり前の日常だった。
けれど、日村 斗真だけは違う。
彼は秋葉の掌の上で転がされているようでいて、肝心要のところで指の隙間からすり抜けていく。
簡単には手に入らない。なかなか思い通りにならない。
だからこそ燃えるのだ。
「……あかん。ますます好きになってまうわ」
アキハは熱い息を吐き出し、自分の体をぎゅっと抱きしめた。
押し止められた悔しさよりも、瀬戸際で理性を保ったトーマへの愛欲が勝っている。
その高潔さを汚したい。
その強い意志力をこそ屈服させたい。
私に溺れさせたい。私のものにしたい。私だけ見つめさせたい。私のことしか考えられないようにしてやりたい。
そしていつか、彼の口から『公平』などという綺麗事が出ないようにしたい。ただ私の名前だけを呼ばせ続けたい。
アキハの瞳に、昏い情念の炎が灯る。
「覚悟しときよ、トーマさん。……ウチ、諦め悪いから」
彼女は立ち上がり、乱れた制服と髪を整えた。
鏡の前で表情筋の調子を保ち、『女帝』の仮面を被り直す。
だが、その平静の仮面の下にあるのは────
かつてないほど肥大した独占欲と、障害があるほど燃え上がる恋心だった。
七曜祭が終わる頃、どうなるのか。
その答えは、まだ神のみぞ知る……いや、神ですら予測不能なカオスの中にある。
だが一つ確かなことがある。木南 秋葉はそう考える。
四天王のスタートポジションは横並びではない。
四股の現状を把握しているアキハのみが何歩かリードしている。
アキハは高鳴る胸を抑えつつ、スマートフォンを手に取った。
さしあたって、最優先で解決すべき問題がある。
アキハは使用人筆頭の高 喜美子へ電話をかけた。
「もしもし、タカ?」
『お嬢様、どうかしたんですか?』
「恋の病は何科で診てもらえますか?」
『お嬢様、どうかしてるんですか?』
「あかん説明が足りんかったわ、トーマさん好きすぎて心臓が痛いんよ」
『お嬢様、どうかしてますよ』
一つ確かなことがある。
恐らく、この世界でタカだけが知っていること。
それは、木南秋葉が天然ポンコツ色ボケ少女であることだった。




