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第10話 フユミ、ヤンデレ、幼なじみ、最強。

 午後の授業の内容は、一切記憶にない。

 覚えているのは、窓の外を流れる雲が自由で羨ましかったことと、時計の針が刻一刻と処刑時刻ほうかごへ近づいていく絶望感だけだ。


 そして、運命のチャイムが鳴った。


「起立、礼」


 号令と共に、クラスメイトたちが解放感に満ちた声を上げて散らばっていく。


「ごめんトーマ、あたし今日は部活の助っ人あるんだった! また明日話そ!」


 コハルは太陽さながらの眩しいスマイルを残し、去っていった。


 他のクラスメイトもそんな感じだ。


 部活へ向かう者、遊びに行く者、恋人と帰る者。

 俺もまた、恋人(?)と帰る者の一人だ。ただし、その帰り道にあるのは、ロマンスよりもサスペンスである。


「……はぁ」


 俺が重いため息をついてカバンを掴んだ、その瞬間だった。


 ガラッ!

 教室のドアが小気味よい音を立てて開き、教室中の視線が一点に集まる。


 そこに立っていたのは、制服を折り目正しく着こなした、金髪碧眼の美少女。


 月澄・フユミ・エインズワース。

 彼女は教室に入ってくるなり、迷うことなく俺の席へと直行してきた。


「お待たせ、トーマ。行きましょう」


 有無を言わせぬ声色。

 閑散としつつあったクラスがざわつく。


「おい、特進の月澄さんだぞ」


「日村のやつ、今度は月澄さんと帰るのか?」


「一軍ギャル、文学少女、幼なじみ……美少女四天王の三人と接点を持つだなんて」


「クソうらやましい」


「あいつ前世で国でも救ったのか?」


「いや、外患誘致で死刑宣告された顔だぞアレ」


 鋭いなクラスメイトよ。大正解だ。


 俺はシミズからの『脳がオーバーヒートしました。ひどく眠いので今日はもう寝ます』というラインを確認してから、フユミに従い教室を出た。



◆◆◆



 通学路は、夕暮れでオレンジ色に染まっていた。

 カラスが鳴き、どこかの家からカレーの匂いが漂う。


 本来ならノスタルジックで胸がキュンとなるシチュエーションだ。


 だが、俺の胸はギュンと押しつぶされている。


 俺とフユミの間にあるのは沈黙だけ。


 フユミは俺の半歩後ろを歩いている。これが何を意味するか。

 逃げたら背中から刺す、という意思表示だ(被害妄想)。


「……あのさ、フユミ」


 耐えきれずに俺は口を開いた。


「話って、昔話? それなら小五の頃のさぁ」


「とぼけないで」


 フユミの声は切り裂くように鋭かった。


「文芸部室から出てきたこと。制服についてた長い黒髪……状況証拠は真っ黒でしょ」


 完全にフユミの言う通りだ。俺は押し黙るほかない。


「アンタいっつもそう。昔から、私の見ていないところで勝手に怪我したり、泥だらけになったり、人助けしたり……」


 フユミが足を止めた。

 つられて俺も止まる。

 場所は、かつて俺たちが毎日のように遊んでいた小さな公園の前だった。


 フユミは俺の前に回り込み、ジッと俺を見上げた。

 夕日を背負った彼女の金髪が、燃えるように輝いている。


 上目遣いの碧眼は、潤んでいた。


「……私の知らないところで、他の女の匂いをさせて帰ってくる」


「フユミ……?」


「一週間前もそうだった。貴方は急に様子がおかしくなって、私のことを避けて……問い詰めたら、泣きそうな顔で抱きついてきて……」


 フユミが一歩、近づく。


「『フユミしかいない』って言ったじゃない」


 え。

 言ったの俺? そんな殺し文句を?


「言ったじゃない。『昔からずっと好きだった』って!」


「それはその……そうなんだけども……」


 昔からフユミが好きだったのは本当だ。伝えた記憶こそ無いが。


「言ったじゃない! 『俺はフユミがいなきゃダメなんだ』って!」


「それもその……そうなんだけども……」


 世話焼きで気が利くフユミがいなきゃダメなのは本当だ。

 俺は一人っ子だ。親はほとんど家に帰らない。実質一人暮らし同然。そんな俺にフユミが寄り添ってくれたのも事実だ。


「言ったじゃない! 『体にわからせてやる』って!」


「待って俺そんなゲスいこと言ったの!!?」


 公園で談笑していた奥様方が、唖然とした顔でこっちを見ている。


「言わせたじゃない! 私にあんな恥ずかしいことを!」


 倒置法。


 ってかやめて! 声がデカすぎる! そして内容がセンシティブに過ぎる!


「わ、わかった! わかったから声おさえて! ご近所のウワサになる!」


「望むところよ! 既成事実を増やしてやるわよ!」


 フユミはカバンを地面に放り投げると、俺の胸ぐらを掴んだ。


 その両手は小刻みに震えている。


「……悔しいのよ」


 彼女はうつむき、俺の胸に額を押し付けた。


「小さい頃から、ずっと一緒だった。トーマのことは私が一番知ってると思ってた。好きなものも、苦手なものも、嘘つくときのクセも、寝相の悪さも、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ……」


 フユミの声が涙声に変わる。


「なのに、記憶がないなんて。あの夜のことも、約束も、全部忘れたなんて……そんなの、あんまりじゃない」


 胸元に、温かい雫が染みていく。


 俺の心臓が、ズキリと痛む。

 怖いとか、重いとか、そんな感情が吹き飛ぶほど、彼女の悲しみは本物だった。


 俺は……本当になんてことをしてしまったんだ。


 記憶喪失という免罪符で逃げていいわけがない。この涙は、俺が流させたものだ。


「……ごめん。フユミ」


 俺はおずおずと、彼女の背中に手を回した。


「記憶がないのは本当だ。でも……フユミを泣かせたいわけじゃない。それだけは信じてくれ」


 フユミの肩が跳ねる。

 しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと顔を上げた。


 濡れた瞳と、真っ赤な頬。

 反則的なほど可愛いかった。


「……信じる」


 フユミは鼻をすすり、ハンカチで目元を拭った。


「トーマは馬鹿でスケベでカスだけど、嘘つきじゃないものね」


「いろいろと余計だよ。反論できないけど」


「でも、許さない」


 フユミはニッコリと笑った。

 涙の跡が残る顔で、悪戯っぽく、そしてどこか不穏な光を孕んだ瞳で。


 彼女は自分のスカートのポケットから、一枚の紙を取り出した。


 綺麗に四つ折りにされたその紙を、俺の目の前に突きつける。


「な、なにこれ?」


「婚姻届よ」


「はい?」


「役所からもらってきたの。証人の欄は、おばさん……いえ、お義母かあ様とファンクラブの子たちに書いてもらったわ。あとはここ、トーマが名前を書くだけ」


 俺は紙を受け取り、固まった。

 本当に、署名・捺印がある。母の名前も書いてある。マジかよマザー……俺にことわりなく署名しちゃダメだろがよ……。


「しょ、署名って十八歳からじゃ……」


「そうよ」


「ファンクラブの皆さんは、未成年なのでは……?」


「三年生や卒業生もいるわよ」


 それもうファンクラブの組織規模じゃねえだろ。こいつナニモンなんだよ。


「記憶がないなら、形から入ればいいのよ。責任、取ってくれるわよね?」


 フユミが再び上目遣いで俺を見る。


 逃げ場はない。

 公園の出口では、いつの間にか集まったカラスが黒い壁を築き、人の出入りを塞いでいるように見えた(幻覚)。


「あ、あくまで将来の約束……的な?」


「ええ。卒業したらすぐに出すわ。それまでは、この紙が私たちの『絆』……もし浮気したら、どうなるかわかってるわよね?」


 フユミは俺の手から婚姻届をひったくると、大切そうに胸に抱いた。


 そして、今日一番の輝く笑顔を見せた。


「さ、帰りましょっ、《《あなた》》! 今夜はハンバーグにするわ。昔から好きだったでしょ?」


 俺は引きつった笑顔で頷くしかなかった。


 ギャルゲとラブコメに詳しい俺にはわかる。


 幼なじみは最強の属性である。

 過去という共有財産と、深めに深めた相互理解。そして親公認という、埋め尽くされた外堀。


 ギャルゲやラブコメで幼なじみが負けるのは、作家たちによる逆張りという名の創意工夫に過ぎない。


 現にずっと、他ジャンルにおいて幼なじみ属性は常勝だ。


 順当にやったら負けようがないのだ。幼なじみというヤツは。


 俺はフユミの隣を歩きながら、空を見上げた。


 夕陽。

 世界を血の色に染める太陽の断末魔。

 俺は、あと何度出会えるのだろう? この悲しい色に……。


「なに灰原哀ぶってんのよ」


 フユミに突っ込まれた。口に出していたらしい。


「ポエミーな気分だったんだよ」


 俺はテキトーに返した。


 もうなんか、逆に落ち着いてきた。

 起きた瞬間に遅刻確定してたから逆に穏やかに過ごせる、そういう朝の清々しさに似た気分だ。


 今あれこれ考えても答えは出せない。

 一旦ハンバーグ食ってから考えよう。


 だが、俺はまだ知らなかった。

 家に帰れば、フユミのこの『重い愛』どころではない、さらにカオスな事態が待ち受けていることを。

 

 俺の家の前には、黒塗りの高級車が停まっていたのだから。


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