1-8
あの場で解散をしてからまっすぐに家に帰ると、普段の練習終わりの時間よりずっと早くに家に着いた。引き戸を開けて家の中に入る。玄関を抜けて廊下に出ると、調理場で夕食の支度をしている母親と目が合った。明らかにこの時間の帰宅を驚いているような表情だ。
「どうされたんですか。今日はやけにお早いですね」
「ああ、まあな」
いちいち理由を話すのも面倒で、適当に返事をしてから隠れるように奥の部屋へ急ぐ。だが、母親は何かに気づくと、突然慌てたように駆け寄ってきた。
「どうされたんですか、その傷。いつもの練習の擦り傷よりずっとひどい。痛くはないですか?」
周吾のとの戦いの中で負った傷に、目ざとくも気が付いたらしい。皮がえぐれて肉が見えている右の頬の近くに、そっと手を触れようとしてきた。その手を払いのける。
「触んなよ。不敬罪を訴えたっていいんだぞ」
ほんの少し脅しをかけると、母親は払いのけられた右手をそっと引き戻す。少し言いすぎてしまったかもしれないとも思ったが、それを謝ることはしない。大人に対して謝罪の言葉を口にすると言うことは、大人と同じ立場まで自分を下げることに他ならない。
そのまま自分の部屋へと急ぐと、母親はこれ以上追ってこようとはしなかった。部屋の中に入ると、外のものを拒絶するように勢いよくドアを閉める。壁にもたれるように腰をおろして、ようやく一息をついた。
これまでの疲労が、どっとこみ上げた。身体にはいくつもの傷が刻まれ、筋肉も酷使された影響でガタがきている。緊張が切れたことで、一気に疲労感が全身を支配していた。
そのまま横になって、身体を休める。程なくして、睡魔がどこからともなく現れて、創の意識を飲み込んだ。横になってから眠りに落ちるまでの時間は、ほんの一瞬だったように思う。
だが、どれだけ身体が疲労を感じていようと、人間の身体というものは昼間に熟睡するようにはできていないようだ。初めに目が覚めた時間は、まだ午後の3時過ぎだった。その時はまだ身体もだるく、すぐに起きる気にはなれなかった。そこからしばらくは寝て覚めてを繰り返した。やがて目覚める間隔が狭くなって行き、時計が午後五時を指す頃には、退屈で横になるのも苦痛だった。
普段は陽が沈むまでの時間は練習をしているか、どこか外で時間を潰しているため、こんなに長い時間自分の部屋に籠ることはない。例え身体が疲れていたところで、こんな狭い部屋の中ではただ退屈なだけだ。結局、誰かと一緒にいなければ、退屈をしのげるような何かもない。
ガチガチに凝り固まった身体に鞭を打って、ようやく上体を起こす。それだけで、えらく労力を消費した気分だ。
まだ夕食にするにしては早いし、これからどうしようかと悩んでいると、部屋の扉の前を誰かが通り過ぎていく気配がした。きっと母親が何かの用事で横切ったのだろう。
この扉の向こうにいる母親のことを考えた時、ふとした疑問が頭に浮かんだ。
普段大人たちは、いったい何をして過ごしているのだろう?
当然、大人たちが町で様々な仕事をしていたり、母親が料理を作っていたりするのは知っているが、まさか眠る時間を除いた、すべての時間でそんなことをしている訳ではないだろう。普段創たちが学校に通っている時間や練習をしている時間、その間に大人たちが何をしているのか、そんなことが気になった。
「さすがに、いい加減に暇だな」
答えの出ない考え事にも飽きて、いよいよ退屈が限界だった。この狭い部屋にこもるのも嫌になって、外へ出ようと立ち上がる。玄関から出て母親と顔を合せることを恐れて、庭を経由してからそのまま外へと出て行った。
午後五時の町並みを当てもなく歩く。景色自体はいつもと変わることはないはずなのに、状況が普段と違うせいか、どことなく浮ついた気分になる。だが、実際に何か目新しいものがあるわけでもなく、町並みの散策は一〇分ほどで終わった。
ほんの短い散策の末にたどり着いたのは、近くの海辺の砂浜だった。ここは創のお気に入りの場所の一つで、何か一人で時間を潰す際のお決まりの場所だった。
砂浜へと降りてから少し歩くと、いつもお決まりの岩場がある。そこに腰をかけて、何をするわけでもなく、ただ波の動きを眺めた。何もしていないという点では家にいるのと変わりないが、不思議と退屈は紛れる。
ずっと遠くまで続いていく海の景色。何か海の中を泳ぐ生き物が見えるわけでもなく、海の上に浮かぶ漁船もない。時折カモメが目の前を横切る程度の大した動きもない眺めだが、それでも創はこの景色が好きだった。
この海の向こうのはまた別の世界があって、そこには想像もつかないような暮らしがあるのだと、海を見ながらいつもそんな妄想ばかりをしていた。
海には人の想像を掻き立てるような、そんな魅力がある。
その時、静かだったはずの浜辺から騒ぎ声が聞こえた。声のした方を見てみると、遠くの砂浜の上で子供たちが喧嘩をしているが見えた。彼らが喧嘩をしている理由なんて分からないし、知ったことでもない。けれど、けたたましく騒ぎながら争っている姿は嫌でも目に入った。
三人ほどの子供の集団。まだ幼い見た目で、年齢も一〇歳ほどに見える。一人の少年を二人の男女が責めているような構図だ。二人から責められても、少年は必死に食い下がる。懸命に叫び、何かを必死に伝えようとしている。しかし、それでも他の二人の顔色が変わることはない。自分の訴えが届かないことに嫌気がさしたのか、ついに少年は手を出してしまった。意識的か無意識かは分からないが、明らかに普通ではありえない動きの速さで、相手の頬を叩いていた。隣でそれを眺めていた少女が短い悲鳴をあげた。
頬を叩かれた側の男の顔が、明らかに変わった。激昂しているのが、遠目に見てもわかった。
「やりやがったな!」
声が聞こえたのとほぼ同時に、殴られた側の少年が殴り返す。さっきやられたのと同じか、それ以上の力が込められているように見えた。
そこからはもうめちゃくちゃだった。まるで知性のない獣同士の争いのように、両者はただひたすらに殴り合った。その二人の隣では、もう一人の少女がもっとやれと煽っている。
さっきの自分たちの争いも、側から見ればこんな風に映ったのだろうか。頭の中で自身に問う。おそらく五、六個は年齢が離れているはずだが、いざ争いに発展して仕舞えば両者の間には何ら違いはないのだろう。
大人たちからは神の遣いだ何だと崇められても、子供なんてものは所詮は、子供同士の世界においては、ただの子供という存在でしかないのだ。そんなことを痛感する。
こんな光景を見せられてはのんびりする気にもなれず、腰を上げて立ち上がる。砂浜を歩くたび、足が砂の間に沈んで鬱陶しい。優花の真似をして地面に薄い板を創ってみたが、歩きやすくなった代わりに神経がすり減った。やはり生み出すことに関しては優花には敵いそうもない。
階段を登って通りへ出る。通りの入り口にはいくつかの店があり、その入り口の棚には皮の剥かれたサトウキビが並べられいる。売り物ではなく、単なる子供への供えものだ。なんとなく口元が寂しい気分になって、そのサトウキビを一本、力を使って引き寄せた。口にくわえ、それを齧る。ジャリジャリという音と食感が心地いい。結局海にいた時間はわずかなもので、大して暇も潰せてない。
こういう時は優花に会うに限る。
どうせなら最初からそうしていれば良かったと後悔しつつ、優花の家に向けて歩を進め続けた。




