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翌日の月曜日。二日間の休日が終わり、子供達が“学校”に通うことが義務付けられている日が訪れた。目が覚めて、外を見る。カーテンの隙間から漏れる陽光の感じから、おそらく九時か一〇時頃だろうと判断をする。寝起きの身体は重くだるい。だるさに身を任せ、もう一度眼を閉じる。まぶたを突き破って侵入してくる夏の日差しが鬱陶しい。右腕を顔の上に乗せてやり過ごすが、じわじわと上がっていく気温に、もう一度眠ろうと試みる感情はついに屈してしまった。仕方がなく起き上がり、身支度をする。寝衣を脱いで、洋服へと着替える動きは、どうしても緩慢になる。こんな時間から学校に行くなんて、まるで一部の物好きな子供みたいだ。
家から学校までの距離は、普通に歩いておよそ一五分。まだ人の少ない朝の町を歩いて、学校へと向かう。普段よりも早くに起きた影響か、足を進めるテンポは緩やかになる。学校の前までたどり着いて時計を見ると、普段よりも五分ほど余計に時間がかかっていた。
校門を抜けて、校舎の中に入る。廊下を歩いても、人の気配はまばらだ。そもそもこんな時間に学校に来ている子供なんて、優花や修也のような一部の子供だけで、大多数は家で寝ているか校庭で騒いでいる。
学校では教室ごとに様々な講義が行われていて、子供たちは興味のある講義の行われている教室へ自由に顔を出すことができる。講義は一コマ五〇分で行われ、一日五コマの講義が入れ替わり行われる。どの講義を聴きに行くのも、どのタイミングで教室へ顔を出すのも、当然すべて子供達の自由だ。
それが、大人たちが作り上げた、学校という機関の仕組み。
だが、いくら自由に講義を聴くことができたとして、わざわざそれを進んで聴きに行く子供など、そう滅多にいるわけでもない。講義が行われている教室はいつも、誰も座る人のいない席で溢れていた。
それでも、この学校に来ることは、子供に課せられた三つの決まりごとの一つでもある。講義に顔を出すことはしなくても、ほとんどの子供は空き教室や校庭で時間を潰していた。学校の敷地はとても広く、子供たちが場所を奪い合うことはあまりない。いつだって校庭からは子供達の騒がしい声が響き渡っていた。
その中で創は、講義を受けることもせず校庭で遊ぶこともせず、空き教室で時間を潰すのが日課だった。今日もいつものように空き部屋に入り、たいして中身のない潰れたカバンを、机の脇にあるフックにかける。
教室の奥に目を向けると、窓際の椅子に座って本を読む涼子の姿がある。普段はもっと遅い時間に登校する創だが、珍しくこんな早い時間に来てみても、涼子の方が先に教室に来ていることに感心する。
「今日はやけに早いね」
わずかに目線だけをこちらによこして涼子が問う。
「まあな。あんまり暑いから、のんびり寝る気分になれなくて」
それだけ言って椅子に座り、外の景色を眺める。今頃優花と修也はどこかの教室で講義を聴き、竜司は校庭で誰か他の仲間と遊んでいるだろう。
この空き教室には何もない。錆びついた机と椅子が歪な列を形成して立ち並び、正面の黒板にはチョークの粉がこびりついている。それ以外にある物と言えば、中身が空の荷物棚くらいで、目を引くものは他にない。こんなにも狭く退屈な場所で出来ることと言えば、本を読むか、代わり映えのしない外の景色を眺めるかくらいだ。
涼子は本を読んで過ごすことが多いが、創は適当に景色を眺めて過ごすことが多かった。
二人の間の会話が途切れると、教室には静寂が訪れる。講義を聞くわけでも無く、外で体を動かすわけでも無く、そして誰かと話をするわけでもない。ただ無意味な時間だけが流れていく。
時間とともに太陽は傾きを増していき、窓から差し込む日差しが弱まると、心地よい涼しさが教室に訪れた。今朝の睡眠不足もあったせか、いよいよ意識が朦朧とし始めた時、不意に涼子が沈黙を破った。
「ねえ、いい加減に退屈なんだけど?さっきからずっと同じ本読んでるけど、さすがにもう飽きたし」
ぱたりと本を閉じる音を立てて涼子は言う。普段から冷たい目をさらに無機質にさせて、全力で退屈を訴える表情を作っている。あくびを一度噛み殺した。
「そんなこと言ったって、退屈なのは俺も一緒だよ。そんなに退屈が嫌なら講義でも聴きに行けばいいだろ?」
「それはそれで嫌。大人の話なんか聞いてたって、どうせ退屈なことには変わりないし。それに、講義になんて出るような奴だって思われたく無いし」
「なんだ。涼子はそんなこと気にしないタイプかと思ってたよ。もっとこう、私は私みたいな」
創のその言葉に、涼子は顔をしかめる。
「何それ。私だって人の目くらい気にするから。まあ、それを差し引いても講義なんて面倒くさくて出ないけどさ。大人の話なんて聞かなくたって、図書室にある本を読めばだいたいの知識はつくし」
「俺からしたら、本を読んでる奴も相当めずらしいと思うけどな」
この学校には図書室があり、そこには大量の本が置いてある。図書室の中をじっくりと見て回ったことはないが、本の内容はどれも講義で行われている内容を要約したような、つまらないものばかりだったと記憶している。
また、町の中には図書室を大きくして独立させたような図書館もあるが、そこに置かれている本の内容も、学校の図書室のものと大差ない。当然、子供達がそんなものに興味を示すはずもなく、ほとんどの子供は図書室にも図書館にも寄り付くことをしない。本と言うものは子供にとって縁のないものだった。
だが、その中でも涼子はときどき図書室に足を運んでは、興味を持った本を借りてくる。そして、練習のない時間の大部分を、それらを読む時間に費やしている。決して講義には出ようとしない涼子だが、学習をすることに意欲がないわけではないらしい。
人の目くらい気にすると口にした涼子の隣に置かれた、いかにも難解そうな本の表紙を見て、思わず苦笑が漏れる。
「どうせ同じ内容を勉強するなら、いっそ講義に出ればいいのに。優花だって行ってるんだし、一緒に受けたらいいじゃないか」
「まさか。何度も言わせないでよ、大人の話を聞くなんて嫌。私は優花みたいに、お気楽になんてなれないから」
涼子の言うお気楽という表現が気に障って、創は眉をひそめる。
「別に優花はお気楽なわけじゃないだろ」
思わずムキになって反論をすると、意外にも涼子は頷いて返した。
「知ってるよ。ごめん、ちょっと良い言葉が浮かばなかったの。優花は私とは違う。私が言いたかったのは、そういうこと」
なんとなくその声色が普段よりも重みを持っている気がして、返答に窮する。涼子はさらに言葉を重ねた。
「優花にはきっと、すごくいろいろなものが見えてる。私なんかじゃ気づきもしないことが、優花の目には映っているんだと思う。だから、他の人では想像もつかないことができる」
「ああ、そうだな。あいつにはいろいろなものが見えてる。ときどき、そばにいる俺らが不安になるくらいに」
「ねえ、創はさ。優花のそう言うところに惹かれたの?」
わずかに視線を逸らして、涼子は問うた。
「どうしたんだよ、急に」
今日の涼子はやけに饒舌だ。何か理由があるとしたら昨日の周吾たちとの争いだろうが、思い返しても特に答えは見当たらない。
そんな怪訝な表情に気づいたのか、涼子は返答を急かす。
「いいから。なんとなく、知りたくなったの」
「もちろん、それも理由の一つだよ。でも、それだけが理由じゃない。一つ一つ明確な理由なんて考えたこともなかったけど、俺が優花を好きな理由はそんなことだけじゃない」
「ふうん、やっぱり熱いね。そういうの、ちょっとずるい」
つまらなさそうな口調で涼子は言う。何に対して“ずるい”と言ったのか、やけに曖昧なく言葉だった。
「どうした。やけに歯切れが悪いな」
「私にもいろいろあるの」
いつもははっきりと物を言う涼子だが、今日はやけに歯切れが悪い。どうかしたのかと問いかけようとしたそのとき、涼子はこちらを見つめてポツリと呟いた。
「ねえ、鍵閉めない?」
「鍵?」
「察しが悪い男は嫌われるよ。私たちは今、やることもなくて退屈なの。鍵を閉めてやることなんて一つだと思うけど?」
「そりゃあそうかもしれないけど、今の話の流れで誘われるとは思わなかったな」
「別におかしな流れではないと思うけど?なんとなく悔しかったから誘ってるの。ダメ?」
じっと訴えるような視線が創の顔を射抜く。その蠱惑的な目に思わず心が揺らぐが、すぐに頭の中に彼女の顔が浮かぶ。
「ダメって言うか、優花が知ったらきっと悲しむから」
「ふうん。優花って結構そういうの気にするんだ。珍しい。まあ、優花らしいと言えば優花らしいけど」
「だから、悪いな」
相変わらずつまらなさそうな涼子の表情に気が引けて、遠回しな言葉で誘いを断った。けれど、それで引いてくれる様子はない。
「女に恥をかかせるつもりなの?」
その言葉からは譲る気のない、強い意志が伝わってくる。ここまでの言葉を言わせておいて、それでもなお断り続けては、それはきっと無作法というものだろう。
そんな理屈を並べてみても、そんなものは所詮言い訳にすぎないと、頭の中では分かっていた。
くだらない理屈を抜きにして、本能が涼子の身体を求めている。涼子の身体は決して肉付きが良い方ではないが、すらりとした身体の輪郭は劣情を煽る。なんでもない風を装ってはみたものの、涼子の身体を見ていると、下半身が熱を帯びて行く。もうこれ以上、我慢なんてできるわけもなかった。
「はあ、分かったよ。講義が終わるまでだけな」
しぶしぶ承諾したふりをしながら、いかにも気だるそうに椅子から立ち上がる。こんな見え透いた演技では涼子は騙せないかもしれないが、自分さえ騙せるならそれでいい。
涼子は創が立ち上がるのを見ると、教室のドアに向かって歩き出す。ガチャリと、鈍い音を立ててドアは閉ざされる。その音がいやに興奮を掻き立てる。
ドアの施錠が完了すると、ドアについた窓から見えない位置に移動する。そこから先は、自分を抑制するものは何もはなかった。
涼子を壁際に追い詰めて、その口を自らの口で塞ぐ。しばらく唇の感触を確かめた後、舌を出して口の中へとねじ込んで行く。その行為の裏で、涼子の身体を抱きしめながら皮膚を撫でる。滑やかな肌が心地いい。
始めはされるがままになっていた涼子も、やがて創の口内に舌を入れ返し、激しくかき回して行く。
本能のままに、ただひたすらお互いを求め合う。頭の中を、ただ快楽だけが支配する。より強い快感を求めて身体は動く。
まるで欲望の奴隷のようだと、ほんのわずかに残された自我の中で創は思った。だが、そんな考えが頭をよぎったのもつかの間で、すぐにすべての意識は快楽にかき消された。
感情に、快楽に、欲望に身を任せ、ただひたすらに二人はお互いを求め合った。




