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叫び声が聞こえたのは、あまりにも突然のことだった。周吾と格闘を続けていた創は、突然の叫びに腕を止める。離れた場所で上がった悲鳴なのか微かな声ではあったが、それは確かに聞こえた。その悲鳴の持つ意味が判断できずに戸惑う。聞き覚えのない男の声であったように聞こえたが、その真偽は分からない。
目の前では周吾が驚きと焦りの表情を浮かべている。その表情で、この悲鳴の主は周吾の班の誰かなのだと直感した。自分の仲間のものではないと分かって安堵するが、それと同時に、この悲鳴の主の相手が誰なのかが気がかりだった。
「おい、休戦だ。やってくれたみたいだな」
周吾は怒りの滲んだ声でそれだけ言うと、力を使ってすぐにこの場を去っていた。
この悲鳴の主は相手の誰かで、こっちが心配をする必要なんてない。そのはずなのに、どうしてか嫌な予感が胸をよぎる。
「創君!」
自分の名前を呼ぶ声がして、声の聞こえた方を振り向くと、修也がこちらに向かって走っているのが見えた。近くには修也が戦いを続けていた健二の姿はない。周吾と共に悲鳴の下場所へ向かったのだろう。
「修也。今の悲鳴は?」
「分からない。彼らのうちの誰かのものだとは思うけど、だからと言って良い気はしないね。それに、声の聞こえた方向も気になる」
そう言って修也は悲鳴の聞こえた方に目を向ける。その視線の先には林立する民家がある。そこは、戦いの始めに優花と涼子が逃げ込んだ場所でもある。
「なんだか、嫌な予感がするな……とにかく、俺らも向かおう」
「ああ、そうだね。まずは実際の現場を見てみてだ」
両足に力の塊をイメージし、悲鳴の聞こえた方へ向かって、当たり前の限界を超えた速度で走り出す。
悲鳴の主こそ相手の班の誰かのものだとしても、その悲鳴をあげるに至った原因に優花たちが関わっているのだと思うと、焦りが込み上げる。民家の立ち並ぶ通路へと入り、少し速度を落とした。
道が荒らされているのを目印に、狭い通りを修也とともに進んで行く。足元に散らばった瓦礫が邪魔となり、思うように進めない足場の悪さが余計に心を焦らす。
そして、民家の立ち並ぶ通路に入ってから三度目の十字路に差し掛かった時、視界の隅に見知った人影が映った。
「涼子!」
涼子は民家の壁にもたれかかるようにして地面に座り込んでいる。全身には痣を作り、衣服は土と泥で汚れ、ところどころに血が混ざっている。苦しい戦いを強いられていたことが、ただの一目でわかった。
かかとを立てて速度を殺し、走るのをやめて涼子の隣に立ち止まる。それに修也も続く。
「水野、修也……こんな無様な姿を見られるのも恥ずかしいし、立ち止まらないでくれる?二人とも悲鳴の聞こえた方に向かってたんでしょ?私のことは放っておいて、さっさと行きなよ」
「さすがにこんなに怪我してちゃほっとけねえよ。この様子じゃあ、ろくに歩けもしないだろ?」
創は座り込む涼子へと近づいて、手を差し伸べる。だが、涼子はそれを取ろうとせず、それどころか、ろくに眼を向けることもせずに無視をした。
「別に歩けなくたってどうとでもなるし、心配なんていらないから。それに、たぶんあいつはしばらく戻って来ないし」
「それは、あの悲鳴が彼らのものだから?」
修也が問う。
「そ。見ての通り私はかなり追い詰められてたんだけど、さっきの声が聞こえた瞬間に、あいつは慌てた顔をして、声のした方に向かって飛んで行ったよ。だから、あいつはしばらくは帰ってこない」
「確かにそうかもしれないけど、それにしたって……」
「向こうには優花がいるよ」
しぶる創の声を遮って、涼子ははっきりと告げた。思わず言葉を止めて、涼子の顔を見る。予感や予想などではなく、確かな確証を持っての言葉なのだと、その顔を見てはっきりとわかった。
「途中まで近くで戦ってたから分かるよ。あの声の方には間違いなく優花がいる。さっきの悲鳴も、きっと優花が関係してるんじゃないかな」
「創君」
名前を呼ぶ修也の方を見て、顔を見合わせる。その視線だけで十分だった。
「今は行こう。向こうではきっと、みんなが集結してるだろうし」
その言葉が最後の一押しだった。創は「悪い」とだけ残して走り出す。後ろでは修也もそれに続く気配がした。
涼子の話を聞いて状況の把握は進んだが、その事実はますます都合の悪いものだった。たとえ優花が怪我をしたわけではなくても、優花にはそういう血なまぐさいものとは無関係であって欲しかった。ざわめく胸を気にしながら、悲鳴の上がった場所を目指して、ひたすらに足を動かす。
やがて、涼子と離れてからすぐのこと、男の声がすぐ近くから響いた。慌てて声のした方向へ少し進むと、いくつかの人影が見えた。
そこは民家と民家の間の、空き地のようになっている場所で、そこに立つ人影が周吾たちのものであることはすぐに分かった。
すぐ近くには竜司の姿もある。その中に優花の姿を探す。しかし、優花の姿よりも先に目に飛び込んだのは、血まみれになってしゃがみこむ、一人の大男の姿だった。さっきの悲鳴の主であることは明白だった。
その男の隣で修吾は険しい顔をして立っている。創と修也の到着に気づいたようで二人の方へ目を向ける。
「また遅い到着だな。もう少しくるのが遅かったら、ここの二人を潰してやるつもりだったのによ」
二人と口にした修吾の視線は、ある一点に向けられている。その先に目を向ける。そこには、虚ろな表情で立ち尽くす優花の姿があった。
「優花!」
優花の元へ駆けつける。砂埃で汚れた顔には、涙が伝った跡がある。この場でいったい何があったのか、そのすべてに確信がいった。優花は創のことを認めると、強張った顔を緩めて今にも再び泣き出しそうになった。
「創。私、あの人にひどいことをしちゃった」
優花の声は震えている。向こうにしゃがみこむ大男の身体に傷をつけたのは、間違いなく優花だろう。だが、優花が誰かを傷つけることを嫌っていることは、十分すぎるほどに知っている。それでも優花が力を振るうのは、きっと誰かを守るため。優花は班の仲間を助けるため、そこで倒れている男に力を振るうことを決めたのだろう。誰よりも誰かを傷つけることを恐れている優花に、誰かを傷つけることを選択させてしまった。その事実がたまらなく許せなかった。
「ありがとな優花。おまえが勇気を出してくれなかったら、間違いなく俺らは全滅だったよ」
「私の選択は間違ってなかったかな?あんなに傷つけて、血だってたくさん……」
優花は人を傷つけた自分を責め続ける。たとえ創がどれだけ励ましたり慰めたりしたところで、優花の心が晴れることはないことくらい分かっている。それでも、こんなにも傷つき弱った姿を目の前にして、黙って見ていられるわけがなかった。
「自業自得だよ、あんなやつら。完全な正当防衛だ」
それでも自分を許せないでいる優花のもとへ、近づく足音がある。見上げた先にいたのは周吾だ。冷たい目で優花のことを見落としている。
「本当にむかつく奴だな。勝者ならもっと堂々としているろよ。方法はどうあれ結局、勝った奴が偉いんだから」
周吾の班の考え方は単純だ。強いものが、争いに勝ったものが正しい。子供の間では珍しくもない、ありふれた考えだ。だが、その考え方は優花には通じない。
「堂々となんて、できるわけないよ。できることなら、こんなことはしたくなったんだから」
少し震える声で語る優花を、周吾は冷たい眼で見つめ続ける。二人の考えが交わることが無いのは、誰が見ても明らかだった。二人の考え方は、あまりにも根本から異なっていた。
やがて周吾は小さく鼻を鳴らし、その身をひるがえす。
「興覚めだよ、本当に。今日のところは引き上げだ」
「おい、いいのかよ。こんなところで引き下がって」
周吾のすぐ後ろで顛末を見守っていた健二が、驚きを隠すこともせずに言う。周吾の判断に納得がいっていないのは、その態度から明らかに見て取れた。
予想外の彼らの動きに戸惑うが、修也が何も口を出そうとしないのを見て、創もそれに倣う。
「いいんだよ、別に。わざわざこの場所を本当に奪いたいわけでもねえし。それに、こいつらに復讐をするなら、もっとふさわしい舞台があるだろうさ」
そう言って、周吾は倒れていた仲間の手を引いて立ちあがらせる。
「撤収だ」
周吾の一声でほかのメンバーも渋々といった様子で引き上げていく。その背中からは、少なくない恨みの感情がにじみ出ているように見えた。
ほどなくして、その五人分の背中がすべて見えなくなる。それを見届けて、ようやく安堵の空気が漂いだす。
戦いが、終わりを告げた。
「やれやれ。噂では聞いていたけど、とんだ迷惑集団だったな。暴れるだけ暴れて、状況が悪くなったら撤退とは」
怒りと呆れが混じったような感情を込めて創は言う。これで戦いが終わったのだと思ったとたん、全身に疲労が込み上げた。
「でも、みんなに大きなけががなく済んで良かったよ。これも優花ちゃんのおかげだ」
修也はそう優しく語り掛ける。
「ありがとう。そう言ってくれると、少しは心が軽くなるよ」
その言葉に、優花は少しだけ安心したような表情を見せる。少しでも優花が自分を責めるのをやめてくれたらと思う。
「さあ、早く涼子のところに行ってやろうぜ。あんな風に言ってたけど、本当は心細いだろうし」
「うん、そうだね。早く迎えに行ってあげようか」
修也のその声で創たち四人は移動を始める。少しだけ急ぎ足になりながら、ここに来るまでの道を引き返す。足元に散らばる瓦礫も、落ち着いて歩けばそれほど気になるものではない。
涼子はさっきと少しも体勢を変えることもせず、壁にもたれるようにして地面に座っていた。「遅い」と文句を垂れる涼子に、苦笑いを返しながら手を差し伸べる。今度はそれを、涼子は確かに手に取った。
久しぶりに五人全員が揃うと、誰もが大きな怪我もなく無事に揃ったことを喜ぶ声で溢れた。優花の表情にも少しだけ明るさが戻り、それを見て、創は安堵する。
そこで、まだ時間が早いことに気づいたが、今から練習を開始するには、あまりにも全員が満身創痍過ぎた。結局今日の練習はここで中止となり、各自疲れを取るためにこの時間で解散となった。




