35 どこかの世界のサラの話
目を覚ました時、サラは何となく見覚えのある部屋の中にいた。
(ここって、もしかしたらお父さんとお母さんとお兄ちゃんと暮らしてた家かも)
きっとそうだと思えたが、サラの記憶にほとんど無いこの家が、夢の中に出てくるのは不思議だった。
(私、確か領都でお腹を刺された…)
腹を見たが特に傷も痛みも無く、寝ていたベッドを降りて家の中を歩いてみても、何も異常を感じなかった。
誰もいないのでドアを開け外に出ると、一匹の白い子犬が自分を待っているかの様に門の所に座っていた。
子犬は両親が生きている時、一家で飼って可愛がっていたサンディによく似ていた。兄とサラが孤児院へ行く事になった時、近所の農家が引き取ってくれたが、数年後に病気で死んでしまったと聞いた。
サラが思わず「サンディ」と呼ぶと、ワンと元気に返事をしてくれたので「もしかしたら、サンディは死んじゃった私を迎えに来てくれたの?」と聞くと、サンディは立ち上がりサラを導く様に歩き出した。
子犬の後をついて歩きながら、サラは風景がどれも見覚えのあるものだと気づいた。
あそこにある森は孤児院の近くにあって、私が嫌な事があると泣いて逃げ込んでた森だ。いつもお兄ちゃんが探しに来てくれて、一緒にシスターに怒られてくれたっけ。
あっちに見えるパン屋は、昔お父さん達の友達だったっていう小父さんのパン屋で、時々売れ残ったパンを私達に一つずつくれた。お兄ちゃんは自分もパンが好きなのに、私に自分の分まで半分くれた。どうしてって聞くと可愛い妹だからって言うから、私はお兄ちゃんの妹で良かったって答えて…。
思い出して歩いていると、サラはいつの間にか最後に兄と話したあの家の中、ドアの前にいた。
『そんな奴は置いて、俺と一緒に行こう』
お兄ちゃんが呼んでくれているのに、私は泣いてお兄ちゃんを追い返した。キリアン様に奥さんと子どもがいるっていうのは、ちゃんと本人から聞いて知っていたから。それはキリアン様がその人に騙されただけだから。
『サラ、奥さんがこの村に来たら、お前はどうなると思う。追い出されて、いい笑い者になって、この先一生結婚も出来なくなる。お兄ちゃんもずいぶん金が貯まったから、一緒に別な村へ行こう。誰も知らない所で、一緒に頑張ろう』
…こんな事、お兄ちゃんは話さなかった。でも確かに以前いつかお金を貯めて、二人で一緒に住もうって言っていた。
お兄ちゃんは、本当はこれを言いたかったのだろうか。窓からは悲しそうに帰って行く背中しか見えなかったけれど、あの時どんな顔をしていたんだろう。
いつの間にかまた風景が変わり、今度は夏になると水浴びをした湖が見えた。
村長の妻のマリーが、家で働く女達をわざわざ馬車に乗せて連れて行ってくれて、夏の間のお楽しみだった場所だ。洗濯場で一緒に働いていたアンとマギーも、サラの事を可愛がってくれて、湖では手製のサンドイッチやお菓子を持って来て食べさせてくれた。
「あれは楽しかったな」サラがひとり言を言うと、前を歩くサンディがこちらを振り向いて相槌を打つように尻尾を振った。
しばらく行くと、働いていた洗濯場にやって来た。
人気は無かったが、最近は全然仕事行かないでいたサラは、何となく目をそらした。サラが仕事に行かなくなってから、アンやマギー、マリーやジャックまでキリアンの家まで迎えに来てくれたが、返事もせず息を潜めてやり過ごしていた。
『サラは、私の亡くなった娘が生きてれば同じ年なんだよ』
急に声が聞こえて洗濯場を見ると、ある日のサラとマギーがそこにいた。
あの時は、いつも元気なマギーが悲しい顔をしていて、心配になってどうしたのかと尋ねたのだった。
『マギーさん、娘さんがいたの?』
『そうだよ。エマっていって、疫病で三歳の時に亡くなってね。今日が誕生日だったんだ。本当なら十七歳になる。サラと同じだよ』
マギーがとても寂しそうだったので、サラはマギーの手を握り『私もお父さんとお母さんが疫病で三歳の時に死んじゃったの。だから、マギーさんと反対だね』と言った。
『そうだったんだね。それじゃあ、私たち生きてる者同士、助け合っていかなきゃね』マギーもサラの手を握り返してくれた。
(あれからマギーさんは、今までより一層私を気づかってくれた)
『サラ!あんた騙されてるんだよ。いつまで経っても洗濯が覚えられないなんて戯言、真に受けるんじゃないよ』
また場面が変わり、今度はサラがマギーと言い争っていた時だった。
『マギーさん。キリアン様は貴族だったから、こんな仕事、全然した事がないの。今は一生懸命見て覚えてるところだから、許してやって』
『そんな事言って、あんたに自分の仕事を押し付けてるだけだろ。いい加減目を覚ましなよ』
『マギーさん、私の事はもう放っておいて!私はキリアン様を信じる』
あの時、マギーさんはどんな顔をしていただろう。
辛い気持ちになって見ていられず、サラは先に行ってしまったサンディを追って走った。曲がり角まで来た所で、それがジャックの屋敷で洗濯場へ行く曲がり角だと気づいた。
怖々のぞき見ると、いつも静かなアンが厳しい目でキリアンに迫っていた。
『あんた、世の中全部を甘く見ている様だけど、いつか全部自分に返って来るよ。
今あんたがここにいる事がその証拠なのに、どうして少しも分かろうとしないんだい。まず自分がやるべき事を一つ一つやってみなよ。まだ若いんだから、幾らでもやり直しが効くだろう』
サラは、自分が見た事のない場面が広がっている事に驚いて、そのまま物陰から二人を見つめ続けた。
『平民のくせに、偉そうに説教をするな。僕みたいな高貴な美しい人間には、お前たちと違って好きな様に生きる権利があるんだよ。お前たちみたいな人間には分からないだろうけど』
『あんたがどこまで落ちようが勝手だけど、サラを巻き添えにするのは止めな。あの子は、素直でまだ若くて、あんたみたいな腐った輩の馬鹿げた嘘を、信じちまう程純粋なんだ。地獄に行くなら、一人で行きな』
『僕があの子に何かを強制した事なんて一つも無いよ。あの子が勝手にやってるんだ。家の事も、ここの仕事も、僕の世話も、何もかも勝手にやってるのさ。
こんな村じゃ僕の様な男なんて一人もいないんだから、あの子は地獄に行こうが満足なんじゃないか』
『ふざけた事言ってんじゃないよ!』
アンさんが手を振り上げた所で、私はここにやって来たんだ。それまで二人が話していた事を知らないで、私はアンさんに食って掛かった。
『アンさん!キリアン様に何するの』
『サラ。この男は性根が腐ってるんだよ。あんたは、こいつから離れなきゃいけない。手遅れにならない内に、目を覚ましな』
『サラ。アンさんは僕が余程気に入らないらしい。僕はもう家に戻るよ。こんな事を言われて、ここにはいられない』
『待って、キリアン様! アンさん、優しくて公平な人だと思ってたのに見損ないました。キリアン様は平民になったばかりで、慣れない中で頑張ってるんです!』
私はそのまま仕事を放り出して、キリアン様の後を追った。あの時、アンさんはどんな顔をしていただろう。
胸が苦しくなり、足が重く歩みが遅くなっているサラを、サンディが気遣う様に見て待っていてくれた。
苦しさを耐えながらノロノロと進んで行くと、今度は村の教会が見えた。
アンさん、マギーさん、ジャックさん、マリーさん、ジョージさんまでいて、皆が黒い服を着て顔を伏せて歩いている。サラはその中にキリアンがいるかと目を凝らしたが、彼はいなかった。
「皆いるのに、どうしてキリアン様はいないのかしら」
近づいて行くと、皆が泣いている事に気付いた。
『サラ。だから、あれほどあの男から離れろって言ったのに』マギーさんが目を赤く腫らしている。
『俺があいつを村に引き受けたのが悪かった』ジャックさんまで悔しそうに涙をこぼして、『あいつは絶対に地獄に落ちるよ』アンさんが言うと、マリーさんもうなずいた。
そして神父様と一緒に教会の中から出てきたのは、ひどくやつれた顔のお兄ちゃんだった。今から埋められる棺に縋って泣いている。
『俺を一人にしないでくれ、サラ』
その時私はこれが自分のお葬式だと気づいた。
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