36 女神様とサラの話
ワン!とサンディの鳴き声が響くと、サラは白くて何も無い世界にいた。
何で出来ているのか分からないけれど、真っ白い壁、床、何も無い空間が広がる部屋。窓も出口も見つからない。
サラは混乱する頭を静めたくて、周囲と同じように白い子犬を抱きしめ、その柔らかい毛皮に顔を埋めた。
「サンディ。私、やっぱり領都で死んじゃったんだね。だけど、どうしてキリアン様は私のお葬式にいなかったんだろ…」つぶやいていると、頭の上の方から「それはね、あの人は逃げちゃったからよ」と声が聞こえて来た。
「え」サンディから顔を上げると、さっきまで何も無かった空間にいつの間にか立派な椅子が現れ、そこに真っ白い女性が座っていた。
「あなたは誰ですか。私はどうしてここにいるんでしょう」
「私は、この世界の愛の女神よ。あなた死ぬ時、心の中で愛してますって言ったでしょ。あんなに純粋な愛の言葉を言って死んでいく子は久しぶりだったから、嬉しくなって呼んだの」
フフッと笑う女神は、綺麗だと分かっているのに、顔ははっきり分からない、不思議な存在だった。
楽しそうに話しているのに恐ろしくて、サラはサンディをギュッと抱きしめたまま尋ねた。
「キリアン様が逃げたって、どういう事ですか」
「そのままの意味よ。金貨や宝石の事がバレちゃうでしょ。それに最初から逃げようと思ってたもの。ちょうど良かったんじゃない」
それを聞いて、サラは怖さも忘れて叫んだ。
「嘘です!あの人は私と結婚してくれるって言ったんです!逃げるなんて、考えていません」
「そうね。あなたはそう思っていたから、あの素敵な言葉を言ったんだものね」
女神はどこか冷たい雰囲気を醸し出し「転生まで、どうせしばらくここにいなきゃいけないんだから、あなたにも色々見せてあげるわ」そう言い残して消えて行った。
女神が消え取り残されたサラは、気づくと家族で住んでいた家の前に戻っていた。
「サンディ」足元を見て、白い犬が消えていなかった事に安堵したサラは、一緒に家の中に入り、すぐに眠くなって寝てしまった。
それから、サラの奇妙な毎日が始まった。
お腹も空かないので食事をする必要も無く、身体も汚れる事はないので清潔を保つ努力もいらない。
ただ、自分の死後に何が起こっているのかを、見つめ続ける日々だった。
眠気は訪れるので、眠ると夢の中でキリアンや、村で起きている出来事を見て、目覚めてサンディと散歩に出れば、そこで不思議な場面に出くわした。
あれからどれ位時が経ったのか、サラにはまるきり分からなかった。
夢の中で見るキリアンは、女神の言った通り領都にいた。
最初は誰かの援助を受けている風で豪勢な暮らしをしていたが、それまでいた場所を出て酒場の女の部屋に移ってからは、見る間に落ちぶれて行った。
サラはキリアンが自分を悼んでくれないか期待したが、彼がサラの名を口にしたのは、金が無くなってきた時に「役立たずのサラが、あの時ちゃんと金を持って戻ってきたら、こんなに困らなかった」と恨み言を言った時だけだった。
どんどん肥え太り、汚くなっていくキリアンを見ている内、サラは自分が愛した男が本当はどんな男だったのか、悟り始めていた。
ある日散歩中にいつもの洗濯場に導かれたサラは、そこで栗色の髪に緑の瞳の美しい若い女を見た。周囲の話からキリアンを騙したという妻だと分かり、サラは敵意を持って観察したが、予想に反して貴族だった女は初日から洗濯場で懸命に働き始めた。
サラがキリアンの世話を全てやっていたあの家に一人で住み、身の回りの事も当たり前の様に自分でこなした。
やがてアン、マギーと親し気に笑い合う場面を見た時、サラは自業自得と思いながら、自分の場所を失った寂しさを感じた。
女神はあれきり姿を見せない。
サンディに「どこに行っちゃったんだろうね。私、いつまでこうしていれば良いんだろう」と尋ねても、サンディは哀しげな眼でサラを見上げるだけだった。
最初の日以来全く兄の姿を見られず、気がかりだったサラが次に兄を見たのは、キリアンが妻を追ってアルカン村に向かった時だった。
兄のいる隣村で馬車を降りたキリアンを見つけ、様子のおかしい兄が後をつけて行く。
『お兄ちゃん!』その場面を見ているサラが兄に呼びかけるが、声は届かない。
兄の顔はげっそりとやつれ、目つきは立ち話をした男に怪しまれる程剣呑だった。
一定の間をおいて、兄はキリアンの後を歩いて行く。
サラは兄の手に何かが握られているのを見て、目を凝らした。
布に包まれたそれは刃物の様で、届かないと知りながら、サラは何度も兄を呼び止めようとした。
最後に見た場面は、兄がキリアンをめった刺しにしている所だった。
部屋の中には妻だった女性と年配の女性が倒れていて、生きているかは分からない。
兄が「サラ、サラ」と言っているのを聞き、サラは自責の念に苛まれ、もうその場面を見ていられなかった。
「女神様。すみませんでした。私が悪いんです。お兄ちゃんを助けて下さい」ひざまずいて祈りを捧げていると、女神に出会った白い空間に来ていた。
「あなたのお兄さんも、愛の人なのよね」ほう、とため息をついて女神は言った。
「とても好ましい愛なのだけれど、人を殺めてしまうと、もう罪が重すぎるのよ」
残念そうな女神に向かい、サラは必死に頼んだ。
「でも、あれは私が悪いんです。あんな男を好きになって死んだから、兄を追い詰めたんです。兄や皆の言う事を聞いていれば良かった」
「でも、あの時のあなたの愛は嘘じゃなかったわ。だから私はあなたをここに連れて来た」
「どうしてですか」
「選ばせてあげようと思ったのよ。素敵な愛を見せてくれたご褒美に、どんな所へどんな人になって生まれ変わりたいかを。でもあなたは何も知らな過ぎて、本当に欲しい物を選べなさそうだったから、ここで本当の事を見せたの」
「私はもう何もいらないです。私にご褒美を下さるのなら、兄を助けてください」
それを聞いた女神は、うっとりとしてため息をついた。
「あなたの今のそれも、とても素敵な愛ね。…そうね、じゃあこうしましょう。あなたは今度は貴族のいない世界で、両親もいて、何不自由なく暮らす女の子に生まれ変わるの。それでうんと皆に愛される。あなたのお兄さんは罪を償う必要はあるけど、それを短くしてあげる。それで良い?」
「女神様は、愛を司る女神なんですよね?」
「そうよ」
「それじゃあ、次の生で私が受ける分の愛は、全部兄にあげてください。私は十分ここで愛されました。なのに全然応えようとしなかった。だから、次の生では兄が沢山愛されて欲しい」
「そうなると、親も友達も、誰もあなたを大切にしないわよ。独りになってしまうけど、大丈夫?」
「はい」
サラは、女神をまっすぐ見つめて答えた。次の生であっても兄は皆に愛され幸せになるべき人で、サラは正直言ってもう愛が怖かった。
自分がキリアンに抱いた愛、兄が自分を慈しんだ愛、周囲が自分を大切にしてくれた愛、それらを正しく扱えずこうなってしまった自分は、愛の無い世界で生きた方が良いと思った。
「分かったわ。お兄さんは、次の生でうんと愛される様にしてあげる。あなたは次の世界では誰とも深く繋がれない。それで良いかしら」
「はい。それでお願いします」
「じゃあ、これで決まり。次の世界ではきっと孤独になるけれど、その次の世界では幸運が訪れると良いわね」微笑む女神を見つめる内に、サラは日本という国に記憶を持ったまま生まれ変わった。
そして、生活には恵まれているけれど、誰とも深く繋がらない孤独な少女として、あの召喚の日まで生きてきた。
「と言う訳で、日本には愛してくれる人も親しい人もいなかったんだ」
サラの長い話が終わりしばらくの間、イーサンと魔王は黙って何事か考えていた。
やがてイーサンが「だからサラはこの世界に召喚されたし、ここで我々や魔王国の民に愛されているんだな」
と口にした。
魔王も「神という者は、往々にして我儘ですからね。愛を司る女神が、気に入った者に全く愛を与えないで送り出すとは考えられません」と言った。
「それって、最初からこうなるはずだったって言う事?」
呆気に取られるサラに、二人はうなずいた。
「次の世界では、と女神が言ったのでしょう?おそらく、最初からそのつもりでいたのだと思いますよ」
「それが俺たちの世界で、俺達は幸運だったな」
ニコニコと笑う二人に、サラも肩の力を抜いた。
「じゃあ、きっと今はお兄ちゃんも幸せだね」
「間違い無いでしょう」
「愛され過ぎるのも困るだろうがな」
今世で兄の幸せを願い続けたサラは、長い迷路を抜け出た様な気持ちで、今世初めて二人の魔族の愛を受け取った。
読んでいただき、ありがとうございます。
これにて完結です。
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本日から「いつかあなたを」を投稿しています。ダークな感じで、ハッピーエンドにしたいと思いますが、道のりが遠そうな物語です。




