32 前世のサラの話2
サラがアルカン村に来て二年近くになろうとしていた。
兄は毎週休みの日にサラに会いに来てくれていたが、最近はとても疲れているように見えた。
「お兄ちゃん、毎週ここまで来てくれるのは嬉しいけど、疲れてるんじゃないの。私は、皆に良くしてもらってるから心配ないよ。だから休みにはゆっくり過ごして。たまに来てくれれば大丈夫だし、私も隣村までなら歩いて行けるから、私もそっちまで行くよ」
サラが心配すると、いつもは大丈夫だという兄が珍しく「分かった」とうなずいた。
「確かに、最近体調が悪いんだ。先週まで麦の収穫が大詰めで、大雨が来る前にって何時間もやってたせいかもしれない。直前に辞めた奴がいて、俺の分担も増えてな」
「そうだったんだ。すごく顔色が悪いから、しばらくはゆっくりしときなよ。今日ももう帰って休んだ方が良いよ」
「ありがとう、サラ。でも分担が増えたから、いつもより沢山給金も出たんだ。この分なら、もう少しで一緒に暮らせるかもしれない」
それを聞いたサラは、少しシュンとした。
「お兄ちゃん、ごめんね。私も貯金しようと思ってるんだけど、この前可愛いブラウスがあったから買っちゃった…」
「良いよ、それくらい。サラは年頃なんだから、可愛い服くらい好きに買って良いよ。
じゃあ、今日は俺はもう帰るな。あ、お前は絶対俺の村まで来ないで良いからな。隣村でも、一人で歩いて来るなんて危ないから」兄は疲れた顔で笑い、その日はそのまますぐ帰って行った。
サラは具合の悪そうな後ろ姿を見送りしばらく案じていたが、その後バッタリ会ったクロエとおしゃべりをしている内に、兄の事を忘れてしまった。
「ねえ、サラ。私、もう少しでここを出て行くと思うの」
その晩、二人共寝支度をしてベッドに入ったところで、クロエがサラに打ち明けた。
「え?クロエさん、どうして」サラが焦って尋ねると、クロエは幸せそうに微笑んだ。
「サラには話したわよね。私の幼馴染が王都の貴族の屋敷で働いているって」
「はい。男爵様のお屋敷ですよね」
クロエの幼馴染は実家のある町の町長の三男で、優秀だからと親戚の男爵家が王都の学校に通わせてくれ、成人してからはその男爵家で働いていると聞いていた。
どうもその幼馴染とクロエは想い合っているらしく、サラはいつも二人の話に胸をときめかせていた。
「彼が私に結婚を申し込んでくれたの。お互いの両親も許してくれたから、結婚して王都に住む事になると思うわ」夢見る様に話すクロエに、サラは興奮が抑えられなかった。
「素敵!王都なんて、すごい。私なんて、領都でも華やか過ぎて足がすくんだのに…。でもクロエさんすごく綺麗だから、王都が似合いますね」熱を込めて言うサラに、クロエは「そんな事無いわよ。私だって、王都なんて数回しか行った事ないし、彼が王都で暮らし始めた時は、本当に不安だった。
だって王都にいる人たちは皆綺麗でこことは違うし、彼が働く貴族家には本物の御令嬢だっているんだから。だけど彼が言うには、貴族と平民は全然違うし、絶対交わる事なんて無いんだって。彼は幼馴染の私と一緒にいるのが、一番安らぐって言ってくれたの」
サラは、幸せそうなクロエを祝福すると共に羨望を感じ、王都と貴族という存在にも憧れを抱いた。
それから一月後クロエは結婚して王都へ旅立って行った。
「サラ、最近お兄さんが来てないみたいだけど、どうかしたのかい」
クロエが旅立ってまもない頃、洗濯場で仕事をしているとマギーが尋ねた。
「そうだね。もう一月位見てない気がする」アンも同調して、サラの事を見た。
サラはクロエの結婚と王都行に夢中になる余り、兄の事をすっかり忘れていた事に気付いた。
「この前会った時体調が悪いみたいだったから、しばらくこっちに来ないで休んでいた方が良いって話したんです」
あの時の会話を思い出し二人に伝えると、マギーは「そうなんだ。休みの度ここまで来るんじゃ、疲れるもんね」と納得したが、アンは眉をしかめた。
医者の娘だったアンは心配そうに「具合が悪いって、どんな風に?」
「何でも小麦の収穫が大変で、辞めちゃった人の分担もお兄ちゃんがやって、すごく疲れたみたいです」
「過労も馬鹿に出来ないからね。何かあれば向こうの家から連絡が来ると思うけど、あんまり音沙汰が無い様なら、あんたが会いに行ってやっても良いかもしれない」と気づかわし気に言った。
「お兄ちゃん、私には絶対一人で来るなって言うんです」
「いざという時は、私が一緒に行くよ。一人じゃ無ければ良いんだろう」とアンが言い、マギーまで「それなら私も行くよ」と言ってくれたので「その時はお願いします」とサラは頭を下げた。
その夜クロエが去って一人になった部屋で、サラは兄の事を考えていた。
「お兄ちゃん、どうしたんだろう」
今まで忘れていたのに心配しだすと止まらなくなったサラは、明日の朝マリーさんに相談してみようと決心して、やっと眠りについた。
翌朝サラが朝食の前にマリーを探してウロウロしていると、玄関で誰かが叱られている様な声がした。
「使用人か。裏口に回りな」ジョージの声がしたかと思うと、バタンとドアが閉まる音がした。どうしたんだろうとサラがそっとのぞいて見ると、玄関の前に信じられない程美しい男の人が立っていた。見た事が無い綺麗な金髪に、驚いて戸惑う様に見開かれた瞳は深い青で、サラは(昔孤児院で見た、絵本に出て来る王子様にそっくり)と胸がドキドキするのを感じた。
王子様は「裏口…?」と何のことか分からない様子で立っている。
サラは勇気を出して近づいて話しかけた。
「あなた、ここで働くの?使用人は表玄関は使っちゃダメって言われなかった? 私も行くから、一緒に行きましょう」困っていた王子様がサラを正面から見た時、サラは恋に落ちた。クロエから何度も聞いていた『目を見ただけで、大好きっていう気持ちが溢れるのよ』という言葉を、初めて本当に理解した気がした。
「私はサラよ」と名乗ると、王子様は「案内してくれる?サラ」と優しい笑顔を見せてくれた。サラは兄の心配もマリーへの相談も頭から消え去り、王子様と一緒に裏口へ向かって歩き出した。
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