# 第九話 渡り鳥は一羽だけ帰り道を覚えている
晩秋の、冷たい雨が降っていた。
夏の雨とは、ぜんぜん違う。細くて、まっすぐで、冷たい。窓ガラスを、すうっと伝って落ちていく。
その雨の切れ間に、空を鳥が渡っていった。
何羽もが、列を作って、遠くのほうへ。きれいなV字だった。姉が窓の外を指さした。
「渡り鳥ってさ」
うん、と頷く。今日の話だ。
「あの中に、一羽だけ、帰り道を覚えてる係がいるんだよ」
「一羽だけ?」
「渡り鳥って、冬は遠くで過ごして、春になったらまた帰ってくるでしょ。でも、みんなが道を覚えてるわけじゃないの。ほとんどの鳥は、ただ前の鳥についていってるだけ。帰り道を、ちゃんと覚えてるのは、一羽だけ」
「その一羽がいないと、帰れないの?」
「帰れない。だから、その係の鳥は、絶対にはぐれちゃいけないの。いちばん大事な役目」
わたしは、V字の鳥の群れを見た。ぐるぐると入れ替わるので、どれが係なのか、わからなかった。みんな同じように、同じ方向へ、飛んでいた。
「どの鳥が係か、見てもわからないね」
「わからないよ。本人たちも、たぶん、わかってない」
「わかってないの?」
「うん。ただ、その一羽がいなくなったとき、はじめて、みんな気づくの。あ、帰り道を知ってたの、あの子だったんだって」
鳥の群れは、雨雲の向こうに消えていった。
「帰る」という言葉が、部屋の中に、しばらく残っていた。
わたしは、なんとなく、その言葉が気になった。帰る。どこかへ行って、また戻ってくること。あるいは、どこかへ、行ってしまうこと。
「お姉ちゃんは」
やめた。
何を聞こうとしたのか、自分でもわからなかった。お姉ちゃんは帰り道を覚えてる係なの、とか。お姉ちゃんは、どこかへ帰っちゃうの、とか。いつも、変な質問だった。姉は鳥じゃない。どこへも行かない。ここにいる。
「ん? なに?」
姉が、こっちを見た。
「なんでもない」
「変なの」
姉は、また窓の外を見た。鳥はもういなくて、冷たい雨だけが降っていた。
「春になったら」
姉が、ぽつりと言った。
「あの子たち、ちゃんと帰ってくるかな」
「帰ってくるよ。係の鳥がいるんでしょ」
「そうだね。いるなら、ね」
その「いるなら」が、なんだか、ひっかかった。
いるなら、帰ってくる。いなかったら、帰ってこない。姉の言い方は、まるで、その係の鳥が、もういないみたいだった。
聞きたいことが、たくさんあった。でも、ひとつも聞けなかった。聞いたら、何かが、はっきりしてしまう気がした。はっきりさせたくないことが、この部屋には、いくつかあった。
冷たい雨は、夜になっても降りつづけた。
「明日は、何の話?」
わたしは、いつものように聞いた。話を、先につなぎたかった。明日がある、と確かめたかった。
「冬眠の話」
「気が早いね。まだ冬じゃないよ」
「もうすぐだよ」
もうすぐ、冬だった。姉の声は、雨の音より、少しだけ冷たかった。




