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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第二章〜高2編〜  作者: 波方 真季


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第54話 生徒会役員三年生書記、動きます。


ゴールデンウィークも間近に迫る四月下旬。

校舎の空気はもう春の終わりへ向かい始めていて、窓の外の光だけがやけに眩しい。


新体制になった生徒会は、歯車の噛み合わせを確かめるみたいに、各々が各役職の仕事を回し続けていた。

表向きは、いつも通り。

けれど、その“いつも通り”の裏側で、じわじわと蓄積していくものがある。


生徒会室。


放課後の廊下のざわめきも、遠い。

誰もいない室内は、蛍光灯の白さだけが浮いて、机や椅子の影が薄く伸びている。

開け放った窓から入る風が、掲示物の端をかすかに揺らし、紙の匂いを運んできた。


「……はぁ〜……」


三年生書記、橘梨愛の溜め息が、音になって床へ落ちた。

返事はない。

あるのは、紙の乾いた音だけ。


ペラ……

ペラ……


指先で一枚、また一枚と捲っていくたび、ページの薄さが妙に頼りなく感じる。

紙は軽いのに、そこに書かれた言葉は、やけに重い。


陽向が副会長になってから、彼女は副会長業務に追われている。

来月の総選挙までの一ヶ月。

その間書記の仕事は、ほぼ橘梨愛ひとりが背負う形になっていた。


最初の数日は「まぁ、いけるっしょ」だった。

今までだって忙しい時期はあった。

自分は器用だし、段取りも早い。

何より、一年生から生徒会役員をやっていて、書記の仕事は三年目の慣れでどうにかなる。


そう思ってた。


しかし、役職一覧が張り出されてからというもの、意見ボックスの中身が明らかに増えた。

しかも“質”が、悪い。


封筒を開ける。

白い紙が出てくる。

黒いインク。

角ばった字。

荒い筆圧。

雑に走った線。


「死ね」

「消えろ」

「ブス」


低レベル、雑、幼稚。

なのに、目に入った瞬間、胸の奥が一拍遅れて嫌な感じに縮む。

言葉としての意味以前に、毒だけが先に刺さる。


(まじくっだらな…)


橘梨愛は心の中で吐き捨てて、深呼吸をする。

それでも指先は、次の紙を捲る。

書記は、紙を止めた時点で負ける。


ところが、その次に出てくる別の種類の紙が、橘梨愛の神経をさらに削った。


“星野副会長は、茶髪でメイクもしていてスカートの丈も短く、生徒会役員という立場として校則違反は良くないと思います。”


“廊下でいつも大きな声で笑っていたり、友達と騒いでいますが、生徒会副会長としての立ち居振る舞いがなっていないと思います。”


正しい。

言い方も丁寧。

一見、“意見”の形をしている。

だから余計に、たちが悪い。


(……これ…正論の丁した嫉妬だろ)


橘梨愛は目を細める。

紙の上の文字は整っているのに、行間にだけ感情が滲んでいる。

“正しさ”という皮を被った刃物。

殴ってる自覚のない殴打。


彼女は、確かに目立つ。

笑う声も大きいし、堂々としてるし、隠さない。

でも、それは彼女が悪いわけじゃない。

むしろ“隠さずに立つ”ことを選べるだけの、強さの証拠だ。


なのに、それが許せない人間がいる。

自分の惨めさを直視する代わりに、眩しいものを曇らせようとする人間が。


「……はぁ……」


溜め息が、さっきより深くなる。

肺の奥の空気が重い。


ギィィィィィィ………


シュレッダーの音が室内に響く。

それはもう、作業音というより“処理音”だ。

紙が吸い込まれ、細かく裂かれ、透明な箱の中に黒い紙片として溜まっていく。


“死ね”も、“校則違反”も、同じように裁断される。

均等に、同じ幅で、粉々に。


(…この音、嫌いになってきたな)


橘梨愛は、わざわざそれを陽向に見せない。

伝えない。

敢えて見せる必要はないと、自分の中だけで淡々と処理していく。


でも、紙は毎日増える。

シュレッダーの音も毎日増える。

切り刻んでも切り刻んでも、次の日にはまた新しい毒が入っている。


作業は、終わりがない。


他にも書記の仕事は山ほどある。

議事録、配布資料、会議の準備、出欠の整理、提出物の管理。

只でさえ、これまで二人で担ってた業務を一人でこなしているというのに。

意見ボックスの仕分けだけが、まるで別の戦争みたいに、時間と集中力を奪っていく。


(……てかこれ…私ひとりで抱える案件じゃなくない?)


頭では分かっている。

でも、口に出すと弱音になる気がしてしまう。

書記としてのプライドが、変なところで邪魔をする。


これらの誹謗中傷に対し、彼女は平気な顔をするだろう。

変わらず笑っているのだろう。

だからこそ、敢えて見せる意味もない。

平気な顔の内側に、余計な棘を増やしたくない。


橘梨愛は、シュレッダーのスイッチを一度切った。

急に静かになる。

静寂が、耳に痛い。


指先には、インクの匂いが残っている気がした。

胸の奥には、処理しきれない澱が残っている。


椅子にもたれて、天井を見上げる。

蛍光灯が白くて、眩しいのに冷たい。


「…………藤崎くんに……相談しよっかな…」


ポツリ、と独り言が落ちた。

それは弱音みたいで、でも救命索みたいでもあった。


意見ボックスの運営を、一時中断する。

期間を区切って、様子を見る。

そういう制度としての対処を、提案してもいいかもしれない。


(もはやこの作業…感情のゴミ処理じゃん)


ここは生徒会室で、ゴミ処理場じゃない。

書記は裁断機の番人じゃない。


橘梨愛は、机の上に積み上がった紙の束を見た。

薄い紙が何十枚。

でも、その一枚一枚の向こう側にある悪意を想像すると、胃のあたりがきゅっと縮む。


窓の外では、運動部の掛け声が響いていた。

いつも通りの春。

いつも通りの放課後。


その“いつも通り”が、今だけやけに遠かった。


梨愛は立ち上がり、もう一度シュレッダーに手を伸ばす。


スイッチに指をかけて、止まる。


(…………藤崎くん…….まだ校内にいるかな……)


作業を中断し、胸の奥で静かに決めた。


誹謗中傷やクレームが記載されている意見用紙を、クリアファイルへ収納していく。


このまま全部、自分ひとりで飲み込むのは違う。

生徒会はチームで、役職は“守るためにある”ものだから。





────────。





そして、いよいよ連休前の最終日。


放課後の廊下は、どこか浮き足立っていた。

教室から漏れる笑い声、部活へ急ぐ足音、窓の外では少し強くなった風が木々を揺らしている。


そのざわめきから一歩だけ外れた場所。


ガラッ。


図書室の扉を開ける音が、静かな室内に吸い込まれていく。

柔らかい西日の光に包まれた窓際の席。

その光の中で、俊輔が顔を上げた。


「……陽向!」


その声は、待っていた時間の分だけ、ほんの少しだけ弾んでいた。


「おいで。」


俊輔の両腕が、迷いなく広がる。

もうそれは、特別な合図じゃない。

毎日の、当たり前になった習慣。


「俊ちゃん!」


陽向は駆け寄る。

俊輔は、その腕の中へ嬉しそうに陽向を迎え入れる。


ぎゅうぅっ…


俊輔の腕が背中を包む。

制服越しでもわかる体温。

胸板の硬さ。

耳元にかかる、規則正しい鼓動。


二人きりの世界。


昼休みや登下校は、常に多くの視線に晒されている二人だが、図書室で過ごす時間だけは、何も気にせず触れ合える、ずっと特別な空間だった。


俊輔は、陽向を抱きしめたまま、ゆら……ゆら……と左右に身体を嬉しそうに揺らす。

それがいつもの癖だった。


(ほんと、レオみたい。)


外から自転車を止める音がすると、玄関に駆けていき、ちょこんとお座りしながら待っているレオ。

玄関の扉が開くと、耳を立てて尻尾を振って、足元をくるくる回る。


(ただいまっ!レオー!)


ぎゅうぅっ…


抱き上げる瞬間の、あの無条件の幸福感。

今、腕の中にある幸せと温もりも、なんだか少し似ている。


「お待たせっ!俊ちゃん」


「うん…。」


陽向は俊輔の膝にちょこんと座る。

俊輔は腕を回し直して、そのまま離さない。


俊輔の膝上が、最近は陽向の図書室での定位置。


「てかさー聞いて?最近さークラスの奴らが私のあだ名を“副会長!”って呼んできてさー、完全にネタにされてるわけ。ちょっと授業中発言しただけでもさー“さっすが副会長だわー”とか“副会長やるわー”とか言ってきてさーずっと笑ってんの。私が副会長やるってそんなオモロイわけ?まっじで舐めてる。」


いつもの陽向のマシンガントークが始まる。


「ふざけてやがると思って、私も副会長として、朝比奈先輩みたいに、こう…凛っ!って感じで、わかる?ほら、こう、キリッ!と、ねぇ出来てる?キリッ!凛っ!こんな感じで威厳をね、身につけて意識していこうと思ってんの。」


身振り手振りを交えながら、表情をころころ変えて、楽しそうに。


“格を獲りに行く”と真面目に覚悟しておきながら、やってることは顔芸の練習。

しかし、ふざけてるわけでは無く、本人は本気そのもの。


その真剣さに、俊輔は思わずクスッと笑う。


陽向が一方的に喋り倒して、俊輔がそれを“うんうん”と優しい目(※ちょっとデレデレして)で見守っている。


全校生徒の憧れである生徒会長を、自分の愚痴と変顔の観客にしている贅沢の実感は陽向には微塵もない。

その変わらない明るさを見つめながら──


俊輔の胸の奥で、別の感情が静かに揺れた。


「…………。」


ほんの一瞬、表情が曇る。


「俊ちゃん…?」


陽向は、俊輔からほんの少し滲んだ空気の温度を察知した。


「ん?」


サッと何事もないように、俊輔はすぐに笑顔を貼り直す。


「俊ちゃん何かあった?若干テンション低くない?」


「え…っいや…“僕は”何もないよ!」


“僕は”。

言った瞬間、自分でその言葉に気づく。


陽向は気づいていない。

あっけらかんとして。


「あそ?気のせいか。」


と笑う。

俊輔は、その拍子抜けするような無邪気な笑顔に、胸がギュッと痛んだ。


腕に込める力が少しだけ強まった。


「………陽向は……何もない?」


「何もって?」


「困ってる事とか…辛い事とか……」


できるだけ自然に。

でも、胸の奥はひどくざわついている。


「んー………ある!」


「えっ!?なに!?」


俊輔の心臓が、ドクンと跳ねる。


「明日から連休だから、俊ちゃんに会えなくて困ってる!辛い!悲しい!死ぬ!」


ガクッ。

俊輔の首が、わかりやすく曲がった。


「陽向は本当に……元気だね……」


安堵と、呆れと、愛しさが混ざる。


「は?どーゆう事!?全然元気じゃないよ!だって俊ちゃんがさ、連休はニューヨークだとか言うからさ!」


「色々と手続きとか準備とか、やる事があるんだよ…」


「そんなのわざわざ俊ちゃんが行かなくたって、向こうにお父さんが居るんだから代わりにやって貰えばいいじゃん!」


声が、強くなる。


「…まぁ……そうだけど……僕だけ行かないとか…両親が許さないよ……」


そしていつものあの表情。

耳が垂れて、尻尾が下がる。


「僕だって……陽向に会えなくて寂しいし……出来る事ならずっと一緒にいたいよ………」


(う…っやばい…)


陽向の胸がきゅっとなる。


「で…電話するよ!LINEでビデ通しよ!なんならずっと繋げてよう!そしたらほら、一緒にいる気分になれるじゃん?」


「え、本当に!?いいの!?」


俊輔の表情がパッと明るくなる。

さっきまでの影が嘘みたいに消えて、耳と尻尾が立ち上がる。


「うんっ!勿論!」


俊輔は、ぎゅっ!っと陽向を抱きしめた。


「でも暫く本物はお預けだから、そのぶん今いっぱい陽向チャージする。」


抱きしめる腕に、力が籠る。

一秒でも長く、強く、今を身体に刻みたい。


「私も俊ちゃんチャージするわ」


陽向は、俊輔の首元に顔を埋める。


制服の匂い。

いつもの俊輔のシャンプーの香り。

安心する温度。


二人は、何度も、何度も、抱きしめ合った。


窓の外では、春の光がゆっくり傾いていく。


連休が来る。

少しの距離と、少しの不安を連れて。


それでも今は。


この腕の中のぬくもりだけが、確かな現実だった。


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