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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第二章〜高2編〜  作者: 波方 真季


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第81話 絶対最強の推し


文化祭は、終わった。


あれほど校舎中に満ちていた熱も、喧騒も、拍手も、笑い声も、まるで一夜で潮が引くみたいに静かに消えていった。

色とりどりの装飾が外され、廊下にはいつもの足音だけが戻ってくる。

祭りのあと特有の、少しだけ空っぽな空気。

その静けさの中で、俊輔はひとつのことを決めていた。


文化祭が終わったら、話そう。


Regularで、もう一段上を狙う可能性について。

そのことを、ちゃんと陽向に。




文化祭明けの翌週────────。




放課後の図書室。

窓の外では、秋が少しずつ深まっていた。

西日に染まった木々の色が、ガラス越しにやわらかく滲んでいる。


その、静寂のど真ん中に。




「話しが違ーーーーーーーーーう!!!!!」




怒号が響いた。


安定の。

当然の。

予想を一ミリも裏切らない反応。


俊輔は思わず肩をすくめながら、「やっぱり」と思って小さく息を吐いた。


「……いや……まだ決めたわけじゃないよ…?先生から、そういう選択肢もあるって言われてるって話で……」


声はできるだけ穏やかに。

けれど、相手は陽向だ。

その程度の言い方で、火山が鎮まるわけがない。


「11月に受験終わるって言ったよね? それからは陽向との時間に全振りするって言ったよね? だからあと少しの辛抱だって言ってたじゃーーーん!!!!」


陽向の頭頂部から、ほんとうに火山が噴いているようだった。

比喩じゃなく、今の彼女の周囲だけ空気が熱を持って歪んで見えるんじゃないかと思うくらいに。


俊輔は、反論しない。

できない、の方が近いかもしれない。

なぜなら、その言葉は全部、事実だからだ。


その“少し先の希望”を、陽向は指折り数えるみたいに大事に抱えていたのだろう。


「Regularの出願っていつ!?」


「…………1月……」


ほんのわずか、間が空く。

その“間”そのものが、もう答えみたいなものだった。


「無理だーーーーーーー!!!!!!!」


バタッと陽向はそのまま椅子にもたれかかるでもなく、半ば仰向けにひっくり返るように大きく身をのけぞらせた。

全身で、感情を表現する。

その、まるでコントのような大げさなリアクションに、いつもなら少し笑ってしまうところなのに、今日は俊輔も笑えない。


「……で、ですよね……」


俊輔の声は小さい。

自分で言っておきながら、その反応を受け止める準備が、どこか足りていなかった。


「3月の頭に卒業すんのに1月まで受験してたら、もう2月だけじゃん! 全振り期間2月オンリー! 超絶一瞬! 終わる! 死ぬ! しんどい! 絶対無理!」


天井を見つめながら、陽向は瀕死の状態。

その言葉のひとつひとつは雑で、感情的で、滅茶苦茶なのに──

俊輔には、その全部が切実に聞こえた。


自分にとっては進路の話で、将来の可能性の話。

でも陽向にとっては、残された“今”の時間の話。

そして、その“今”が、彼女にとってどれだけ大事かを、俊輔は知っている。


「もともとEDで出願する第一志望に決めてたんだから、今更良くない!? そこまでエッセイの完成度高いならもう勝ち確じゃん!! 確実に行けるんだから、そこでいいじゃん!!」


陽向の感情の濁流は、容赦がない。

理屈ではない。

でも、だからこそ真っ直ぐで、逃げ場がない。


俊輔はその勢いをまともに受けながら、ふっと息をついた。

そして、何かを悟ったような、静かな顔で言った。


「わかったよ。予定通り、EDで出願する。」


その瞬間。

陽向の動きが、ぴたりと止まった。


「………………。」


さっきまで大噴火していたのに、急に静かになる。

その静けさの方が、むしろ怖いくらいだった。



なんか…………腑に落ちない。



そんなに、あっさり?

私が喚いたから?

私が嫌だって言ったから?


私のわがままで。

この人の未来の選択肢が、そんな簡単に狭まってしまうの?


俊ちゃんって──

そんな人だった?


胸の中で、矛盾した感情がぶつかりあう。


嬉しいわけじゃない。

むしろ苦しい。


だって比べるまでもなくわかっている。

自分は、“今”だけの存在だ。

高校生の、一時の恋人。

でも進学先は、この人の人生の先を変えてしまうものだ。


重さが違う。


「…………………………それでいいの……?」


俯いたまま零れた声は、独り言みたいに小さかった。

俊輔は、その声をちゃんと拾う。


「陽向との今が、大切だからね。」


あっさりと言う。

あまりにも自然に。


その表情は妙に穏やかで、何の迷いもないように見える。

まるで全部わかっていて、そのうえで笑っているみたいな、そんな顔。


陽向は、その顔が少し悔しかった。




俊輔は、わかってる。


陽向は感情的な子だけど、大事なところで人の核心を突いてくる。




「……………本当はやりたいくせに。」



陽向は、見事に突いてきた。


俊輔は、陽向が大切だとしか言っていない。

なにも意見していない。

理屈も理論も説いてない。


俊輔の瞳が、ほんの少しだけ揺れた。


「もちろん、やりたい気持ちはあるよ?……でも、それで結局駄目でした、なんて事になったら、陽向に申し訳なさ過ぎて、僕が耐えられない。」


その言葉も、本音だった。

代償にする時間の重さ。

その犠牲の上で、失敗する事への怖さ。


だからこそ、揺れている。

自分一人で、決める勇気がない。

だから最後に、押して貰いたい背中がある。


陽向に押して貰えたならば──



勇気の一歩を踏み出せる。



俊輔の言葉を聞いた瞬間、陽向は気づく。


──ああ、この人………私のことを信じてる。


私なら、こう言うって。

私なら、最後にはこうするって。

もう、わかってるんだ。



ずるいなぁ。



最初から、私が何を選ぶか、何を言うか、ちゃんとわかってるくせに。

そのうえで、こんなふうに責任ごと差し出してくる。


胸の奥が、きゅうっと痛んだ。






「…………………やる前から……失敗の事考えて…………自分を諦めたら…………駄目だよ……」






やっとの思いで言葉を紡ぐ。

その言葉が、そのまま今度は自分の胸へ返ってくるみたいだった。


俊輔は視線を伏せ、息をつくように小さく笑った。

その笑い方がまた、全部わかっている人のそれで。


陽向は悔しさを押し殺すように、言葉を続ける。


「……私は、どんな俊ちゃんも推せる。私との時間を選んでくれる俊ちゃんも、もちろん推せるし……」


喉の奥が熱い。

でも、泣かない。

ここで泣いたら、全部ただの“可哀想な彼女”になってしまう気がした。


「挑戦する俊ちゃんも……断然推せる。」


その言葉を口にした瞬間、胸の奥が少しだけちぎれそうになった。

それでも、言わなきゃいけないと思った。


だって、この人が好きだから。

本当に好きだから。


今だけの自分のために、未来の可能性を閉じさせたくない。





“恋”は。


振り向いて欲しい。

自分を見てて欲しい。

幸せにしてあげたい。

独占したい。



“推し”は。


前を向いてて欲しい。

夢を見てて欲しい。

幸せになって欲しい。

飛躍させたい。





俊ちゃんは、私の“恋人”であり。


絶対的な、確固たる、私の最強の“推し”だから。





俊輔は、やわらかく微笑んだ。


「陽向が決めていいよ。」


うざ。

まじで、ちゃんとうざい。


その言い方に、陽向はとうとうむくれた。


ほらやっぱり。


俊ちゃんは、迷ってる段階で私に話したりなんてしない。

そんなの、私に話した時点で、もう半分決めてるくせに。

そのうえで、最後の一押しだけ、私にさせる。


わざとだ。

絶対、わざと。


いいよ。

ここは……私が折れてあげるよ。


「………やりなよ。Regular。」


言った瞬間、胸の奥がじんとした。

痛いのに、不思議と後悔はなかった。


俊輔は、やっぱり柔らかく笑った。

ほら、全部わかってたみたいな顔してる。

あれだけ駄々を捏ねた後に意見を変えたのに、1ミリも驚いてない。

意外だなんて、微塵も思っていない。


プンッ!


陽向はむくれて、そっぽを向く。

悔しい。

この悔しさすら、この人には見抜かれている気がした。


次の瞬間──


フワッ…と、腕が回る。


当たり前みたいに引き寄せられて。

気づけばいつものように、膝の上に乗せられていた。


「陽向、大好きだよ」


耳元に落ちるその声が、ずるい。

優しすぎる。

全部飲み込んでしまうくらい。


「わかっててさぁ、わざと責任転嫁してくんのうざいんだけど」


拗ねたまま言うと、俊輔はくすっと笑った。


「はは、陽向には全部お見通しだね」


「俊ちゃんが私の事わかってるの、わかってるからねっ!」


陽向は、少しだけ振り返って言う。

その声音には、悔しさも、愛しさも、諦めも、全部混ざっていた。


俊輔はそんな陽向を抱きしめる腕に、ほんの少しだけ力を込める。


「陽向も、僕のこと本当によくわかってるね」


いつもの嬉しい時の癖。

抱きしめながら、ゆら…ゆら…と身体がゆっくり左右に揺れる。

その腕から、全部伝わってくる。


“陽向はちゃんと僕を見抜いたね”


その信頼と。

嬉しさと。

ありがとうと。

大好きが。



静かな図書室の一角で。

西日が少しずつ薄れていく中で。

二人の間だけ、時間がやわらかく沈んでいく。


“今”と“未来”を天秤にかけて。

どちらも捨てたくなくて。

どちらも大切だから苦しくて。


それでも最後に選ぶ言葉が、ちゃんと相手の背中を押すものであること。


それが、きっと。


この恋がただ甘いだけじゃない理由だった。




────────。




俊輔は、これまで積み上げてきた第一志望のED出願準備を引っ下げて、EA出願へと舵を切った。


それは、簡単な方向転換なんかじゃなかった。

積み上げてきた安心や、確実に手に入るはずだった未来を、一度自分の手で手放すということ。


それは同時に──

もうワンランク上の大学を目指す、Regular受験のスタートでもあった。


確かな未来の輪郭が、少しだけ遠のく。

その分、戦う時間は長くなる。


それでも俊輔は、自分で選んだその道を、ちゃんと自分の足で歩こうとしていた。




────────。




文化祭が終われば、ようやくひと息つける──

そんな甘い隙を、この学校生活は与えてくれない。


祭りの熱が引く間もなく、間髪入れずに押し寄せて来るのは体育祭。


生徒会役員にとって、この時期は、まるで呼吸をする暇すら奪われるような忙しさだった。

文化祭の余韻に浸る間も、達成感に身を委ねる間もない。

片づけが終われば、すぐ次の準備。

終わったはずの喧騒の先に、また別の喧騒が待っている。


俊輔は、生徒会長としての仕事をこなしながら、並行して十一月に迫るEA出願の準備を進めていた。

それだけではない。

一月にRegular出願をする志望校についても、情報を集め、比較し、選び抜かなければならない。


担任との面談。

進路指導教員との相談。

書類の確認。

出願条件の精査。

エッセイの再調整。

その合間を縫うようにして、体育祭へ向けた生徒会業務が容赦なく差し込まれてくる。


気づけば、連日のように居残りだった。


放課後の校舎に残る時間が長くなるほど、陽向と過ごせる時間は、目に見えないところで少しずつ削られていく。

放課後の図書室。

学校帰りの寄り道。

そんな“今まで当たり前だったもの”が、急に贅沢になっていく。


そしてそれは、俊輔だけではなかった。


陽向もまた、副会長としての責任に追われていた。


一学期の頃のように、自分が抱えきれない仕事を俊輔に手伝ってもらうわけにはいかない。

あの頃とは違う。

自分の未熟さに甘えて、誰かの優しさに寄りかかってばかりではいられない時期であることを、陽向はもう知っていた。


それに、同じ副会長である瀬戸晴翔も、これまで陰で支えてくれていた書記の橘梨愛も、俊輔と同じく受験を控えた三年生だ。

誰かに頼るということは、その誰かの大切な時間を奪うことでもある。


だから陽向は、自分に言い聞かせるように、何度も胸の内で繰り返した。


甘えられない。

ここで踏ん張らなきゃ。

ちゃんと、自分の足で立たなくちゃ。


終わらない仕事。

迫ってくる締切。

細かい確認事項。

抜けたら困る役割。

次から次へと降ってくる“やらなきゃいけないタスク”に、陽向は必死に食らいついた。


放課後の生徒会室。

窓の外が夕焼けから群青へ変わっていく頃まで残り、時には校舎の空気が夜の静けさを帯び始めるまで机に向かう日もあった。


焦って、間違えて、やり直して。

それでも投げ出さず、泣き言も飲み込んで、また次に手を伸ばす。


それはもう、誰かに守られるだけの副会長ではいられないという、小さな意地だったのかもしれない。

あるいは、俊輔の隣に立つ自分でいたいという、精一杯の背伸びだったのかもしれない。


ただ確かなのは──


二人とも、それぞれの持ち場で、必死だった。


未来のために。

今を守るために。

そして、少しずつ減っていく一緒の時間を、少しでも胸を張って抱きしめるために。


忙しさの波に飲まれながらも、二人はそれぞれの場所で、同じように前を向こうとしていた。




────────。




いよいよ、今週末は体育祭。


その直前の最終週──

校内には、イベント前特有のざわめきが満ちていた。


そこには、やるべきことがまだ終わっていない人間たちの空気も混ざる。

体育祭実行委員、生徒会役員。

その中心にいる者ほど、笑う余裕を削りながら、ただ前を向いていた。


陽向も、そのひとりだった。


放課後の生徒会室。

校舎内の人の気配はまばらで、キーボードを叩く音だけが、やけに大きく響く。

窓の外では、夕焼けがじわじわと色を落とし、オレンジから群青へと、静かに移り変わっていく。

その色の変化に気づく余裕もないまま、陽向は画面に視線を落とし続けていた。


副会長の仕事──

“体育祭進行表作成”。


進行台本とタイムテーブル。

秒単位で狂いが許されないその資料は、ひとつズレれば、全部が崩れる。

だから陽向は、何度も見直していた。

何度も、何度も。

目が霞むほどに。


そんな中──


ガラッ


静寂を割るように、扉が開いた。


「陽向、お待たせ。こっちは終わったよ」


振り返ると、そこにいたのは俊輔だった。


進路指導教員との面談帰り。

少しだけ疲れた顔をしているのに、それでもいつも通り、穏やかに笑っている。

その姿を見た瞬間、張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ。


「えっ!?もうそんな時間?」


思わず声が漏れる。

顔を上げた先、窓の外はもうほとんど夜だった。

さっきまで確かにあったはずの夕焼けは、いつの間にか跡形もなく消えている。

時間が、飛んでいた。


「うーんっ……」


陽向は椅子の背にもたれ、両腕を思い切り伸ばして背伸びをする。

固まっていた身体が、じわりと軋む。


「くっそー……タイムリミットかぁー!」


半分冗談みたいに言ったその言葉の奥に、“まだ終わってない”という焦りが滲む。

俊輔は何も言わず、静かに歩み寄ってきて、画面を覗き込んだ。


「整合性チェック?進行台本とタイムテーブル表、明日提出だよね。PDF化まで全部終わりそう?一緒にやろうか?」


落ち着いた声。

状況を正確に把握してくるその感じに、一瞬だけ、頼りたくなる。

一学期の頃なら、間違いなく即答していた。


けれど──


「う、ううん!大丈夫!」


陽向は、反射的にそう答えていた。

そして、そのまま慌ててパソコンの画面を閉じる。

これ以上見られたら、逼迫している進捗状況を見抜かれてしまう。


「はるるが相当わかりやすく資料作って、全部まとめてくれたし!私は単純にそれをWordに落として清書するだけだから!」


少しだけ早口になる。

誤魔化しじゃない。

でも、強がりでもある。

俊輔に頼らない、“ちゃんとやれてる自分”でいたかった。


「……あとは家でちょこっとやれば、もう終わる!」


そう言いながら、パソコン、USB、紙の資料を、手提げ袋に詰めていく。

その動きは、どこか急いでいた。

自分で決めたラインまで、ちゃんと辿り着いていると証明するみたいに。


「そっか。じゃあ、帰れる?」


俊輔の声は、いつも通りやわらかい。

問いかけというより、確認。

陽向のペースを、崩さないように。


「うんっ!」


少しだけ強めに頷く。

明るく元気な、いつもの笑顔。


校舎を出ると、空気はすっかり夜だった。


昼間の熱はすっかり抜けて、ひんやりとした風が頬を撫でる。


二人、並んで歩く帰り道。

ほんの数分の距離。

たったそれだけなのに、今の二人にとってはそれが全てだった。


弾む会話。

握り合う手の体温。

隣にいるだけで、張り詰めていたものが少しずつほどけていく。


この幸せな時間は本当にいつも、あっという間で。


路線が異なる俊輔と陽向は改札で、いつものように別れる。


「また明日ね」


その一言だけで、次の“少しの時間”を約束するみたいに。

座席に座り、電車に揺られながら陽向は窓にもたれた。


(……今週……体育祭が終われば……)


陽向は、ぼんやりと思う。


(……少し……ひと息つけるかな……)


そんな希望が、ふっと胸に浮かんでは、静かに沈んでいく。

ガラスに映る自分の顔は、少しだけ疲れていて。

それでもどこか、満たされていた。


「ふぁ〜っ……」


大きな欠伸がひとつ。

身体が限界を訴えてくる。

抗う間もなく、意識がゆるやかに沈んでいく。


気がつけば──


眠りに、落ちていた。



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