第78話 デートの誘いは、キザで直球ストレート!
そして訪れた、二学期最初の役員会議──。
夏の名残をまだかすかに残した放課後の生徒会室には、新学期特有の少し引き締まった空気が流れていた。
窓の外では、陽が傾きかけた光が校舎の壁をやわらかく照らしている。
長机の上には資料が整然と並び、役員たちの前に置かれたペン先だけが、時おり小さく音を立てた。
二学期最初の正式な議題は、当然文化祭について。
一年の中でも、もっとも学校全体が熱を帯びる行事。
準備の段階から、もう空気が少しずつ動き出しているのが分かる。
俊輔は手元の資料から一度視線を上げ、静かに口を開いた。
「今年の備品買い出しについて、去年は陽向が行ってるから、引率の副会長は晴翔の方でいいかな。」
生徒会長としての、落ち着いた声だった。
その視線は、まっすぐ瀬戸晴翔へ向けられている。
「はい。大丈夫です。」
瀬戸晴翔は、いつものように簡潔に頷いた。
眼鏡の奥の視線は冷静で、返事にも迷いはない。
だが、その胸の内側では、次に来るであろう問いを、もう先回りして予感していた。
「ありがとう。それじゃあもう一人、誰と行こうか。」
文化祭の備品買い出し担当は例年、副会長ともう一人の役員。
俊輔のその一言で、生徒会室の空気にほんの少しだけ緊張が走る。
誰が適任か。
いくつかの条件が自然と頭に浮かぶ中で、瀬戸晴翔もまた、ゆっくりと室内へ視線を巡らせた。
「誰でも良いんですけど……」
口に出したのは、ひどく無難な言葉だった。
本当は、“誰でも”じゃない。
頭の中には、ひとりの顔がはっきり浮かんでいる。
けれど、その名前を自分の口から出すには、まだ理由が足りない気がした。
いや、理由ならいくらでも並べられる。
部活がなくて、動けて、比較的スケジュールも合わせやすい。
そういう“正しい理由”を使えば言えるはずなのに、それでも喉のところで言葉が引っかかる。
「部活動が無くて……時間に余裕がある役員の方が………」
そこまで言って、ほんのわずかに言葉が鈍る。
その一拍に、自分でも気づいてしまう。
名前を出したいくせに、出す勇気がない自分に。
視線を合わせるのも、まだ少しだけ落ち着かない。
意識していると悟られるのが、妙に抵抗がある。
そんな、微妙に張った空気を──
「はいっ!!相田桜子ちゃんが良いと思いますっ!!」
陽向の元気な声が、見事にぶち破った。
シュバッ、とでも効果音が付きそうな勢いで、陽向の手が高く挙がる。
迷いも遠慮もない。
そのまま真っすぐ放たれた名前に、生徒会室の空気が一瞬だけ止まり、それから小さく揺れた。
「えっ?私?」
突然指名された相田桜子は、パチリと目を見開いた。
自分へ集まった視線に少し肩を揺らし、戸惑いを隠せないまま小さく瞬きをする。
「なっ……!」
その瞬間、瀬戸晴翔の胸の内で、過去の記憶が鮮やかによみがえった。
──“さこちゃんの事好きなんでしょー?”
あの時の、星野陽向のニヤニヤした顔。
からかう気満々の声。
面白がって火をつけてくるあの感じ。
今回も絶対それだ、と一瞬で分かった。
面白半分。
いや、かなり面白がっている。
手に取るように分かる。
俊輔もまた、その空気をちゃんと察していた。
けれど、生徒会長としての顔は崩さず、あくまで自然なトーンで陽向へ問い返す。
「なんで相田さん?」
その声音は穏やかだったが、どこか“ちゃんと説明してみて”という響きを含んでいた。
「え?えーっとぉ……」
陽向は一瞬だけ目を泳がせる。
勢いだけで名前を出したものの、みんなに説明が出来るような理由までは考えていなかった。
「結構楽しかったからさ!私去年やって、校内の装飾とかフォトスポット作ったの、めっちゃ達成感って感じ?それでみんながちょー喜んでくれて、わー青春!エモ!ってなったから、さこちゃんにも是非それを経験して貰いたいなぁって!」
言葉を繋ぐ。
勢いで。
でも、全部が嘘というわけでもない。
あの“ちゃんと学校を作ってる側にいる”感じは、確かに特別だった。
だからこそ、陽向はその勢いのまま相田桜子へ身体ごと向き直る。
「ほら、さこちゃんのロールモデルは私なんだから、私が積んだ経験はさこちゃんもやっといた方が良いっしょ!私は隣のクラスだし仲良いし、色々とアドバイス出来るから!ね!やりたいっしょ?ちょー楽しいよっ!」
前のめりなくらいの熱量。
その無邪気さと押しの強さに、生徒会室のあちこちから小さな笑いがこぼれる。
堅くなりかけていた空気が、ふっとゆるんだ。
相田桜子はそんな陽向を見つめる。
明るくて、直球で、少し強引で。
でもその押しの中に、自分を巻き込むだけの悪意はなくて、むしろ“こっちへおいで”と手を引いてくれる温度がある。
その温度に背中を押されるみたいに、相田桜子は小さく息を吸った。
「陽向ちゃんがそんなに推してくれるなら……私、やります!」
その答えは、少し緊張していて、でもちゃんと前を向いていた。
「よっしゃーーーー!!!」
陽向は即座にガッツポーズ。
自分が任命されたわけでもないのに、まるで一番の当事者みたいに全力で喜ぶ。
その様子に、俊輔は思わず肩を揺らした。
「なんで陽向がそんなに喜んでるの?」
呆れ半分、笑い半分。
けれどそのツッコミには、どこかやわらかな温度があった。
陽向は俊輔へ、嬉しそうに笑う。
瀬戸晴翔はそんな彼女を見て、ひとつ小さく息を吐いた。
まったく、余計なことばかりする。
そう思うのに、不思議と本気では怒れない。
視線を向けるその隣では、相田桜子が少しだけ頬を染めながら、静かに背筋を正していた。
怒りが沸かないのは、星野陽向が良い仕事をしてくれたと、どこかで感謝している自分が居たからだ。
でも、それを素直に認めたくない自分もどこかに居る。
「それじゃあ今年は、副会長の晴翔と、二年生会計相田さんでよろしくね。」
俊輔の声に、瀬戸晴翔と相田桜子は視線を合わせ、静かに会釈を交わした。
それだけなのに、手に汗がじんわりと滲む。
文化祭へ向けて、またひとつ、新しい歯車がカチリと噛み合った音がした。
────────。
そして、下校。
校舎には、部活動の声や笛の音、帰路につく生徒たちの笑い声が交じり合い、どこか柔らかくほどけた空気が流れている。
窓の外では、傾きかけた陽が校庭を斜めに染めていた。
長く伸びた影が、まるで一日の終わりをゆっくりと引き延ばしているみたいだった。
俊輔と陽向は、並んで正門へ向かって歩いていた。
無邪気に笑う陽向と穏やかな表情を浮かべる俊輔は、ただ隣にいるだけで成立する空気が、二人の間には自然とあった。
その時──
前方に、見慣れた背中が目に入る。
生徒会副会長、瀬戸晴翔。
きっちりとした姿勢で歩くその後ろ姿は、どこまでも真面目で、どこまでも隙がない。
「はるるー!」
その空気をぶち破るように、陽向が声を弾ませた。
迷いも遠慮もなく、一直線に駆け寄っていく。
俊輔は一歩遅れて、その様子を見つめた。
どこか微笑ましそうに、ほんの少しだけ目を細めながら。
「その呼び方、やめて下さいって言ってますよね」
振り返った瀬戸晴翔の声は、いつも通り淡々としている。
けれど、その中にわずかに混じる“諦め”を、陽向は気にも留めない。
「ねね、さこちゃんと買い出し、詳細決めた?」
「人の話し聞いてますか?」
間髪入れずに本題へ突っ込む陽向に、瀬戸晴翔の眉がほんのわずかに寄る。
けれど陽向は、そんな細かい変化など見ていないみたいに、さらに前のめりになる。
「どーでもいいから!ここはさこちゃんと一気に距離詰めるチャンスだよ!ちゃんと気合い入れて作戦立てて行かないと!」
放たれる言葉は、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも容赦がない。
瀬戸晴翔の胸の奥が、わずかにざわつく。
図星だからだ。
「全く…あんな強引に相田さんを巻き込んで…絶対面白がってますよね?」
「失礼な!私は真剣に、はるるの恋を応援してるんだよっ!」
陽向は胸を張る。
その無邪気さが、時々やけに厄介だ。
「で、買い出しデートちゃんと話し詰めたの?」
「デートじゃないですよ!それに、まだ何も決めてないですよ」
その言葉が落ちた瞬間──
「はっ!?」
空気を裂くような、鋭い声。
陽向の目が、信じられないものを見るみたいに見開かれる。
「なにやってんのよもー!JKの週末は色々と忙しいんだから、こーゆうのは即、さこちゃんの日曜日をしっかり抑えに行かないと!」
グイッと一歩踏み込む。
距離が近い。
言葉も、勢いも、全部が近い。
瀬戸晴翔は一瞬、言葉を失った。
ゆっくりと追いついた俊輔は、その様子を見て、小さく笑う。
一年前──。
まだ初々しく、距離のあった頃。
自分が陽向を、備品の買い出しペアに指名して。
あの時、自分に適当な理由を並べながら、胸の内にしまい込んでいた本心は“一緒に行きたかった”という感情だった。
勇気を出して、日曜日に誘った。
あの一言を口にするまでの、喉の奥が焼けるような感覚。
断られたらどうしようという、不安と期待が入り混じった、あの時間。
今でも、はっきり思い出せる。
「に、日曜日!?」
瀬戸晴翔の声が裏返る。
彼の状況が、どこか過去の自分と重なって見えて、俊輔の口元がわずかに緩む。
「そ、そんな、日曜日だなんて…!買い出しなんて学校業務なんだから、学校帰りとかに行けば良いものなんじゃないですか?」
正論。
でも、それだけじゃ足りないことを、俊輔は知っている。
陽向は、容赦のない一言。
「バカなの?」
「バカ…!?」
瀬戸晴翔の表情が崩れる。
あまりにも真っ直ぐすぎる言葉が、空気をためらいなく切り裂く。
「先輩に向かって…ば、バカとはなんですかバカとは…!」
「朝10時。駅で待ち合わせ。午前中で買い出しは終えて、その後は二人でデートするんだよっ!」
瀬戸晴翔の声には聞く耳持たず、人差し指を立てながら、間髪入れずに叩きつけられるプラン。
迷いも、遠慮もない。
まるでそれが“正解”だと言い切るような勢いだった。
「はぁっ!?」
瀬戸晴翔の声が、再び裏返る。
思考が一瞬止まった。
「…い、いや……流石にそれは……これまでプライベートで関わった事も一切ないのに……いきなり攻め過ぎでは……」
言いながら、自分でも分かっている。
それは──安全な方へ逃げるための理由。
「全くなに言ってんのもー!ここで攻めなきゃいつ攻めんの?」
その言葉が、容赦なく核心を突く。
逃げ道ごと、軽々と踏み越えてくる。
「だいたい…買い出しも終わった後に……なんて言って誘えって言うんですか………」
言葉にした瞬間、喉が少し乾く。
想像してしまったからだ。
その場面を。
自分が、相田桜子を前にして、何かを言おうとしている姿を。
けれど、その先の言葉が出てこない。
沈黙の隙間に、陽向の小さな笑いが落ちた。
「そんなの…」
クスッと、いたずらっぽく口元を緩める。
夕焼けの光が、その横顔をやわらかく縁取った。
「僕とデートして下さい…だよっ!」
一瞬、時間が止まる。
「ぶっ!」
隣で、俊輔が思わず吹き出した。
堪えきれなかった、というより。
どこか懐かしいものに触れたみたいに。
「そんなドストレートに誘うキザな奴いないですよっ!」
瀬戸晴翔の声には、動揺と照れと、わずかな苛立ちが混ざっていた。
そんな彼の言葉に、陽向は声を弾けさせる。
「あっはっはー!キザな奴だってー!やばー!」
笑いながら、隣の俊輔の肩をバシバシと叩く。
その無遠慮な仕草に、俊輔の身体が少しだけ揺れる。
「世の中にはいるかもしんないよねー?俊ちゃん!」
その一言。
揶揄うように投げられた言葉に、思わず俊輔の顔が赤く染まる。
────“僕とデートして下さい”。
あの時。
備品の買い出しを終えて。
帰り道の、少しだけ沈みかけた空の下で言った。
喉が焼けるみたいに熱くて。
それでも、言わなきゃと思った。
あの一歩を踏み出した。
今でも、はっきりと思い出せる。
夕焼けの色も。
風の匂いも。
陽向の、あの時の表情も。
「晴翔、男は直球勝負が一番なんだよ」
“キザな奴”と言われた俊輔は、動揺を誤魔化すように咳払いをした後、少しむくれながらそう言った。
過去の自分をなぞるように。
「生徒会長までそんな事言って………」
瀬戸晴翔は、小さく呟く。
夕焼けが、三人の影を長く伸ばしている。
過去と現在が、ほんの少しだけ重なったみたいに。
同じ季節の中で、同じように誰かが、これから一歩を踏み出そうとしていた。




