第69話 夜空に祈りを
その頃、東京。
星野家のリビングには、テレビもついていなかった。
聞こえるのは、冷蔵庫の低い駆動音と、時折フローリングの上を移動するレオの爪の音。
夜の気配がじわじわと家の中へ染み込んで、部屋の空気は妙に重く、ぬるく、静まり返っていた。
リビングの椅子に腰掛けている早苗は、スマホを片手に深く息を吐く。
「……まさか……伊豆高原だなんて……」
その声は、呆れ半分、諦め半分。
けれど、その奥には確かに動揺が滲んでいた。
スマホの画面に表示されているのは───
GPS。
連絡がつかなくなった時以外、普段は滅多に開かない機能だった。
娘がどこにいるのか、常に追いかけ回したいわけじゃない。
陽向本人も、連絡さえ取れていれば、まさか見られるだなんて思っていなかっただろう。
でも今日は、別だった。
“咲の家に泊まりに行く”
そう言った時の娘から、嘘と反抗の匂いがプンプン漂っていた。
声が少しだけ上ずって、目が泳いで、妙に明るくて、妙に焦っていた。
証拠はない。
問い詰めても、たぶん誤魔化されるだけ。
だからせめて現行犯として、確かなものを掴んでから叱ろうと思っていた。
嘘をつくという時点で、一緒にいるのは彼氏で間違いない。
せいぜい彼氏の家にでも、こっそり行っているのだろうと。
そこまでは、覚悟していた。
なのに。
伊豆高原。
スマホの小さな画面に表示されたその地名は、早苗の予想を軽々と飛び越えていった。
テーブルに肘をついたまま、早苗はビールを片手にため息は止まらない。
炭酸の刺激が喉を通っても、胸のつかえは少しも取れない。
(飲んじゃって車乗れないし……伊豆高原じゃ呼び戻そうにも電車が無いわ。)
予想もしなかった出来事に、早苗は完全にお手上げだった。
怒りたい。
今すぐ電話して、きつく叱りつけたい。
ふざけるな、と言いたい。
まだ高校生のくせに、何を考えているんだと。
しかしその時、ふと思い出してしまう。
大学時代に出会った、彼のことを。
真っ直ぐで。
眩しいくらいよく笑って。
おっちょこちょいで。
自由で。
どうしようもなく天真爛漫だった、あの人。
無鉄砲なくせに、人を惹きつける力だけはやたらとあって。
困るくらい子どもっぽいのに、たまにびっくりするほど優しくて。
放っておけないような顔で笑う人だった。
早苗は、缶ビールを持つ手に少しだけ力を込める。
(……ひな……あなたまで、あの人と同じことをするのね……)
大学を卒業して、すぐに妊娠がわかった。
結婚なんて、まだちゃんと考えていなかった。
将来設計も、生活の基盤も、何も整っていなかった。
それでも、気づけば流されるように結婚して、陽向を産んだ。
あの頃は、全部が必死だった。
結婚しても。
子どもが生まれても。
あの人は、あの人のままだった。
頼りなくて。
自由奔放で。
やるべきことを後回しにして。
なのに、私への気持ちだけは、びっくりするほど真っ直ぐで。
その真っ直ぐさが、若かった当時の自分には、時々たまらなく重たかった。
自分は母親になった。
しっかりしなきゃいけない。
家計も、生活も、子どもも、ちゃんと守らなきゃいけない。
そう思えば思うほど、焦りだけが募っていった。
将来への不安は、膨らむばかりだった。
だから、厳しくした。
だらしないところを責めた。
自由を許せなかった。
時間を管理しようとした。
お金の使い方に口を出した。
交友関係にも、生活にも、細かく踏み込んだ。
今思えば、それは“正しさ”なんかじゃなかった。
ただ、自分の怖さを、相手に押しつけていただけだった。
あまりにも若かった。
束縛すれば安心できると思っていた。
管理すれば壊れないと思っていた。
でも、違った。
その結果が──
あの人が、自分と陽向を置いて、年上の女の元へ走った結末だった。
最初は、下手くそな嘘だった。
見ればわかるくらい挙動がおかしくて、すぐにバレるような誤魔化しだった。
それが、だんだん上手くなっていった。
自分に怯えるように。
責められないように。
怒られないように。
嘘だけが、洗練されていった。
あの人は、金を持て余したバリキャリ女のところへ会いに行っていた。
その事実を知った時は、怒りより先に、空っぽな気持ちになった。
そして数年後。
陽向が小学校へ上がり、発達障害の診断が確定した時。
医師から渡された資料に書かれていた特性の数々は、痛いほど、あの人そのものだった。
衝動性。
不注意。
段取りの弱さ。
感情の波。
うっかりと、忘れっぽさと、切り替えの苦手さ。
読めば読むほど、胸が締め付けられた。
(あの時……後悔したはずだったのにな……)
早苗は、心の中で呟く。
何でもかんでも管理して。
出来ないことを責めて。
家事も育児もろくにできないと怒って。
“なんで普通にできないの”と、何度も何度も追い詰めた。
自分の努力ではどうする事も出来なかったあの人は、どれだけの苦しみを抱えていたのだろう。
もっと早く気づけていたなら。
もっと寄り添ってあげられていたのなら。
あの人も、自分も、あんなふうに壊れずに済んだのかもしれない。
そして陽向は──父親を失わずに済んだのかもしれない。
早苗は、スマホの画面を見つめる。
伊豆高原を示す小さな点が、やけに遠い。
(……ひなまで……いつか私のことを捨てるの……?)
その心の声は、母親のものというより、取り残された女の弱音に近かった。
ビールを一気に飲み干す。
喉を通る冷たさが、胸の中の熱を少しも冷ましてくれない。
同じことをしていたら、同じことを繰り返す。
高校二年生。
来年には成人する娘。
子どもみたいで、まだまだ危なっかしくて、でも少しずつ自分の世界を持ちはじめて、大人の階段を登っている。
ここでまた自分が厳しく縛りつけたら、あの人と同じように陽向の嘘が上手になるだけだ。
まだまだ子どもな陽向のことだから、きっと“一線”までは越えられない。
越えたかどうかなんて、帰宅した陽向を詰めれば一発でわかる。
目を見れば。
声を聞けば。
態度を見れば。
この子は、そういうところだけは隠せない。
だからこそ、祈るしかない。
早苗は空になった缶をテーブルへ置いた。
小さな音が、やけに大きく響く。
「……女になって帰ってきたら……一ヶ月スマホ没収と外出禁止だな……」
吐き捨てるように言いながら、その声音には母親らしい怒りと、どうしようもない祈りが同時に滲んでいた。
静かなリビング。
誰もいない部屋。
遠く離れた伊豆高原の山奥へ向けて、早苗の祈りは、届くはずもないのに真っ直ぐに伸びていく。
どうか。
どうか、まだ。
取り返しのつかないところまでは、行きませんように。
────────。
伊豆高原。
夜はすっかり更けていた。
昼間あれほど青くきらめいていた遠くの海も、今はもう闇の中へ沈み、姿を完全に消している。
山奥のペンションの周りには街の灯りもほとんどなく、外は静まり返っていた。
聞こえてくるのは、遠くで揺れる木々の葉のかすかな擦れる音と、時折吹き抜ける夜風だけ。
その静寂の中で、この家にある音は二人の声だけだった。
お風呂を終えた二人は、階段を上り、二階へと向かう。
俊輔がドアを開ける。
案内された先は、広々とした寝室だった。
大きな窓。
柔らかなカーテン。
そして部屋の中央には、ホテルみたいな大きくてふかふかなベッド。
ふわりと漂う、洗い立てのシーツの匂い。
その光景を見た瞬間、陽向のテンションは一気に跳ね上がった。
「うわっ、ベッドでっか!」
思わず声を上げながら、子供のようにベッドへ駆け寄る。
そして───
ぽふん。
弾むように、陽向はそのままベッドへ身を投げ出した。
マットレスが大きく沈み、身体がふわりと包み込まれる。
「ふかふかぁ〜っ!」
柔らかい。
思わず笑いがこぼれる。
背中いっぱいに広がるふかふかの感触。
旅館でもホテルでもない、どこか“誰かの家”みたいな安心する空気。
そのままベッドの上でごろんと転がりながら、陽向は天井を見上げた。
すると───
俊輔の静かな声が、寝室に響いた。
「電気消すよ。」
その声は、いつもより少しだけ低くて、落ち着いていた。
そして次の瞬間。
パチッ。
小さなスイッチの音と同時に、部屋の照明がふっと消える。
柔らかな光が消えた瞬間、寝室は夜の闇に包まれた。
静かな夜。
誰もいない山奥。
同じ部屋。
同じベッド。
そして──
二人きり。
暗闇になった途端、さっきまで笑っていたはずの空気が、ふっと形を変える。
立っている俊輔の気配が、すぐ近くにある。
窓の外から、かすかな月明かりだけが差し込む。
カーテンの隙間から流れ込む淡い光が、ベッドの輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。
陽向は、ふと瞬きをする。
「………あれ……明かり…?」
その光の正体を辿るように、陽向の視線は窓の外へと流れた。
「…え………」
カーテンの隙間から覗く夜空が視界に飛び込んだ瞬間、陽向は吸い込まれるようにベッドから身体を起こした。
そのまま窓へと歩み寄る。
カーテンを押し開け、窓をスライドさせ、外のバルコニーへと飛び出した。
「わぁーーー!!プラネタリウムみたーーーい!!」
見上げた夜空は、満開の星空。
伊豆高原の夜空に、陽向の弾けるような歓声が響いた。
黒いキャンバスいっぱいに、無数の光が散りばめられている。
小さな星も、大きな星も、まるで宝石みたいに瞬いていた。
「すごい…すごいよっ!俊ちゃん来て!!」
その声には、子どもみたいな純粋な驚きが詰まっていた。
俊輔はその声を聞きながら、大満足の笑みを浮かべる。
嬉しそうな陽向の声に、俊輔の胸も弾んだ。
「東京ではこんなに沢山の星、まず見えないよね」
そう言いながら陽向の隣りへ寄り添って、バルコニーの柵に腕を掛けた。
夜の空気は、昼間よりも少し冷たくて、でもどこか心地よかった。
「お庭も部屋も電気ついてないのに、月ってこんなに明るいんだねぇー!」
そう言いながら、陽向は俊輔へ笑顔を向けた。
「俊ちゃんの顔が、こんなにはっきり見えるもん。」
月明かりに淡く照らされたその笑顔は、どんな光よりも眩しく見えた。
俊輔の胸の奥が、静かに高鳴る。
「ずっと、陽向にこの星空を見せてあげたかった。」
俊輔も、ゆっくり夜空を見上げる。
暗く深い空。
無数の星。
その光の下で、陽向が隣にいる。
それだけで、胸の奥が満たされていくようだった。
「俊ちゃんと一緒にこんなに素敵な星空が見られるなんて、こんな嬉しいことないよ」
陽向は夢中で星を眺めている。
そして、目をキラキラさせながら夜空の一点を指差した。
「あっ!アンタレス見っけ!」
南の空の低いところ。
ひとつだけ、赤く煌めく大きな一等星。
「蠍座の…心臓だね」
俊輔は穏やかな声で答える。
そして、夜空を指した。
「アンタレスから、こう…S字の形で星が並んでるの…わかる?」
俊輔の人差し指が、夜空へ向けてゆっくりとなぞる。
星と星を繋ぐように、宙へ軌跡を描く。
「……蠍座….?」
陽向はその指の動きを目で追う。
ひとつ。
またひとつ。
星を辿っていく。
「蠍座だ!見えた!私の蠍座見えたー!」
パッと顔が輝いた。
東京の夜空ではアンタレスは見えても、街の光にかき消されてしまい蠍座のS字の星の並びまではなかなか見えない。
でもここでは違う。
暗い山奥の夜空には、星座の形がそのまま浮かび上がっていた。
生まれて初めて、夜空の蠍座を見つけた瞬間、陽向はまるで宝物を見つけたみたいに歓喜の声を上げた。
その声は、静かな伊豆高原の夜にキラキラと弾けるように広がっていく。
夜空いっぱいに広がる星を見上げながら、陽向はしばらく黙っていた。
黒い空に散らばる無数の光。
静まり返った山奥の空気の中で、星たちはまるで息をしているみたいに瞬いている。
さっき見つけたばかりの赤い星、アンタレス。
その周りにゆるやかなS字を描く蠍座の星々。
陽向は、その並びをもう一度なぞるように目で追った。
そして、ふと小さく呟いた。
「でも私、友達から蠍座っぽくないって言われるんだよね。」
俊輔は星空から視線を下ろし、隣に立つ陽向を見る。
「そうなの?」
「うん。」
陽向は柵に腕をかけたまま、肩をすくめて笑う。
「蠍座の女の子ってよく、“知的でクールで落ち着いてる”とか、“ミステリアス”なんてイメージがあるんだけど….」
少し首を傾けて、俊輔の顔を覗き込む。
「それって私と正反対じゃね?」
その言い方があまりにも陽向らしくて、俊輔は思わず小さく笑った。
でもすぐに、その笑みは静かにやわらいでいく。
「………陽向はとっても知的だし、僕にはとってはすごくミステリアスだよ。」
陽向は目を丸くする。
「えー?どこが?」
「本や古文を語る時の陽向はすごく聡明だし、博識だなって思う。」
俊輔は夜空を見上げながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「感情を言語化するのが上手いし、文章を作るのも上手い。演説やスピーチの表現力も逸材。」
「褒め過ぎじゃね?笑」
月明かりに照らされた陽向の横顔が、少し照れくさそうに歪む。
「それに……」
そして俊輔は、少しだけ言葉を探すように視線を落とす。
夜の静けさが、ふっと二人の間に降りる。
遠くで木の葉が擦れる音が、かすかに聞こえた。
俊輔は柵に肘をついたまま、ゆっくりと言った。
「僕は高2の頃ずっと、陽向が何を考えてるのかわからなかった。」
俊輔の声は穏やかだったけれど、その奥にはどこか遠い時間を辿るような響きがあった。
「僕の事が好きって言ってる割には行動が違うし、いつも笑顔でいるのに、中学の頃や過去の話しになるとなんとなく…なんて言うんだろう…影が出る。」
陽向の瞳が、わずかに揺れた。
そんな自覚は無かった。
過去の自分は嫌いで、思い出したくもないような出来事ばかりだったけど、それを顔や態度に出しているつもりなんて微塵もない。
俊ちゃんは…どれだけ私の事を見てくれてるんだろう。
胸がじんわりと暖かくなる。
過去の傷も、痛みも、全てが星空の下で溶けていく。
「陽向が何を想っているのか、何がしたいのか、陽向の頭の中や心の中が見えなくて、知りたくて。」
夜風が、また静かに吹いた。
「そんなミステリアスなところに…僕はいつも不安で、怖くて、それでも確かめられなくて…」
俊輔は少し恥ずかしそうに笑う。
「ずっと陽向を、眺めている事しか出来なかった。」
夜のバルコニー。
星の海。
月明かり。
その中で、俊輔の言葉が静かに胸へ落ちてくる。
そして陽向は、ぽつりと聞いた。
「俊ちゃんて…いつから私のこと好きだったの?」
俊輔は一瞬、夜空を見上げる。
無数の星が、ゆっくりと瞬いている。
「んーいつからだろう…気がついたらって感じだけど、今思い返したら……」
そして、思い出を辿るみたいに言葉を続けた。
「結構前から好きだったかも。しかもかなり早い段階で。」
月明かりに照らされた笑顔が、少しだけ照れていた。
陽向の瞳が一瞬、大きく開く。
「えぇっ!?嘘でしょ!?」
「嘘じゃないよ。多分一学期で確実に好きだった。」
「えぇっ!?」
思わず声が弾む。
夜の静かな空気に、その驚きがぱっと広がった。
俊輔は苦笑する。
「じゃなかったら、去年の夏休みにあんなに陽向に会いに図書室通わないよ」
「信じらんない……」
月明かりに照らされたその表情は、驚きと喜びと、少しの混乱が混ざっていた。
「変に怖がってないで、もっと早くにこうして付き合っておけば良かったよ。」
俊輔はどこか悔しそうで、どこか照れくさい声音だった。
陽向はすぐに食い気味で返す。
「本当だよ!私は入学してすぐに好きって言ってたんだからねっ!」
「それは…ファンの好きでしょ?陽向に恋をしたのは僕が先。」
「いーや、私の方が先。」
「嘘つけー」
陽向がぷくっと頬を膨らませる。
「恋愛禁止の王子様だったくせに!」
俊輔は肩をすくめる。
「そんなの、周りが勝手に言ってただけだよ。」
夜のバルコニー。
静かな星空の下で、二人の笑い声が小さく弾けた。
その時──
ふわっ…
俊輔の腕がそっと、バルコニーの柵にもたれていた陽向の背後から回された。
突然の温もりに、陽向の身体が小さく揺れる。
俊輔の胸が、背中に触れた。
抱きしめられる腕の中は、夜風よりもずっとあたたかい。
月明かりの下で、二人の影がひとつに重なる。
俊輔は陽向を抱き寄せたまま、小さく笑った。
「僕はずっと、陽向に片想いしてたんだから。」
その声は、さっきまでの軽い調子とは違っていた。
少しだけ低くて、少しだけ真剣で。
ずっと胸の奥にしまっていた言葉みたいだった。
陽向は、抱きしめられたまま小さく呟く。
「……隠そうとしてたくせに…」
その声は拗ねているようで、でもどこか嬉しそうな照れ隠し。
星空の下、夜の静けさの中で、二人の鼓動だけが静かに重なっている。
俊輔は、陽向を包む腕の中を狭くして、もう少しだけ自分の身体を寄りかけた。
そして溢れる想いを抑えきれないように、そっと陽向の頬へ自分の頬をすり寄せる。
触れ合った瞬間、かすかな体温が重なった。
温かい、柔らかな温度。
頬と頬が触れるその距離は、胸の奥までじんわりと熱が広がっていく。
陽向の心臓が、トクンと強く鳴った。
その音は、きっと俊輔にも聞こえてしまいそうなくらい大きく感じられる。
(……ずっと……恋愛するのを抑えてたんだろうな……)
ふと、そんな思いが胸をよぎる。
誰のことも好きにならないと、朝比奈先輩に言っていた。
本当に、ずっと自分の気持ちを閉じ込めててきたのだろう。
でもいざ恋をしたら──
甘えん坊で。
寂しがり屋で。
ヤキモチ妬きで。
二人きりになると、すぐにこうしてくっついてくる男の子。
我慢していた時間を取り戻すみたいに。
胸の奥に溜めていた恋を、一気に解き放つみたいに。
海外進学という運命と一人孤独に戦いながら。
本当は、周りのみんなと同じように、当たり前に恋をして、手を繋いだり、ぎゅってしたり、甘えたり、ずっとそうしたかったんだろうな。
冷静で理性的な恋愛禁止の王子様は、実際蓋を開けてみれば。
誰にでもあるような気持ちを抱えた、普通の男子高校生──………
そこまでで、陽向の思考がぴたりと止まる。
(……普通の……男子……)
次の瞬間──
陽向の脳裏に、あの光景が鮮明によみがえった。
図書室。
誰もいない静かな空間。
突然、俊輔の影が覆い被さり──
触れた、唇。
記憶が、まるで巻き戻しみたいに鮮やかに再生される。
ボボボッ、と一気に顔が熱くなる。
耳まで真っ赤になっているのが、自分でもわかる。
(……俊ちゃん……キ……キスとか……したかったり……するの…かな……)
そんなことを考えた瞬間、意識が一気に現実へ引き戻された。
背中から回る俊輔の腕。
頬には、さっきからずっと俊輔の頬が触れたままの温度。
すぐ後ろにいる俊輔の存在が、急に強く意識される。
頬と頬が重なったまま。
その距離の近さに、全神経が集中してしまう。
(やばやばやばやば………)
少しでも横を向いたら、確実に死ぬ。
身体が、金縛りにあったみたいに動かない。
胸の奥で、心臓が激しく暴れ始める。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
今にも、口から飛び出してしまいそうだった。
俊輔の呼吸が、すぐ横でわずかに触れる。
その気配に、陽向の思考はぐちゃぐちゃになっていく。
このままだと——何かが………やばい。
そんな予感だけが、胸の奥で強く膨らんでいく。




