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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第二章〜高2編〜  作者: 波方 真季


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第67話 1日だけのプロポーズ


時刻は、午後四時へとゆっくり近づいていた。


高く昇っていた太陽は、もう少しずつ西へ傾きはじめている。

リビングの大きな窓から差し込む光も、昼間の真っ白な強さから、どこかやわらかな金色へと変わりつつあった。

窓の外から遠くに見える海は、昼間より少しだけ落ち着いた青に変わり、木々の隙間から覗くそのきらめきが、まるで二人だけの時間を静かに祝福しているみたいだった。


そんな光に包まれたキッチンで、二人は並んで立っていた。


「野菜切るの、適当でいい?」


陽向がまな板の前で振り返る。

ラフな口調なのに、その声にはどこか弾むような明るさがある。


「うん、陽向にまかせるよ」


俊輔も穏やかに返す。

その声音には、恋人への甘さが含んでいる。


俊輔は肉をパックから出し、丁寧に皿へ盛りつけていく。

一方の陽向は、皮を剥いた玉ねぎをまな板の上に置き、包丁を握りしめていた。

その手つきは、本人は真剣そのものなのに、どこか危なっかしい。


ダンッ!!


次の瞬間、やけに大きな音がキッチンに響いた。

玉ねぎは豪快に真っ二つにされ、包丁の余韻だけがまな板の上でびりっと残る。


「陽向!バーベキューの玉ねぎは縦じゃなくて輪切りじゃないの?」


俊輔が思わず顔を上げる。

驚き半分、微笑ましさ半分。

けれど、その視線の奥には“嫌な予感”が確かに宿っていた。


「え?」


陽向は本気で不思議そうに目を丸くした。


「輪切りって横ってこと?こう?」


そう言いながら、もうひとつの玉ねぎを手に取る。

まな板の上で玉ねぎはぐらぐらと不安定に揺れていて、陽向はそれを指先で必死に押さえつけながら、包丁を当てようとしていた。

その瞬間──


俊輔の背筋に、ヒヤッと冷たいものが走る。


「わー!陽向ー!包丁で切る時は猫の手って家庭科で習ったでしょー!!」


ほとんど反射だった。


俊輔は慌てて手を伸ばして陽向の手首を掴む。

その動きは素早かった。

包丁ごと取り上げるのではなく、まず“怪我しないように止める”というのが俊輔らしかった。


(やばい……陽向は手先がダメだった……)


そう思った瞬間、俊輔の脳裏に以前のデートの記憶がふっと蘇る。


あの時、パスタ屋さんで。

フォークで麺を巻けないと言って、恥ずかしそうに困っていた陽向。

ピザを頼んで、お箸でパスタを食べて、二人で半分こしたあのランチ。


可愛くて、愛しくて、でも少しだけ危なっかしくて。

放っておけない。

守ってあげたくなる。

そして、その守りたくなる気持ちが、俊輔の胸の奥で静かに熱を持って広がっていく。


(陽向に包丁を使わせるのは、絶対に間違いだ……)


俊輔は苦笑いを浮かべながら、やさしく提案した。


「野菜切るのは僕がやるから……陽向は冷蔵庫から他の野菜出して、洗って皮剥いてくれるかな?」


「り。」(了解)


陽向は素直に頷いた。

その返事があまりにも軽くて、俊輔は思わず小さく笑ってしまう。


役割交代。

俊輔が包丁を持ち、陽向がシンクの前へ立つ。

水道から流れる水の音。

野菜を洗う音。

包丁が、今度はぎこちないリズムでまな板を叩く音。

さっきまでどこか危うかったキッチンの空気が、少しずつ穏やかに整っていく。


肩が触れそうなくらい近い距離。

同じ空間で、同じ夕方の光を浴びながら、二人で晩ごはんの準備をしている。


それだけで、どうしようもなく満たされる。

ふいに陽向が、手を動かしながらぽつりと言った。


「なんか新婚さんみたいだね。」


その何気ない一言は、冗談みたいに軽いのに、俊輔の胸の奥へ真っ直ぐ落ちた。


心臓が、トクンと大きく跳ねる。


「陽向が奥さんだなんて幸せだな。」


自分でも驚くくらい、素直な言葉が出た。

照れ隠しも、理屈も挟まずに。

陽向はくすっと笑う。


「俊ちゃんがニューヨークに行かない世界線だったら、結婚してるかな?」


その言葉の中には、冗談と夢と、少しだけ現実への寂しさが混ざっていた。

俊輔の手が、包丁を動かしながら一瞬だけ止まりそうになる。


──ニューヨークに行かない世界線。


そんなものが本当にあるなら。

今ここで、こんなふうに期限付きみたいな恋を抱えていなくていいのなら。


どれだけよかっただろう。


すぐに俊輔は答える。


「絶対してる。陽向に絶対プロポーズする。」


その言葉には、迷いがなかった。

もし別の未来があったなら、という仮定の中ですら、陽向を選ばない未来なんて、もう想像できなかった。


陽向は嬉しそうに笑いながら、でも少し茶化すように続ける。


「でも俊ちゃん屁理屈くんだからなぁ〜。色々慎重そうだから、きっと待ちきれなくて就職したらすぐに私がプロポーズしちゃうよ」


「屁理屈くんってなんだよー」


俊輔は苦笑しながらも、つい真面目に返してしまう。


「就職してすぐなんてだめだよ。結婚式の資金とか、子どもの教育費の貯蓄とか、マイホームの住宅ローンのこととか、マネープランをちゃんと組み立ててからにしないと!」


理屈っぽい。

でもそれは、大切な人と未来を作るために、ちゃんと守れる形で迎えたいからだ。

その真面目さが、いかにも俊輔らしい。


「そんなの待ちきれないよっ!」


陽向はそう言うなり、突然俊輔の背中へぎゅっと抱きついた。


「わっ!陽向!包丁使ってるんだから危な──」


慌てる俊輔の横から、ひょこっと陽向の顔が現れる。

無邪気で、眩しくて、どうしようもなく愛しい笑顔。




「今日だけ私と結婚して下さい。」




その一言に、俊輔の世界が一瞬止まる。


「………っっっ」


心臓が、暴れるように跳ねた。

喉が熱くなる。

頬が一気に火照る。


たったそれだけの言葉なのに、胸の奥のいちばん柔らかい場所を、真正面から撃ち抜かれた気がした。


あまりにも不意打ちで。

あまりにも陽向らしくて。

あまりにも、幸せだった。


「あはは、人生初プロポーズしちゃったっ!」


陽向は、本当にただ楽しそうに笑っている。

その無邪気さが、また俊輔にはたまらなかった。


高鳴る胸をどうにか押さえながら、俊輔は必死に言葉を探す。


「…陽向…プロポーズは普通のひとは人生で初の一回きりだよ……」


「やば!権利使っちゃった!」


「いや、回数権利とかは無いけど……」


俊輔の苦笑に、陽向の笑い声が重なる。


「いいじゃん1日だけのプロポーズなんだから。明日離婚しよ。」


「離婚は別にしなくてもいいんじゃない?」


二人の笑い声が、夕方のキッチンにやわらかく弾けた。

包丁の音も、水の音も、笑い声の中に溶けていく。


それはまるで、おままごとみたいな一日だけの新婚生活。


でも、胸の奥に広がる幸福感だけは、おままごとなんかじゃなくて。

本物みたいに甘くて、熱くて、少しだけ切なかった。


期限のある恋。

残り時間を数えてしまう恋。

それでも今だけは、二人とも、そんなことを忘れていた。


同じキッチンに立って、同じ夕陽を浴びて、同じ未来を冗談みたいに口にして笑い合う。


その一瞬一瞬が、あまりにも愛しくて。


二人は、おままごとみたいなその甘い幻想に、静かに、でも確かに酔いしれていた。





準備は揃い、いよいよ始まるバーベキュー。


食材や飲み物をトレーに乗せて運びながら、二人はテラスへ出る。


外の空気は、昼間の強い熱が少しだけ抜けていて、代わりに海からの風がやわらかく頬を撫でていた。

芝生の向こうでは、遠くの海が夕陽を受けてゆっくり色を変えている。


俊輔は備え付けのバーベキューコンロの前にしゃがみ、ダイヤルを回した。

ボッ、と小さな音がして、グリルの下に青い炎が一気に灯る。


「え、ガス?」


「うん。炭で焼いた方がバーベキューは美味しんだろうけどね。」


陽向が少し驚き、俊輔は苦笑する。


「でも火起こすの難しそうだよね」


「まぁ僕らには無理だろうね」


二人は顔を見合わせて、思わず笑った。

今回の旅で改めて気づいた事は、お互いの生活力が低い事。

それでもこうして、並んで準備をして、笑いながら食事を作っているだけで、妙に満たされた気持ちになる。


俊輔はグリルに肉を並べ、陽向は切った野菜を皿からトングで乗せていく。

ジュッ、と小さく音がして、肉の表面から脂が弾けた。

その匂いに陽向の目が輝き、トングで掴んだ肉を皿に取る。


「陽向、それまだ焼けてなくない?」


「レア派!」


「お腹壊すよ?」


「私胃腸最強だから」


「陽向は色んな最強がいっぱいだね」


そんな何気ない会話が、夕暮れの空気にやわらかく溶けていく。


空は少しずつ赤く染まり始め、海はオレンジ色の光を映して静かに煌めいていた。

テラスの木の床には、夕陽の光が長く伸びている。


「うわ…っ!このウィンナー辛い!」


突然陽向が声を上げ、慌てて水を探す。


「え?嘘?」


「まじまじ!んっ!」


陽向はかじったソーセージを、そのまま俊輔の口元へ寄せていく。

あまりにも当たり前のような動作。


困ったように寄せた眉。

辛さに涙目になりかけた表情。

それが子供みたいで、どうしようもなく可愛い。


俊輔は思わず表情が緩んでしまう。

少し照れながら、小さく口を開ける。

陽向は当然のように、そこへソーセージを入れた。


「そんなに辛くないけど…陽向辛いのだめなの?」


「うん…結構だめ系…」


俊輔は皿の上のソーセージを見て言った。


「3種類の味の詰め合わせだったから、こっちのハーブとプレーンのウィンナー食べな。どっちがいい?」


「ハーブ!」


陽向は少し顎を前に出して、口を開く。

まるで餌を待つ小動物みたいだった。

俊輔は思わず笑いながら、端ででソーセージをつまむ。

そして、そっと陽向の口へ入れてあげた。


「うま!」


陽向は目を細めて、美味しそうな表情で嬉しそうに笑った。

その無邪気な表情に、俊輔の胸の奥がじんわり温かくなる。


(いちいち可愛いな…)


思わず見つめてしまう。


笑った顔も。

仕草も。

声も。


全部が愛しくて仕方ない。


陽向はふと、手元のコップを持ち上げた。

グラスの中の氷は、夕方の空気の中で少し溶け始めている。


「氷足そ。俊ちゃんのも入れるね」


そう言って陽向は立ち上がり、自分と俊輔のコップを持って冷蔵庫の方へ歩いていった。


テラスの端に置かれた冷蔵庫の前で、下段の冷凍庫の引き出しを開ける。

氷を取り出そうとして、陽向は軽く膝を曲げて屈み込んだ。


──その瞬間だった。


背後から見える浅いデニムの腰が、屈む動きと同時にぐっと下がる。


ピンクのインナーが、広い範囲で露出した。


柔らかな丸みを描く腰のライン。

その中央、尾てい骨のあたりまでが、夕暮れの淡い光に照らされている。


そしてそのすぐ下。


布の境界線の奥から、今にも隠れている部分が顔を覗かせそうになっていた。


俊輔の思考が、一瞬で停止する。


「陽向…っ!」


反射的に声が出た。

突然呼ばれた陽向が、振り返る。

その動きと同時に──


バッ


俊輔は、咄嗟に自分のパーカーを脱いで陽向へ投げた。


「っ!」


突然飛んできた布を、陽向は反射的に受け止める。


「え?」


キョトンとした顔で俊輔を見る陽向。

俊輔の心臓は、ありえない速度で跳ねていた。


(……もう……しんどい……!)


必死で平静を装いながら言葉を探す。


「ひ、陽が落ちて来たから……っ」


夕焼けの光は確かに柔らかくなっていた。

でも本当の理由は、まったく別だった。


「冷えるといけないから、それ着て!」


俊輔の声には、普段より少し強い必死さが混ざっていた。


「火使ってるから寒くないよ?」


「これからもっと涼しくなるから!」


俊輔は、ほとんど懇願するように言った。


「うん…ありがと…」


陽向は素直に頷き、パーカーを羽織る。

ふわっと包まれる彼の体温とその香り。


胸の奥が、じんわり温かくなる。


まるで──

俊輔に抱きしめられている時みたいな、あの安心する温もりだった。


コップに氷を入れた陽向はソファに座る俊輔の隣に戻る。

俊輔は、静かに息を整えながら手を伸ばす。


ジーッ──


そして、鼓動を抑え込むように陽向のパーカーのジッパーをそっと引き上げた。


「冷えちゃうからね。」


俊輔の焦りを知らない陽向は、優しい彼氏の思いやりに胸をあたたかくする。


「俊ちゃんは寒くない?」


「今は大丈夫だから着てていいよ。」


丈の少し長い、サイズの合わない袖が指先を隠している。

自分の大きめな服に身を包み嬉しそうに笑う彼女のその姿が堪らなく可愛い。


「もう少し寒くなったら、自分のパーカー取りに行くからね。」


そう言って、何も知らずに陽向は笑う。

俊輔は、この戸惑いが悟られてしまいそうで、思わず目を逸らす。


「うん……」


トクン


トクン


俊輔の胸の奥では、まだ鼓動が落ち着いていなかった。


(…こんな調子で………夜…大丈夫かな……)


そんなことを考えてしまう自分に、怖くなる。


それでも。

隣に座る陽向の存在が、胸の奥を甘く満たしていた。


時間を忘れてしまいそうな、甘いひとときだった。


気がつけば、空の色はすっかり変わっていた。

夕陽は完全に沈み、空は深い群青色へと変わっている。

庭のあちこちに設置されたソーラーライトのやわらかな光で、芝がロマンチックにライトアップされていた。

木の葉の影が揺れ、テラスはどこか幻想的な空気に包まれている。


午後7時半。


何気なく陽向が空を見上げたその瞬間。


「わぁー…!星やばぁーーー!!」


夜空には、無数の星が散りばめられていた。

東京ではなかなか見られないほど、くっきりと輝く星たち。

まるで夜空そのものが、静かに瞬いているみたいだった。


俊輔も空を見上げる。


「照明を落として、2階のバルコニーから見るともっと凄いよ」


「見たい!!」


陽向は振り返りながら言う。

瞳が星みたいに輝いていた。

俊輔は微笑む。


「うん。そろそろ片付けして、お風呂入ったり寝る支度してから二階に上がろうか。」


「うんっ!!」


陽向は勢いよく立ち上がる。

俊輔も同時にテラスのソファから腰を上げた。


二人で交わした星空の約束。


それが今、叶おうとしている。


伊豆高原の、誰も来ない静かな山奥。

街の灯りも、雑踏もない場所で。


二人きりのロマンチックな夜が、静かに始まろうとしていた。


星に満ちた空の下で。



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