第48話 完全に、やらかした
そして翌日──通学電車。
窓の外を流れる景色は白く霞んで、まだ完全に目覚めきっていない街が、ゆっくりと後ろへ流れていく。
ガタン、と車体が揺れる。
陽向は、いつものようにスマホを眺めていた。
指先で画面をスクロールして、なんとなく時間を潰す。
──ポン。
通知音。
画面の上部に表示された名前に、心臓が一拍跳ねた。
俊輔から、おはようスタンプの直後に、短い文字。
“電車、何分着?”
胸の奥がふわりと熱を帯びる。
陽向は返信を打つ。
“8:10だよー”
送信。
すぐにまた通知。
“じゃあ改札で待ってるね”
「えっ!?」
思わず声が漏れた。
車内のざわめきが一瞬だけ遠のく。
「なんだよ」
隣に立つ朔也が、面倒くさそうに横目を寄越す。
「……先輩が……改札で待ってるって……」
「は?なにを?」
「私に決まっとるだろうが!」
「まだ現実逃避してんのか?」
「してねーわ!」
いつものテンポ。
いつもの言い合い。
陽向の胸の奥では、鼓動がやけにうるさい。
(改札で……待ってるって……)
それはつまり。
公然の“彼氏ムーブ”。
電車は減速し、ブレーキ音が低く鳴る。
扉が開くと、朝の冷たい空気が流れ込んだ。
改札前。
人波に押されながら、二人で同時に改札を抜けた、その瞬間。
「陽向!」
真っ直ぐな声。
迷いなく、名前を呼ぶ声。
陽向と朔也は、同時に振り向いた。
(…陽向〜〜〜〜〜!!??)
朔也は本当に現れた俊輔の姿と、名前呼びに衝撃を受ける。
「俊くん!おはよー!」
(…俊くん〜〜〜〜〜!!??)
朔也の首が、グリンッと音を立てる勢いで横の陽向へと向いた。
朔也の脳内で、警報が鳴る。
(ど、ど、どーなってんだよ…まさか…まさか…本当に……)
陽向の横で、口をパクパクさせている朔也へ、俊輔は柔らかく微笑んだ。
「黒川くん、おはよう。」
爽やか。
完璧。
いつもの藤崎俊輔。
なのに。
「…藤崎先輩…まさか…え…本当に…こいつと…つつつ、付き合っ…て……?」
陽向を指す朔也の指先は、目に見えて震えていた。
俊輔は、一拍置いて──
ニコリと笑う。
「うん。付き合ってるよ?」
ピシャーーーーーーーーーーン!!!!!
脳内で雷が落ちる。
世界が白く弾ける。
朔也、思考停止。
「ほらーだから本当だって言ったじゃん!」
「え?信じて貰えてなかったの?」
「…い、いや…ひなのことだから…てっきり妄想だと……」
(………ひな…?)
俊輔の胸の奥に、ほんの小さな違和感が走る。
その呼び方。
距離の近さ。
しかし俊輔は、それを表に出さない。
「じゃ、行こっか」
「はいっ!」
陽向の返事は、弾む。
二人は並んで歩き出す。
その背中を見ながら、朔也は立ち尽くしたまま。
(……嘘だろ……あの……藤崎…俊輔が…?)
朔也はその光景に、現実味が帯びない。
足元がぐらつく。
「あ!ちょっと一瞬待ってて!」
「え?はい…」
俊輔は突然くるりと振り返り、朔也へ駆け寄った。
俊輔の顔が、朔也の耳元へ近づく。
吐息が、かすかに触れる。
「僕の彼女を、こいつって言うのやめてくれない?」
その声は低くて、静かで、温度がなかった。
「…………っっっ!!!!」
背筋に、冷たいものが走る。
離れた瞬間、俊輔は何事もなかったように微笑んだ。
完璧な笑顔。
俊輔は、何もなかった顔で陽向の隣に戻る。
「朔也が、どうかしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
二人は自然に並び、歩き出す。
その背中が、やけに遠い。
(…な……なんだ………誰なんだよ……あいつは……)
朔也の全身に震えが走る。
本当にあれは……
藤崎俊輔なのか?
学校一のアイドル。
キラキラで。
爽やかで穏やかで。
誰にでも平等で。
感情を乱さず。
完璧で。
遠くて。
神様みたいな存在。
その神様が──
完全に“男子”だった。
いや、もはや“雄”。
(僕の彼女を、こいつって言うのやめてくれない?)
「……く……っぐぐ……っ」
声にならない。
朔也の拳が、ぎり、と音を立てる。
爪が、掌に食い込む。
呼吸が浅くなる。
胸の奥で、何かが焼ける。
“僕の彼女”
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
「…お前の……彼女である……以前に……」
喉の奥で、感情が暴れる。
(ひなは胎児の頃から、俺の幼なじみだーーーーーーー!!!!!)
心の中で、絶叫が弾けた。
朝の光は、容赦なく明るい。
新学期の空は、やけに青い。
しかし、朔也の胸の中だけ、嵐が吹き荒れていた。
まさか、こんな事になるなんて。
本当に、1ミリも予想していなかった。
だって“彼女を作らない”で有名な、学校一のアイドルだったから。
恋愛禁止の王子様。
誰にでも平等で、誰にも深入りしない。
遠くて、完璧で、手の届かない存在。
それを、幸いだと思っていた。
ひなの先輩への恋を、利用した。
垢抜けさせて。
前を向かせて。
現実へ引きずり出して。
生徒会にぶち込んで。
デートに送り出して。
告白させて。
立ち直らせて。
どうせ叶わない恋だと思ってた。
諦めて戻ってきたひなが、その時落ちるのは…
──俺だと。
確信して、疑わなかった。
だって、ひなには俺しかいなかった筈だ。
夜中に突然不安になることも。
強がって笑うくせに、一人になると泣くことも。
誰かの一言を何日も引きずることも。
それでも必死に前を向こうとすることも。
全部、俺が隣で見てきた。
そんなあいつの弱さも、強がりも、不器用さも、本気になると一直線なところも。
俺しか知らない筈だった。
こんなの………完全に誤算だ。
なんでひな?
美人でもない。
可愛げもない。
おっちょこちょいで。
間抜けで。
落ち着きもない。
なんで藤崎俊輔が?
なんでひななんだ?
ひなの良さは………俺しか知らない筈なのに。
「俺も……ピエロじゃん。」
乾いた声が、誰にも届かず落ちる。
(……ピエロじゃん…)
元彼女、朱里に別れ際に吐き捨てられた言葉。
それが今、朔也の胸を刺した。
朝の光が眩しい。
こんなに明るいのに、胸の奥は、夜みたいに暗い。
桜はもう散り際で。
春はちゃんと前に進んでいて。
世界は何も間違っていないのに。
間違っていたのは──
俺自身だった。
「完全に…やらかした。」
俺が押した背中は、俺の方を向くことなく、
まっすぐ前へ進んでしまったのだから。
駅から学校へ向かう通学路。
さっきの改札の出来事が、まだ俊輔の胸の奥に余熱を残していた。
隣を歩く陽向を横目で見た。
いつも通り笑っているのに、胸の奥のどこかが小さくざわつく。
俊輔は、歩幅をほんの半歩だけ緩めて、静かに口を開く。
「陽向はみんなから“陽向”って呼ばれてるのに、黒川くんだけ“ひな”って呼ぶんだね」
声は柔らかい。
けれど、どこか探るような温度を含んでいた。
陽向はきょとんとした顔で答える。
「あー幼なじみなんです。小さい頃の名残りで。」
本当に、なんでもないみたいに。
その“それが当たり前”さが、逆に刺さる。
「ふーん……」
俊輔は視線を前に戻す。
別に怒っているわけじゃない。
責めたいわけでもない。
でも──
面白くない。
俊輔は、ふいに足を止めた。
そして、腰を折って陽向の顔を覗き込む。
「嫉妬しちゃった。」
いたずらっぽく、でもどこか本気で上目遣いに笑う。
「………っっっっ!!!!」
陽向の思考が爆発する。
(だーーーーーーーーーっっっっ!!!!)
心臓が暴走列車。
血液が全身を駆け巡る。
顔が近い。
俊輔の吐息が頬に触れそうな距離。
(…だからこれは………誰なの……?)
恋は、こんなにも急に距離を変える。
そして人格も別人のように変える。
甘くて。
眩しくて。
少しだけ、怖い。
そして、正門が近づくにつれて、通学路には生徒が溢れ出す。
そして──
「藤崎くん!おはよー!」
「ねえ数Ⅲの課題、最後の極限どうやって解いた?答え合わないんだけど!」
「物理のレポートもう出した?あれグラフ手書き?Excel?」
途端に、次から次へと集まる女子達。
笑顔、視線、期待。
その全部が、自然と俊輔へ向かう。
「英語のプレゼンテーマもう決めた?私まだ全然なんだけど!」
「ちょっと待って、化学の有機のとこさ、構造式エグくない?」
みんなに頼られている、太陽みたいな人。
その光を求めて、みんなが自然と集まってくる人。
陽向は、俊輔の肩から一歩距離を開ける。
スッ…と、息を潜めるように。
存在を薄くするみたいに。
「藤崎くんってさ、模試どこ受ける予定?」
その瞬間、女子の肩が陽向と俊輔の間に入り込む。
陽向は小さくなる。
気配も、足音も。
後ろへ。
一歩。
また一歩。
自分から輪の外へ後退していく。
(3年女子軍団、気まず。)
だって彼は学校一のアイドルで。
私なんかが隣にいるのはちょっと違う。
「あれ?陽向?」
俊輔が、ピタリと立ち止まる。
その一言で、空気が変わる。
俊輔が振り返ると、女子達も一斉に振り返る。
無数の視線。
「………〜〜〜〜っ」
陽向は小さく首を振った。
両手をひらひらと振る。
ジェスチャーで、“私を空気にしてくれ”のサインを俊輔へ伝える。
「…………。」
俊輔の眉間に、ほんのわずかに力が籠った。
むくれるように拗ねたみたいな色。
そして肩をすかしながら、ふっと息をついて微笑んだ。
決めた顔。
次の瞬間、俊輔は女子の輪を抜けて陽向の元へ一直線に駆け寄った。
ガシッ。
「………っっっ!!!」
俊輔は唐突に、陽向の手を繋ぐ。
「え?」
「は?」
「なんで?」
女子達の声は、突然の出来事に何が起きたか
わからないような響き。
俊輔は、迷いなく陽向の手を握り込んだ。
指と指を絡める、逃げ場のない繋ぎ方。
「ちょ、え、俊くん…!?」
パニックの陽向をそのまま引き寄せる。
女子達の輪を割いて。
視線を裂いて。
堂々と手を繋いだまま、正門をくぐる。
二人に突き刺さる無数の視線。
ざわっ。
ざわざわっ。
空気が震える。
「えぇ!?」
「はぁ!?」
「どゆこと!?」
驚愕の波が広がる。
有名な人気トップ生徒会長の、見た事もない驚きの光景に、通りすがる生徒達がどよめく。
「ま、待って…!俊くん!めっちゃ見られてるって!」
俊輔は歩みを止めない。
指の力も緩めない。
昇降口へ突き進む俊輔は、決して陽向の手を離そうとしない。
「なんで?付き合ってるんだから、別にコソコソする必要なくない?」
(は!?まじで言ってんのこの人!?)
心臓が爆発している。
三年と二年で下駄箱が分かれる境界線。
ざわざわ。
視線の密度が増す。
陽向は全身から冷や汗が噴き出し、顔が焼けるように熱い。
登校する生徒達が、硬く手を繋いだままの俊輔と陽向に一斉に注目していた。
俊輔は、周囲をチラッと見る。
そして──
悪戯に笑った。
その瞬間。
ぎゅっ──!
突然、陽向の身体を引き寄せる。
「また後で、新入生オリエンテーションでね!大好きだよっ!陽向!」
抱き締める腕の強さ。
胸板の硬さ。
制服越しの鼓動。
陽向の脳はキャパを超えてオーバーヒートした。
世界が真っ白になる。
(………や………やらかしやがった……………)
「「「「ギャーーーーーーーー!!!!!!!」」」」
女子達の悲鳴が昇降口に反響する。
俊輔は、周囲の目を一切気にしない。
完璧な優等生の仮面は、もう被らない。
隠す必要なんてない。
自分を繕う意味なんてない。
だって、一年間しかない恋だから。
隠してる時間なんて、もったいない。
この想いを全部曝け出して。
全力でこの気持ちを、真っ直ぐにぶつて。
好きだと叫べる瞬間を一秒でも多く、取りこぼしたくない。
周囲の視線より。
評判より。
噂より。
周りの目を気にして、“大好き”を伝えられないなんて嫌だから。
完璧じゃなくていい。
求められる姿じゃなくていい。
ありのままの自分でいいんだよ。
それを教えてくれたのは、陽向だから。
陽向はずっと今まで、僕に真っ直ぐだったから。
だから今度は──
僕が全力で、好きな人に真っ直ぐに、好きだと言う番だ。




