第47話 先輩との交際は、前途多難です!!!
その後──ディンバードーナツ。
いつもの席。
いつもの顔ぶれ。
いつもの軽口。
なのに、たった一つの通知音で、空気は簡単に形を変える。
ポン。
咲のスマホが小さく震えた。
彼女は何気ない仕草で画面を開き、次の瞬間、目を丸くする。
「ありゃ。陽向、藤崎先輩と一緒にお昼食べ行ってそのまま帰るって!」
「「はっ!?」」
蒼太と朔也の声が同時に裏返った。
「放課後デートやん♡」
咲は声を弾ませた。
蒼太は眉を寄せて、朔也へ向けて首を傾げた。
「今までそんな事あったか?」
朔也は答えない。
ストローを噛み、氷の音だけを鳴らす。
「ったく。思わせぶりな、恋愛禁止の王子様だな」
吐き捨てた言葉は軽口の形をしているのに、胸の奥には微かな棘が刺さっていた。
あからさまな不機嫌を、わかりやすく顔に出す。
まさかこの時──
陽向に人生初彼氏が出来たことを、朔也は知る由もなかった。
翌日、昼休み────────。
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、廊下の空気が一気に騒がしくなる。
教室から溢れた人の波。
学食や購買へ向かう足音。
笑い声。
「コホン。えーご報告があります。」
言葉は“発表”なのに、声は少し震えている。
その震えを誤魔化すみたいに、陽向は背筋を伸ばし、朔也・蒼太・咲の三人へかしこまった。
「なんだよ改まって」
朔也は少し面倒くさそうに小さく息をついた。
「…実は……昨日……」
陽向は頬がほんのり赤い。
でも、それは照れなのか、緊張なのか、興奮なのか。
全部混ざって、本人もわかっていない。
そして──息を吸って。
「…藤崎先輩と付き合いましたっっっ!!」
世界が一拍、止まった。
「「「…………は?」」」
三人の声が、きれいに揃って廊下に落ちる。
咲の口が半開きのまま固まっている。
蒼太の瞳がゆっくり瞬きして“処理中”の顔になる。
そして朔也だけが、固まったまま一瞬、呼吸を忘れた。
「陽向、頭でも打った?」
「お前の妄想に付き合ってる暇はねーんだよ」
「五月病か?まだ4月だぞ」
矢継ぎ早のツッコミ。
揃いも揃って口々に、まるで信じる気配は無い。
「ほ、本当だってば!昨日告られたの!図書室でっ!」
陽向は必死に言う。
けれど朔也の顔からは、色がすっと消えていく。
そして──爆発。
「ふざけんな!なんで藤崎先輩ほどのモテ男がお前みたいなブスに告んだよ!調子乗ってんじゃねーよ!」
「はぁー?調子乗ってねーわ!ブスだろうがなんだろうが、藤崎先輩は私が好きなんだよっ!!」
廊下の空気が、ピンと張った。
冗談で済む温度じゃない。
「……お前…っ…どんだけ人が……っ苦労して……」
絞り出す声は、苛立ちで震えていた。
咲が、空気を読んで割り込む。
「さ、朔也ー?とりま一旦待とうかー?」
咲は笑ってる。
でも、その笑顔は“止血用”の笑顔だった。
朔也は止まらない。
「俺がどんだけ病んでるお前をここまで持ち直させたと思ってんだ!現実逃避すんのも大概にしろ!!」
「だから!現実逃避じゃないってば!!」
陽向の話しに、朔也は全く聞く耳を持たない。
「俺は!絶対!信じない!お前なんか、一生妄想の世界で生きてろバーカ!!」
吐き捨てて、朔也は踵を返した。
教室へ戻っていく背中が、やけに遠い。
((あーーーー……カオス……))
咲と蒼太は顔を見合わせて、目だけで会話した。
朔也のメンタルがやばいと、二人とも理解している。
置き去りにされた陽向の呼吸が荒くなる。
悔しい。腹が立つ。
その感情を怒鳴り声に変える。
「うっざ!!!!なんであんな事言われなきゃなんないわけ!?死ねーーーーーーー!!!!」
陽向の叫びは、廊下に響き渡った。
咲が、少しだけ真顔で陽向を見る。
「陽向…本当に告られたわけ?藤崎先輩に」
「もう!咲まで!なんで疑うのおぉぉ〜」
陽向は半べそ状態だった。
怒りの奥から、泣き声が滲む。
蒼太が静かに言った。
「だって藤崎先輩、前に彼女作らないって女の副会長に宣言してたんだろ?それでなんで陽向に?って、そりゃ思うだろ」
「あぁ!それはね!実は……」
陽向は二人へ、俊輔が“恋愛禁止の王子様”だった理由を伝えた。
そして──
この交際は、一年間限定であるということも。
咲の目が一気に潤む。
「なにそれーーーやばーーーエモーーー!!!」
蒼太は静かに頷く。
感情より先に、理解が入るタイプの目。
「なるほどな…藤崎先輩が彼女を作らないって決めてたのは、誰の事も傷つけない為の自己抑制だった…ってわけか。」
咲は両手で口元を覆い、泣きそうに笑う。
「ねーーー藤崎先輩イケメンーーー泣けるーーーそんなのしんどいよーーーー」
蒼太は、陽向をまっすぐ見た。
「陽向は……それでいいのか?」
「ん?なにが?」
「付き合ったりなんかしたら、逆に余計しんどくなんねぇか?」
陽向の笑顔が、一瞬だけ揺れる。
未来を想像しないわけじゃない。
しんどくなるのなんて、当たり前に決まってる。
余計に傷つく事もわかってる。
今よりもっと好きになって、きっともっと辛くなる。
胸が裂けるほど痛い日が、一年後には必ず来る。
それでも──
陽向は、ゆっくり、ちゃんと、自分の気持ちを抱えて笑った。
「それでも先輩の彼女になりたかったから、それでいいっ!」
それでも、先輩の隣にいたいから。
「…そっか…陽向らしいな。」
その言葉は、覚悟の音だった。
蒼太はふっと息を吐いて、優しく笑う。
「恋愛禁止の鉄則をぶち壊して、王子様を撃ち落としたね!さっすが!陽向クオリティー!!いぇーい!!」
「いえーい!!」
ハイタッチの音が、乾いた廊下に軽く響いた。
その瞬間だけ、世界が少し明るくなる。
「じゃ、先輩とお昼カフェテリアで約束してるから、行ってくるね!」
「えー行っちゃうのー寂しー」
「蒼太と一緒にランチして!」
「蒼太、お昼一緒に食べよ♡」
「え、あぁ…」
蒼太は小さく頷きながら、胸の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じていた。
陽向は去り際に、ふと朔也が入っていった教室の扉に視線を投げた。
憎まれ口に、腹は立つけど──
先輩と付き合えたのは、これまでずっとこの恋に。
私の背中を押し続けてくれた、朔也がいたからだ。
そしてその同じ廊下の先で──
朔也は、教室の扉の前で立ち止まったまま、拳を握りしめていた。
(…まさかな……絶対……ありえないだろ……)
あの藤崎先輩が?
学校一のアイドルだぞ?
なんでわざわざひなを好きに?
もはや笑える。
俺はそんなの、信じない。
────────。
その日の放課後。
図書室は、昼のざわめきを失い、静かな海みたいに凪いでいた。
高い窓から差し込む西日が、長机を斜めに切り取り、埃がゆっくりと光の中を漂っている。
「ニューヨークですか?」
並んで座る距離は近いのに、さっきまでの恋人の空気とは少し違う静けさがあった。
俊輔は、小さく頷いた。
「うん。祖父が現地で起業して。」
「えーおじいさん、すご!」
思わず弾む声。
しかし俊輔は、ふっと視線を伏せた。
「高校入学してすぐの頃、祖父が急に亡くなって…それで、父が会社を継ぐ事になって。」
その声の温度が、ほんの少しだけ変わる。
夕陽が彼の横顔を照らす。
まつ毛の影が、頬に細く落ちている。
「途中でニューヨークへの編入は色々とハードルが高くて…父は単身でニューヨークへ。母は、僕の卒業まで日本に残って。」
淡々と語っているのに、その奥にある時間の重さが伝わる。
家族が離れ離れになる決断。
突然の喪失。
予定していなかった未来。
「だから卒業したら、向こうの大学へ通いながら、父の下で経営を学ぶ事になってるんだ。」
俊輔は笑顔を見せる。
でもその笑顔は、どこか遠い。
「…先輩……ニューヨーク企業の次期社長ってことですか!?先輩って御曹司だったんですね……」
陽向の言葉に、俊輔は小さく笑いながら答えた。
「そんな大企業でもないから。」
窓の外を一瞬見る。
視線の先は、もっと遠い場所を見ているみたいだった。
「将来的にはその予定だったから、この国際高校に。祖父がこんなに早く亡くなるとは家族は思ってなかったから、本来向こうに行くのは、まだまだ先の話しだったんだけどね。」
俊輔は、そう言って笑った。
いつもの、整った笑み。
けれどその奥に、ほんの少しだけ影が揺れている。
窓の外では、夕陽が傾きかけていた。
オレンジ色の光が、彼の横顔を柔らかく照らす。
長い睫毛の影が、頬に細く落ちる。
“まだ先だったはずの未来”。
それがある日突然、現実になった。
図書室の静けさが、少しだけ重くなる。
陽向は、俊輔の横顔を見る。
いつも冷静で、完璧で、揺るがない人。
誰よりも理性的で、誰よりも誠実で、誰よりも遠い人。
でも今は、ほんの少しだけ、背負っているものの重さが見えた。
(この人……)
ずっと、こうやって自分の感情を後回しにしてきたんだ。
恋をしないと決めたのも。
誰も好きにならないと言ったのも。
全部、自分の未来がもう決まっていたから。
好きになってはいけない、と。
自分が傷つかない為に。
誰の事も傷つけない為に。
陽向の胸が、熱くなる。
寂しいのは、自分だけじゃない。
先輩は。
卒業後、ここを離れる覚悟を、ずっと一人で抱えていた。
夕陽が、二人の間に細長い影を落とす。
その影は、いずれ訪れる別れみたいで。
陽向は、喉の奥に溜まった何かを飲み込んで、そっと口を開いた。
「……私、応援します!」
遠い国。
家族の会社。
社長になる未来。
そして──
ここを離れること。
「先輩がニューヨークへ行っても、ずっと日本から先輩の事、推して、推して、応援し続けます!!」
俊輔は、少しだけ驚いた顔をして、そして静かに笑った。
「ありがとう。」
陽向の言葉は、あまりにも素直で真っ直ぐで。
俊輔の胸が、ぎゅっと締め付けられた。
この人は、未来から逃げない。
だから私は──
この人との別れから、逃げない。
寂しくても。
悲しくても。
辛くても。
最後の日は。
“絶対、死んでも笑顔で”。
先輩の背中を、未来へ押すんだ。
それが、先輩の彼女としての覚悟。
夕陽が、そっと二人を包む。
その温度の中で。
俊輔は目を伏せて、小さく息を吐いた。
その息は、長い間胸の奥に溜めていたものが、やっと外へ出たみたいだった。
俊輔は、ふいに空気を切り替えるみたいに、口を開いた。
「ねね陽向。先輩ってやめない?」
(ひ、陽向……!!??)
一瞬、世界が止まる。
突然、俊輔の口から飛び出した名前呼び。
陽向の心臓が飛び跳ねる。
「え……なんて……お呼びしたら……?」
声が裏返りそうになるのを、必死で堪える。
俊輔は、少しだけ意地悪く笑った。
「俊輔って、言ってよ」
「むむむ、無理ですよ!!そんな、尊い先輩を呼び捨てになんて出来るわけないじゃないですか!!」
「いいじゃん。昨日から彼氏なんだから。」
“彼氏”という距離が、急に現実味を帯びる。
その響きに胸がまた跳ねる。
「や…まぁ……そうですけど……」
視線が泳ぐ。
膝の上の手がぎゅっと握られる。
「一回言ってみてよ」
その一言が、やけに近い。
「……俊………輔…………」
喉が詰まる。
頬がみるみる熱くなる。
「……くん……………」
俊輔は一瞬きょとんとして、それから大袈裟に肩を落とした。
「えーーー壁感じるなーーーー」
わざと拗ねた声。
でもその奥に、ほんの少しだけ本音が混ざっている。
図書室の空気が、ふっと柔らぐ。
「急には無理なんですってばーーー!!!」
陽向は顔を真っ赤にして叫ぶ。
耳まで熱い。
心臓がうるさい。
鼓動が喉元までせり上がってきている。
俊輔は、いたずらっぽく目を細める。
「仕方ないなぁ……じゃあ、手繋いでもいい?」
「はっ!!??無理です。」
「えーーじゃぁ一本指だけ!」
「だから、無理!!」
(ちょ、なになになになに!!??)
さっきまで“海外進学”とか“期間限定の恋”とか、人生レベルの話をしてたのに。
なんで急にこんな……。
……し……心臓が……………持たない………
頭の中で陽向小人軍団が大戦争している。
俊輔は、少し沈黙した。
それまでの軽い空気が、すっと引く。
俯く。
長い睫毛が影を落とす。
「……陽向は……僕の事………彼氏だと思ってくれてないの……?」
声は小さく。
俯いたまま、視線だけ上目遣いに持ち上げる。
その瞳は、夕陽を受けて少し潤んで見えた。
「…………っっっ!!!」
きゅううううぅぅぅぅぅん…………っっっ!!!
胸が物理的に痛い。
呼吸が止まる。
死ぬかもしれない。
「…僕は…陽向ともっと近くなりたいのに……なんか……寂しいな……」
(誰なの…?…この人は……これは…現実か……?)
さっきまで御曹司の覚悟背負ってた人だよね?
あの、完璧で高貴な“恋愛禁止の王子様”だった、今期から生徒会長の藤崎俊輔ですよね?
「先輩。キャラ変えぐいです。」
「あ、先輩って言った。」
「あ、すいません!」
「はい。敬語もやめて?」
その距離が、さらに一歩近づく。
「〜〜〜〜〜っっっ」
言葉にならない。
頭が追いつかない。
(付き合うって……こんなに破壊力えぐいの……?)
“今この瞬間の甘さ”は、想定外。
陽向は心の中で叫ぶ。
先輩との交際は、前途多難です!!!!




