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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第二章〜高2編〜  作者: 波方 真季


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第58話 副会長としての自覚はありますか

※X(旧Twitter)にて第58話イラスト公開しました!

https://x.com/exbrrh2oof32785?s=21


六月下旬。


放課後の生徒会室は、静かに熱を帯びていた。


窓の外は、もうすぐ夕方という色をしている。

遠くの空から薄いオレンジが校舎の壁へと伸びていき、グラウンドから部活の掛け声が、波みたいに途切れ途切れで届く。


この時期は文化祭の企画準備が始まる時間。

生徒会役員にとっては、締切に追われる季節。


机の上には、各クラスから提出された企画書の束。

その横に、黒いUSBメモリが無造作に転がっている。

たったそれだけの小さな物体に、学校中の「楽しい」が詰め込まれている。


副会長の仕事は、いつも静かに重い。

仕事量が多いのに、目立たない。

誰かの“当たり前”が成立するように、裏側で削れていく役職。


三年生副会長の瀬戸晴翔は、陽向の隣でExcelを開いている。

眼鏡の奥の瞳は、熱じゃなく“精度”で光っていた。


「火気使用クラス、三つ。安全管理チェックまだ甘いな……」


淡々と、音だけが落ちる。

瀬戸晴翔は安全基準、火気・電源の可否、規約違反、予算超過、一覧表作成。

副会長としての“正しい仕事”を、ミスなく片付けていく。


陽向は別の戦い。

各クラス実行委員からの提出漏れ確認や催促などのやり取り、企画書のファイル名統一、フォルダ整理、企画書PDF化。

地味で、単調で、でも一つでも崩れると全体が詰まる“整理係”。


共有PCのモニターに表示されたフォルダ名が、やけに無機質に見える。


“フォルダ:文化祭202X_企画書”


陽向は画面に向かったまま、ファイルを開く。


「1年4組_企画書.docx」


PDF化して、審査用フォルダへ。


(えーと…これをひとつずつ……)


保存。

名前を入力。

Enter。


画面が一瞬、点滅する。


次のファイルに手を伸ばした瞬間──

指が、止まった。


「あれ?」


フォルダ内にあるのは、

“1年3組_企画書.pdf”だけ。


Wordの元データがない。

心臓が、すこし遅れて跳ねた。


「……え?」


マウスが滑る。検索窓に打ち込む。


“.docx”


出てこない。

USBを開く。

ない。


ごみ箱を開く。

空。


背中の皮膚が、ひやり、と冷える。


(待って待って待って……)


脳が勝手に、直前の自分の動きを再生し始める。

PDF保存のとき、同じ名前で保存した。

……元データを消した。

さらに、そのあと整理のつもりで“不要ファイル”を削除した。


(…え………ガチ……?)


喉の奥が、急に乾く。

呼吸が浅くなって、肺の中に空気が入ってこない。


「……うわ……っっ!!やば……!!」


自分の声が、思ったより大きく震えた。

陽向の声に、瀬戸晴翔は振り返る。


「……なに………やめて……?」


なにかを察した恐怖で震える声が、現実みたいに落ちる。


「いや…ちょ……」


もう一度、確認。

願いみたいに繰り返す。

でも、結果は変わらない。

画面は冷たいまま、空白のまま。


「……わーーーーーっ!!!!」


椅子の上で足が小さくバタつく。

机に額を落として、現実に抵抗するみたいに突っ伏した。


「やっちゃったやっちゃったやっちゃった……」


声がかすれる。

焦燥が、背骨を伝って身体を支配していく。


瀬戸晴翔が慌てて画面を覗き込んだ。

マウスを動かす。

早い動きでクリックする音が、室内に響き渡る。


「………………消しました?」


陽向はゆっくり顔を上げる。

目が熱い。

視界が滲みそうで、瞬きを繰り返す。


「1年2組と……多分……1年3組も……」


一瞬。

部屋の空気が止まった。


瀬戸晴翔はマウスを動かして、フォルダを淡々と確認する。

その沈黙が、怒鳴られるより怖い。


「バックアップは?」


「……取ってないで……す……」


静寂。


怒鳴らない。

だからこそ、全部が自分に刺さってくる。


瀬戸晴翔は、深く息を吐いた。


「…ねぇ……明日が締切だって分かってる?」


声が低い。

責めているというより、“事実”だけを置く声音。

陽向は俯いて、言葉が出なかった。


「文実(ぶんじつ※文化祭実行委員)のPCに元データあると思うから、消したクラスの文実に連絡してください。部活中かもしれないから連絡つかなかったら、僕らも時間ないので職員室行って、各担任にメール送信されてるか聞いてきます。素直に頭下げて、もう一回データ貰うしかありません。」


冷静で、的確で、完璧なリカバリー案。

それが余計に、陽向の無力を照らす。


陽向は震える指でスマホを取り出し、文化祭実行委員グループLINEを開く。

クラス実行委員に連絡を入れる。

通話。

呼び出し音。

切れる。


出ない。


一人、また一人。

誰も出ない。


部活や移動の電車。

この時間帯は、多くの生徒が連絡つかないのは普通なのに。

今の陽向には、それが世界の悪意に見えた。


「出ない……ので……LINE入れます。」


「いいです。職員室行った方が早いから行ってきます。」


瀬戸晴翔は立ち上がる。


「あっ!私行きます!」


咄嗟に口が動く。

やらかしたのは自分だから、せめて自分が走りたい。

しかし瀬戸晴翔は、陽向を見ずに言った。


「星野さんは再提出用フォーマット準備して下さい。」


「……………すみません……」


椅子に沈む。

謝罪が、喉の奥で絡まる。


そこへ瀬戸晴翔の溜め息が、もう一度落ちた。

眼鏡を押さえ、言葉を選ぶ気配すらなく、衝撃の一言が降ってくる。




「星野さんってさ……副会長の自覚ある?」




空気が凍りついた。


息が止まる。

胸の奥の柔らかいところを、冷たい指で掴まれた感覚。


瀬戸は、静かに続ける。

静かだからこそ、逃げ場がない。


「昨年は初めての役員だったし、1年生だったので大目に見てあげられましたけど……副会長は書記の頃と違って、他の役員の何倍も仕事量多いですよ?」


言葉が、紙の束みたいに積み重なっていく。


「藤崎会長が、だいぶ星野さんの仕事を影ながらフォローしてるの分かってます?僕も結構人より仕事早いから、藤崎会長は”本来星野さんがやるべき仕事”を、割とサラッと僕に振ってくるけど、正直結構負担になってますからね。」


心臓が、ぎゅっと縮む。

俊輔のその優しさは、今は刃となって陽向へと戻ってきた。


「役員のみんなは優しいから…誰も星野さんに何も言わないですけど。でもそれはやっぱり、星野さんの為に良くないと思うから、僕は言います。」


陽向は、声が出ない。


「星野さんは次期生徒会長ですよね?この学校を背負って立っていくんですよね?このままだと、あなたが絶対苦労すると思うので。」


その瀬戸晴翔の言葉に、陽向は咄嗟に。


「…いや……私は……」


”生徒会役員を、来年は続けるつもりはありません”


喉まで出かかった言葉を、飲み込む。

今それをここで言うのは、なんか違う。


そんな言葉で自分を守りたくなくて、何も言えなくなる。


「全校集会で、藤崎会長から全校生徒へ向けて“お墨付き”貰ったんですよね?」


瀬戸晴翔は椅子を引いて立ち上がり、扉へ向かった。


「じゃあ僕、職員室行ってくるから。後輩役員も入ってきたわけだし……“ロールモデル”として頑張って下さいね。“優秀”で、“御前上等”な副会長さん。」


新役員の二年生会計、相田桜子の言葉や、俊輔が全校集会で壇上で語った言葉を使った皮肉が、綺麗に整った言葉で刺さる。


ピシャンッ。


扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


陽向は、ぎこちなく椅子に座り直した。

手が震えて、キーボードに触れる指が冷たい。


画面に、新しいフォルダを作る。





【再提出用】





「…………………。」





打ち込んだ文字が、滲む。




ぽとり。




涙がキーボードに落ちた。





自分の涙なのに、驚くほど冷たい。





(……………向いて……ない……)





副会長なのに。

迷惑しかかけてない。


悔しいとか、腹が立つとか。

そういう“戦う感情”が、どこにも湧いてこない。


ただ、悲しい。


涙が、勝手に溢れて止まらない。


作業を進めなきゃいけない。

瀬戸副会長はすぐ戻る。

フォーマット準備をしていないと、次の段取りが崩れる。


分かってるのに──手が動かない。


(…もう…………無理…………)


胸の奥で、自分が自分を突き放していく。


こんな自分が、やっぱり嫌い。


自信を持てたはずだった。

自分を好きになれたはずだった。


でもそれは──


誰かが黙って支えてくれたから成り立っていた幻想だった。

当たり前みたいに与えられてきた善意に甘えて、上手くやれてると勘違いしてただけだった。


私の、自分の力じゃない。


結局誰かの力を借りないと何も出来なくて。

誰かに守られてないと戦うことも出来なくて。




こんな自分。

今すぐ消えていなくなりたい。




キーボードに手を置いたままの指先が、石みたいに重い。

画面が滲んで、文字の輪郭がぼやける。

呼吸が、うまく吸えない。

全身から吹き出す汗。

視界の端がゆらゆら揺れる。

頭の中に、ノイズみたいな音が広がっていく。


真っ白に霞んでいく──頭の中。



やばい……パニックだ……



駄目だ。

この状態の私の脳は、一切の機能を全て失う。


思考が分解されて、言葉が意味を持たなくなる。

数字はただの記号になる。

ファイル名は模様に見える。


無理に作業を続けても、もっと大きな事故になる。




窓の外では、夕方の光がゆっくりと角度を変えていく。

橙色が床を這い、机の脚を長く伸ばす。

部活の掛け声が、遠くで波のように寄せては引いていく。


世界はちゃんと動いているのに。

時間は、止まらないのに。

陽向だけが、その流れからこぼれ落ちたみたいだった。




(…瀬戸副会長………ごめんなさい…………)




声にならない謝罪が、胸の内側に沈む。

怒鳴られたわけじゃない。

罵られたわけでもない。

ただ、正しいことを言われただけ。


机の上に置かれた企画書の束。

黒いUSBメモリ。

さっきまで恐怖の象徴みたいに見えていたそれを、陽向はゆっくり両手で掬い上げる。


封筒に入れる。

端を揃える。

空気を抜く。

封を閉じる。


その動作一つ一つを、深呼吸と一緒に行う。


吸って。

吐いて。


(はい。入れたね。私は確実にここに入れたぞ。いいな。わかったな。)


自分に言い聞かせるみたいに、心の中で繰り返す。

さらにクリアファイルに入れて、スクールバッグへ。

何度もそれを自分で指を刺す。


チャックを閉める。


最後まで。

止まるまで。


 


カチリ。


 


その小さな音を、何度も頭の中で反芻する。


しゃがみ込む。

机の下も、机の上も、パソコンの裏も全てを、確認する。


大丈夫。

全部持った。

入れた。

閉めた。


確認。

確認。

確認。


パニックの波の中で、そこだけが錨みたいに、現実へ繋ぎ止めてくれる。


これらを持ち帰らずにここに置いていくのは、責任を放棄するのと同じ気がした。

そして何があっても、私が何を言っても、瀬戸副会長や他の役員達が私の仕事を私の代わりに終わらせる。


そして俊ちゃんは、きっとそれについて私に何も言わない。


そうやって、また“誰かの善意”で今日が回る。

当たり前のように。

誰かのリカバリーで平然と成り立っていく。




(それだけは………絶対に嫌だ。)


 


陽向は静かに立ち上がった。

椅子の脚が、床を擦る小さな音。


誰もいない生徒会室。

橙色に染まる長机。


扉を開けると、廊下の空気が少し冷たく感じた。


 


昇降口へ向かう廊下。

窓ガラスに映る自分の顔は、ひどく弱々しい。


目が赤い。

鼻も少し赤い。

 

スマホを取り出す。

指がまだ少し震えている。

LINEを開く。

瀬戸副会長の名前。


 “明日の朝、早く登校して作業します。大変申し訳ありません。”


それだけ。

言い訳も、感情も、付け足さない。


送信ボタンを押す。


既読がつくかどうかを見る勇気はなくて、すぐに画面を伏せた。


廊下の蛍光灯が、一つ、ぱちりと点いた。

夕方は、夜へと移ろうとしている。


陽向は、スクールバッグの持ち手を握り直した。


その中に入っている重さが、今日はやけにずっしりと感じられた。




数分後────────。




ガラッ。


生徒会室の扉が開いた。


夕方の空気が、ひやりと室内へ流れ込む。

廊下の蛍光灯はもう半分が点灯していて、白い光が床を冷たく照らしている。


(あれ……星野さん?)


電源の落とされたPC。

黒い画面に、窓の外の橙色が鈍く映り込んでいる。


整頓された机。

さっきまで散らばっていたはずの書類は揃えられ、椅子はきちんと机の下に入っている。


そして。


机の上から消えた、企画書の束とUSB。


静かすぎる。


さっきまで確かにここにあった“焦りの残り香”だけが、空気に薄く漂っている。


「……………逃げたな……」


小さく吐き出した声は、怒りというより、諦めに近い。

瀬戸晴翔はブレザーの内ポケットからスマホを取り出し、画面を開く。


 “明日の朝、早く登校して作業します。大変申し訳ありません。”


その一文が、やけに丁寧で、やけに硬い。


朝?

一人で?

もしまたミスやトラブルがあったらどうする?

朝の小一時間やそこらで一人で全部終わらせられる?

そもそも彼女がちゃんと朝早く起きて学校に来られるか?


言葉は冷静でも、思考は速い。

理屈で状況を分解していく。


“星野さん、今どこですか”


送信。


“USBと企画書、もしかして持ち帰ってる?”


送信。


“まだ電車乗ってないですよね?僕が代わりにやっておく。受取りに行くので戻れませんか”


既読はつかない。


「………………。」


通話をかける。

呼び出し音が、やけに長く感じる。

出ない。


「……………く………ぐぐ……」


奥歯を噛みしめる。


(せめてUSBと企画書を生徒会室へ置いていけーーーーーー!!!!)


心の中で独り言が爆発する。


あれを持ち帰られたら、管理責任は完全にこちらの手を離れる。

万が一紛失でもされたら、取り返しがつかない。

副会長としての最悪の想定が、脳裏を過る。


「はぁ〜〜〜〜〜」


深く、長い溜め息。

もう今日何度目かも分からない。

怒りたいわけじゃない。

彼女を追い詰めたいわけでもない。

ただ、“仕事”として成立させたいだけだ。

副会長という立場は、優しさよりもまず、事故を起こさないことを求められる。


もう無理だ。

今日はこれ以上、追えない。


瀬戸晴翔は、俊輔とのトークルームを開いた。

指が一瞬止まる。


何と書くべきか。

どこまで言うべきか。


“申し訳ありません。企画書の締切、明日ですが一日だけ提出遅れても大丈夫でしょうか。ご迷惑をおかけしてすみません。”


送信。


理由は書かない。


書いても、彼はきっと咎めない。

そして彼女への改善対策も………打たない。

むしろ、全部自分の責任として抱え込むだろう。


彼は彼女の味方をし、甘やかし、守る方向で動く。


そしてその分、只でさえ生徒会長として忙しい自分の仕事はまた増える。

彼女の仕事の肩代わりをして。


画面を伏せる。


静かな生徒会室。

夕陽はほとんど消えかけ、窓の外は群青へと変わりつつある。


瀬戸晴翔は天井を見上げた。


「まったく……なんで藤崎会長ほどの完璧な人が………あんなポンコツ星野さんのどこがいいんだか。」


吐き出した言葉は皮肉めいているのに、その奥には理解できないという本音と。


少しだけ──


羨望が混ざっていた。


自分の方が何倍も有能な筈なのに。

生徒会長からの評価は彼女の方が高い。


完璧な人間が、あんな不器用で危なっかしい存在を迷いなく選び続ける理由。


それを、瀬戸晴翔はまだ理解出来ない。





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