第47話
ガギィッ!!
火花が散り、視界を灼く。
互いのナイフが噛み合い、鍔迫り合いの形になった。
至近距離。
ヘッドウェアのゴーグル越しに、ヴァルの瞳が覗き込んでくる。
そこには、獲物を追い詰める歓喜と、自分と対等に戦うことのできる相手への敬意が渦巻いていた。
「……ッ、重いな!」
俺は奥歯を噛み締め、彼女のナイフを強引に弾き返した。
バックステップで距離を取る。
だが、ヴァルは磁石のように吸い付いてくる。
銀髪をなびかせ、流れるような動作で繰り出される三連撃。
脇腹、手首、肘。
あえて、人体急所を外し、ダメージを与えることを目的とした刺突の嵐。
(……見えている。軌道は完全に読めているんだ)
俺の脳内では、『思考加速』がフル回転していた。
彼女の筋肉の収縮、重心の移動、視線の誘導。
それら全ての情報から、0.5秒後の未来(ナイフの到達点)が予測線として視覚化されている。
だというのに。
(体が、遅いッ……!)
俺は焦燥に駆られた。
脳が「回避」の指令を出してから、アバターが実際に動作を開始するまでに、ラグがある。
コンマ数秒の世界ではない。
思考加速している俺にとっては、数秒にも感じるほどの遅延だ。
このゲームのアバターは、所詮はプログラムされたゲームデータの塊だ。
『ギャラクティック・フロンティア』の愛機『ナイトハウンド』のように、思考と駆動系が直結した動きはできないのがもどかしい。
どれだけ脳の処理速度を上げたところで、ハードウェアであるアバターの動作フレーム数には限界がある。
思考は光速。
肉体は泥中。
その決定的な乖離が、俺を蝕んでいた。
チリッ。
かわしきれなかった切っ先が、俺の肩を削り、わずかにHPバーを減らす。
「どうしたの、お兄さん! 動きが鈍いよ!」
ヴァルが笑う。
彼女は俺のラグを見抜いている。
俺が反応し、回避行動を取り終わる際の硬直――「フレームの切れ目」を狙って攻撃を仕掛けてきているのだ。
これは、ゲーム特有の仕様を知り尽くした者だけが可能な芸当だ。
(クソッ、なんて正確な攻撃だ……!)
俺は舌打ちし、カウンターのナイフを突き出した。
だが、それすらも彼女は紙一重でかわし、さらに踏み込んでくる。
***
戦闘開始から、何分が経過しただろうか。
数分か、数十分か。
あるいは、永遠のような数秒だったのかもしれない。
金属音と、肉が裂けるエフェクト音だけが、無人のエレベーターホールに響き渡る。
俺とヴァルのHPバーは、既にレッドゾーン――残り20%を切っていた。
互いの装備はボロボロに損壊し、アバターには無数の傷跡が刻まれている。
痛みはない。
VRゲームだからだ。
だが、精神は限界を超えかけていた。
それでも、俺は止まれなかった。
(楽しい)
不意に、そんな感情が脳裏をよぎった。
アタッシュケースの中には、数百万円相当の価値がある『レジェンダリーアイテム』が入っている。
ここで死ねば、全てを失う。
全ロストだ。
ゲーマーとして、これほど馬鹿げた行為はない。
だが、そんな損得勘定は、とっくに彼方へと吹き飛んでいた。
ただ、目の前の強敵を喰らうこと。
自分の読みと技術をぶつけ合い、相手をねじ伏せること。
その原初的な闘争本能だけが、俺の思考を塗りつぶしていく。
「あははッ! いい、いいよお兄さん! もっと、もっと!」
ヴァルの瞳もまた、狂気じみた悦楽に歪んでいた。
彼女も同じなのだ。
「効率」や「勝利」という退屈な正解を捨て、命懸けのダンスに酔いしれている。
俺たちは、似た者同士だった。
俺のナイフが彼女の頬を切り裂く。
同時に、彼女の蹴りが俺の腹部に突き刺さる。
互いに吹き飛び、受け身を取って即座に構え直す。
呼吸を整える暇などない。
次の一手、次の殺し合いへ。
その時だった。
『――警告。都市洗浄プロトコルを開始します』
無機質なシステムアナウンスが、ホールに響いた。
だが、極限の集中状態にある俺たちの耳には、それは遠いノイズのようにしか聞こえなかった。
『エリア浄化プロトコル、開始。高濃度汚染ガスの散布を行います』
プシューーーーーッ……。
通気口から、壁の亀裂から、紫色のガスが噴き出した。
それは瞬く間に広がり、薄暗いホールを不気味な紫色に染め上げていく。
視界の端で、警告アラートが激しく点滅し始めた。
だが、俺もヴァルも、視線を外さなかった。
互いの首元だけを見据え、間合いを測り続ける。
ジジッ、ジジッ、ジジッ……。
HPバーが、戦闘ダメージ以外の要因で減り始めた。
途端に身体が鉛のように重くなる。
視界にノイズが走り、呼吸音が荒くなるエフェクトが重なる。
ステータス異常『猛毒』。
そこでようやく、俺たちは「世界」の異変を認識した。
「……ッ」
俺は膝をつきそうになるのを堪え、周囲を見渡した。
すでにホール全体が濃密なガスに満たされている。
視界は数メートル先も見通せないほどだ。
「……チッ」
不快そうな舌打ちが聞こえた。
ヴァルが顔をしかめ、自分のHPバーを睨んでいる。
残量は18%。
毒のダメージは秒単位で加速している。
「興醒めな演出。……これだから、ルールのあるゲームは嫌いなのよ」
彼女は吐き捨てるように言った。
状況は絶望的だ。
ここから最寄りの脱出ポッドまで走ったとしても、ガスの充満したエリアを突破するのは不可能に近い。
回復アイテムも尽きている。
論理的に考えれば、詰みだ。
少しでも生存の可能性に賭けて出口へ走るか?
それとも、ここで毒に侵されて野垂れ死ぬのを待つか?
俺は、ふと自分のインベントリを確認した。
金色の輝きを放つ『旧時代の軍事データベース』。
これを持ち帰れば、チームは優勝確実だっただろう。
レオンとたぬきさんの喜ぶ顔が浮かぶ。
「……悪いな、二人とも」
俺は小さく謝罪し、そしてニヤリと笑った。
俺の足は、出口へは向かなかった。
「……空気の悪い場所は嫌いか?」
俺は、ヴァルに問いかけた。
彼女は一瞬きょとんとした後、俺の意図を察して、獰猛な笑みを浮かべた。
「最悪ね。肌が荒れちゃう」
彼女もまた、出口へ背を向けた。
ナイフを順手に持ち替え、腰を落とす。
「……だから、さっさと終わらせましょう」
お互いに言葉は交わさなくても分かる。
脱出放棄。
全ロスト確定。
残された時間は、毒によってHPが尽きるまでの、わずか数十秒。
それで十分だ。
***
俺たちは同時に動いた。
床を蹴る音が重なる。
毒の影響で、アバターの動きは泥沼でもがくように遅い。
だが、互いの殺意だけは鋭く研ぎ澄まされていた。
視界が霞む。
思考加速をもってしても、紫色の霧が認識を阻害する。
相手の姿がブレる。
(――そこだ!)
俺は感覚だけで、ヴァルの心臓を目掛けてナイフを突き出した。
防御など考えない。
捨て身の一撃。
ヴァルもまた、同じだった。
彼女のナイフが、蛇のように俺の胸元へと伸びてくるのが見えた。
回避は間に合わない。
迎撃も不可能。
ならば、先に貫くのみ。
二つの衝撃音が、完全に重なった。
「――ガッ……!」
胸に熱い感覚が走る。
見下ろせば、ヴァルのナイフが俺の心臓部深くに突き刺さっていた。
そして、俺のナイフもまた、彼女の左胸を深々と貫いている。
相打ち。
俺たちは互いの肩に寄りかかるようにして、動きを止めた。
至近距離。
ヴァルの顔がすぐ目の前にあった。
彼女は口元から赤いポリゴンを吐き出しながら、それでも満足そうに微笑んでいた。
「楽しかったよ、お兄さん」
「ああ、俺もだ」
HPバーが、音を立てて砕け散った。
視界が急速に色を失っていく。
身体の力が抜け、俺たちは絡み合ったまま、ゆっくりと崩れ落ちた。
『――死亡を確認』
無機質なシステム音声が、遠くから聞こえた。
『所持品の全ロストを確認しました』
プツン。
意識が暗転する。
最後に見たのは、紫色の毒ガスが充満する無人のホールに、二つのデスボックスが仲良く並んで残されている光景だった。
***
「……はっ!」
俺はガバッと顔を上げた。
目に入ってきたのは、見慣れたスタジオの天井と、少し興奮気味に覗き込むレオンとたぬきさんの顔だった。
「アキト!!」
レオンがヘッドセットを外すのを手伝ってくれる。
俺は荒い息を吐きながら、全身が汗でびっしょりと濡れていることに気づいた。
現実の肉体は、椅子に座っていただけだというのに、全力疾走した後のような疲労感がある。
「……あ、あー……」
俺は乾いた喉を鳴らし、状況を把握しようとした。
そうだ、俺は死んだんだ。
全ロストしたんだ。
「ごめん、レオン。たぬきさん」
俺は項垂れた。
「レジェンダリー、落とした。……全ロスだ」
数百万の価値があるアイテムを、俺のわがままでドブに捨てた。
怒られて当然だ。チームを追放されても文句は言えない。
だが。
「……ぷっ、あははははは!」
爆笑したのは、レオンだった。
彼は腹を抱えて笑い出した。
「お前、最高だよ! 見たかよ今のラスト! 配信のコメント欄、祭りになってるぞ!」
「え?」
俺は呆気にとられてモニターを見た。
そこには、俺とヴァルが相打ちになり、毒ガスの中で散る瞬間のリプレイ映像が流れていた。
そして、画面を埋め尽くすほどのコメントの弾幕。
『うおおおおおおお!!』
『神回確定』
『映画かよwww』
『全ロスエンドwww』
『二人の世界すぎて草』
『これぞ戦い』
『ゲーム買いました、どうやったら彼らみたいに戦えますか?』
「アキトくん、凄かったよぉ……!」
たぬきさんも、興奮気味に俺の手を握った。
「優勝は逃したけど、間違いなく今大会のMVPは君たちだよ! もう、おじさん感動して泣いちゃったよ!」
「……へ?」
「勘違いすんなよ、アキト」
レオンがニカっと笑って、俺の背中をバンと叩いた。
「俺たちはストリーマーだ。勝つことも大事だが、それ以上に『魅せる』ことが仕事なんだよ。……数百万のコイン? 安いもんさ。お前があのヴァルキリーとガチで戦って、相打ちに持ち込んだっていう『伝説』の方が、よっぽど価値がある」
「……そう、なのか?」
「ああ。おかげで、俺のチャンネル登録者数も爆上がりだ。……よくやった、アキト」
レオンが拳を突き出してきた。
俺はしばらく呆然としていたが、やがて力が抜けたように笑った。
そして、自分の拳をコツンと合わせた。
「……そりゃあ、よかった」
全身の力が抜け、俺は椅子に深く沈み込んだ。
心地よい疲労感。
そして、心の奥底に残る、確かな充実感。
優勝はできなかった。
アイテムも全て失った。
だが、あの舞踏の記憶だけは、俺の中に強烈に焼き付いていた。
(……また、やりたいな)
ふと、そんな戦闘狂のような思考が頭をもたげたことに苦笑しながら、俺は仲間たちの歓声に身を委ねた。
ジャンル別日間一位になってました。
読んでくださりありがとうございます!




