第44話
硬質な金属音と共に、火花が白煙の中で弾けた。
俺のナイフと、ヴァルキリーの腕甲が噛み合い、互いの力が拮抗する。
至近距離。
煙の向こうで、氷のような瞳が細められるのが見えた。
(……速いッ!)
俺は奥歯を噛み締めた。
『思考加速』によって泥のように引き伸ばされた時間の中でさえ、彼女の動きは滑らかだった。
俺のナイフを受け止めた腕を軸に、彼女の身体が回転する。
遠心力を乗せた左足の回し蹴り。
狙いは俺の側頭部。
当たれば即死、あるいはスタン確定の一撃だ。
俺は反射的に首を縮め、左腕をガードに回した。
ドォンッ!
重い衝撃が骨に響く。
アバター越しでも伝わる強烈なフィードバック。
俺はその勢いを利用してバックステップを踏み、距離を取ろうとした。
だが、逃がしてくれない。
彼女は着地と同時に地面を蹴り、影のように追随してくる。
手にはいつの間にか、タクティカルナイフが握られていた。
三連撃。
首、心臓、大腿動脈。
人体急所のみを正確に狙った刺突の嵐。
俺はそれを、切っ先数ミリの間合いで弾き、躱し、逸らす。
チリ、チリ、と頬や首筋に熱を感じる。
かするだけのダメージ判定が蓄積していく。
(動きに無駄がない……!)
普通のVRゲーマーの動きではない。
重心移動、フェイント、そして武器の軌道。
その全てが、俺が『ギャラクティック・フロンティア』で習得させられた近接射撃複合術(CQC)の理屈に近い。
俺はナイフを逆手に持ち直し、彼女の突きを払い上げると同時に、懐に忍ばせていたハンドガンを抜いた。
ゼロ距離射撃。
パスッ!
乾いた銃声。
だが、銃弾は空を切った。
彼女は俺がトリガーに指をかけた瞬間、すでに射線の軸から身体を外していたのだ。
***
数メートルの距離が空く。
煙幕が徐々に晴れ、薄暗い地下通路に二つの影が対峙した。
「……はぁ、はぁ」
俺は荒くなった呼吸を整える。
対して、ヴァルキリーは涼しい顔でそこに立っていた。
銀髪を揺らし、楽しそうに目を細めている。
「あははっ! 最高」
彼女は心底嬉しそうに笑った。
その瞳には、戦いへの狂熱と、獲物を見つけた捕食者の歓喜が宿っている。
「私の近接戦についてこれるなんて、出会ったプレイヤーじゃ初めてだよ! 普通のプロゲーマーでも、今の三連撃でリスポーン送りなんだけどな」
「……褒め言葉として受け取っておくよ」
「うん、褒めてる。すっごく褒めてるよ」
ヴァルキリーはナイフを指先で弄びながら、艶然と微笑んだ。
「気に入った。お兄さん、私のこと『ヴァル』って呼んでいいよ。その代わり――」
彼女の全身から放たれる殺気が、一気に膨れ上がった。
「もっと私を楽しませてね!」
***
言うが早いか、ヴァルはバックステップで距離を取った。
その動作は、まるで重力を無視したように軽やかだった。
彼女の手には、いつの間にか巨大な対物ライフルが握られている。
あの重量物を、片手で振り回す筋力ステータス。
「踊ろうか、お兄さん!」
ズドォン!!
轟音。
マズルフラッシュが通路を照らす。
12.7ミリ弾が、空気を裂いて俺の眉間へと迫る。
俺は半身になってそれを回避した。
風圧が顔を叩く。
弾丸は俺の真後ろにあったコンクリート柱を粉砕し、瓦礫の山を作った。
(……正確すぎる)
俺はハンドガンで牽制射撃を行いながら、ジグザグに走った。
ヴァルは次々とボルトを引き、連射してくる。
その弾道は、恐ろしいほどに正確だった。
俺の移動速度、方向、そして次の足場。
全ての要素から未来位置を予測し、完璧な偏差射撃を行っている。
普通のプロゲーマーなら、焦りや恐怖で僅かに手元が狂うものだ。
だが、彼女にはそれがない。
機械のように冷徹で、数学的に美しい弾道。
彼女の射撃は、常にシステム上の「最適解」を描いている。
(だからこそ、避けられる)
皮肉な話だ。
相手が完璧な理論で撃ってくるからこそ、その理論の裏をかけばいい。
俺は走るリズムを変えた。
わざと足をもつれさせ、無様に体勢を崩し、物理演算の挙動に逆らうような不自然な動きを混ぜる。
「効率の悪い」動き。
それは、最適化されたAIや、論理的なプレイヤーほど予測できないノイズとなる。
ヒュンッ!
ガッ!
弾丸が俺の耳の横を通り過ぎ、肩のアーマーを掠める。
直撃コースだったはずの弾道が、わずかにズレる。
「……へえ」
スコープ越しに、ヴァルの眉がピクリと動くのが見えた。
「気持ち悪い動き。……まるで、私の狙ってる先を知ってるみたい,何かしてる?」
「企業秘密だ」
俺は瓦礫の陰に滑り込み、マガジンを交換した。
指先が微かに震えている。
思考加速を使ってもなお、ギリギリの攻防だ。
だが、それ以上に俺の脳を支配していたのは、強烈な既視感だった。
***
(なんだ、この感覚は……?)
戦えば戦うほど、違和感が確信へと変わっていく。
彼女の遮蔽物の使い方。
射線の通し方。
リロードのタイミング。
そして何より、あの無駄のない近接格闘術。
俺の脳内にある記憶が、激しく警鐘を鳴らしていた。
見覚えがある。
いや、「覚えさせられた」動きだ。
俺は記憶の奥底、あの宇宙のコロニーの中でインストールされた教本の内容を呼び起こした。
『――あの挙動は』
脳内で勝手にパズルが組み合わさっていく。
「……嘘だろ」
俺は呻いた。
「これは、『宇宙連合軍汎用戦闘プログラム』……!」
間違いない。
彼女の戦法は、俺が『ギャラクティック・フロンティア』でインストールされた、そして実戦の中で、身体に刻み込まれた基本戦闘ドクトリンそのものだった。
無駄を極限まで削ぎ落とし、生存率と殺傷効率のみを追求した、軍用アルゴリズムの結晶。
なぜだ?
なぜ、新作VRゲームの大会に、あの「宇宙の戦場」の作法を完璧にトレースする者がいる?
ただの偶然か?
いや、ここまで一致することはあり得ない。
だとすれば、彼女も俺と同じ「渡り人」なのか?
それとも、レオンが言っていた「行方不明になったプロゲーマー」や、このゲームの開発元自体に、何か裏があるのか。
(……考えたいけど。今はまだ情報が足りない)
俺は頭を振って雑念を払った。
正体が何であれ、今目の前にいるのは、俺を倒そうとしている敵だ。
そして、その実力は紛れもなく本物だ。
***
その時、戦況が動いた。
「アキト! 無事かッ!」
後方からレオンの叫び声が聞こえた。
同時に、激しい銃撃音が通路に満ちる。
タタタタタッ!
ドガガガガッ!
煙が晴れた戦場に、残りの『チーム・ブルー』のメンバーと、レオンたちが雪崩れ込んできたのだ。
重機関銃の弾幕が俺たちのいる空間を薙ぎ払う。
「チッ、邪魔が入ったね」
ヴァルは舌打ちをし、軽やかにバックステップで仲間の方へと合流した。
彼女の仲間たちが、鉄壁の陣形を組み、彼女を守るように展開する。
「お兄さん、続きはまた後で。……まずは、雑魚掃除からだね」
ヴァルは冷徹な指揮官の顔に戻り、手信号を送る。
チーム・ブルーの連携は完璧だった。
個々の戦闘力も高いが、それが一つの有機体のように機能している。
「雑魚掃除だと? ナメんじゃねえぞ!」
レオンが吼え、アサルトライフルを乱射する。
だが、相手は遮蔽物を巧みに使い、有効打を与えさせてくれない。
さらに、足を撃たれたたぬきさんが、後方で動けずにいるのがネックだった。
(……状況は不利か)
俺はハンドガンのスライドを引き、薬室に弾が装填されていることを確認した。
ヴァルへの疑問は尽きない。
聞きたいことは山ほどある。
だが、今は。
「正体が何であれ、ひとまず勝たないとな」
俺は深く息を吐き、再び『思考加速』のスイッチに指をかけた。
相手が「宇宙軍の戦闘プログラム」を使うなら、こっちはその上を行くまでだ。
俺はナイフを逆手に持ち直し、コンクリートの柱を蹴った。
狙うは敵の司令塔、銀髪の死神。
廃墟の地下都市で、俺たちの戦いは第二ラウンドへと突入した。




