第43話
二度目の転送音が脳髄を揺らす。
光の粒子が再構築され、俺たちのアバターは再び地下都市の闇へと降り立った。
深度、地下四階層。
前回のエリアよりも深く、より危険なクリーチャーが徘徊する「初心者殺し」の領域だ。
「……ふぅ」
俺は着地と同時に軽く膝を曲げ、衝撃を殺した。
胃袋に落ちたエネルギーゼリーの冷たさが空腹感を消していく。
脳に糖分が行き渡り、思考がクリアになっていくような感覚を感じていた。
手には、前回のレイドで『チーム・シルバー』から奪取したハンドガンが握られている。
銃身には、ショップで購入したばかりの新品のサプレッサー。
たった数千コインの投資だが、その効果は絶大だ。
「よし、行こうか。アキト、先頭を頼む」
「了解」
レオンの指示に短く応え、俺は瓦礫の影へと滑り込んだ。
***
通路の角から、腐った肉塊のような『キャリアー』が三体、よろめきながら現れた。
距離、十五メートル。
こちらには気づいていない。
俺は呼吸を止め、ハンドガンを構えた。
アイアンサイトの小さな突起を、先頭のキャリアーの後頭部に合わせる。
(……なんか調子いいな)
違和感があった。
エイムが、勝手に吸い付くのだ。
ゲーム特有のエイムアシスト機能ではない。
俺の脳が、指先の微細な筋肉の動きと、視界の中のピクセル単位のズレを、無意識のうちに補正している感覚。
まるで、銃口から標的まで、見えないレールが敷かれているようだ。
パシュッ。
乾いた破裂音と共に、先頭の頭部が弾け飛ぶ。
即座に銃口をスライドさせる。
パシュッ、パシュッ。
二発目、三発目。
無駄弾はゼロ。
三体のキャリアーは、自分たちが死んだことすら気づかずに、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「……ナイス。機械みたいなエイムだな」
背後でレオンが感嘆の声を漏らす。
「弾薬コストの節約になるからな、一発50コインもする弾を無駄にはできないさ」
俺は薬室を確認しながら答えた。
「けちんぼだねぇ、アキトくんは♡ でも、そういうとこ嫌いじゃないお」
たぬきさんが萌え声で茶化しながら、周囲を警戒する。
俺たちの進撃速度は、驚異的だった。
サプレッサーによる隠密射撃で敵を排除し、最短ルートでエリアを駆け抜ける。
無駄な戦闘を避け、必要な物資だけを吸い上げるように回収していく様は、まさに「最適化」された狩りだった。
***
地下鉄の廃駅エリアに差し掛かった時だった。
「ん? ……ちょっと待って」
たぬきさんが足を止めた。
彼女は、崩れた券売機の裏にある、何の変哲もない通気口を指差した。
「あそこ、レーダーの反応とオブジェクトの配置が違うね。マップデータと整合性が取れない」
「……隠しルートか?」
レオンが目を凝らす。
たぬきさんの「老獪な勘」は、伊達に長年ゲーマーをやっているわけではない証拠だ。
俺たちは通気口のカバーを外し、匍匐前進で奥へと進んだ。
抜けた先には、こじんまりとしたメンテナンスルームが広がっていた。
そして、その中央には、黄金色に輝く補給クレートが鎮座している。
「ビンゴだ! 『隠し部屋』だよ!」
たぬきさんがガッツポーズをする。
だが、そう簡単に手に入るものではない。
クレートの周囲には、二十体近いキャリアーと、上位種の『アーマード・ソルジャー』が屯していた。
隠し部屋を守る番人たちだ。
「うわぁ、うじゃうじゃいるねぇ。どうする? 正面突破は弾がもったいないよ」
たぬきさんが困ったように首を傾げる。
俺はインベントリを開き、一つのアイテムを取り出した。
「いや、一掃しましょう。……奴らの武器を使って」
俺の手にあるのは、前回チーム・シルバーから奪った『音響デコイ』だ。
俺はそれを起動し、部屋の隅にある燃料ドラム缶のそばへと投げ込んだ。
ジリリリリリリッ!
けたたましい警報音が鳴り響く。
番人たちが一斉に反応し、音源へと殺到する。
「集まれ、集まれ……」
敵が一箇所に密集した、その瞬間。
俺は腰から『焼夷グレネード』を引き抜き、ピンを弾いた。
「――汚物は消毒だ」
放物線を描いて飛んだグレネードが、キャリアーたちの真上で炸裂する。
ドォォォォンッ!!
紅蓮の炎が部屋を舐め尽くした。
密集していたクリーチャーたちは、断末魔を上げる間もなく炎に巻かれ、消し炭となっていく。
弾薬消費ゼロ。
コストパフォーマンス最高の殲滅だ。
「……えげつないねぇ、アキトくん」
「効率的と言ってください」
俺たちは静かになった部屋へ降り立ち、悠々とクレートを開けた。
中から出てきたのは、紫色の光を放つ『高純度エネルギーセル』や『試作型兵器の設計図』といった、高レアリティのアイテムたちだ。
「おおっ! これだけで100万コインは超えてるぞ!」
レオンがホクホク顔でアイテムを回収する。
バックパックはパンパンだ。
これ以上の探索は、リスクしかない。
「よし、欲張りすぎは破滅の元だ。戻ってコインに換えよう」
「賛成だお♡ 」
レオンの「利確」の指示に、全員が頷く。
俺たちは意気揚々と隠し部屋を後にし、最寄りの脱出ポイントを目指した。
***
脱出ポイントである業務用エレベーターが見えてきた。
周囲に敵影はない。
静寂が支配する地下通路。
勝利を確信し、俺たちが遮蔽物から出ようとした、その刹那だった。
パスッ。
乾いた音が、一発だけ響いた。
「あぅんっ!?」
たぬきさんの可愛らしい悲鳴と共に、彼女のアバターが不自然に体勢を崩した。
右太腿から、赤いダメージエフェクトが噴き出す。
「撃たれた!? どこだ!」
俺は反射的に銃を構えるが、敵影が見えない。
ヘッドショットではない。
即死攻撃でもない。
足を狙った?
「待ち伏せだ! 遮蔽に隠れろ!」
レオンの怒号が響く。
俺は倒れたたぬきさんの襟首を掴み、強引にコンクリート柱の裏へと引きずり込んだ。
「い、痛いよぉ……! 足が動かないぃ!」
たぬきさんが涙目で訴える。
このゲームでは、脚部に一定以上のダメージを受けると「骨折」状態となり、移動速度が極端に低下する。
つまり、逃げられない。
「クソッ、狙撃か? いや、あの音は……」
レオンが舌打ちをする。
一発だけの射撃。
殺すためではなく、足を止めるための狙撃。
それは、「狩り」の合図だった。
風切り音と共に、俺たちの周囲に黒い筒状の物体が転がってきた。
三つ。
「グレネード! いやスモークだ!」
レオンが叫んだ瞬間、濃密な白煙が噴き出した。
プシュシュシュシュッ!!
瞬く間に、視界を奪う。
真っ白な闇。
上下左右の感覚すら曖昧になるほどの濃度。
敵の姿は見えない。
だが、気配が近づいてくる。
煙の向こうから、敵が迫ってくる。
通常のプレイヤーなら、ここでパニックに陥り、闇雲に発砲して位置を晒し、狩られるだけの場面だ。
だが。
(……この感覚)
俺は静かに目を閉じた。
視界がホワイトアウトした瞬間、俺の脳内で、あのスイッチが入った。
カチリ。
『思考加速』。
時間が引き伸ばされる。
音のない世界。
タルタロスの宙域で体験した戦場に比べれば、この程度の煙幕など、薄いカーテンにも等しい。
見える。
煙の揺らぎが。
聞こえる。
床を蹴る、微かな振動が。
「……そこか」
俺はアサルトライフルを捨てた。
狭い通路、視界不良の近接戦闘において、長物は邪魔になる。
代わりに、腰のコンバットナイフを逆手で引き抜く。
前方、3時方向。
煙を切り裂き、一人の敵プレイヤーが高速で突っ込んでくるのが「見えた」。
迷いのない、最短距離の踏み込み。
音もなく、影のように肉薄してくる。
速い。
だが、俺には見える。
敵がブレードを振り上げる。
俺はその軌道を読み切り、半歩だけ身体をずらした。
鼻先を凶刃が掠める。
(もらった)
カウンター。
俺は敵の懐に潜り込み、ナイフを下から突き上げようとした。
心臓を一突きにする、必殺の軌道。
ガギィッ!!
硬質な金属音が響き、火花が散った。
俺の手首に、強烈な衝撃が走る。
「……!」
止められた。
俺のナイフが、敵の腕甲によって受け止められていた。
この近距離で、俺のカウンターに反応した?
煙が晴れていく。
目の前にいたのは、銀色のロングヘアを持つ少女のアバターだった。
軍服風の衣装。
氷のように冷徹な瞳。
優勝候補筆頭、『チーム・ブルー』のリーダー・ヴァルキリー。
至近距離で視線が交錯する。
彼女は、俺のナイフを受け止めたまま、口元だけで微かに笑った。
「へえ。今のに反応するんだ」
どこか楽しげな、だが絶対的な強者の余裕を含んだ声。
「やるじゃん、お兄さん」
ゾクリ、と背筋が粟立つ感覚。
彼女は、ただのゲームの対戦相手ではない。
背後でレオンの射撃音と、敵の重火器の爆発音が重なり合う。
煙の向こうから、残りのチーム・ブルーのメンバーも突入してきたのだ。
もはや、奇襲やハメ技でどうにかなる相手ではない。
個の力と、チームの連携、その全てが最高峰の敵。
廃墟の地下都市で、Eスポーツの枠を超えた「本物の戦闘」が、今まさに幕を開けようとしていた。




