第42話
視界を埋め尽くしていた光の粒子が、急速に物理的なカタチへと収束していく。
無重力の浮遊感は唐突に断ち切られ、ブーツの底がコンクリートを叩く重い衝撃に変わった。
「――転送完了。深度、地下第三階層。生存環境、良好」
無機質なアナウンスが脳内に響く。
俺はバイザーの奥で瞼を開いた。
そこは、死に絶えた文明の墓場だった。
どこまでも続いていそうな巨大な地下空洞。
壁面を這うパイプからは白い蒸気が漏れ出し、緑色の発光菌が街灯の代わりに廃墟を照らし出している。
湿った空気の質感、遠くで崩れる瓦礫の音、視界を横切る埃のエフェクト。
最新鋭のエンジンが描画する世界は、呆れるほどに「リアル」だ。
だが、その完璧な映像美が、逆に俺の警戒心を削いでいく。
(……綺麗すぎるが)
鼻に意識を集中させるが、何も感じない。
戦場にあるはずの――焼け焦げた鉄の味や、有機物が腐り落ちるあの吐き気を催す悪臭が、ここには欠落している。
無菌室のような、デジタルな清潔感。
それが、ここが所詮「作り物」であることを冷酷に告げていた。
「おっと、アキトくん。音を立てちゃダメだぞ♡」
隣で、ピンク髪の猫耳アバターのたぬきさんが、口元に人差し指を当てた。
ボイスチェンジャーを通した萌え声だが、その動きには歴戦のゲーマーとしての老獪さが滲み出ている。
俺たちのロードアウトは、初期資金の3万コインを使い切った手堅い構成だ。
中量級のアサルトライフルに、発砲音を抑えるサプレッサーを装着。
防具は最低限だが、隠密行動と中距離戦に特化している。
「了解。……レオン、ルートは?」
「予定通り、中層の『中央監視室』を目指す。レアアイテムの湧きポイントだ。……だが、気をつけろよ。他のチームも狙ってるはずだ」
レオンが先頭に立ち、慎重に歩を進める。
俺たちは足音を消し、瓦礫の影から影へと移動しながら、物資を回収していった。
***
中央監視室まであと少し、という地点だった。
「……ストップ」
レオンが小声で制止をかけた。
彼が指差す先。
通路の曲がり角の向こうに、三つの人影が見えた。
シルバーグレーの統一された装備。
無駄のない動き。
「『チーム・シルバー』だ」
レオンが忌々しげに呟いた。
「元別ゲーの王者たちで構成された、ガチの効率厨チームだ。……厄介な連中に会っちまったな」
彼らは真正面から撃ち合おうとはしなかった。
こちらの存在に気づいているはずなのに、遮蔽物に隠れ、何かを投げ込む動作をした。
カラン、コロン……。
乾いた音がして、俺たちの足元に小さな球体が転がってきた。
「グレネード!?」
「いや、違う! あれは――!」
次の瞬間。
ジリリリリリリリリリッ!!
耳をつんざくような大音量の警報音が鳴り響いた。
音響デコイだ。
しかも、一つじゃない。
俺たちの周囲を取り囲むように、複数個が同時に作動したのだ。
そして、最悪の連鎖が始まる。
『ギャアアアアアアアアッ!!』
通路の奥から、絶叫が響いた。
『スクリーマー』。
音に反応して周囲のクリーチャーを呼び寄せる、厄介な敵だ。
ドタドタドタドタッ!
四方八方から、感染者の群れが雪崩のように押し寄せてくる。
ターゲットは、当然、一番うるさい場所にいる俺たちだ。
「クソッ! ハメられた!」
レオンが叫ぶ。
「あいつら、このゲームの『聴覚指数』システムを悪用しやがった! 俺たちをクリーチャーに処理させて、死体からアイテムだけ漁る気だ!」
効率的で、リスクの少ない、プロらしい戦術だ。
「撃て! 迎撃しろ!」
レオンとたぬきさんがライフルを構え、迫りくるクリーチャーに応戦する。
だが、数が多すぎる。
このままではジリ貧だ。
遠くの遮蔽物から、チーム・シルバーの冷徹な視線がこちらを観察しているのが分かる。
(……ナメられたもんだな)
俺は冷静に状況を分析した。
このままここに留まれば全滅する。
だが、普通に逃げても、奴らの射線に入るだけだ。
ならば。
ゲームのルールを、少しだけ捻じ曲げる必要がある。
「アキト! 何してる、撃て!」
「……先に行くぞ」
俺は短く告げ、アサルトライフルを背中に回した。
「は? お前、正気か!? 自殺行為だぞ!」
レオンの制止を無視し、俺は走り出した。
向かう先は、クリーチャーの群れではない。
通路の横にある、吹き抜けの巨大な空間だ。
***
俺は手すりを乗り越え、虚空へと身を投げ出した。
風切り音が耳をかすめる。
このゲームには「落下ダメージ」がある。
この高さから落ちれば、即死は免れない。
だが、俺の脳内では、すでに次の手が描かれていた。
カチリ。
スイッチが入る。
『思考加速』。
VRのラグが消え、時間が止まる。
俺は腰のワイヤー・グラップルを引き抜いた。
狙うのは、対岸にあるビルの鉄骨。
シュッ!
ワイヤーが射出され、鉄骨に巻き付く。
俺は巻き取り機構を作動させると同時に、身体を捻った。
ギュンッ!
強烈な遠心力。
落下エネルギーが、横方向への推進力へと変換される。
俺の体は振り子のように宙を舞い、デコイの騒音範囲を一瞬で飛び越えた。
眼下では、クリーチャーの群れが俺を見失い、右往左往している。
その頭上を、俺はターザンのように飛び越えていく。
(……『ナイトハウンド』の三次元機動に比べれば、この程度のワイヤーアクション、児戯に等しい)
俺は空中でワイヤーを切り離し、慣性を利用して次のビルへと着地した。
パルクールのアシスト機能を切った、マニュアル操作による着地。
物理演算が追いつかず、一瞬だけポリゴンがバグったように歪む。
「……なっ!?」
チーム・シルバーの指揮官が、動揺したように声を上げた。
「なんだあの動き……パルクールのアシストを切ってるのか!? あんな挙動、システム上あり得ないぞ!」
あり得ない?
いや、これは「本来」の動きだ。
俺は着地の勢いを殺さず、そのままダッシュした。
彼らの側面へと回り込む。
距離、10メートル。
敵は慌てて銃口をこちらに向けようとするが、遅い。
俺は銃を使わない。
このゲームでは、背後からの近接攻撃は「テイクダウン」となり、確定でクリティカルヒットとなる。
「……見える」
俺はナイフを引き抜き、一番手前の敵の懐へと滑り込んだ。
プロゲーマーの反応速度?
そんなものは、予測線が見えるようになったこの状態の前では無意味だ。
奴がトリガーを引くよりも早く、俺のナイフは正確に喉元のヒットボックスを捉えていた。
ズシュッ。
デジタルな効果音と共に、敵のアバターが光の粒子となって崩れ落ちる。
「一人目」
俺は振り返りざまに、二人目の敵に向かってナイフを投擲した。
眉間に命中。
即死。
倒れていくアバターから拳銃を奪い取る。
残る指揮官が、恐怖に引きつった顔で後ずさる。
「ば、バケモノが……!」
彼はライフルを乱射したが、その弾道は全て予測済みだった。
俺は最小限の動きで銃弾を回避し、肉薄する。
「チェックメイトだ」
俺は彼の胸倉を掴み、至近距離から奪い取った拳銃の弾を撃ち込んだ。
***
戦闘終了。
周囲のクリーチャーも、レオンとたぬきさんが掃討してくれたようだ。
「……マジかよ」
レオンが呆然と呟きながら、近づいてきた。
「お前、一人でプロチームを壊滅させたのか? しかも、あんなデタラメな動きで……」
「ア、アキトくん……」
たぬきさんが、震える声で言った。
「君、やっぱり人間卒業してない? 今のワイヤーアクション、切り抜き動画で拡散されるレベルだよ……」
「……たまたまだよ」
俺は息を整えながら答えた。
嘘ではない。
自分でもわからない、できると思ったからやっただけだ。
俺は消滅したチーム・シルバーが落としたデスボックスに手を伸ばした。
彼らがこのエリアで集めていた成果、そして彼ら自身が持ち込んだ装備品。
ウィンドウを開き、中身を確認する。
「……ビンゴだ」
俺の口元が自然と歪んだ。
大量のコインに加え、金色に輝くアイコンが入っていた。
『旧時代の軍事データベース』
このエリアで極稀にドロップすると言われる、最高レアリティの換金アイテムだ。
彼らはこれを手に入れた後、脱出までの安全マージンを取るために俺たちを囮に使おうとしたのだろう。
だが、その強欲が仇となった。
「おい、マジか! レジェンダリーじゃねえか!」
覗き込んだレオンが叫ぶ。
「これだけでトップに行けるんじゃ? よし、このまま奥のエリアも……」
「いや、戻るぞ」
俺はレオンの言葉を遮り、即座に言った。
「えっ?」
「これを失うリスクは冒せない。それに、今の戦闘で周囲に位置がバレた。他のチームや、もっと厄介なクリーチャーが集まってくる」
俺はインベントリにアイテムを収納し、脱出用エレベーターの方角を指差した。
「ここで欲をかいて全ロストしたら、笑い話にもならない。……利確だ」
レオンは一瞬きょとんとしたが、すぐにニヤリと笑った。
「ハッ、違げえねえ。引き際をわきまえるのもプロの条件か。……よし、撤収!」
「了解だお♡ アキトくんの判断に従うよ!」
俺たちは踵を返し、脱出地点へと走り出した。
エレベーターを呼び出すと、帰還シークエンスの警報音が鳴り響く。
最後のラッシュが始まる。 だが、今の俺たちには焦りはない。
懐には莫大な戦利品があり、背中には信頼できる仲間がいる。
迫りくる感染者の群れを冷徹に捌き、俺たちはエレベーターへと滑り込んだ。
扉が閉まり、上昇が始まる。
『ミッション・コンプリート!』
勝利のファンファーレと共に、リザルト画面が表示される。
チーム・シルバーから奪った戦利品のおかげで、スコアは跳ね上がっていた。
「大漁だよ! この調子なら優勝も夢じゃないね!」
「ああ。残り時間15分……急げばもうワンレイドいけるな。どうするアキト、装備を整え直すか?」
レオンの問いに、俺は首を横に振った。
「いや、装備はそのままでいい。ただ……」
「ただ?」
「リアルで腹が減ってる。10秒くれ、ちょっと腹に入れてくる」
「は? リアルで?」
俺はバッとヘッドセットを外した。
スタジオの空気が肌に触れる。
控室から拝借してきたエネルギーゼリーの蓋を開け、一気飲みする。
喉ごし爽快、一撃180キロカロリー。
一瞬で飲み干し、間髪入れずにヘッドセットを再装着する。
「――ふぅ、生き返った」
ログインし直した俺を見て、レオンとたぬきさんが顔を見合わせる。
「……早すぎだろ。何食ってきたんだ?」
「ゼリーだ。固形物は咀嚼時間がタイムロスになるからな」
「うわぁ……」
「いつもそんな食事してたりしないだろうね? ちゃんと美味しいものも食べるんだよ、若いんだから……」
たぬきさんは心配そうな声で話しかける。
「昨日は焼肉で満足させてもらいましたし」
俺は苦笑しながら答えた。
「ならいいけどぉ。終わったらまた美味しいもの食べに行こうね」
「賛成。……さて、無駄話はそこまでだ」
レオンが真剣な声色に戻り、エレベーターの操作パネルを叩いた。
「残り時間、15分弱。普通なら撤退を選ぶ時間だが、俺たちは『狩り』に出る」
「ターゲットは?」
「マップ最深部、地下五階層。そこに湧くレイドボスだ。そして――」
レオンがニヤリと笑う。
「そこに群がっているであろう、他の上位チームどもだ」
「了解。……デザートにしては重そうだな」
俺はナイフの感触を確かめ、深く息を吸い込んだ。
胃袋にはゼリーの冷たさが、脳には糖分の熱が広がっていく。
感覚が再び研ぎ澄まされていくのが分かる。
ガコンッ、とエレベーターが再び下降を始めた。
「さあ、ラストダンスといこうぜ」
「アキトくん、キャリー頼んだよぉ♡」
「……善処します」
視界が闇に包まれ、再び戦場へと放り出される。
俺たちは暗闇の中へ、二度目のダイブを開始した。




