第41話
視界が白一色に染まり、次の瞬間、爆発的な情報の奔流が脳内になだれ込んできた。
地響きのような歓声。
視界を埋め尽くす極彩色のポリゴン片。
そして、物理法則を無視して建造された、天空に浮かぶ巨大な円形コロシアム。
ここが、今回の舞台――『バーチャル・イベント・スタジアム』だ。
「……仮想空間でもうるさいんだ」
俺――アバターネーム『アキト』は、待機エリアのVIPルームで眉間を揉んだ。
不快だからではない。
感覚が鋭敏になりすぎているのだ。
数万、いや数十万のアバターで埋め尽くされた観客席。
彼らが振るサイリウムの光の軌跡、飛び交うコメントの弾幕、システムが生成する環境音。
ギャラクティックフロンティアの『思考加速』の影響か、それとも脳の書き換えが進んでいるのか。
いや、単純に緊張からだろう。
慣れない環境に体がついてきてないだけだ。
だが、今の俺には、このVR空間の情報量は多すぎる。
スタッフのアバターが空中にウィンドウを展開し、慌ただしくチェックを行っているのが見える。
その動きが、まるで水中にいるかのように緩慢に見えた。
(これじゃ、知覚のオーバードーズだ。落ち着け、俺)
俺は意識的に情報を遮断しようと、仮想ウィンドウの不透明度を上げた。
現実の肉体はスタジオの椅子に座っているはずだが、感覚は完全にこちらにある。
脳の奥がチリチリと焼けつくように糖分を欲している感覚だけが、遠くから響いてくるようだった。
「ほらよ、アキト。顔色が悪いぞ。……アバターだから顔色なんてないけどな」
横から、データ化されたエナジードリンクが差し出された。
チームメイトのレオンだ。
彼のアバターは、金髪のストリートギャング風。背中には巨大なスピーカーを背負い、自身の派手さを主張している。
「……サンキュー」
俺は礼を言い、仮想アイテムのドリンクを一気に流し込んだ。
味覚信号として再現された強烈な甘みとカフェイン感が、プラシーボ効果となって脳を覚醒させる。
少しだけ、視界のノイズが晴れた気がした。
「緊張してるのか?」
「いや。……嘘。むっちゃ緊張してる。よくこんなんに耐えれるな」
「ハッ、これでもプロだからな、と言いたいとこだけど慣れただけってのが実情さ」
レオンがニヤリと笑う。
その時、スタジアムの照明が一斉に落ちた。
暗闇の中、スタジアム中央の空間に巨大なホログラムが投影される。
***
『――レディース・アンド・ジェントルメン! そして世界中からダイブしているレイダー諸君!』
ズンッ、と仮想ボディの骨格に響く重低音と共に、上空に全長50メートルはある巨大なアバターが出現した。
燕尾服を着た、カートゥーン調のウサギだ。
本大会のMCを担当する有名実況者が、管理者権限で巨大化しているのだ。
『さあ、やってまいりました! 新作VR脱出シューター『Operation: Labyrinth』リリース記念、公式ストリーマー大会! 本日の実況は私、MCの山下がお送りします!』
ワァァァァァッ!!
スタジアムを揺るがす歓声のエフェクトが炸裂する。
MCのウサギが軽快に空を飛び回りながら、スタジアム全体にウィンドウを展開していく。
『では、改めて今大会のルールをおさらいしましょう! 今回の戦場は、閉鎖された巨大地下迷宮都市「ラビリンス」!』
空中に、複雑に入り組んだ廃墟の3Dマップが映し出される。
『参加チームは全20チーム。制限時間は「レイドタイム」35分、そして完全撤収までの「バッファタイム」5分の計40分!』
『勝利条件は単純明快! 生きて帰り、より多くの富を持ち帰ったチームの勝ちです!』
MCの声が熱を帯びる。
『マップ内に散らばる物資、倒したクリーチャーからのドロップ、そして……他プレイヤーからの略奪、PK! 全てが「コイン」に換算されます!』
『ただし! 死ねば全ロスト! 装備も、拾ったアイテムも、全てその場に撒き散らしての退場となります!』
ハイリスク・ハイリターン。
まさに、このジャンルの醍醐味だ。
『そして今回の見どころは「ロードアウト選択」! 各チームには初期資金として3万コインが配布されています!』
『この資金をフルに使って最強装備で挑むもよし! あえて無料の初期装備(裸一貫)で挑み、現地調達で利益を最大化するもよし! 全ては戦略次第!』
なるほど、と俺は唸った。
最初から強い装備で行けば生存率は上がるが、その分コストがかかるため、最終的な利益は伸びにくい。
逆に貧弱な装備で行けば、コストはゼロだが、全滅のリスクが跳ね上がる。
『さあ、最後にどれだけ口座の数字を増やせるか! 強欲な亡者たちの狂宴、まもなく開幕です!』
***
『それでは、注目の参加チームを紹介していきましょう!』
MCが手を振ると、スタジアムの中央モニターに映像が切り替わった。
『まずはこのチーム! FPS界のカリスマ、レオン選手率いる『チーム・レッド』!』
カメラの視点が俺たちのアバターを抜く。
同時に、巨大スクリーンに俺たちが大写しになった。
センターには、レオンのアバター。
不敵な笑みでハンドガンを回している。
その右には、俺のアバター。
黒いフードを目深に被り、ガスマスクを装着した、顔の見えないスカベンジャー風のキャラクター。
初期設定のままだが、どこか不気味な雰囲気を漂わせている。
そして、左側。
『そしてこの可愛らしいアバターは誰だ!? 人気Vチューバー、たぬき選手です!』
スクリーンに映し出されたのは、ピンク髪のツインテールに、ふわふわの猫耳と尻尾を生やした、可憐なメイド服の美少女だった。
彼女(?)はカメラに向かってウインクし、指でハートマークを作ってみせる。
『みんなぁ、応援してね♡ 今日はレオンくんとアキトくんが守ってくれるんだお♡ キャハッ☆』
スタジアムから「うおおおおおっ!」「たぬきちゃーん!」という野太い声援の弾幕が飛ぶ。
脳がとろけるような萌えボイス。
完璧なアイドルのムーブだ。
――だが。
俺には、チーム通話で全く別の音声が響いていた。
『……ふぅ。どうだいアキトくん、今のアングル。完璧なファンサだろ?』
チーム限定のボイスチャットから聞こえてくるのは、ボイスチェンジャーを通す前の、低くしゃがれたおっさんの地声だ。
目の前では可憐な美少女アバターが愛嬌を振りまいているのに、耳元では中年男性がドヤ顔で喋っている。
最悪の認知不協和だ。
(……考えちゃダメだ。あそこにいるのは美少女だ。中身なんてない。中身なんてないんだ……)
俺は虚無の表情でガスマスクの下で呟いた。
昨日のオフ会で見た、ジャージ姿で海苔弁を食うおじさんの姿がフラッシュバックする。
死ぬ気で記憶を封印し、彼を「たぬきちゃん」という概念として認識するよう脳に命令を送った。
***
『続きまして! 今大会最大の注目、優勝候補筆頭の紹介です!『チーム・ブルー』!!』
MCの声が一段と大きくなり、スタジアムのエフェクトが青一色に染まる。
『彗星の如く現れ、主要FPSタイトルを次々と制覇している最強のVチューバーユニット!』
ワァァァァァァァァァッ!!
先ほどとは桁違いの歓声と、スパチャの嵐が巻き起こる。
転送ゲートから現れたのは、三人の少女のアバターだった。
先頭に立つリーダー格のアバターは、銀髪のロングヘアに、軍服をモチーフにした衣装を纏った少女。
その瞳は氷のように冷たく、手には身の丈ほどもある巨大な対物ライフルが握られている。
左右を固める二人も、それぞれ重火器と電子戦装備で武装しており、その立ち姿には一分の隙もない。
『リーダーの「ヴァルキリー」選手は、デビューから半年無敗! その神がかったエイムは、AIによるチート疑惑すら持ち上がったほどの実力者です!』
画面の中のヴァルキリーが、冷徹な視線をカメラに向ける。
ただの3Dモデルのはずなのに、そこには確かな殺気が宿っている気がした。
ポリゴンの塊ではない。
獲物を狩るために調整された、捕食者の「魂」を感じる。
「……彼女たちが」
俺はガスマスクの奥で目を細めた。
その「在り方」に見覚えがあった。
『ギャラクティック・フロンティア』で遭遇した、あの特殊部隊。
徹底的に無駄を削ぎ落とし、勝利のみを追求するプロフェッショナルの気配。
「アキト、油断するなよ」
隣でレオンが声を低くした。
彼のアバターもまた、おちゃらけた雰囲気を消し、真剣な瞳になっている。
「あいつら、見た目は可愛いが中身は化け物だ。エイムボット並みの精度に、機械のような連携。……正直、正面から撃ち合って勝てる相手じゃねえ」
「……そんなになのか……気をつけるよ」
俺は頷いた。
確かに強敵だ。
だが、恐怖はない。
むしろ、身体の奥底で燻っていた熱いものが、静かに燃え上がるのを感じていた。
***
『さあ、全チームの準備が整ったようです!』
『ゲートオープン! ダイブ・シークエンス、起動!』
MCの号令と共に、スタジアムの床が粒子となって消滅した。
足元に広がるのは、無限の闇。
そしてその奥底に浮かぶ、巨大な地下都市のマップデータ。
「……行くぞ」
俺は小さく呟いた。
これは遊びだ。
たかがゲームの大会だ。
命を取られるわけでも、世界の運命がかかっているわけでもない。
だが。
「負けるのは、趣味じゃないんでな」
カチリ、と脳内のスイッチが切り替わる音がした。
重力という鎖から解き放たれる瞬間。
『カウントダウン! 3、2、1……』
デジタルの数字が網膜に明滅する。
『――ダイバーズ、ゴー!!』
瞬間。
俺たちのアバターは重力に従い、闇の底へと落下を開始した。
スタジアムの喧騒が遠ざかり、風切り音だけが鼓膜を打つ。
その先にあるのは、鉄と硝煙と欲望が渦巻く、電子の迷宮。
開戦のファンファーレが、俺の脳髄で高らかに鳴り響いた。




