藤田:FSサーバー2
その日は朝から緊張していた。
いや、緊張していたと言うなら昨日からだ。胃がキリキリと痛くなりそうな緊張のせいでなかなか寝付けなかったくらいだ。
仕事柄大勢の前で話をする機会も多いし、立場がずっと上の人間を相手にするのも珍しくない。新入社員の頃はともかくとして、最近では社長が相手だろうが緊張はしなくなった。
人間は何事にも慣れる。
そんな私でも今回ばかりは緊張せざるを得ない。
なにしろ今日これから会うのはエルダーなのだ。
事の始まりは七月末のある日の事だった。
仕事の関係で付き合いのある鍛冶職人のミアさんから連絡があった。
会えばそれなりに親しく接しているとはいえ、それも仕事上の事。プライベートでの付き合いは無く、発注していた仕事の納期もまだ先だったので「はて?」と思ったものだった。
事情を聞いてみれば知り合いのエルダーが『決闘者の闘技場』に興味を持っていて、至急必要な機材を揃えたがっているとの事。
私としてもエルダーの参加は望むところなので、二つ返事で了解して荷物を発送した。出入りの宅配業者にお急ぎ便で預けたから当日の午後着になった。
すると同じ日の夕刻にまたもミアさんから連絡があり、今度はエルダー専用のサーバーを開設するから協力して欲しいという、驚くべき依頼を受けることになった。
こちらはお願いではなく、仕事としての依頼だった。
サーバーをレンタルしてシステムを入れるだけなら簡単な話だ。普段の業務と変わらない。
持ち込みのデータでオリジナルのフィールドを作って欲しいというのも良くある依頼だ。
……その持ち込み方が異例というか異常ではあったが。
エルダーが普通の人間でないのは周知の事実として、それでもなお「こんなことまでできるか!?」と驚愕させられたものだ。
そんなこんなで『FSサーバー』は急ピッチで開設された。
可動初日にエルダーが集まるという話を聞き、今度は私がミアさんに頼み込んだ。
私もその場に同席したいと。
エルダー達にとって『決闘者の闘技場』を利用する目的は遠隔地にいる相手と現実に等しい環境で会うため――つまるところ単なるコミュニケーションツールとしての利用だ。それはおかしな話ではない。VRが導入される以前のネットゲームにもそうした側面はあったからだ。
ただ『決闘者の闘技場』をエルダーが利用するのであれば、是非とも頼みたい事が私にはあったのだ。
先方の許可を得て、八月一日の今日、私はFSサーバーにログインしようとしている。
会社には自宅から仮想空間に入って仕事をすると伝えてある。嘘は吐いていない。
そして今も緊張している。
第二次世界大戦で活躍し、今も世界を守っているエルダー達に会うとなれば、やはり緊張してしまうのだ。
だが私にも世界のためになる仕事をしている自負がある。ゲーム会社の社員が大仰な事を言うと思われるかもしれないが、『決闘者の闘技場』リアルモードにはそれだけの価値がある。スキル専門校での負傷・死亡事故の件数や卒業生のレベル、そういったものを『決闘者の闘技場』のリリース前後で比較すれば一目瞭然だ。
ゲームで世界は守れない。世界を守るための人材を守っている。
だから例え相手がエルダーであろうとも、私は堂々と胸を張って対峙しよう。
決意を新たにしてヘッドギアを装着し、ベッドサイドの時計で時間を確認する。
エルダーの皆さんの集合時間は十時。ホストは少し前にログインするそうだ。そこでミアさんに九時五十分にインしてもらい、私自身は五十一分にインすることにしておいた。
……なんだかんだ言ってもエルダーの人達といきなり単独で会うのは怖い。ミアさんに緩衝材になって貰いたいのだ。
時間を見計らって仮想世界へ。
ミアさん、ちゃんとログインしていて下さい。そう念じながら『FSサーバー』を選択した。
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「……」
目の前の光景に言葉を失った。
フィールド作成にも携わっているからどんなマップか知ってはいた。しかしこうしてその世界に中に入って実際目にするのは全く違う。
小振りながらも立派な城が聳え立っている。
中世的な街並みと城。ファンタジー系のコンテンツでなら珍しくも無い光景だが、このサーバーに構築されたそれは、過去のどんな作品よりもリアルだった。当時の建築技術の限界なのか、石組は微妙に不揃い。風雨に晒されて色の変わった建材などもそのまま再現されている。
テクスチャマッピングを一切使わずにこんな芸当ができたのも、例のデータを持ち込んだエルダーの特異な能力があったからこそだ。
その能力とは目にした光景を細部に至るまで完全に記憶する能力と、その記憶をそのまま電子データに置換できる能力だった。つまり今私が見ている光景は、この城が存在していた当時にそのエルダーが見た光景なのだ。
そんなわけなので、実はこの城はハリボテに近い。外観も裏手側は存在しないし、内部構造も二割程度。要はここを訪れたエルダーが実際に見た部分しか再現されていない。
とは言え、それを差し引いたとしてもこの再現度は他に類を見ない。
ここまでなら、私が言葉を失う事も無かっただろう。
むしろ感嘆の声を上げ、惜しみない賛辞を発するところだ。
これはそれほどの物なのだ。
それなのに。
ゲーム開発に携わる者からすれば、まさに奇跡の産物としか言いようのないその風景の中で。
三人の女性が胸の揉み合いをしている。
ハラスメントコード違反の警告ウィンドウが開いているのにお構いなしだ。
これはいったい何事なのか。
この状況にどんなコメントをしろと?
言葉を失うなと言われても無理である。
一人はミアさんだった。黒い房の混じった焦げ茶色の髪が特徴的なので一目で判る。
どうすることもできずその妖しい戯れを見ていると、その内の一人と偶然目が合った。
……ような気がした。
気がした、というのも相手がミアさんだったからだ。彼女はいつも目を瞑ったようにしか見えない糸目なので、視線がどこを向いているのか皆目見当がつかない。
戯れを止めたところを見ると、やはり目が合ったのだろうかと思う。
「やだなあ、藤田さん。いつから見てたの?」
「……いつからというほどではないです。今来たばかりですから」
「ふーん。まあいいや。まずは紹介しないとね。まずこっちがシシルちゃん。このサーバーの主催者ってことになるのかな」
ミアさんに促されて、少し色の抜けた栗色の髪の女性がぺこりと頭を下げてきた。
「シシルと申します。この度は大変お世話になりました」
見た目も声も少女――いや、美少女のそれだった。無料ダウンロードの野暮ったい衣装を着ているのがもったいないくらいだ。
「こっちはライア」
「ライア・ネズベットです。いろいろと助力を頂いたそうで、本当にありがとうございました」
次は金髪の大柄な女性だった。
……ほんとうに大きい。視線を合わせるには見上げる必要がある。私だってけして背が低い方ではないのだが。そして大きいのは背だけではなかった。鎧の下に着る厚ぼったい服を着ていてさえ、なお存在を主張する胸の膨らみ。
正直目のやり場に困る。
「で、こっちが藤田さんね」
「藤田と申します。決闘者の闘技場の企画開発担当でした。現在は管理と運営にあたっています」
丁寧に礼をすると、シシルとライアの二人が改めて返礼。
そこから今回のサーバー開設に関してのお礼が改めて述べられたり、こちらもそれに応じたり。
そんな社交辞令じみた遣り取りをしながら、私の脳内ではこれまでに蓄えたエルダーの情報が渦を巻いている。
まずはシシルと名乗った女性。
エルダーとしての系統は『魔人』。
知名度は高くない。というか一般にはほとんど知られていない。最大戦力であり、現在は結界長を務めている『天使』の面々や、世界最大の格闘術流派を率いる『仙人』達と違って名前が表に出る事は殆ど無い。第二次大戦の資料ですら、余程深く調べないと名前が出てこないくらいだ。
それでいてエルダーの中での発言力は極めて高いらしい。嘘か真か、この人を敵に回すのは即ちエルダー全てを敵に回すことになる、とさえ言われている。それが大袈裟だとしても、こうしてサーバーを開けば多忙な筈のエルダー達が集まってくると言うのだから、相当の影響力があるのは確かだ。
ライア・ネズベット、系統は同じく『魔人』。
彼女についてはシシルさん以上に情報が少ない。僅かな資料とミアさんから聞いた話を合わせると、とても力持ちらしい。
……力持ちってなんだ、と言いたい。エルダーなのだから一般人よりは力もあるだろう。そんなエルダーの中でも特に、という事なのだろうか。
こうして対面して受ける印象は物腰の柔らかなおっとり系美女、というところだ。流暢に話す日本語が丁寧な言葉遣いなのもその印象を強めている。
そんな風に二人のエルダーの情報をおさらいしている間に話に一区切り付き、シシルさんが「ところで」と物問いたげな風情で切り出してきた。
「さっき、不思議な事がありました。私とライアがいきなり現実に戻されてしまったのです。もちろん間違ってログアウトの操作をしてしまったとかはありません」
「……もしかして、その直前に黄色いメッセージウィンドウが出ていませんでしたか?」
ログイン直後に見た光景を思い出せば原因は自ずと導き出される。『決闘者の闘技場』はリリースから五年を経ている。予期せぬログアウトなどという重大な不具合が残っているわけがない。
だが、導き出された原因が事実だとすると、この人達はいったい何をやっていたのか。
「メッセージウィンドウ? それはこれの事ですか?」
そう言うと、シシルさんは無造作にライアさんの胸を掴んだ。
当然シシルさんの眼前にハラスメントコード違反の警告ウィンドウが出る。
「っ! そ、それです」
「藤田さん、これってなんなの?」
今度は逆側から、ミアさんがライアさんの胸を揉み始めた。
もちろんミアさんの前にも警告ウィンドウが開いた。
「あの、二人とも、男性の見ている前でこれは……」
両側から豊満な胸を揉みしだかれ、ライアさんは身悶えている。この仮想世界は痛覚だけでなく性的な快感も再現されない仕様になっているから、単純に恥ずかしがっているのだろう。
困ったように「あまり見ないでください……」と目で訴えられ、慌てて目を逸らした。
……ここが仮想世界で本当に良かった。
心底からそう思った。もしも現実世界であったなら、思春期の中高生のように前屈みにならざるを得なかっただろう。それほどに刺激的な光景だった。




