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ライア:バーチャルリアリティー

(仮)第二章と同じく終業式当日から始まります。


注)ライア視点の今回から地の文の口調が少し変わります。

 吃驚しました。

 買い物から帰って玄関の戸を開けたら、たたきで桜が土下座をしていたのです。

 桜は土下座のままなにやら長語りの最中らしく、その向こうではシシル様が麦茶のグラスを片手に困り顔をしています。


「これは何事ですか?」


 桜の語りを邪魔しないように小さな声で尋ねると、シシル様も同じように小さな声で「最後までやらせてあげて」と言いました。土下座はこの国では特別な意味を持つ行為だと聞いています。最終兵器だと言う人もいるくらいですし、桜も並々ならぬ覚悟で行っているはず。その意を汲んで完遂させてあげようというシシル様の心遣いが素晴らしいですね。


 さて、途中から聞いた話からすると、どうやら桜は学園で行われた試合に負けてしまったようです。しばらく前、シシル様に助言を求めていましたが、それにも関わらず勝てなかった事が申し訳ないと。それで土下座をしてシシル様にお詫びしているようです。


 シシル様は時折グラスを口に運びつつ、適切なタイミングで相槌を打っています。

 グラスが空になってしまう頃、ようやく桜の口上が終わりました。じっと体を縮こまらせたままシシル様が声をかけるのを待っています。


「うん、言いたいことは分かった。でも女の子が土下座とか正直引くから」


 シシル様が私に目配せをしました。


「ライア、やっちゃって」


 私も桜の土下座姿は少々痛ましくて思っていましたので、早速桜の胸元とお尻に手を掛けて持ち上げました。

 途端にシシル様がとても楽しそうに笑い出しました。『吹く』や『吹き出す』などと表現される唐突な笑いです。


「く、空中土下座……初めて見た」


 なるほど、持ち上げられた桜が未だに土下座姿勢のままになっています。

 私としては持ち上げながら胸元を引き上げ、お尻を前に押して普通に立たせるつもりだったのですが、桜はあの姿勢を維持するために随分と力を込めていたようです。結果として土下座姿勢のまま持ちあがってしまって、しかも縦になっていますね。


 なんだか桜がぷるぷると震えています。それでもなお姿勢を維持しているのは、さすがシシル様の弟子となるほどの女の子だと思います。

 でも、それはそれ、これはこれです。シシル様はもう土下座を止めさせようとしているのですから、ここで無駄に根性を見せられても困ります。


「駄目ですよ桜。土下座は最終兵器だと聞いています。軽々しく発射して良いものではありません」


 そう言うと、桜の体から力が抜けていくのが伝わってきて、ようやく土下座を止めてくれました。

 おや? どうしたのでしょう。桜の足が私の手を挟んで離してくれません。最初はお尻に宛がっていた手も、姿勢の変化に伴って彼女の足の間に入ってしまっているのにです。

 女の子の大事な部分にも触れてしまいそうな危険な位置です。普通なら急いで離脱しそうなものですが、桜はかえって両腿に力を入れて私の手を離そうとせず、それどころかもじもじと擦り合わせるような動きも加わっています。


 これは……そこに触って欲しいという意思表示でしょうか。だとしたら許せません。シシル様の見ている前ではしたない行為を要求してくるなんて。思い返せば出会った最初から抱擁を求めてきたり、その後もなにかと好意的な言動が目立っていました。もちろん同じ家に住む家族として好意を寄せて貰えるのは嬉しいのですが、度を過ごしてはいけません。越えてはいけない一線は同性の間にもあるはずです。


 ここは心を鬼にして厳しめに注意するべきでしょうか。

 そんなふうに思案していると、桜が消え入りそうな声で言ってきました。


「あの、ライア、下ろしてくれない? ちょっと手が……」


 言われて見てみると、桜の足は床に着いておらずゆらゆらと揺れています。

 なるほど、これでは離れられませんし、体重がかかってしまって足で挟むような感じになってしまいますね。もじもじしていたのは単純に恥ずかしかったからでしょうか。

 これは失敗です。私にとっては桜の体重など羽毛のような軽さですから、持ち上げたままになっていたのに気付けませんでした。人――特に普通の人間と触れあう時には繊細微妙な力加減を忘れてはいけません。加減を間違えると簡単に怪我をさせてしまいますからね。

 なんにしろ桜が破廉恥な娘で無いと判って安心です。


 そっと下ろしてあげると桜は制服の埃を払いました。冷静を装っているつもりのようですが、頬が紅潮しています。動揺を隠そうとして隠し切れていない、そんな様子がとても可愛らしく、シシル様も嬉しそうです。シシル様は桜のこんな表情を見るために、普段から胸の話などを頻繁に振っているくらいですから。


 その影響でしょうか。最近の桜は私と話をする時に、じっと私の胸を見つめている事が多くなってきています。弟子は師匠に似てくるものなのですね。


 その後茶の間に場所を移して、詳しい話を桜から聞きました。土下座中の語りと違ってとても整理された話は聞きやすく、まるでその場にいたかのように試合の光景を思い浮かべる事ができました。


 さらにその後、土下座は発射するものではないと桜に教えられました。

 最終兵器と言うからには発射するものだと思っていたのですが。

 日本語は奥が深いですね。


 *********************************


 ある日の朝の事、台所で朝食の準備をしていたら茶の間から桜の絶叫が聞こえました。

 茶の間から飛び出してきた桜が逃げるように自室へと帰っていきます。


 ……私もシシル様や桜の影響を受けてしまったようです。足早に通り過ぎる桜を見て、まず最初に胸に目が行ってしまいました。先ほどシャワーを浴びたばかりの桜はまだサラシを巻いておらず、薄いTシャツ一枚の胸元が躍動的に上下しています。


 シャワー後に冷蔵庫の麦茶を飲みに来てから多少の時間が経っています。その間茶の間からは桜とシシル様の話す声が聞こえていました。さすがに内容までは聞きとれませんでしたが、主に桜が熱弁を振るっていた様子。


 普段の桜であれば速やかにサラシを巻いていたはずです。私が見る限り(もちろん服の上からです)、桜の胸は女子として誇れる代物だと思います。ああまで隠す必要はなさそうなものですが、事あるごとにシシル様が話の種にするものですから、すっかり警戒してしまっています。

 そんな桜がサラシを巻かずに長時間シシル様と話をしていたとなると、余程重要な内容だったのでしょう。


 興味をそそられましたので、できるだけ急いで、でもけして手抜きはせずに、朝食の用意を終えました。常ならすぐに桜を呼ぶところですが、先ほどの様子では少し落ち着くための時間を置いた方が良さそうです。その間にシシル様から話を聞いてみましょう。

 自分の興味を優先させたわけではありませんよ?



 茶の間ではシシル様が何やら思案しています。


「シシル、お茶をどうぞ」


 こうしてシシル様を呼び捨てにするのには未だに慣れません。呼ぶ前に気構えをしないと、昔のままシシル様と様付けで呼びそうになってしまいます。時代も変わったのだし家族として暮らすのだから呼び捨てにしてほしいというのがシシル様の希望です。私としては昔のように様付けで通したいところですが、他ならぬシシル様が呼び捨ての方が良いとするのであれば是非も有りませんでした。


 私が淹れたお茶を受け取ったシシル様は「ありがと」と短くお礼を言ってくれました。


「さっきは桜とどんなお話を? 随分話し込んでいたようですが」

「ん、もしかしたらメリナやフェンルーと会えるかも知れないっていう話」

「え? 姉さんたちとですか?」


 メリナとフェンルーは私の義姉妹です。今は仕事で遠い国にいます。私が日本に来てからは一度も会っていませんから、もし会えるならかれこれ二十年振りになります。


「もともとはシャールに直接会いたいっていう話だったのよ。あそこは今色々と心配じゃない」

「そうですが……あの人は結界から出られませんし。会うとなればこちらから出向くしかありません」


 シャールは二号結界の結界長です。昨今ニュースでも報じられている通り、二号結界では魔族侵攻の警戒レベルが上昇しており、連日緊張状態が続いています。いつ戦闘が始まるかも知れない状況ですから、結界長が外出など無理に決まっています。

 シシル様は頷いて私の言葉を肯定すると「そこで桜ちゃんの話よ」と前置き、仮想世界でなら限りなく現実に近い状態で会えるのではないかと説明してくれました。


「バーチャルリアリティですか。まだ実用化されたばかりだと思いますが、もうそんな事ができるようになっているのですか」


 そう言うと、シシル様は我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべます。


「やっぱりそういう感覚よね。私もつい最近出て来たばかりの技術だと思っていたのだけど、もう十年以上前らしいわよ? 桜ちゃんの話を聞いて驚いちゃったわ」

「十年ですか!? もうそんなに……」


 このように年月の感覚が曖昧になってしまうのは私達エルダーにとっての欠点に数えられます。

 エルダーとして生きてきた長い年月の中では、十年二十年程度はつい最近です。ところが普通の人間にとっては違います。十年一昔という言葉もあるくらいです。

 十年あれば科学技術も進歩します。

 バーチャルリアリティーも私達が考えている以上に普及・発展していたようです。

 桜も利用しているのですから、一般家庭に浸透するくらいに成熟しているのだと気付くべきだったのでしょう。


「それでね、現実と変わらないと言うのがどの程度なのか、一度私自身の目で確かめてみようと思うの。桜ちゃんを疑うわけじゃないけれど、いざみんなを集めてみたら期待外れっていうのは避けたいし」

「……それが良いと思います」


 以前見た事のあるゲームを思い出しました。あれも「リアルを追求した」と謳われていましたが、テレビの画面に映っていたのはタイルを張り合わせて無理矢理立体にしたような、やたらと角張ったキャラクターでした。あんなものが出てきたらがっかりです。


「朝ごはん食べたら必要な物調べて準備しちゃいましょう」


 シシル様は思い立つとすぐに行動に移るのです。

 とは言えついさっきまで知りもしなかった事柄ですし、調べると言っても難しいのではないでしょうか……と、そこで先ほど聞いた『決闘者の闘技場』という名前を以前にも聞いた事があると思い出しました。


「そういえば、少し前にミアがそれに関係した仕事をしていると言っていたような……」


 まあ私にとっての『少し前』ですから、実際には何年も前の事なのでしょうけれど、そう言うとシシル様も思い当たるふしがあったようです。

 取り敢えずエルダー仲間の鍛冶職人、ミア・フィスティスに連絡してみようということで話は決まりました。

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