三条珠貴:紙一重の勝利
左手を翳して「盾」と一言の呪文を発声する。
ぎりぎりで間に合った防御障壁が斬撃を受け止めて震えた。
「障壁!?」
天音さんは驚きの声を上げたものの、その驚きを引き摺ることなく瞬時に気持ちを切り替えたようだ。人間の通常動作には有り得ないヌルリとした、それでいて恐ろしく小回りの効いた動きで側面に回り込み再度の斬撃を放ってくる。
これも『盾』で防いだ。
いくら天音さんが速くても体ごとの移動を伴っている。左手だけ向ければ良い私の方がまだ速かった。
斬撃を止められた天音さんは体勢を崩している。
「打て……え?」
右手を天音さんのお腹に向けて『打て』を発動させた直後。
余りに速過ぎて、私の目に映ったのは一閃された銀光の残像だけ。
掌に斬撃エフェクトが灯り、そこで初めて斬られたのだと知った。
でもそれは私自身に対する攻撃では無かった。
『打て』は弾体を形成して発射する単純な投射型魔術だ。呪文発声直後、右掌の前に九発の弾体が形成されてから発射されるまでの僅かなタイムラグ。存在するだろうとは知っていても、普段は術者本人である私ですら意識できないような極めて短い時間だ。
その隙間のような一瞬を天音さんは突いてきた。
崩れた体勢から驚くべき速さと正確さで刀を振るい、形成されたばかりで密集状態の光弾をまとめて斬って捨てたのだ。むしろ私の掌が斬られたのがオマケに過ぎない。
生き残った数発の光弾を腹部に受けて、天音さんが数歩後退した。
いくら一発の攻撃力は低くても、九発纏めて直撃していれば決着もあり得たのに。
案の定、残りの光弾では十分なダメージにはならなかったようで、当の天音さんも怪訝な顔をしている。事前に『打て』の光弾が低威力だと知っていても、まさかこれほどだとは思っていなかった。そんなところだろう。
それにしても手強い。
事前に対策を練る際に最もやってはいけない事、それは相手の過小評価だ。
今回は天音パパの動画を元にして+αもあるかと見積もっていたのだけど……。
それが過小評価になってしまうなんて。
天音さんってもう天音パパを越えてしまっているみたいだ。
近接戦に持ち込まれる事態もあるだろうと防具を買いはしたけれど、まさかこうも簡単に潜り込まれるとは思っていなかった。なにしろ距離を詰められるまで直撃が一発も無い。
『打て』の弾数を増やす?
いやいや、今の調整に慣れるのに何日かけたことか。いきなりやって失敗すれば状況が悪化するだけだ。
どうすれば良い? 考えがまとまらない。
こういう時には取り敢えず……左手を天音さんに向けてもしもの場合に備えて。
「正直驚きだわ。私に近づけたのは霧嶋さんを除けばあなたが始めてよ。あの霧嶋さんが推薦するくらいだからかなりやるとは思っていたけど……予想以上だわ」
「こっちこそ驚いたわ。近接戦に持ち込んで仕留められなかった魔術タイプはこれまでいなかったもの」
それはそうだ。
あの攻撃速度、まともに呪文を詠唱していたら絶対に間に合わない。私の一言呪文以外で間に合うのは、三年生の黒間先輩が使うオリジナルの防御障壁術くらいだろう。
学園外の事は知らないけれど。
「「……」」
会話が全然膨らまない。
適当に喋っている間に何か思いつくかもなんて浅はかだったかな……。
天音さんは何かを見極めるような目で私を見つめ、そうして刀を鞘に納めてしまった。
取った構えは剣術に詳しくない私でも知っている居合の構え。
居合は抜刀後の初撃のみ攻撃速度と攻撃力にボーナスが付くはずだ。
……ちなみにこれはとあるゲームに登場するスキルの話。しかもネットで記事を読んだ程度だからうろ覚え。リアル志向を謳うコンテンツだったし、当たらずとも遠からずだろう。
そうなると先に攻撃されるのはマズイ。
障壁の強度はぎりぎりだったのだから、攻撃力アップで破られる可能性がある。
こちらから攻撃して斬り払いのために抜刀させてしまった方が良さそうだ。
少しでも距離を稼ごうと半歩退きながら『打て』を発動した。
放たれた九発の光弾は、距離の近さも相まって全弾が直撃コースになるはず。
天音さんは一歩踏み込みながら抜刀、私の目には斜めに傾いだ「Z」型の残像のみ映っていた。光弾は二発にまで減っている。
……は? あの形って、まさか三回斬った!? いくらなんでも速すぎでしょ!
しかも残る二発は当たるに任せて更に間合いを詰めてきている。刀は右脇に絞り込んだ突きの構え。
「た、盾!」
翳したままだった左手で障壁を展開した。
最後の一歩を大きく踏み込んで、天音さんが突きを放つ。その切っ先が触れた途端、障壁は脆くも砕け散っていた。
突きはそのまま伸びて私の左胸、心臓の位置を狙っている。
居合で攻撃力が上がるのは初撃だけじゃなかったのか。
それとも他に攻撃力を上げる技を使っているのか。
――ああ、これは避けられないな。
胸に迫る白刃を見下ろしながら、不思議なくらい冷静にそう考えていた。
鍛錬を積んでいればこの瞬間にも体が勝手に反応して回避行動を取るのだろうけど、私の下半身は全然動こうとしない。
それならいっそ力を抜いてしまえ。
脱力してその場に倒れてしまった方がまだ致命傷を避けられる目が出てくるだろう。
イチかバチかの賭けだった。
重力に引かれて沈み始めた私の左胸に刀の先端が触れる。
そのまま刺さればまだ心臓の位置、試合終了となるところだった。そうならなかったのはブレストプレートのお陰に他ならない。
直後にブレストプレートは簡単に貫かれてしまったから強度の話ではない。形状が私を救った。
女性用に造られたブレストプレートは胸の部分が前方に膨らんでいて、その湾曲で切っ先が少しだけ上に滑ったのだ。
天音さんのように胸を潰していたら防具の形状はもっと平坦に近く、こういう結果にはならなかっただろう。
私にサラシは必要無いと確信した瞬間でもあった。
鎖骨の辺りから肩甲骨までを貫かれ、体の中でダメージ判定が発生する不快感が連続した。
それでも、絶体絶命の場面でイチバチの賭けに勝ち、自然と笑みが浮かぶ。
ダメージは大きくても即死はしない。となれば、今の状況はこれまでにない絶好の攻撃チャンスだ。
伸ばした右手が触れたのは胸当てだったけれど、構っている余裕は無い。
「……打て」
ゼロ距離で全弾直撃。
天音さんが大きく弾き飛ばされ、握られたままの刀がずるりと肩から抜けていった。
あれは必殺を期した一撃だったのだろう。天音さんが悔しげに顔を歪めている。
そんな彼女の胸には打撃ダメージ判定のエフェクトがある。防具の上からだったけれど、エフェクトが灯りっぱなしになっているからある程度深刻なダメージになっているはずだった。
――ここで畳みかける!
負傷した左肩には大量出血を示すダメージエフェクト。遠からず失血死判定が下りそうな規模だ。時間を掛けるわけにはいかない。
右手を翳すと、天音さんが雄叫びを上げて突進してきた。『打て』の連射で迎撃する。
胸のダメージが原因だろうか。天音さんはもう回避行動を取ろうとせず、刀を縦横無尽に操って光弾を斬り払い、強引に前進してくる。
いや、あれはもう斬り払えていない。さっきまでは無かった火花のような着弾エフェクトが発生している。
天音さんの刀から非物理攻撃力が失われたのだ。
さらにはスピードが落ちていて、打ち漏らした光弾が次々に天音さんの体を打ち据えている。
それでもなお前進は止まらない。ただ私だけを見据えて、天音さんは進み続ける。
――なんで止まらないのよ……。
普段の涼やかな天音さんとはまるで別人だ。鬼気迫る様な執念さえ感じる。
ほとんど自分から光弾に当たりに来る勢いで天音さんは最後の距離を詰めた。
私の首を狙って刀が振るわれる。
咄嗟に「盾」と唱えて、でも私と天音さんを隔てる障壁は生まれなかった。左手は肩の負傷のせいで体の脇にだらりと垂れていて、障壁もそこに生まれてしまっていた。
右手で障壁を使おうとしてももう間に合わない。
天音さんの右手はそのまま振り抜かれていた。
あ……れ? 斬られて無い?
斬られれば感じるはずの衝撃が感じられなかった。
そもそも首を斬られれば致命傷。一撃で死に戻りしているはずなのに、まだこうしてフィールドに立っている。
でも天音さんは刀を振り切っている。
これはどうしたことだろう。
「え……?」
天音さんが呆然と何かを見ている。その視線を追って、何故自分がまだ生きているのか、その理由を知った。
天音さんの刀が半ばから折れている。
非物理攻撃力も無く光弾を斬り払い続けて、刀の耐久力が尽きたのだ。
無意識の内に天音さんの顔に向けて右手を翳していた。
「鎚よ、打て」
ここで二言呪文を使ったのは、既に何十発も光弾を受けいるにも関わらず立って動いている天音さんを、心のどこかで怖いと感じていたからかもしれない。
追加呪文『鎚よ』で攻撃力を強化され、しかも一発に集約された『打て』で天音さんの顔面を叩き潰した。
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天音さんのアバターが光の粒子に分解し、宙に溶けるように消えていった。
空中に《タマ WIN!》と勝利メッセージが表示されると共に、体がすうっと軽くなる。そこで初めて重度の出血判定で体の動きが鈍くなっていたのだと気付いた。
ダメージは抜けてアバターは完調状態に戻っているにも関わらず、私はその場にぺったりと座り込んでしまった。まさか仮想世界でこんなことになるとは思わなかったけれど、腰が抜けたような状態になってしまったのだ。
「か、勝てた……?」
思わず漏れた呟きをきっかけに、観客席から物凄い歓声と割れんばかりの拍手が巻き起こった。
個々の言葉は聞き分けられないけれど、私を称賛してくれているのは判った。
「本当に……勝てたんだ」
歓声によって勝利の実感がじわりじわりと湧いてきた。
にも関わらず、私は首を擦って身を震わせていた。
危なかった。
もしも天音さんの刀がもう少しだけ良いものだったら。
あと光弾数発に耐えるだけの耐久力があったなら。
今ここにいるのは私では無かっただろう。
試合が決まった時、天音さんならMコースのみんなの慢心を打ち砕いてくれるだろうなんて考えていた。
慢心。
私こそ慢心していた。
『相応の腕前になった剣士タイプ』だなんて、なんて上から目線の物言いだろう。
今となっては恥じ入るしかない。
……勝者がいつまでもへたり込んでちゃ締まらないわね。
まだ頼りない足腰を叱咤して立ち上がり、控え目ながらもガッツポーズ。
さらに大きくなった歓声を聞きながら、私は考えていた。
幸いにもこれから長い休みに入る。
こんなぎりぎりの勝利ではなく、天音さんに圧勝できるだけの力を得てみせる、と。
どうにかこうにか第一章を終了できました。
次回の視点キャラはライアを予定しています。




