『セ』から始まる?
師匠がログアウトするのに合わせて私もFSサーバーを後にした。ここは師匠と仲間の人達にとっての特別な場所という感じがして、一人で長居するのは居心地が悪い。
すぐさま宇美月サーバーにログインして、いつも溜まり場にしている例の自販機前のスペースに直行する。芳蘭に貰った型の動画はFSサーバーのアクセスキーを持つアカウントでしか再生できないようにプロテクトがかかっている。普通に考えれば「他人には見せるな」ということだろうし、それなら練習風景を人に見られるのは避けないといけない。
日曜午後の仮想宇美月学園にはもとより人の姿はほとんど無く、この場所は普段から人の寄り付かない場所だし、人目を避けるにはうってつけだ。
とりあえず動画を見てみよう。
ベンチに腰掛けてウィンドウを開いて演武を再生する。スローにしたり、別角度からの映像に切り替えたりしながら繰り返して見る。
この一回二分程度の演武が世界的な格闘術流派である『龍鳳』の全てだった。
師匠の説明によると龍鳳は極めて自由度の高い流派だそうだ。
入門するとまず基礎的な体作り、呼吸法や精神修養を経て格闘術『龍鳳』を学ぶ。それだけでも一つの格闘術として成立しているけど、龍鳳の思想に「他流派の良い所は何でも取り入れる」とあって、個人の好き好きで様々な戦闘技術を学んでいくそうだ。だから指導者によってある程度の系統はあるものの最終的には個々人の選択で最終的なスタイルが決まる。
逆になにかしらの戦闘技術をマスターした後にさらなるレベルアップを目指して龍鳳を取り入れるというパターンも多いそうで、これはそれだけ汎用性に富んでいるという証だろう。
そんな中で芳蘭達幹部は伝統的に中国拳法のスタイルを貫いている。FSサーバーで見たあの山だけが修行場だった頃の、古の龍鳳を保存する目的もあるという。芳蘭の場合は扇を使ったり発勁を打ったりが後付けの部分になるそうだ。
で、芳蘭の稽古がああもあっさり終わってしまった理由。
体作り云々はもう終わっているし、私は剣術を、先生は格闘術を既に習っている。だから中核になる龍鳳だけをとなるわけだけど、肝心のそれが約二分の型だけだったという事。
師匠も先生も龍鳳の特異性は承知していても、世界的な格闘術流派の中核部分がまさか二分で終わるとは思っていなかった。芳蘭としては型の動作一つ一つを繰り返し見せながら指導をしようという心積もりだったみたいだけど、こちらが演武を録画した揚句に師匠が「動画を見て練習」と言ってしまったために、ほとんど打ちきるようにして稽古が終了してしまった。という流れらしい。
ともあれ、私の場合は無刀取りを含む剣術を組み合わせることになる。
そういう観点で型を見てみれば、神脚に似た足運びがあったり、投げに応用できそうな動作があったりと発見も多い。それに当初の目的は「武器を失っても戦闘を継続できるように」だから、一通り龍鳳をマスターするのは大きな意味がある。
この日はとにかく二分間の型を憶えることに時間を費やした。
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型の稽古、魔術訓練、剣術の稽古と地道な鍛錬の日々が続く。
龍鳳を学ぶ上で有難いのが後城先生の存在だった。
先生はもともと格闘術畑の人だから型の理解も習熟も速い。動画からだけだと読み取れない部分について質問すれば的確に指導してくれる。
お互いにスキルを伝授した間柄だし、それらもひっくるめて先生と話をする機会が増えていた。
スキルの話は誰を憚ることもないので適当に立ち話で済むけど、龍鳳についてはそうもいかない。うっかり誰かに見られたりしないようにと職員棟にある先生の準備室をその場所とした。
先生も放課後になればすぐに暇というわけでもないから、日課になっている射爆場での魔術訓練で時間を調節してから職員棟に向かう。準備室は八畳くらいの広さだけどスチール製の机や書棚、小さな応接セットで大分面積を消費している。それでも型の稽古ならそれほどの広さは必要ない。
入口脇には小さな流しと先生が持ち込んだらしいコーヒーメーカーと小さな冷蔵庫がある。ここを訪れた時にはまず先生にコーヒーを淹れるのが習慣になっていた。指導してもらう立場だしお茶汲みくらいは何でもない。
ちなみに後城先生の好みはミルクは無しだけど砂糖はたっぷり。甘めのコーヒーが好きそうだからマックスなコーヒーもいけるかと思って訊いてみたら「ありゃコーヒーじゃない」とあっさり言われたのは記憶に新しい。成美には絶対に聞かせられない言葉だった。
応接セットのソファにどっかりと腰を下ろしてコーヒーを一啜り。先生は「ふう」と一息つく。
「さて、と。今日はどこからだったかな」
「ええと、十七番目の踏み込みながらパンチのところです」
一歩前に踏み込みながら中段への正拳突き。
言葉にすればそれだけの動作なのに、私が同じことをしても動画で見る芳蘭のそれとはどこかが違う。この一動作だけでなく、型の中の多くの動作が同様だった。
先生曰く、それは単に見た目を真似ているだけで、きちんとした理解が及んでいないからだそうだ。そこで違和感のある部分は一つ一つ直すために先生に協力をお願いしている。
問題の動作を繰り返す。顎に手を当てながら見ていた先生が「ふむ、そこまで」と私を止める。
「腰が回ってないのと肩が入ってないのが問題だな」
「腰と肩ですか?」
「腰……ってか骨盤だな。踏み込む足よりも残す足に意識を集中して……踏み込む足は骨盤ごと前に振り出すように。で、肩を腕の付け根と考えるんじゃなく、もっと手前、鎖骨の辺りからが腕だってイメージで……肩の関節ごと前に入れるような感じで突く」
「こうですか?」
アドバイスどおりに腰や肩を動かしていく。
でもどうにもしっくりこない。
「剣術とは体の使い方が違うからな。戸惑うのも無理はない」
「腰……はこんな感じで?」
「もうちょい前に出す感じだな」
「はい、前に出して……で、ここで肩を入れる……入れる!? なんだか上手く入りません!」
鎖骨から腕、というイメージがどうも判り難くて苦戦してしまう。
「おいおい、無理するな。焦ると妙な具合になっちまう。ちょっと触るぞ」
一言断りを入れた先生が私の背中、肩甲骨の辺りに掌を添える。踏み込みの動作に合わせて掌でグッと押し込んでくれた。これまでと明らかに違う感覚。錯覚かもしれないけどそれだけでパンチのリーチが数センチ伸びたようにも思えた。
「あ! 入りました!? これが入った感覚なんですね!」
「ああ。ちゃんと入ったぞ。良い感じだろう?」
「はい! ありがとうございます!」
また一歩前に進んだ実感から先生にお礼を言うと、先生も朗らかに笑いながら頷き返してくれた。剣術と格闘術、歩む道は違っても先生を第二の師匠と呼びたい気分だった。
そんな気持ちに浸ろうとしていたら。
いきなり準備室のドアが物凄い勢いで開かれた。
駆け込んでくる二つの人影。
「そこまで! もう遅いみたいだけどとにかくそこまで!」
一人は顔を真っ赤にして喚いている沙織。
そしてもう一人は成美。
短い助走から驚異的な跳躍力をもって後城先生に飛び蹴り。
「エロ教師に天誅ー!」
「うお!」
咄嗟に両腕をクロスさせてガードする先生。飛び蹴りを弾き返された成美は空中で器用に体勢を立て直して綺麗に着地していた。
「ちょ、二人とも何やってるのよ!」
私の声に成美と沙織の視線が集まる。二人はしばしぽかんと私を見つめ、次に訳も判らないまま警戒態勢の後城先生を見て、また私に視線を戻した。
微妙な沈黙が場を支配する。
「「あれ?」」
何故か二人同時に首を傾げていた。
首を傾げたいのはこっちのほうである。
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「いや、なんでもないんです。うっかり者の生徒が少々勘違いしたようで。もちろん俺がそんなことをするはず無いでしょう? ええ、はい。お騒がせして申し訳ない」
飛び蹴りしながら成美が叫んだ「エロ教師に天誅ー!」はドアが開いていたこともあって他の準備室にも聞こえていた。何事かとやってきた他の先生方に後城先生が事情を説明している。
後城先生は周囲からの信頼は篤いし、なにより乱入したのが成美だというのが判ると「なんだまた霧嶋か」というような納得が広がって先生方はあっさりと引き揚げて行った。
「お前ら、俺を社会的に抹殺する気か?」
流石に怒気を滲ませる先生を、成美と沙織は床に正座して出迎えた。私は壁際に下がって見ているしかない。正座している二人の姿に一瞬引いたような先生だったけど、甘い顔は見せずに仁王立ち。
「で、なんでこうなった? エロ教師ってのはどういうことなんだ?」
成美達は顔を見合わせ、言い難そうしながらぽつぽつと語り始めた。
「えーと後城先生が……」
「ふむ、俺が?」
「準備室で桜と……」
「ふむ、天音とどうした?」
「エ……」
「エ? エ、なんだ?」
「「エロエロしい事をしていると思いました! 申し訳ありません!」」
二人揃ってがばっと平伏していた。
それはそれは見事な土下座だった。
「は? エロエロしい……ってなんだ? てか土下座はやめろ! これはこれでヤバイ絵だろうが!」
確かに女生徒二人に土下座させてる教師、というのは絵的に凶悪だ。余所に知られたら先生の教師生命も危ういかもしれない。それに以前師匠も言っていたけど、どんなに見事でも女の子の土下座は見ていて引く。
「いいからお前ら、そっちに普通に座れ」
先生に促されて二人は応接セットのソファに腰を落ち着けた。先生自身は酷く疲れたような様子でスチール机の椅子に腰を下ろす。
「天音、すまんがコーヒーを。こいつらにもくれてやってくれ」
「あ、はい」
「私砂糖大盛りでミルクたっぷり!」
「ブラックで」
すかさず注文を付けてくるけど、先生に睨まれて小さくなる二人。そんな様子に苦笑しつつ、自分の分も含めて四杯のコーヒーを淹れた。先生の分以外は紙コップだ。
コーヒーを配ってまた壁際に戻る。壁に背をもたせてコーヒーを啜りながら、さて「エロエロしいとは?」と考える。
「つまりあれか? お前らは俺が天音をここに連れ込んで、セクハラでもしてると思ったわけか?」
「やー、そのー、セクハラと言うか……」
「セから始まる単語ではあるんですけど……」
「セから……って、おい!」
先生が愕然として腰を浮かす。
セから始まる単語でセクハラで無く、そしてエロエロしいなる造語が当てはまる行為。
……って、それはまさか。
とても言い難そうにしながら、でもここは言わないといけないという使命感を漂わせて沙織が口を開く。
「はい、先生が桜とセッぐぶっ!」
咄嗟に傍らの書棚から抜き出して投じたちょっと厚めの本は狙い通りに沙織の頭部に直撃。
危険な単語は最後まで発声されること無く宙に消えていった。
ぎりぎりセーフである。




