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一寸の虫にも

 響き渡ったのは金属同士を打ち合わせたような甲高い音だった。

 と言って、芳蘭が打ったのは先生が着けている臑当てじゃない。そのままなら金属製の臑当てを打つはずだった打撃を軌道修正して、防具の無い膝のすぐ上あたりを打っていた。なのに金属質の打音であり、ダメージエフェクトも微々たるものだった。

 先生の腿は鍛えた太い筋肉でカチカチだけど、それだって肉に違いない。


 いったいどうなっているのか、状況が理解できないままに身を起こす。

 芳蘭もまた驚きを露わにしているけど、何があったのかは理解できているようだった。


「硬気功……とは少々違うようですが。先ほどの浸透勁もどきといい奇妙な技を使いますね」

「分類するなら硬気功の一種だろうな。鋼蓋という。浸透勁もどきは透徹だ」

「日本独自の技ですか。興味深いですね」


 気付くと芳蘭と会話する先生の口調が普段と同じになっていた。

 翻訳アプリを通して聞いている芳蘭はその変化に気付かない。


「しかし容赦ないな。いや、えげつないと言った方が良いか?」

「先生、それは承知の上のことですから」


 間接外しや頭部を狙っての致命レベルの攻撃。痛覚が存在するこのサーバーでは確かに容赦もないしえげつなくもある。でも痛覚云々については先に話したように望むところでもあるし、痛覚があるからと攻撃を手加減していたら、そもそも痛覚有りにした意味がない。

 痛いし恐怖もあるけど。


 先生が「は? お前何言ってるんだ?」という顔で私を見ていた。

 何か変なことを言ってしまっただろうか。

 そんな疑問には芳蘭の言葉が回答をくれた。


「多対一の場合、弱い所から潰すのが常道です」


 ……弱い所。

 そういう意味だったか。


 先生と私。

 芳蘭から見て先に潰しておくべき『弱い所』が私だ。


 否定はしない。

 というか、できない。


 これはスキル込みでのアバターの性能云々の話ではない。

 スキルレベルや総合レベルなど一応のレベル表記はあっても、CODリアルモードのレベルは一般のレベル制MMOほどには絶対的な意味を持たない。その傾向は剣士タイプの方が顕著だ。スキル補正はあるから全く影響がないというわけでは無いけど、レベルがいくつになろうとも基本になっているのは現実そのままの肉体だからだ。

 レベル1でも鬼のように強かった師匠が良い例だ。

 違うのは現実世界の剣術家としての私と格闘家としての先生の経験値。

 もちろん『鋼蓋』や『透徹』といった技もあるだろう。


 先生は芳蘭が私を潰しにかかったことを指して「容赦無い」「えげつない」と言ってくれた。敬語でなくなったのもそんな芳蘭に多少の憤りを感じたからなのかもしれない。

 それを誤解した私は「承知の上」なんて賢しげな事を言ってしまって……。


 これは恥ずかしい! 


「うう……すみません、先生」

「いや、それも別にいいが……大丈夫なのか?」


 私の勘違いはさりげなくスルーしてくれて助かった。さすがに後城先生は大人だ。これが同年代の男子とかだったら、必ずそれをネタにしたからかいの一つ二つは挟みこんでくるだろう。


 ともあれこれは良くない。

 先生が私よりもずっと強い事は認める。

 そんな先生よりもさらに芳蘭が強いことも認めよう。


 でも、だとしても、「弱い」と言われて、それが否定できない事実だとしても、そのまま終わってしまって良いはずがない。一寸の虫にも五分の魂という。自分を虫に例えるのもどうかと思うけど、ここは虫なりの意地を通させてもらう。


 ここで通すべき私の意地。

 一撃で良いから芳蘭に入れる。

 それさえできれば後のことは知らない。

 いや、遥かに格上の相手に無謀な試みをするのだから、後のことなど考えてはいられない。


「先生、すみません」

「それはいいと……ふむん? なにかやるつもりか?」


 先生は私の顔を見て察してくれた。細かな感情や表情が再現されるCODのクオリティに感謝したくなった。

 そして「やってみろ」とばかりに頷いてくれる先生。


「気功スキル、モード変更、風……壊!」


 発声と同時、私の全身で小さなダメージエフェクトが発生した。それを置き去りにしかねないスピードで芳蘭に突進する。

 さっきまでのスピードではない。ともすれば加速の術を重ねた学園祭の時に匹敵するスピードだ。


「これは!?」


 芳蘭が狼狽の表情を浮かべる。

 その顔めがけて高速の突きを放った。


 突きは扇で弾かれる。

 二回目だけど、これはやっぱり想定内で、速いだけで軽い突きだ。素早く引き戻しながら、同時に鬼脚で細かなステップを刻んで芳蘭の側面に回り、まだ突きを弾いた姿勢のままでいる芳蘭の首を後ろから薙いだ。


 芳蘭が前方に身を投げ出すようにして避けた。

 これはもう間違いなく攻撃予測系の技を持っている。


 芳蘭が避けた先には先生が詰めてきていた。私の斬撃を避けるために前屈みになっている芳蘭の顔面を蹴り上げる。先生もまた容赦の無い人だった。

 それすら扇と腕を交差させて防いだ芳蘭。でも蹴られた反動で半ば体が浮いている。足が十分に地面を噛んでいなければ、いかに芳蘭でもこれ以上の回避や防御は難しいはず。


 再度の突きは今度こそ、無防備な芳蘭の背中を捉えていた。

 それなのに。


「うっ……くっ!」


 苦鳴は私の口から洩れていた。


 防具も着けていない背中を突いたとは思えない抵抗を受けた。返ってきた反動で元から傷めていた手首がゴキリと嫌な音を立て、握力を失った手は刀の柄を保持できなかった。

 結果、切っ先数センチが刺さるにとどまっていた。


「おい……天音」

「……先生、重ね重ね申し訳ありません。私はここまでのようで」


 全身のダメージエフェクトは大きくなっている。多分体の輪郭も定かでないくらい派手に光っているだろう。もちろん痛みもある。全ての筋肉が激しい痛みを訴え、ダメージ判定の結果立っているのもやっとの状態だ。


 私に限界以上のスピードを与えた『風・壊』は風モードを独自にアレンジした技だ。

 改良の『改』ではなく、破壊の『壊』なのには理由がある。


 気功スキルはスピードやパワーを劇的に上昇させるけど、実際にはそれらだけを上昇させているわけじゃない。例えばスピードやパワーが五割増しになるなら、体にかかる負担もやっぱり五割増しになる。気功スキルでステータスをアップさせる場合、そうして増える負担でダメージを受けないように体を強化する効果も含んでいる。ステータスアップと身体強化に気を割り振っているわけだ。


 なら練気ゲージに上限がある中で、もっとステータスを上げるにはどうすれば良いか。

 今の私なら加速ヘイスト筋力増強ストレングスの魔術を併用すれば良いと知っている。が、それはまだ実現していない。

 そして以前の私はこう考えた。

 身体強化に回している気もステータスアップに回せば良いじゃない。


 上昇した能力によって受ける負担の軽減率を下げるのだから、当然のことダメージが発生する。だから『改』ではなく『壊』。それでも一時的になら大幅な戦闘力アップが望めるわけで、いざという時の切り札にはなるだろうと思っていた。


 今回やってみて、確かに切り札にはなるけど後が続かないことが判った。

 現実なら全身の筋肉や腱、骨がぼろぼろになっているはずだ。

 発動中に相手を倒せれば良いけど、限界を迎えてなお倒せていないと完全に詰む。


 今まさにそうであるように。


「確かに桜はここまでですね」


 芳蘭の扇が目の前に迫ってくる。私はもう動けないし、今度は先生のフォローも届かない位置だ。


 今まで聞いたことも無い様な音がして、私の意識は闇に飲まれた。


 *******************************


 山道の途中にある門の前にいた。

 門と言っても山道の両側に柱が立っているだけで、脇に避ければ門を通らなくても先に進めるようになっている。内と外とを物理的に隔てるための門ではなく、ここから先は違う領域なのだという目印の為の門だと思えた。


 周囲を見回す。

 ついさっきまでいた龍鳳と雰囲気は同じだけど、標高はかなり低そうだ。門がある事からして龍鳳の入口、一番低い所にあたるとみえる。


 先生は「龍鳳では位が上がるに従って上の修行場に移っていく」と言っていた。死に戻りの出現場所が入口の門の前というのは、もう一度上って来いという意味だろう。


「う……頭は……?」


 現状を認識すると同時に、なんとも言えない嫌な感覚に襲われ、自分の頭が無事なのを確認していた。感覚的にはつい数十秒前にかち割られたはずの頭蓋骨は、当然ながら無事だった。

 死に戻りでダメージがリセットされたおかげで、体のどこにも痛みは無い。ついでに落としてきたはずの黒刀も腰の鞘に収まっている。


 それでも。


 ぶるりと震えた。


「あれが、死ぬということ……?」


 六十パーセントという設定で再現された痛覚は、これまでに何度も体験した『死に戻り』を全然別な物に変えていた。普通のVRコンテンツが痛覚を始めとした負の感覚を再現しない理由が実感として理解できた。芳蘭の扇に頭を砕かれて意識が途切れるまでの刹那の時間に感じたのは単なる痛みでは無かった。上手く表現する言葉を知らないから「とても嫌な感じ」としか言えないけど、あんなのを繰り返し体験していたら絶対精神に悪影響がある。


「とにかく戻らないと」


 幸いにしてこの龍鳳マップは全体が戦闘域だ。この場所でも気功スキルは問題なく使える。

 普通の風モードで速度を上げて、体に残っている(ように感じる)死の感覚を振り払うようにして山道を駆け登った。


 *******************************


 先の修行場まで一気に駆け上ると、そこには師匠と芳蘭だけがいた。

 先生がいない。


「試合は終わりました」


 芳蘭が言う。

 後城先生も死に戻りで麓の門に行ったらしい。


 戻ってきた私を迎えた師匠は静かに怒っていた。


「桜ちゃん、ちょっとそこに座りなさい」

「はい!」


 その場に正座する私。師匠が凄く怖い。


「さっきのアレ、どういうことなのか説明してちょうだい」

「は、はい」


 このタイミングであれと言うなら、もう『壊』のことに決まっている。使ってしまった以上隠しだてもできないので正直に説明した。

 それを最後まで聞いた師匠は、黙って私の頭に拳骨を落とした。

 かなり痛い。


「後先考えない自滅技は感心しないわ。今回はこういう場だから良いけど、現実でそういう考え方をしていると取り返しのつかないことになるわよ」

「も、申し訳ありません……」

「でも芳蘭に一矢報いたのは見事だったわよ。私の予想ではかすりもしないで完封負けのはずだったから」

「そうですね。あの速度は目を瞠るものがありました」


 かすりもしないって……。

 そんな予想をした上で試合させるなんて。

 しかも痛覚ありなのに。


 今日一番容赦ないのは師匠だったようだ。

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