海魔迎撃戦
夜の砂浜だった。
寄せては返す波の音、潮の香りと足元の砂の感触。普段であれば夜の海辺を散策するカップルや、砂浜で花火に興じる若者たちの姿もあるだろうに、浜辺に陣取るのは武装した剣士や魔術士。緊張した空気が漂っている。
宇美月学園のメンバー以外にも数多くの参加者の姿が見える。演習の時にはNPCだったけど、今はこの場にいる全てが生身の人間だ。
迎撃のローテーションで宇美月学園のメンバーは第二陣に組み込まれていた。待機場所として指定された海の家の座敷で開戦の時を待っている。
「さすがに本番となると緊張感が違うわね」
「緊張してるの? じゃあお呪いしようか?」
「……遠慮しておく」
何気ない呟きに成美が喰いついて来るのをやんわりと断る。前回は不意打ちだったけど、ここで改めてお呪いをお願いしたら自分から成美の胸に手を伸ばすことになる。周囲の目もあるし、それはさすがに不味いだろうと思った。
「俺達は緊張してるぞ!」
「黙れ馬鹿ども」
いつものように絡んでこようとした男子達を沙織が一睨みで黙らせた。
昼間の「揺れない」発言以降、男子達に対する沙織の態度は終始こんな感じだった。
「おい天音。姫木が怖いんだ。どうにかしてくれ」
「自業自得でしょ。これに懲りたら不用意な発言は控えることね」
こそこそと囁いてきた男子達に苦笑交じりに答える。
沙織もさっぱりした性格だし、今も本当に怒っているわけじゃない。
沙織の態度も男子達の対応も、本番を控えた緊張を紛らわすための演技を含んでいる。
「不用意と言ってもなあ。男子としてはどうしても注目してしまうし。天音だってしょっちゅう霧島の胸を見てるじゃないか」
「やっぱりそうだよねー。私も良く桜の視線を感じるんだー」
「な、成美、何を言うの?」
男子の発言を聞き付けた成美が会話に割り込んできた。
以前にもエロい目で胸を見てるとか言ってたし、そんなあからさまに見ないようにしてきたつもりだけど。
「男前……は無かったことになったんだっけ? とにかく男子的な視線」
「だよなー。たまに天音が女だって忘れる事あるぞ」
「なん……ですって……?」
成美や沙織に男っぽいと言われても、それは女子の中での性格の差がそう思わせているだけの事。
しかし男子から女っぽくないと言われるのは全然話が違ってくる。
「あれー? 昼間は桜の胸に釘づけになってたじゃない?」
「それはまあ……そうだ、天音サラシ巻くのやめたらどうだ? そうすれば女っぽいぞ」
「胸以外は女っぽくないと言いたいのかしら?」
「やべえ、天音も怖い」
私の視線を受けて、たじたじと下がる男子達。
そんなたわいもない遣り取りをしている内に時は過ぎ、海水浴場の各所に設置されたサイレンが同時に唸りを上げた。
空気が一層引き締まり、海魔迎撃戦の本番が開始された。
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およそ七時間が経過した。
ここまでの経過は予行演習とほぼ同じ。違うのは休憩毎に各種の回復薬が支給されるのと、回復魔術の使い手がいてくれることだ。
お陰で長時間の戦闘を経てもみんな元気だ。精神的な疲労までは回復薬でも回復魔術でもどうにもならないけど、状況的には予行演習よりも格段に楽だった。
もっとも、こうして楽だと思わせるように厳しめに設定されていたのが予行演習のプログラムなのだから、主催者側の意図は功を奏したと言うべきだった。
割り当ての戦闘時間を終えて海の家に帰って来ると、エプロンを着けたおじさんが出迎えてくれる。
「君ら頑張るねぇ。なんか食べるかい?」
この海の家を切り盛りしているおじさんは気さくに声を掛けてくる。
おじさんは昼間も実際にこの海の家を経営している人で、主催者の依頼でこうして迎撃戦に参加しているそうだ。その役割は戦闘に参加している私達のサポートと、海の家本来の活動。
「桜ー、沙織ー、ラーメン食べようよー」
「さっきも食べたでしょ」
「何杯食べる気なのよ」
と、そんな具合に食事を出してくれるのだ。
さすが本職と言うべきか、海の家特有の『あんまり美味しくないのになぜか美味しく感じる』ラーメンや焼きソバを出してくれる。サーチライトや攻撃魔術の光に照らされ、爆音や剣戟の音を聞きながらラーメンや焼きソバを食べるのは非現実的な体験だった。これも祭と言う特殊な場所と時間の効果だろう。
とは言え、そう何杯も続けては食べられない。
私はラムネにそっくりなビンに入った疲労回復薬だけを貰って座敷の縁に腰かけた。
他のメンバーもめいめい必要な物を貰って休憩に入る。
「毎度思うんだけど、なんで魔力回復薬って青汁の味がするんだろう」
隣に座った沙織はペットボトルから緑色の液体を飲んでいる。飲めば魔力が回復する有難い薬だけど味は沙織が言った通りのものらしい。私や成美は魔力を使わないから良いけど、沙織は休憩のたびに青汁のお世話になっている。
「だんだん慣れてきてるのが怖いわ」
「これが終わったら青汁好きになってたりしてね」
「まあ最近は美味しい青汁ってのもあるみたいだし……」
冗談で言ったら真顔で返されてしまった。健康に良いし、悪くは無いんだけど、学園の自販機に青汁は無かったはずだ。
そこにラーメンのどんぶりを片手に成美がやって来た。なかなか来ないと思っていたら、本当にまた食べるつもりなのか。
ラムネ(疲労回復薬)を飲みながら空を見上げる。
時間は午前六時過ぎ。普通ならもうすっかり明るくなっている時間だけど、空は厚い雲に覆われていて太陽は見えない。何と言うか不安感を煽るような空の色で、迎撃戦の雰囲気を盛り上げる一助になっていた。
不意に戦闘の音が止んだ。
ずるずると成美がラーメンがすする音がやけに大きく聞こえる。
「あれ? これってもしかして?」
「おいおい、早すぎないか? まだ一時間近く残ってるぜ」
ぞろぞろと海の家から出て、戦闘の途絶えた波打ち際よりもさらに向こう、沖合の海面を見る。
私達に続いて海の家のおじさんも出てきた。
「ラスボスの登場は八時間後と決まってる訳じゃないんだ。魔物討伐の進行具合で前後するんだが、一時間近く短縮となると今回の参加者はよっぽど頑張ったんだな」
もちろん君らもな、と笑いかけてくるおじさん。
「なるほど……そうなるとこの後が問題ね」
私の呟きに男子達が頷きを返す。なぜか成美と沙織は冷めた目で見て来るけど。
やがてラスボス出現の前兆として海面が盛り上がり始める。
運営の放送で上陸予想地点からの避難が行われるが、私達のいる場所は離れている。避難はしなくて済むので、そのまま海を見ていた。
「お! 出てきたぞ!」
海面から長大な二本の触角が、次いで尖った頭部と飛び出した球形の目。
「海老……良かった、最後までちゃんと海産物ね」
「天音、まだ油断するな。海老と思わせておいてザリガニで落とすかもしれないぞ」
「あ! そうか……迂闊だったわ!」
危ない危ない。気を抜いていたら演習の時と同じように膝を付く結果になりかねない。
固唾を飲んで見守る私達の前でラスボスは上陸を開始する。
徐々に見えてくるその姿。
「ところで海老とザリガニってどこで見分けるんだ?」
「ハサミだ。でかいハサミがあったらザリガニだな」
ごくり、と誰かの喉が鳴る。
そして……。
「ハサミだー! やっぱりザリガニだよ、ちくしょう!」
「もしかしてボスだけ海産物じゃないって縛りなのか?」
「そんな縛りになんの意味があるんだ!?」
「結局こういうオチになるのね……」
ラスボスは大きなハサミを持っていた。その巨大なハサミは武器としては恐るべき威力を秘めているだろうけど、今の私達にとっては海老かザリガニかの判断基準に過ぎなかった。
がっくりと肩を落としている私達に、沙織が戸惑ったように言ってきた。
その言葉は電撃に撃たれたような衝撃をもたらした。
「あのさ、あれってロブスターじゃないの?」
え? ロブスター?
「ロブスターならハサミ大きいし、海産物よね」
「えーと……ちょっと集合してくれ!」
男子三人と私で小さな円陣を作る。
「おい、誰かザリガニとロブスターの見分け方知ってるか?」
「普通なら大きさとか色なんだろうが……」
「あれじゃあ大きさも色も関係ないわね」
ひそひそと話し合うけど、大きさは十メートルもあるし海水の集合体だから色も違う。誰もあれがザリガニなのかロブスターなのか判らなかった。
予行演習の陸亀を見ていなければ、最初からロブスターだと思ったかもしれない。
でもあの手酷い裏切りを経験した私達は無邪気にロブスターだとは信じられない。
さりとて「じゃあ、どっちなんだ?」となると、どちらとも判断が付けられない。
結論の出ない話し合いを終えた私たちは、横一列に並んでラスボスを睨みつけた。
「「「「判り難いんじゃー! どっちなのかはっきりしろー!」」」」
それは魂の叫びと言うより、ただ自棄になっての絶叫だった。
「どっちでもいいじゃん」
呆れたように言う成美は、まだラーメンのどんぶりを手にしていた。
この期に及んでラーメン食べてるって、成美は大物だなぁと思った。
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その後の展開は演習の時と同様だった。
例の三人組が出てきてザリガニだかロブスターだか判らないラスボスを討伐。
八月十一日午前六時二十四分、海魔迎撃戦は終了した。




