ギニュー疑惑
八月十日。
早朝から学園に集合してバスで移動、現地に到着したのは十一時頃だった。
海魔迎撃戦は夜の十一時が開始時間になっている。
始まってしまえば八時間、翌朝の七時まで続く耐久バトルだ。
直前に少しは寝ておいた方が良いだろうけど、四時くらいまでなら遊んでいられる。
主催者が用意したホテルは海水浴場までは十分くらいの距離の市街地にあった。海に出るには商店街を通り抜けるのが近道だけど、当然ながらそこは地元の人達の生活の場でもある。
ホテルで水着に着替えてそのまま海へ、とはいかなかった。
水着とか最小限の荷物だけ持ってみんなで海に向かう。
到着した海水浴場は、当然だけど予行演習で見たのとそっくりだった。海岸沿いの道路からは一メールくらいの段差があって、砂浜を広く見渡せた。
「この間戦ったのってこの辺りかな?」
「もうちょっと向こうの方よ。私達は道路からだったから良く憶えてる」
委員長の先導で道路を歩き、最寄りの階段から砂浜に下りると、確かに周囲の景色は演習で四時間戦い続けたエリアそのままだった。
「おーい、君達ちょっと待ってくれ」
言いながら駆け寄って来たのは地元青年団のハッピを来た男の人だった。ハッピには海鎮祭と書いてあって、実行委員の腕章も着けている。
「悪いが今日明日は入場規制があるんだ。知らなかったのかい?」
「僕達イベントの参加者です。これ参加者証です」
代表するように男子が応対してくれた。出発前に配られたイベント参加証明を提示しているので、私達もそれぞれ男の人に見えるようにする。参加証は軍隊で使っているのと同じようなドックタグだ。各自の名前とかが刻印された金属プレートで、細いチェーンで首から下げるようになっている。
「迎撃戦参加者……そうか、君達が宇美月学園の。それなら問題ない。ゆっくり遊んで行ってくれ」
爽やかに笑いながら走り去っていく男の人。
海水浴場はシーズン中なのに随分と空いている。青年団の人が言っていたとおり、今日明日は海鎮祭の各種イベント参加者限定で、一般の海水浴客は入れないようになっている。
海の家も空いていて、何軒かに分散すれば待つことなく更衣室を使えた。
更衣室といっても試着室みたいなスペースがずらりと並んでいるだけだ。ビニール素材のカーテンが海の家らしいと言えばらしい感じだ。
手早く水着に着替えて参加証だけ身に着け、他の荷物は全部海の家で預かってもらう事にする。荷物預かりの管理もドックタグで済むので楽チンだった。
海の家を出て周囲を見回すと、成美や沙織はまだ出て来ていない。着替えの早い男子達が一塊りになって待っていた。
「お待たせ。どうする? すぐ泳ぐ?」
「……」
「……」
「……ええと、誰ですか?」
はい?
男子達の様子が変だ。本気で知らない人を見る目で私を見ている。
「ちょ、どうしたの? ああ、髪を下ろしてるから?」
普段はsakuraと同様に侍っぽいポニーテールにしているけど、海に入るから今は髪を下ろしている。随分印象が変わっているかもしれない。両手で髪を集めていつもの位置で束ねて見せる。
「えっと……髪? あ……あれ? いや、でも……やっぱり初対面ですよね?」
私の髪を見て一瞬だけ理解の色が浮かんだように見えたけど、彼らはまた自信を失くしたように視線を下げてしまった。
下がった視線は……。
「一瞬天音かと思ったけど、天音はこんなに胸無いしな」
「天音はひんぬーだ」
「顔は似てるけど天音のはずがない」
彼らは私の胸を見ながらと言うより胸だけを見ながら話している。
チラ見するくらいならまだしも脇目も振らず凝視し続けている。
いやらしいと感じるよりも先に呆れてしまった。
サラシを外した姿はこれまで見せた事が無いから、彼らが本来の大きさを目にするのは初めてだ。今まで彼らが私の胸に注目したことは無かったけど、その分まとめて見られているような気がする。
「普段はサラシで潰しているのよ。ほら、こんな感じ」
両手で胸を押し潰して見せようとして失敗した。どうしても手に収まりきらずにはみ出してしまう。でもみんなは分かってくれたみたいだ。
「うお! マジで天音だ!」
「しかし天音だとすると……いくらサラシを巻いたとしても……」
「体積が全然合わないんじゃないか?」
私を天音桜だと認めたようではあるけど、なにやら円陣を組んでひそひそと話している。
やがて意を決したように三人揃って私の前に立った。
「天音、協議の結果として言うが、お前にはギニュー疑惑がある」
「はあ? ギニューってなによ?」
「うむ。サラシで潰していたと言うが、いくらなんでもその大きさがあの小ささに収まるはずは無いと思うんだ。そうなると必然的に……今は盛ってるんじゃないかという疑惑が浮上してくる」
盛ってる? と思い、彼らの言わんとしている事が理解できた。偽りの乳でギニューか。
「へえ。それで?」
「うむ。確認のために揉ませてくれないだろうか?」
「それが駄目ならあれだ。この間のお呪いのやり直し」
「いやー本番を前にして緊張が高まってきてるなー。お呪いして欲しいなー」
白昼堂々、大真面目で胸を揉ませてくれと女子に頼む馬鹿共がいた。
演習の時には魂の叫びを共有した仲だからこそ、こんな非常識なお願いが出来るのかもしれないけど、さすがにこれに応じるわけにはいかない。絶対に。
「揉むだのなんだの恥ずかしい事言ってないで、その辺で止めときなさいって」
着替えを終えた沙織がやって来た。
いや、止めとくも何も揉ませるつもりは最初からないから。
「だいたい桜まで男子に交じってふざけてたら収拾が……あれ? 人違い? すみません、後ろ姿が知り合いに似てたもので……」
「沙織! 沙織は知ってたよね? 私がサラシ巻いてるの知ってたよね!?」
沙織の肩を掴んでがくがくと揺さぶる。沙織は虚ろな目で私の胸と自分の胸を交互に見ていた。
「サラシは……うん、巻いてたね。でも同志は? 同志はどこに?」
「同志はここにいるから! それに同志って身長の話だけでしょ! 正気に戻って!」
「身長! ああ、なんだ。『私より二センチも身長の高い天音桜さん』じゃない。人違いしたのかと思って焦っちゃったわよ」
今の説明セリフはなんだ? あれが正気に戻るためのキーワードだったのだろうか。
正気に戻っても沙織は私の胸をじっと見ている。
「確かにサラシを巻いてたのは知ってるけど、あそこまで潰せるものなの?」
うわー。沙織までそっちに話を持っていくのか。
男子達が嬉々として乗っかって来る。
「姫木姫木、俺達もそこが疑問なんだ。ギニュー説があるんだがどう思う?」
「ギニュー? ああギニューね。それで揉むとか言ってたのか。それなら……」
予備動作無しで沙織の手が閃いた。
が、甘い。師匠を相手に無刀取りの稽古をしている私に、その程度の不意打ちは効かない。
がっちりと手首を掴んで止めた。逆の手も伸ばしてきたのでこれも止める。
力比べの様相を呈してきた。
「なんで止めるのよ。本物なら揉まれても困らないでしょう?」
「本物だから困るのよ!」
「おいおい、凄い揺れてるぞ!」
「揺れ方が自然だな。もしかして本物か?」
沙織と押し引きしているのを見ていた男子達の声。
恥ずかしいけどここで力を抜いたら沙織に揉まれてしまう。我慢して力比べを続行していたら。
「……姫木は全然揺れないな」
男子達の声は小さく潜められていたけど、私達の耳にはしっかりと聞こえていた。
沙織にしてみれば聞こえてしまったという感じだろう。
急に力が抜けて、がっくりと落ち込んでしまった。
「あれー? 沙織どうしたのー? 桜にいじめられた……の?」
海の家から出てきた成美が私を見て驚きの表情を浮かべている。
まさか成美まで、と思ったが杞憂だった。
「桜ー!」
驚きの表情はすぐに消えて、勢いよく走って来る。
良かった。成美だけは私を胸で判断しないでいてくれた。
走る成美の足がジャンプの予備動作で力を溜めるのが見えた。
これは例の飛びつきパターン!
この間は我慢したし、今回は良いだろうか。でも水着の胸に顔を埋めたりしたら刺激が強すぎないだろうか。でもでも現実世界で成美を投げるのもどうかと思うし。
一瞬の逡巡が対応に致命的な遅れを生んでしまった。
避ける準備も受ける準備もできないまま成美が跳躍して、私の胸に飛び込んできていた。
まさかの逆パターンだった。
胸の谷間に顔を埋めてぐりぐりしてくる。
「凄いよ! ふかふかー! ふかふかー!」
「ちょ、成美! やめ!」
「ぱふぱふできるよ! ほらぱふぱふ!」
「ええ!? そんなことまで!?」
「柔らかーい! 凄ーい!」
「ひゃあ! そ、そんなに強くしないで!」
「良いではないか! 良いではなうきゃっ!」
いきなり成美が悲鳴を上げて大人しくなった。
成美の後ろに沙織が仁王立ちしている。固く握られた拳と、紅潮した頬。
「い、いい加減にしなさい! こんな所で変な声出して! 恥ずかしくないの!?」
「……さっき沙織も揉もうとしてなかったっけ?」
「そうだけど! ほら、彼らを見て!」
「待て姫木、それはまずい!」
「天音、こっちを見るな」
制止の声に余計興味を引かれて男子達を見ると、なんだか前屈みになっている。
クラスメートのそういう姿はさすがに引く。たとえそうさせてしまった原因が自分にあるのだとしても。
「とにかく結論は出た」
「喜べ天音。お前のギニュー疑惑は晴れたぞ」
「あれだけ激しくして無事なら本物と判断しても良いだろう」
口調は真面目だけど、前屈みのままでは説得力など無かった。
彼らはくるりと背を向けると、一斉に波打ち際目指して走り出した。
走りながら叫んだ声はぴたりと揃っていた。
「「「ごちそうさまでしたー!」」」
こんな事で魂の叫びは止めて欲しかった。




