⑧
エレナに案内され、リベルは受付の奥へ続く廊下を進んだ。
扉を一枚隔てただけで、表の喧騒が少し遠くなる。
「こっちにも結構人がいるんですね」
「受付だけがギルドの仕事ではありませんから」
少し前を歩くエレナが振り返った。
「依頼の確認、素材の管理、記録の整理、危険情報の更新。表からは見えない仕事も多いんですよ」
「……思ってたより、ずっと大きい組織なんだな」
「フィンリスだけでも、それなりの人数が働いていますからね」
エレナは廊下の途中で足を止める。
「こちらです」
扉の向こうは、受付よりずっと静かだった。
中央には丈夫そうな机が一つ。
その上に、黒い台座と半透明の石を組み合わせた器具が置かれている。
石の周囲には細い金属の輪が幾重にも重なり、側面から伸びた線が別の小さな器具へ繋がっていた。
「これが枝脈検査の?」
「はい」
「へえ……」
リベルが近づく。
手を伸ばしかけて、止めた。
「触っていいですか?」
「今から触っていただくので大丈夫ですよ」
「よかった」
「勝手に触る前に聞いたのは偉いです」
「そこまで子ども扱いされます?」
「今のところ、少しだけ」
「ひどいな……」
部屋の奥にいた男が、二人のやり取りに顔を上げた。
四十代ほどだろうか。
細身の身体で、机に広げた書類へ何かを書き込んでいた。
「新規登録か?」
「はい」
エレナが書類を渡す。
「リベルさん。推定十八歳、カディア。本人も枝脈の正式名称は把握していません」
「推定?」
男がリベルを見る。
「色々あって」
「……そうか」
「流された」
エレナが小さく笑った。
「俺としては助かります」
男はそれ以上追及せず、椅子を指した。
「そこへ座ってくれ」
「はい」
腰を下ろすと、検査器が目の前へ置かれた。
「枝脈検査を受けたことは?」
「ないです」
「なら簡単に説明する」
男が中央の半透明な石を指す。
「ここへ手を置いて、魔力を流す。枝脈を使おうとしなくていい。普段通りに魔力を通せば十分だ」
「それだけ?」
「ああ。枝脈によって、魔力の流れには特徴が出る。それを過去の記録と照らし合わせる」
「なるほど」
「ただし、一度で判別できない場合もある」
「珍しい枝脈とか?」
「そういうことだ」
リベルは右手を石へ置いた。
ひんやりとした感触が掌へ伝わる。
「準備は?」
「大丈夫です」
「では、ゆっくり流してくれ」
胸の奥へ意識を向ける。
自分の中を巡っている力。
それを腕へ。
掌へ。
そして器具へ流した。
半透明の石の奥に、淡い青白い光が灯る。
「……」
周囲を囲う金属の輪にも、順番に光が走った。
隣では細い針が小さく揺れている。
リベルには何を示しているのか分からない。
ただ、男とエレナは黙ってその反応を追っていた。
「もういい」
魔力を止め、手を離す。
「どうですか?」
「少し待ってくれ」
男が記録を書き留める。
その手が途中で止まった。
「……一本か」
「一本?」
リベルが首を傾げる。
「今の検査で確認できる枝脈は一つだ」
「一つしかないってことですか?」
「ああ」
エレナが補足する。
「カディアは複数の枝脈を持つことも珍しくありません。ただ、一つだからといって問題があるわけではありませんよ」
「じゃあ、冒険者には?」
「なれます」
「よかった」
思わず息を吐く。
「そこを一番気にするんですね」
「銀貨五十枚借りた後で『なれません』って言われたら困るので」
「ああ……」
エレナが納得したように頷いた。
「それは確かに困りますね」
男が検査結果を見ながら口を開く。
「問題は本数じゃない。こっちだ」
「こっち?」
「反応だけでは、枝脈を特定しきれない」
その言葉に、リベルの目が僅かに輝く。
「分からない?」
「嬉しそうにするところですか?」
エレナが呆れたように言った。
「いや、不安もありますけど……」
リベルは検査器を覗き込む。
「分からないなら、余計気になるじゃないですか」
「やっぱり、そうなるんですね」
エレナが小さく笑った。
◇
男は棚から何冊かの記録簿を取り出した。
しばらく、紙をめくる音だけが部屋に続く。
最初こそ大人しく待っていたリベルだったが。
「それ、全部枝脈の記録ですか?」
「ああ」
「何種類くらいあるんです?」
「数え方による」
「数え方?」
「リベルさん」
エレナが呼んだ。
「はい」
「少し静かに待ちましょうか」
「……はい」
数十秒。
「ちなみに――」
「リベルさん」
「はい」
「静かに」
「はい……」
記録簿の向こうで、男が小さく息を漏らした。
笑ったようにも聞こえる。
やがて男が本を閉じた。
「反応だけでは絞れんな」
「じゃあ、どうするんです?」
「実際に使ってもらう」
「ここで?」
「小さいものでいい。何に作用する枝脈だ?」
リベルは少し考えた。
「自分の魔力を……形にする感じです」
「形に?」
「はい。固めて、触れるものにするっていうか」
男の目が変わった。
「見せてくれ」
リベルは右手を開いた。
魔力を掌の上へ集める。
青白い光が輪郭を作り、その内側を埋めていく。
やがて掌の上に、短い棒が現れた。
指で叩く。
コツ、と硬い音がする。
「こんな感じです」
男が身を乗り出した。
「形は自分で決められるのか?」
「ある程度は」
「板にも?」
「できます」
「長さや厚みも?」
「変えられます。ただ、大きくしたり薄くしたりすると安定しなくて」
「作った後で形を変えることは?」
「できません。一回消して作り直します」
「触れずに動かせるか?」
「それも無理です」
答えながら、リベルは掌の棒を見る。
長さ。
厚み。
形。
作る時点なら、自分で決められる。
改めて考えると、まだ試していない形はいくらでもあった。
「……」
「どうした?」
「いや」
青白い棒を消す。
「まだ色々できそうだなって」
男は何も言わず、再び記録簿を開いた。
今度は迷いなく頁をめくっていく。
「……これか」
「ありました?」
エレナが隣から覗き込む。
「ああ。古い記録だが、反応も性質も近い」
男が顔を上げた。
「おそらく間違いない」
一拍。
「お前の枝脈は《顕現》だ」
「……顕現」
リベルは初めて聞く名前を、ゆっくり繰り返した。
「魔力を外へ出し、実体を持つ形として顕す枝脈。記録は多くないが、過去に確認例がある」
「じゃあ、俺と同じものを持ってた人がいたんだ」
「ああ」
「今も?」
「少なくとも、フィンリス支部の登録者にはいないな」
「そうなんだ……」
リベルは自分の掌を見る。
草原で球体を作った時も。
ラグの突進を板で防いだ時も。
感覚だけで使っていた力。
その力に、初めて名前がついた。
「《顕現》……」
もう一度口にする。
少しだけ、自分のことが分かった気がした。
けれど。
「…………」
胸の奥に意識を向ける。
《顕現》。
今なら、それがどの感覚なのか分かる。
だからこそ。
余計にはっきりした。
「……やっぱり違う」
「何がですか?」
エレナが尋ねる。
「もう一つ、何かある気がするんです」
男の眉が僅かに動く。
「別の枝脈か?」
「分かりません」
リベルは胸元へ手を置いた。
「でも、《顕現》とは違う」
「先ほどの検査では二本目の枝脈は確認できなかった」
「ですよね……」
目を閉じる。
青白い板を作った時に使った感覚とは、明らかに別のもの。
もっと奥。
最初からそこにあったような。
「……あ」
一つ思い出した。
「そういえば、これって関係あります?」
「これ?」
「身体に変な模様があるんです」
「模様ですか?」
リベルは左側の服を少し持ち上げた。
脇腹から胸へ向かって伸びる、青白い枝のような紋様。
細い線はいくつかに枝分かれし、その先には閉じた花の蕾にも見える印が刻まれている。
「目が覚めた時からあって――」
言葉が止まった。
エレナの表情から笑みが消えていた。
男も同じ場所をじっと見ている。
「……何、その反応」
男が椅子から立ち上がった。
「少し見せてくれ」
「いいですけど」
近くで紋様を確認する。
「痛みは?」
「ないです」
「形が変わったことは?」
「一度だけ……」
リベルは草原で試した時を思い返した。
「蕾が、少し開いた気がします」
男とエレナが視線を交わした。
「エレナさん?」
エレナは少し間を置いてから、リベルを見る。
「その紋様は、おそらく《華紋》です」
「華紋?」
「はい」
「何ですか、それ」
今度は男が答えた。
「《核華》を持つ者の身体に現れる紋様だ」
「……核華」
また知らない言葉が増えた。
「枝脈とは別に、その者自身に深く結びついた固有の力が成立することがある。それを《核華》と呼ぶ」
「じゃあ……」
リベルは自分の胸を見る。
「俺にも、それがある?」
「華紋で間違いないならな」
「間違いないかは分からない?」
「特徴は一致している。ただ、ここで能力まで確認することはできない」
エレナも頷いた。
「少なくとも、枝脈検査の器具では分かりません」
「名前も?」
「分かりません」
「何ができるかも?」
「分かりません」
「…………」
一つ分かったと思ったら。
また分からないものが増えた。
「……使ってみたら分かったりします?」
「駄目です」
エレナが即答した。
「早い」
「正体の分からない力を、ギルドの中で試さないでください」
「でも」
「この壁の向こう、人が大勢いますからね?」
「……確かに」
「何が起こるか分からないものは、安全を確認してからです」
「はい」
素直に頷く。
「そこはちゃんと聞くんですね」
「俺だって、何でも試すわけじゃないですよ」
「本当ですか?」
「……たぶん」
「今の言葉、覚えておきますね」
「やめてください」
男が小さく咳払いする。
「ひとまず、登録上確認できた枝脈は《顕現》一つ」
「はい」
「華紋については、核華を持つ可能性が高いものとして記録する。能力と名称は不明」
「それでも登録はできます?」
「問題ない」
「よかった……」
ようやく肩の力が抜けた。
「そこ、本当に気にするんですね」
エレナが笑う。
「だって銀貨五十枚ですよ?」
「まだ言うんですね」
「しばらく言いますよ」
◇
検査室を出ると、受付近くにいたガルドがすぐこちらへ気づいた。
「終わったか」
「終わりました」
ミアとセイルも近づいてくる。
「どうだった?」
「何て枝脈だったの?」
「《顕現》っていうらしいです」
「顕現?」
ミアが首を傾げた。
セイルも知らないようだった。
「魔力を形にして、触れるものとして出す枝脈だって」
「あ、ラグの時に言ってた板!」
「たぶん、それです」
「へえ!」
ミアの目が輝く。
「じゃあ、他にも色々作れるの?」
「作る時の形は、ある程度変えられるみたいです」
「すごいじゃん!」
「俺も今、ちょっとそう思ってます」
さっきの検査を思い返す。
棒。
板。
長さ。
厚み。
まだ試していない形は、いくらでもある。
「それだけか?」
ガルドが尋ねた。
「え?」
「その顔だ。まだ何かあっただろ」
「……そんな分かりやすいですか?」
「かなり」
どこかで聞いた返事だった。
リベルは苦笑する。
「実は……もう一つあって」
声を少し落とした。
「《核華》を持ってるかもしれないって」
「…………」
三人の表情が止まった。
「……核華?」
ミアの声まで小さくなる。
「華紋があるらしいです」
ガルドの目が一瞬だけ鋭くなった。
「確かなのか?」
「かなり可能性が高いみたいです。ただ、名前も何ができるかも分かりません」
「そうか」
ガルドは少し考え、周囲を見た。
「リベル」
「はい」
「その話は、誰にでもするな」
「核華のこと?」
「ああ」
ガルドが声を落とす。
「悪いものって意味じゃない。ただ、珍しい力を持ってると分かれば、それだけで近づいてくるやつもいる」
「……なるほど」
「自分で何なのか分かるまでは、特にな」
リベルは頷いた。
「分かりました」
知らないことを知りたい。
その気持ちは変わらない。
けれど。
知らないからこそ、慎重にならなければいけないこともある。
「ありがとうございます」
「礼を言われるほどじゃない」
「そこは言わせてくださいよ」
「……好きにしろ」
「ガルド、ちょっと嬉しそう」
ミアが横から口を挟む。
「うるさい」
「ほら、また偉そう」
「ミア」
「はいはい」
いつもの調子に戻った二人を見て、リベルも笑った。
《顕現》。
自分の枝脈には、名前があった。
そして、その奥にはまだ名前すら分からない《核華》がある。
一つ分かった。
なのに、その分だけ新しい疑問が増えた。
「……またこれだよ」
「何?」
ミアが尋ねる。
「いや」
リベルは首を振る。
それでも口元には、自然と笑みが浮かんでいた。
「なんでもないです」




