⑦
冒険者ギルドの扉をくぐった瞬間、リベルは足を止めた。
「……おお」
また同じ声が出た。
外から見ても大きな建物だったが、中はそれ以上だった。
高い天井を支える太い梁。
正面にはいくつもの受付窓口が並び、その前を冒険者たちが行き交っている。
右手の壁には巨大な掲示板。
大小さまざまな紙が隙間なく貼られ、その前では何人もの冒険者が仲間と話し込んでいた。
左手には、さらに見慣れないものが並んでいる。
血のついた角。
丸められた毛皮。
牙。
何かの甲殻。
見たことのない植物の束。
革と鉄の匂いに混じって、奥からは焼いた肉の香りまで流れてきた。
「ギルドって……もっと静かなところかと思ってました」
「フィンリスは特に人が多いからな」
隣に立ったガルドが答える。
「これでも今はまだマシな方だよ」
ミアが人混みの向こうを覗き込んだ。
「朝と夕方はもっとすごいから」
「これで?」
「これで」
「……すごいな」
掲示板へ視線を向けたまま歩き出した、その時。
「前」
「え?」
セイルに肩を掴まれる。
顔を戻した直後、大きな木箱を抱えた男が目の前を横切った。
「あっぶな……」
「だから言った」
「見るものが多すぎるんですよ」
「初日に踏まれるのはやめてね?」
ミアが笑う。
「善処します」
「そこは約束してよ」
その時だった。
「おい! その血まみれの袋、床に置くな!」
左手から、腹に響くような大声が飛んできた。
素材を扱っているらしいカウンターの奥で、がっしりとした男が眉間へ深い皺を寄せている。
「台があるだろ、台が! 床に血ぃ染み込ませたら誰が拭くと思ってんだ!」
「悪い、バルト!」
「悪いで済ますなら最初から置くな! あとその角、根元から折れてるぞ。外し方が雑なんだよ!」
「値段下がる?」
「下がるに決まってんだろ!」
「うわぁ……」
「うわぁじゃねぇ!」
怒鳴られた冒険者たちが、慌てて袋を持ち上げる。
リベルは少し目を丸くした。
「あの人もギルドの人ですか?」
「ああ。バルトだ」
ガルドが答える。
「素材の扱いにはうるさいが、見る目は確かだ」
「普通に怖くないですか?」
「慣れるよ」
ミアは平然としている。
「怒られるようなことしなきゃ優しいし」
「今のところ優しい要素が一つもないんですけど」
「そのうち分かるって」
「最近それよく言われるな……」
もう一度見ると、バルトは別の冒険者が持ち込んだ毛皮を広げ、さっきまでとは打って変わった真剣な目で状態を確かめていた。
どうやら、ただ怒鳴っているだけの人ではないらしい。
リベルたちは、そのまま正面の受付へ向かった。
◇
「護衛依頼の完了報告を頼む」
ガルドが空いた窓口の前に立つ。
マルクも隣へ並び、ミアとセイルがその後ろについた。
リベルは少し離れたところから、その様子を眺める。
「はい。お疲れさまでした」
受付の向こうから、柔らかな声が返ってきた。
栗色の髪を肩の辺りでまとめた女性だった。
机の上には書類がきっちりと揃えられているが、本人の表情は堅苦しくない。
「依頼主のマルクさんもご一緒ですね」
「おう。荷物も俺も無事だ」
「それは何よりです」
マルクとガルドがそれぞれ証明を差し出す。
「予定経路からの変更は?」
「なし」
「荷物の損失は?」
「なし」
「危険な生き物との遭遇は?」
「ラグが数体。それ以外は特に」
「確認しました」
女性は手早く書類へ記入すると、顔を上げた。
「護衛依頼、完了です。お疲れさまでした」
「ありがと!」
ミアが笑う。
「今回は楽だったね」
「楽と言えるくらいで帰ってきてもらえるのが一番ですよ」
女性も笑い返した。
そこで、その視線がリベルへ向く。
「……ところで、そちらの方は?」
「草原で拾った」
セイルが即答した。
「拾われてない!」
反射的に返す。
女性が小さく笑った。
「では、迷子ですか?」
「それも違います」
「近いけどね」
「ミアさんまで?」
「だって、人も街も何も知らなかったじゃん」
「それは……否定できないですけど」
ガルドが小さく息を吐き、受付へ向き直った。
「リベルだ。道中で会った。冒険者に興味があるらしい」
「なるほど」
女性の表情が、ほんの少しだけ仕事のものへ変わった。
「登録をご希望ですか?」
「えっと……」
リベルは一度、ギルドの中を見回した。
掲示板の前で依頼を選ぶ者。
傷だらけの装備で戻ってきた者。
これから外へ向かうらしい者。
フィンリスへ来る途中で聞いた言葉を思い出す。
どの依頼を受けるかは、基本的に自分で決める。
「まず、話を聞いてみたいです」
「もちろんです」
女性が軽く頭を下げる。
「私はエレナ。フィンリス支部で受付を担当しています」
「リベルです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そこでガルドが横から口を挟んだ。
「……リベル」
「はい?」
「一つだけ」
「何ですか?」
「それだ」
「え?」
「お前、ちょっと敬語が多いな」
「敬語?」
突然の指摘に、リベルは瞬きをした。
「礼儀正しいのが悪いって話じゃない」
ガルドは腕を組む。
「ただ、冒険者をやるなら必要以上に下手に出るのはやめとけ。舐められるぞ」
「そんなもんですか?」
「そんなもんだ」
ガルドはあっさり答えた。
「冒険者同士なら基本は対等だ。相手が年上だからって、何でも頭を下げる必要はない」
「ガルドは最初から偉そうだけどね」
ミアがすぐに口を挟む。
「誰が偉そうだ」
「今の言い方とか?」
「ミア」
「はいはい」
リベルは少し考えた。
「じゃあ……気をつけます」
「そこからか」
「あ」
ミアが吹き出した。
「難しいな、これ……」
「急に全部変えなくても大丈夫ですよ」
エレナが笑う。
「ですよね」
「もう戻ってる」
「……そのうち慣れます」
「また敬語」
「もういいだろ」
ガルドが呆れたように息を吐き、エレナまで楽しそうに笑った。
◇
「では、改めて」
エレナが一枚の用紙をカウンターへ置いた。
「冒険者については、どのくらい知っていますか?」
「…………」
「その間は何でしょう」
「ほぼ何も知りません」
「なるほど」
エレナは笑顔のまま頷いた。
「かなり手強そうですね」
「そんな扱い?」
「何も知らずに来る方はいます。ただ……」
一度だけリベルを見る。
「リベルさんほど何も知らない方は珍しいですね」
「やっぱり?」
後ろからミアの笑う気配がした。
「まず、冒険者として登録するには《枝脈》を一つ以上持っている必要があります」
「それなら、たぶん大丈夫です」
「“たぶん”ですか?」
「あるのは分かります。でも、名前は知らなくて」
「それなら問題ありません」
エレナは特に驚かなかった。
「登録時に《枝脈検査》をします。そこで既存の記録と照らし合わせますから」
「枝脈検査……」
草原で使った、青白い球体と板を思い出す。
あの力が、この世界では何と呼ばれているのか。
知りたい。
「……ダメだ。こういうの、絶対気になる」
「何か?」
「いや、こっちの話です」
エレナが僅かに首を傾げる。
「では、必要事項を確認しますね。名前はリベル」
「はい」
「年齢は?」
「……たぶん十八」
エレナのペンが止まった。
「たぶん?」
「十八くらいだと思います」
「ご自身の年齢ですよね?」
「そうです」
「…………」
エレナがリベルを見る。
リベルも見る。
「色々あって」
「便利ですね、その言葉」
「最近よく言われます」
エレナが小さく笑った。
「では、推定十八歳としておきます」
「助かります」
「種は?」
「カディア」
「はい」
ほんの少し前まで、自分がカディアと呼ばれることすら知らなかった。
それを今は、自分のこととして口にしている。
まだ、不思議な感覚が残っている。
エレナのペンが紙の上を走る。
「最後に、登録料が必要です」
「いくらですか?」
「銀貨五十枚です」
「…………」
今度はリベルが止まった。
「五十枚?」
「はい」
門へ入るのに必要だったのが、銀貨一枚。
それすらマルクから借りた。
そして今の手持ちは――。
リベルはゆっくりマルクを見る。
「マルクさん」
「なんだ?」
「俺、今一銀貨借りてますよね?」
「おう!」
「で、手持ちは」
「ゼロだな!」
「元気よく言わないでほしい」
マルクが声を上げて笑った。
リベルはエレナへ向き直る。
「無理です」
「ですよね」
あまりにもあっさり返された。
「諦めるの早いですね」
セイルが呟く。
「だってゼロですよ。どうしろっていうんですか」
「働く?」
「その働くために五十銀貨必要なんですけど」
「あ、本当だ」
ミアが頷く。
「詰んでない?」
「詰んでたら、この制度が成り立たんだろ」
ガルドが言った。
「制度?」
「あるんだよ。新人向けのやつが」
「先に教えてくれてもよくないですか?」
「自分で聞いた方が覚える」
「教育方針が急に厳しいな……」
エレナが笑いながら説明を引き継ぐ。
「登録料を用意できない方には、ギルドの貸付制度があります」
「貸付?」
「五十銀貨をギルドが立て替えます」
「全部?」
「はい」
「そんなのあるんだ……」
「なかったら、お金を持っていない方は冒険者になる前に終わってしまいますから」
「それもそうか」
「もちろん、返していただきますけど」
「ですよね」
「期限は三十日です。それまでなら追加料金はありません」
「過ぎたら?」
エレナがにこりと笑った。
「増えます」
「さらに放置したら?」
「もっと増えます」
「…………」
「長期間返済されない場合は、回収担当がお伺いします」
「どんな人ですか?」
「怖い人です」
「その笑顔で言うことですか?」
「大丈夫ですよ」
「何が?」
「期限内に返せば会いません」
「絶対返します」
「良い心掛けです」
マルクが笑い声を上げる。
「リベル、借金増えたな!」
「言わないでくださいよ!」
「俺の一銀貨は急がなくていいぞ!」
「優しい!」
「そっちも忘れるなよ」
ガルドが釘を刺す。
「忘れませんって」
リベルは頭の中で数えた。
マルクへ一銀貨。
ギルドへ五十銀貨。
この世界で目を覚まして、まだ初日。
家もない。
金もない。
仕事もない。
なのに、借金だけは五十一銀貨になろうとしている。
「自由って……」
「はい?」
「いや」
リベルは小さく息を吐いた。
「思ってたより金かかるなって」
「それは間違いないですね」
エレナが即答する。
思わず笑ってしまった。
好きな場所へ行くにも。
食べるにも。
眠るにも。
生きていくなら、当然そこには現実がついてくる。
自由に生きる。
口にするだけなら簡単だった言葉が、少しずつ重さを持ち始めていた。
それでも。
ギルドへ入ってから見たものを思い返す。
掲示板。
冒険者たち。
街の外へ続く、いくつもの依頼。
知らない場所へ行くための道が、ここにはある。
「……利用します」
リベルが言った。
「貸付制度」
「登録しますか?」
エレナが確認する。
リベルは一度だけ考えた。
そして頷く。
「はい」
今度は迷わなかった。
「冒険者、やってみたいです」
エレナが柔らかく笑う。
「分かりました」
新しい書類が一枚、リベルの前へ置かれた。
「では、こちらへ署名をお願いします」
◇
署名を終えると、エレナは書類を揃えて立ち上がった。
「では、登録手続きを続けましょう」
「まだあるんだ」
「先ほどお話ししたでしょう?」
エレナが受付の奥を示す。
「《枝脈検査》です」
「ああ」
リベルの視線が自然とそちらへ向いた。
受付のさらに奥。
いくつかの扉が並んでいる。
「検査って、何をするんですか?」
「難しいことはしません。専用の器具へ魔力を流してもらいます」
「それで枝脈が分かる?」
「既存の記録と一致すれば、かなりの確率で」
「一致しなかったら?」
「その時は、もう少し詳しく調べます」
「なるほど……」
また気になる。
自分が魔力を流した時、器具がどう反応するのか。
あの青白い力が、この世界では何と呼ばれているのか。
「早く見たい」
思わず口にすると、エレナが笑った。
「でしたら、ちょうどいいですね。こちらです」
リベルも後を追おうとして、ガルドたちを振り返る。
「皆さんは?」
「ここで待ってる」
ガルドが答える。
「来ないんですか?」
「検査に全員でぞろぞろ入ってどうする」
「それもそうか」
ミアがひらひらと手を振った。
「いってらっしゃい!」
「なんか大げさじゃないですか?」
「リベルなら何か起こしそうだから」
「やめてくださいよ」
「否定できる?」
リベルは口を開いた。
少し考える。
「……できない」
ミアが笑った。
リベルも苦笑しながら、エレナの後を追う。
草原で初めて使った、あの青白い力。
自分が持っている《枝脈》。
その名前を、まだ知らない。
だから知りたい。
今のリベルにとっては、それだけで十分な理由だった。
昨日の更新にて、誤って第一章自由に生きる⑦を飛ばして⑧・⑨を公開していました。
現在は正しい順番に修正しています。
話の内容がうまくつながっておらず混乱させてしまい、申し訳ありません!
今後も定期的に投稿していくので、引き続き『WILD HEART』を楽しんでいただけたら嬉しいです!




