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WILD HEART  作者: 日向 トキ
第一章 自由に生きる

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3/32

②

 そう決めて歩き始めたものの、リベルは十歩も進まないうちに足を止めた。


「…………」


 気になる。


 身体の中を巡っている、今まで感じたことのない力。

 そして、左の脇腹から胸へ伸びる青白い模様。


「いや、待て」


 水が最優先だ。

 それは分かっている。


 分かっているのだが。


「……でも、これで水を作れたりしない?」


 口にして、リベルは足を止めたまま考えた。


 もし、この力で水を用意できるのなら。

 試すこと自体が、生き残るための行動になる。


「そうだよな。別に遊ぶわけじゃないし」


 誰に言い訳しているのか、自分でも分からない。


 周囲を見回し、近くに動くものがいないことを確認してから、その場へしゃがむ。

 右手を前へ出し、目を閉じた。


「さっき感じたのは……これだよな」


 意識を身体の内側へ向ける。


 胸とも腹とも言い切れない場所を中心に、何かが全身を巡っていた。

 そこへ意識を向けると、初めて触れるはずなのに、その流れだけは不思議なほど自然に追うことができる。


 試しに、その力を右腕へ流してみる。


「おっ」


 目を開けると、右手の周囲に青白い光が淡く滲んでいた。


「……本当に出たな」


 地球では存在しなかったもの。

 もう、魔力と呼んでしまっていい気がする。


「じゃあ……水」


 掌へ水が溜まる光景を思い浮かべる。

 冷たく、透明で、指の間から零れ落ちる水。


 しかし。


「…………」


 青白い光が僅かに揺れるだけで、何も起こらなかった。


「違う?」


 もう一度試す。

 結果は同じ。


 失敗したというより、そもそも自分がやろうとしていることが、この力の性質から外れている。

 何となく、そんな感覚があった。


「水を作る力じゃない……?」


 リベルは掌を見つめる。


 なら、何ができる。

 水ではなく、もっと単純なもの。


 試しに、小さな球を思い浮かべた。


「…………お?」


 青白い光が一点へ集まり、ゆっくりと輪郭を作り始める。

 やがて掌の上に、直径数センチほどの青白い球体が現れた。


「うわ」


 驚いた瞬間、集中が切れる。

 球体は輪郭を失い、淡い光となって消えた。


「…………」


 空になった掌を見る。


「できた」


 もう一度。


 今度は先ほどより早く、同じ球体が形になった。

 集中を切らさないよう注意しながら、左手の指先を近づける。


 触れた。


「硬い……?」


 光に見えるのに、確かな抵抗がある。


 石とも金属とも違う。

 指で押せば表面が僅かに歪むが、そのまま崩れることはなかった。


「魔力そのものに、形をつけてる……とか?」


 まだ断定はできない。

 ただ、水や何か別の物質へ変えているわけではなさそうだった。


「じゃあ、これは?」


 球体を消し、今度は薄い板を思い浮かべる。

 魔力が掌の前へ広がる。


 だが。


「おっと」


 形になりかけた板が大きく歪み、そのまま光へ戻った。


「球より難しいのか」


 もう一度。


 今度は手のひらほどの大きさへ絞り、できるだけ単純な形を思い浮かべる。

 歪ではあるものの、青白い板が現れた。


「おお……」


 指先で触れる。

 球体と同じように、確かな硬さがある。


 ただ、維持できたのは数秒だった。

 表面に亀裂が走り、そのまま砕けるように消えていく。


「なるほど……」


 単純な形の方が作りやすい。


 大きさは。

 厚みは。

 硬さは。

 身体からどこまで離せる。


「…………」


 次々と疑問が浮かぶ。


 リベルはもう一度右手を上げ――途中で止めた。


「水」


 自分に言い聞かせる。


「水が先」


 危なかった。

 このまま続ければ、本当に時間を忘れて試し始める。


「使えることは分かった。それで十分」


 少なくとも、自分には何もないわけではない。


 今のところ、作れるのは小さく単純な形だけ。

 板にするだけでも、まだ安定しない。


「練習は……生き残ってからだな」


 そう言って立ち上がろうとした時、左の脇腹にある模様が目に入った。


「…………」


 上着を持ち上げる。


 青白い枝のような紋様。

 その先にある、薔薇の蕾にも見える形。


 魔力を形にした時には、特に変化していなかった。


「こっちは何なんだ?」


 身体の内側へ意識を向ける。


 先ほど使った力とは別に、何かがある。

 そこだけが妙に完成しているような。

 自分の中にあるのに、自分のものではないような。


 上手く言葉にはできなかった。


「……見るだけ」


 何もしない。


 そう自分へ言い聞かせ、恐る恐る意識を近づける。


「っ……!」


 突然、左の脇腹へ熱が走った。

 青白い枝が淡く光り、その先にある蕾が僅かに開きかける。


「待て待て待て!」


 反射的に意識を離した。

 光はすぐに弱まり、開きかけた蕾も元の形へ戻っていく。


「何だよ、これ……」


 胸の奥がざわついた。


 怖い。


 さっきの力とは明らかに違う。

 何が起こるのか分からないものを、自分の身体で試す気にはなれなかった。


 それでも。


 ほんの一瞬だけ触れた時、頭の中に奇妙な感覚が残っている。


 ――新しい何かを、作る。


「…………」


 それ以上は分からない。


 いや。

 今は、分からなくていい。


「これは後」


 上着を下ろす。


「水。人。安全な場所」


 一つずつ指を折る。


「そのあと」


 少し考えて。


「……かなりあと」


 念を押した。

 そうでもしなければ、自分で優先順位を入れ替えそうだった。


 改めて立ち上がり、身の回りを確認する。


 当然、武器らしいものはない。


「徹底して何もないな……」


 スマホも財布もない。

 水も食料もない。


 都合よく剣やナイフが用意されているはずもなかった。


「知らない世界に放り出すなら、水くらい持たせてくれても……」


 そこまで言って、口を閉じる。


「いや」


 誰かに放り出されたと決まったわけではない。

 何が起きたのかさえ分からないのに、勝手に誰かの仕業だと考えるのは早い。


「そこも調べないとな……」


 また一つ、知りたいことが増えた。


 近くの地面へ目を向けると、草の間に拳より少し小さな石が落ちていた。


「……ないよりはマシか」


 拾い上げる。


 片手で握れる程度だが、それなりに重い。

 武器と呼ぶには心許ないものの、素手よりはましだろう。


「初期装備、石」


 手の中を見る。


「……渋いな」


 誰もいない草原で一人笑い、リベルは丘へ向かって歩き始めた。



 ◇



 遠くから眺めていた時には分からなかったが、草原は思った以上に歩きにくかった。


 膝近くまで伸びた草が脚へ絡み、見えない地面には細かな凹凸がある。

 足元だけを見ていれば何かにぶつかりそうで、周囲ばかり見ていれば今度は転びそうだった。


「それでも、身体はだいぶ楽だな……」


 若くなった影響なのか、それ以外の理由があるのか。


 以前なら、もう少し身体が重く感じていた気がする。

 今は歩き続けても、まだ呼吸に余裕があった。


「これも後で調べるか」


 また一つ増える。


 顔を上げた。


 地球で見たものによく似た草。

 見覚えのない小さな花。

 遠くの空を横切る、鳥のような黒い影。


「…………」


 危うく足を止めそうになる。


「今は行く」


 自分を急かすように歩き直した。


 怖さはまだ残っている。

 それでも、目に入るものが何なのか気になって仕方がない。


「水と安全な場所を見つけたら、好きなだけ見る」


 そう決めて歩き続ける。


 しばらく進んだ時だった。


 右前方の草が、不自然に揺れた。


「……ん?」


 足を止める。


 距離は五メートルほど。


 周囲の草は風を受け、同じ方向へ靡いている。

 だが、そこだけは違った。


 何かが内側から押し分けるように動いている。


 手にした石を握り直した。


「…………」


 さっきまでの好奇心が、一瞬で引っ込む。


 何かいる。


 地球で知っている生き物なのか。

 それとも、この世界にしかいない何かなのか。


「頼むから、小さいやつであってくれよ……」


 一歩下がる。


 草がもう一度揺れた。

 今度は、こちらへ近づいてくる。


 四メートル。

 三メートル。


「逃げるか……?」


 背後は開けている。

 今なら距離を取れるかもしれない。


 相手が何なのかを見るためだけに、ここへ残る必要はない。


「いや、“見てから”とか考えるなよ」


 自分へ釘を刺した、その時。


 草の間から、小さな影が飛び出した。


「……え?」


 反射的に石を構える。


 現れたのは、リベルの膝より少し低い程度の四足の生き物だった。


 全身は短い薄茶色の毛に覆われ、頭からは長い耳が二本伸びている。

 前脚は細いが、後脚だけは不釣り合いなほど太く発達していた。


 顔つきは、どことなくウサギに似ている。

 けれど鼻先は少し長く、小型犬のようにも見えた。


「ウサギ……?」


 口にして、すぐ首を振る。


「いや、違うな」


 地球で知っているどの動物とも一致しない。


 数メートル先で動きを止めた生き物が、鼻先を僅かに動かす。


 こちらを見ている。

 リベルも動かなかった。


 思っていたより小さい。

 見た目だけなら、それほど怖くはない。


 むしろ、少し可愛いとさえ思える。


「……これなら」


 大丈夫かもしれない。


 そう考えかけた時、生き物が小さく口を開いた。


「…………」


 鋭い牙が覗く。


「前言撤回」


 石を握る手に力が入った。


 肉を食べる生き物なのか。

 自分を獲物として見ているのか。

 ただ警戒しているだけなのか。


 分からない。


 なら、近づくべきではない。


 リベルはゆっくり一歩下がった。


 生き物は追わない。

 さらに一歩。


「……このまま離れられる?」


 僅かに肩の力が抜けかけた。


 その瞬間。


 生き物の長い耳が後ろへ伏せられた。

 太い後脚がゆっくりと折り畳まれ、身体が低く沈んでいく。


「……え?」


 さっき見た体格が頭をよぎる。


 細い前脚。

 異様に発達した後脚。

 地面を蹴るための身体。


 嫌な予感がした。


 リベルは石を構え直す。


 生き物の後脚へ力が溜まっていく。


「……来る」

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