②
そう決めて歩き始めたものの、リベルは十歩も進まないうちに足を止めた。
「…………」
気になる。
身体の中を巡っている、今まで感じたことのない力。
そして、左の脇腹から胸へ伸びる青白い模様。
「いや、待て」
水が最優先だ。
それは分かっている。
分かっているのだが。
「……でも、これで水を作れたりしない?」
口にして、リベルは足を止めたまま考えた。
もし、この力で水を用意できるのなら。
試すこと自体が、生き残るための行動になる。
「そうだよな。別に遊ぶわけじゃないし」
誰に言い訳しているのか、自分でも分からない。
周囲を見回し、近くに動くものがいないことを確認してから、その場へしゃがむ。
右手を前へ出し、目を閉じた。
「さっき感じたのは……これだよな」
意識を身体の内側へ向ける。
胸とも腹とも言い切れない場所を中心に、何かが全身を巡っていた。
そこへ意識を向けると、初めて触れるはずなのに、その流れだけは不思議なほど自然に追うことができる。
試しに、その力を右腕へ流してみる。
「おっ」
目を開けると、右手の周囲に青白い光が淡く滲んでいた。
「……本当に出たな」
地球では存在しなかったもの。
もう、魔力と呼んでしまっていい気がする。
「じゃあ……水」
掌へ水が溜まる光景を思い浮かべる。
冷たく、透明で、指の間から零れ落ちる水。
しかし。
「…………」
青白い光が僅かに揺れるだけで、何も起こらなかった。
「違う?」
もう一度試す。
結果は同じ。
失敗したというより、そもそも自分がやろうとしていることが、この力の性質から外れている。
何となく、そんな感覚があった。
「水を作る力じゃない……?」
リベルは掌を見つめる。
なら、何ができる。
水ではなく、もっと単純なもの。
試しに、小さな球を思い浮かべた。
「…………お?」
青白い光が一点へ集まり、ゆっくりと輪郭を作り始める。
やがて掌の上に、直径数センチほどの青白い球体が現れた。
「うわ」
驚いた瞬間、集中が切れる。
球体は輪郭を失い、淡い光となって消えた。
「…………」
空になった掌を見る。
「できた」
もう一度。
今度は先ほどより早く、同じ球体が形になった。
集中を切らさないよう注意しながら、左手の指先を近づける。
触れた。
「硬い……?」
光に見えるのに、確かな抵抗がある。
石とも金属とも違う。
指で押せば表面が僅かに歪むが、そのまま崩れることはなかった。
「魔力そのものに、形をつけてる……とか?」
まだ断定はできない。
ただ、水や何か別の物質へ変えているわけではなさそうだった。
「じゃあ、これは?」
球体を消し、今度は薄い板を思い浮かべる。
魔力が掌の前へ広がる。
だが。
「おっと」
形になりかけた板が大きく歪み、そのまま光へ戻った。
「球より難しいのか」
もう一度。
今度は手のひらほどの大きさへ絞り、できるだけ単純な形を思い浮かべる。
歪ではあるものの、青白い板が現れた。
「おお……」
指先で触れる。
球体と同じように、確かな硬さがある。
ただ、維持できたのは数秒だった。
表面に亀裂が走り、そのまま砕けるように消えていく。
「なるほど……」
単純な形の方が作りやすい。
大きさは。
厚みは。
硬さは。
身体からどこまで離せる。
「…………」
次々と疑問が浮かぶ。
リベルはもう一度右手を上げ――途中で止めた。
「水」
自分に言い聞かせる。
「水が先」
危なかった。
このまま続ければ、本当に時間を忘れて試し始める。
「使えることは分かった。それで十分」
少なくとも、自分には何もないわけではない。
今のところ、作れるのは小さく単純な形だけ。
板にするだけでも、まだ安定しない。
「練習は……生き残ってからだな」
そう言って立ち上がろうとした時、左の脇腹にある模様が目に入った。
「…………」
上着を持ち上げる。
青白い枝のような紋様。
その先にある、薔薇の蕾にも見える形。
魔力を形にした時には、特に変化していなかった。
「こっちは何なんだ?」
身体の内側へ意識を向ける。
先ほど使った力とは別に、何かがある。
そこだけが妙に完成しているような。
自分の中にあるのに、自分のものではないような。
上手く言葉にはできなかった。
「……見るだけ」
何もしない。
そう自分へ言い聞かせ、恐る恐る意識を近づける。
「っ……!」
突然、左の脇腹へ熱が走った。
青白い枝が淡く光り、その先にある蕾が僅かに開きかける。
「待て待て待て!」
反射的に意識を離した。
光はすぐに弱まり、開きかけた蕾も元の形へ戻っていく。
「何だよ、これ……」
胸の奥がざわついた。
怖い。
さっきの力とは明らかに違う。
何が起こるのか分からないものを、自分の身体で試す気にはなれなかった。
それでも。
ほんの一瞬だけ触れた時、頭の中に奇妙な感覚が残っている。
――新しい何かを、作る。
「…………」
それ以上は分からない。
いや。
今は、分からなくていい。
「これは後」
上着を下ろす。
「水。人。安全な場所」
一つずつ指を折る。
「そのあと」
少し考えて。
「……かなりあと」
念を押した。
そうでもしなければ、自分で優先順位を入れ替えそうだった。
改めて立ち上がり、身の回りを確認する。
当然、武器らしいものはない。
「徹底して何もないな……」
スマホも財布もない。
水も食料もない。
都合よく剣やナイフが用意されているはずもなかった。
「知らない世界に放り出すなら、水くらい持たせてくれても……」
そこまで言って、口を閉じる。
「いや」
誰かに放り出されたと決まったわけではない。
何が起きたのかさえ分からないのに、勝手に誰かの仕業だと考えるのは早い。
「そこも調べないとな……」
また一つ、知りたいことが増えた。
近くの地面へ目を向けると、草の間に拳より少し小さな石が落ちていた。
「……ないよりはマシか」
拾い上げる。
片手で握れる程度だが、それなりに重い。
武器と呼ぶには心許ないものの、素手よりはましだろう。
「初期装備、石」
手の中を見る。
「……渋いな」
誰もいない草原で一人笑い、リベルは丘へ向かって歩き始めた。
◇
遠くから眺めていた時には分からなかったが、草原は思った以上に歩きにくかった。
膝近くまで伸びた草が脚へ絡み、見えない地面には細かな凹凸がある。
足元だけを見ていれば何かにぶつかりそうで、周囲ばかり見ていれば今度は転びそうだった。
「それでも、身体はだいぶ楽だな……」
若くなった影響なのか、それ以外の理由があるのか。
以前なら、もう少し身体が重く感じていた気がする。
今は歩き続けても、まだ呼吸に余裕があった。
「これも後で調べるか」
また一つ増える。
顔を上げた。
地球で見たものによく似た草。
見覚えのない小さな花。
遠くの空を横切る、鳥のような黒い影。
「…………」
危うく足を止めそうになる。
「今は行く」
自分を急かすように歩き直した。
怖さはまだ残っている。
それでも、目に入るものが何なのか気になって仕方がない。
「水と安全な場所を見つけたら、好きなだけ見る」
そう決めて歩き続ける。
しばらく進んだ時だった。
右前方の草が、不自然に揺れた。
「……ん?」
足を止める。
距離は五メートルほど。
周囲の草は風を受け、同じ方向へ靡いている。
だが、そこだけは違った。
何かが内側から押し分けるように動いている。
手にした石を握り直した。
「…………」
さっきまでの好奇心が、一瞬で引っ込む。
何かいる。
地球で知っている生き物なのか。
それとも、この世界にしかいない何かなのか。
「頼むから、小さいやつであってくれよ……」
一歩下がる。
草がもう一度揺れた。
今度は、こちらへ近づいてくる。
四メートル。
三メートル。
「逃げるか……?」
背後は開けている。
今なら距離を取れるかもしれない。
相手が何なのかを見るためだけに、ここへ残る必要はない。
「いや、“見てから”とか考えるなよ」
自分へ釘を刺した、その時。
草の間から、小さな影が飛び出した。
「……え?」
反射的に石を構える。
現れたのは、リベルの膝より少し低い程度の四足の生き物だった。
全身は短い薄茶色の毛に覆われ、頭からは長い耳が二本伸びている。
前脚は細いが、後脚だけは不釣り合いなほど太く発達していた。
顔つきは、どことなくウサギに似ている。
けれど鼻先は少し長く、小型犬のようにも見えた。
「ウサギ……?」
口にして、すぐ首を振る。
「いや、違うな」
地球で知っているどの動物とも一致しない。
数メートル先で動きを止めた生き物が、鼻先を僅かに動かす。
こちらを見ている。
リベルも動かなかった。
思っていたより小さい。
見た目だけなら、それほど怖くはない。
むしろ、少し可愛いとさえ思える。
「……これなら」
大丈夫かもしれない。
そう考えかけた時、生き物が小さく口を開いた。
「…………」
鋭い牙が覗く。
「前言撤回」
石を握る手に力が入った。
肉を食べる生き物なのか。
自分を獲物として見ているのか。
ただ警戒しているだけなのか。
分からない。
なら、近づくべきではない。
リベルはゆっくり一歩下がった。
生き物は追わない。
さらに一歩。
「……このまま離れられる?」
僅かに肩の力が抜けかけた。
その瞬間。
生き物の長い耳が後ろへ伏せられた。
太い後脚がゆっくりと折り畳まれ、身体が低く沈んでいく。
「……え?」
さっき見た体格が頭をよぎる。
細い前脚。
異様に発達した後脚。
地面を蹴るための身体。
嫌な予感がした。
リベルは石を構え直す。
生き物の後脚へ力が溜まっていく。
「……来る」




