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WILD HEART  作者: 日向 トキ
第三章 選んだ場所

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⑦

 翌朝。


「じゃあ行ってくる」


「キュ」


 銀月亭の部屋を出ようとしたリベルは、扉へ手をかけたところでもう一度振り返った。


 アリスは昨日と同じ壁際に伏せている。

 大きな耳だけがこちらを向いていた。


「今日は依頼行くかもしれないから、ここで待ってて」


「キュゥ」


 《共律》を通して、ぼんやりとした感覚が伝わってくる。

 不満。

 というより、気になる。


「外はまだ慣れてないだろ?それに戦うことになるかもしれないし」


 言葉そのものが伝わっているわけではない。

 それでも、危ないから置いていく、という感覚くらいは伝わった気がした。

 アリスの尾が一度だけ床を叩く。


「……ちょっと不満そうだな」


「キュ」


「帰ってくるって」


 扉を開ける。

 今度はついてこなかった。


「よし」


 少しだけ安心して、リベルは部屋を出た。


◇


 冒険者ギルドへ入ると、朝からいつものように人が多かった。

 依頼掲示板の前には何人もの冒険者。

 受付では依頼を受ける者と報告をする者が並んでいる。

 リベルはその中から見慣れた受付を探した。


「あ、いた」


 エレナの列へ並ぶ。

 順番が来ると、彼女もすぐに気づいた。


「おはようございます、リベルさん」


「おはよう。ちょっと登録変えたいんだけど」


「何の登録ですか?」


「まずアリス」


「アリス?」


「昨日のカーバル」


「ああ」


 エレナが納得したように頷く。


「名前を決めたんですね」


「うん」


「では、同伴登録の個体名を変更しておきます。アリス、でいいですか?」


「それで」


 エレナが書類を取り出す。

 そこへ何かを書き込んでいく。


「これで大丈夫です」


「早いな」


「名前を追加するだけですから」


「じゃあ、もう一個」


「はい」


「枝脈って増えたら言った方がいい?」


 エレナの手が止まった。


「……増えたんですか?」


「うん」


「いつです?」


「一個は十日くらい前かな」


「十日くらい前?」


「たぶん」


「たぶん……」


 エレナがじっとこちらを見る。


「何?」


「いえ。その一個という言い方が気になっただけです」


「ああ。もう一個は昨日」


「…………」


「エレナ?」


「ちょっと待ってください」


 持っていたペンを置く。


「まず、一個ずつ聞きます」


「うん」


「十日ほど前に発現した枝脈は?」


「《身律》」


 エレナの眉が少し上がった。


「《身律》ですか」


「そう」


「身体能力を魔力で高める、比較的一般的な枝脈ですね」


「やっぱりそうなんだ」


「やっぱり?」


「セラも使えるみたいだから」


「なるほど」


 エレナが新しい書類を出す。


「実際にどう使っています?」


「足速くしたり、力強くしたり。耳とかに使うと音も聞きやすくなる」


「それなら《身律》で間違いなさそうですね」


 さらさらと文字を書く。


「これで《身律》は追加しておきます」


「ありがとう」


「それで」


 ペン先が止まる。


「昨日の方は?」


「ああ」


 リベルは少し考えた。


「《共律》」


「きょうりつ?」


「うん」


 エレナの表情が変わった。


「……どういう字です?」


「共に、律する」


「《共律》……」


 小さく繰り返す。


「知らない?」


「少なくとも、私は聞いたことがありません」


「へえ」


「へえ、じゃないですよ」


 エレナが少し身を乗り出した。


「何ができる枝脈なんですか?」


「アリスと繋がる」


「繋がる?」


「魔力が重なるっていうか……」


 昨日の感覚を思い出す。

 指先へ触れた鼻先。

 そこから流れてきた、自分ではない感情。


「怖いとか、気になるとか。そういうのが何となく伝わってくる」


「言葉が聞こえるわけではない?」


「それはない」


「映像が見えるとか?」


「ないと思う」


「リベルさんからも何か伝えられるんですか?」


「たぶん。昨日は、一緒にいてもいいって感じを伝えた」


「……たぶんが多いですね」


「昨日できたばっかりだから」


「それもそうですけど」


 エレナは少し考え込む。


「《共律》という名前は、どこで知ったんです?」


「俺がつけた」


「……はい?」


「共に律する感じだったから、《共律》」


 エレナが黙った。


「変?」


「名前の問題ではなくてですね」


「うん」


「普通、枝脈に自分で名前をつけることはほとんどありません」


「何で?」


「既に知られている枝脈なら、性質を見ればどの枝脈か判断できますから」


「じゃあ知らない枝脈だったら?」


「過去の記録と照らし合わせます」


「それでもなかったら?」


 エレナが少しだけ目を細めた。


「……新しい枝脈、ということになります」


「へえ」


「だから、へえじゃないんです」


「でも俺、他の枝脈全部知らないし」


「それはそうなんですが……」


 エレナは額へ指を当てた。


「少なくとも、今ここで《共律》という枝脈が既存のものかどうかは判断できません」


「じゃあ登録できない?」


「《身律》のようにすぐ正式登録、とはいきませんね。ただ、申告があったことは記録しておきます」


「分かった」


「あとで支部の記録も確認します。もう少し性質が分かったら、また教えてください」


「うん」


 エレナが書類へ何かを書き込む。

 その途中で、ふと手が止まった。


「……ちなみに」


「何?」


「《身律》が十日ほど前」


「うん」


「《共律》が昨日」


「うん」


「リベルさん、冒険者になってからまだ二週間くらいですよね?」


「それくらい」


「…………」


「何?」


「枝脈って、そんな勢いで増えるものじゃないんですけど」


「そうなの?」


「そうなんです」


「でも増えたよ」


「それは見れば分かります」


 エレナが小さく息を吐く。


「後天的に枝脈を得ること自体は、自律種ならあります。でも普通は、もっと長い経験や積み重ねの中で形成されるものです」


「じゃあ早いんだ」


「かなり」


「へえ」


「もういいです」


「諦めた?」


「少し」


 エレナが書類をまとめる。


「とにかく、《身律》は登録。《共律》は確認中です。何か変化があったら教えてください」


「分かった」


「今度は十日も放置しないでくださいね」


「忘れてた」


「忘れないでください」


「はい」


 受付を離れ、依頼掲示板へ向かう。


 何を受けようか。

 昨日はラグ二体だった。

 今日は少し違うものがいい。

 掲示板を見上げる。


「採取……護衛……討伐……」


「また独り言?」


「ん?」


 聞き覚えのある声。

 振り返る。


 黒い髪。

 軽装。

 腰から伸びる鎖。


「あ、セラ先輩」


「それまだ言うの?」


「覚えてた」


「忘れてほしかった」


「じゃあセラ後輩」


「何で下がるの」


 セラが呆れたように笑った。


「普通にセラでいい」


「分かった、セラ先輩」


「分かってない」


「冗談だって」


 リベルも笑う。

 パーティへ誘って、断られた。

 それ以来だった。

 けれど、気まずそうな様子はない。


「依頼探してるの?」


「うん。セラも?」


「そう」


 二人で掲示板を見る。

 少しして。


「あ」


「あ」


 ほぼ同時に手が伸びた。

 同じ依頼書。


「……これ?」


「それ」


 リベルが一歩引く。


「どうぞ」


「何で譲るの」


「先輩だから」


「もうそれやめてって」


「じゃあ半分?」


「依頼書を?」


「報酬」


「それ、一緒に受けるってこと?」


「そうとも言う」


 セラが依頼書を見る。

 岩場に棲みついたガルク三体の討伐。

 場所はフィンリスからそれほど遠くない。


「……パーティの話じゃないよね?」


「依頼だけ」


「なら」


 少しだけ間があった。


「一緒に行く?」


「いいの?」


「依頼だけならね」


「じゃあ行こう」


「軽いなあ」


「嫌?」


「嫌じゃないけど」


 セラの口元が少し緩んだ。


◇


 フィンリスを出て、一時間ほど。

 街道から外れた先に、低い岩山が広がっていた。

 大きな岩がいくつも突き出し、その間を細い道が縫うように続いている。


「この辺だね」


 セラが依頼書を確認する。


「狭いな」


「鎖、振りづらそう?」


「少し。でも無理ってほどじゃない」


 リベルは周囲を見る。

 広い場所もある。

 ただ、岩と岩の間はかなり狭い。


「俺も壁作る場所考えないとな」


「この前みたいに塞ぎすぎないでよ?」


「戦いやすかったって言ってたじゃん」


「使い方次第」


「厳しい」


「ほんとほんと」


「それ俺の真似?」


「さあ?」


 セラが笑う。

 少し前を歩いたところで、視線がリベルの腰へ落ちた。


「それ何?」


「どれ?」


「反対側の」


「ああ」


 昨日バレンから買った柄。

 刃はない。


「剣」


「……柄しかないけど」


「剣になる」


「どういうこと?」


「見れば分かる」


「すごい自信」


「昨日失敗したけど今日はたぶん大丈夫」


「急に不安になった」


 その時。

 岩陰から低い唸り声が聞こえた。

 二人の表情が変わる。


「来る」


「うん」


 リベルがいつもの剣を抜く。

 セラは鎖刃へ手をかけた。


 岩の向こう。

 一体。

 さらに奥から二体。

 三体のガルクが姿を現した。


 灰黒い体毛。

 太い前脚。

 身体のところどころに硬質な突起。

 そのうち一体が地面を蹴る。


「まず一体!」


 リベルが前へ出る。

 ガルクが前脚を振り上げた。


 一歩横へ。

 爪が岩肌を削る。

 すれ違いざまに剣を振る。


 浅い。

 ガルクが身体を捻る。

 そこへ。


「下がって!」


 セラの声。

 リベルが一歩退く。

 横から鎖刃が走った。

 弧を描いた刃がガルクの脇腹を捉える。


「ギャウッ!」


 勢いのまま鎖が抜ける。

 セラが手元を引く。

 戻る刃。

 《流律》で勢いを落としながら、綺麗に手元へ収めた。


「やっぱそれ便利だな」


「今言う?」


「思ったから」


「前!」


「分かってる!」


 二体目が来る。

 リベルは左手を向けた。

 青白い板。

 ガルクの進路へ斜めに作る。

 避ける。

 向きが変わる。


「そっち!」


「うん!」


 待っていたセラが鎖を振る。

 青白い板の横を抜けたガルクへ、刃が叩き込まれた。

 もう一体。


「右!」


 リベルが振り返る。

 距離がある。

 いつもの剣では少し遠い。


「じゃあ」


 剣を鞘へ戻す。

 反対側。

 柄だけの武器を抜く。


「それ使うの!?」


「見てて!」


 魔力を流す。

 柄の先へ青白い光。

 伸びる。

 いつもの剣より長い刃が形になった。


「……何それ」


「剣」


「ちゃんと剣になってる」


「ちゃんとって何」


「だって柄だけだったし」


 ガルクが迫る。


「詳しいことはあとで!」


 長い刃を振る。

 普段なら届かない距離。

 青白い刃先が、ガルクの肩を捉えた。


「っ!」


 手応え。

 深くはない。

 だが届いた。


「よし!」


 刃を消す。

 今度は短く作り直す。

 岩の近い場所では、長い刃は邪魔になる。


「……長さ変えられるんだ」


「作り直せば!」


「便利だね!」


「だろ!」


 二人の動きが重なる。

 セラの鎖が広く使える場所では、リベルが敵をそちらへ誘導する。

 岩の間では《顕現》の板で進路を絞る。


 距離が開けば長い刃。

 近づけば短い刃。


「やっぱり」


 セラが鎖を引きながら言う。


「何?」


「戦いやすい」


「俺も!」


 一体目が倒れる。

 二体目も動きが鈍っている。

 残る一体。


「あと一体!」


 ガルクが岩の裏へ回った。

 姿が消える。


「見えない」


「右から来るかも」


 二人が距離を取る。

 左から地面を蹴る音。


「セラ!」


 岩陰からガルクが飛び出した。

 狙いはセラ。

 彼女も気づく。


 身体を捻る。

 鎖刃を大きく振り出した。

 刃がガルクの横を通り過ぎる。

 避けられた。


「っ!」


 ガルクはそのままセラへ。

 距離が近い。

 鎖刃はまだ遠く、戻すには時間がかかる。


「――!」


 リベルの足に魔力が走った。

《身律》。

 考えるより先に踏み込む。

 セラとガルクの間。


「リベル!?」


 短い青白い刃を作る。

 振る。

 ガルクの前脚を弾いた。

 身体が横へ流れる。


「よし――」


「待って!」


 セラの声。

 その瞬間。

 視界の端で何かが光った。


「……っ!」


 鎖刃。

 さっき振り抜かれた刃が、セラの手元へ戻ってくる。

 その軌道上。

 今までいなかったはずの場所にリベルがいる。


「止まって!」


 セラが叫ぶ。

 魔力が鎖を走る。

《流律》。

 戻ってくる刃の勢いが急激に落ちた。

 それでも完全には止まらない。


「っ!」


 刃先がリベルの左腕を掠めた。

 服が裂ける。

 一瞬遅れて、熱い痛み。


「リベル!」


 セラが鎖を手放すように止めた。


「大丈夫!」


 ガルクがまだいる。

 リベルは腕を見る暇もなく剣を構える。


「先にこっち!」


「……うん」


 二人で最後の一体へ向き直る。

 だが、さっきまでとは違った。


 セラの鎖が短い。

 大きく振らない。

 リベルとの距離を何度も確認している。


「セラ!」


「分かってる!」


 ガルクが突っ込む。

 リベルが板を出す。

 進路がずれる。


 セラの鎖刃。

 今度は必要以上に小さな軌道。

 浅い。


「っ……」


「俺の位置気にしなくていい!」


「でも!」


「さっきのは俺が急に入ったから!」


「――!」


 一瞬。

 セラの動きが止まる。

 その隙をリベルが埋めた。


 身律で踏み込む。

 青白い刃。

 短く。

 ガルクの懐へ。


「っ!」


 振り抜く。

 ガルクの身体が倒れた。

 動かない。


「……終わった」


 息を吐く。

 そこでようやく、左腕を見る。


 服が裂けている。

 皮膚も浅く切れていた。

 血が少し流れている。


「思ったより浅いな」


「見せて」


 セラがすぐ近くまで来た。

 傷を見る。

 その顔が固まる。


「本当に浅いよ」


「……ごめん」


「いや、俺が急に入ったから」


「ごめん」


「セラ?」


 返事がない。

 セラは傷だけを見ている。


「《流律》で止めてくれたからこれで済んだんだろ?」


「違う」


「何が?」


「私が――」


 言葉が止まる。

 手が、わずかに震えていた。


「セラ」


「……違うの」


 今度は少し強い声。

 リベルは黙った。

 それ以上、聞かなかった。


「とりあえず傷洗うよ」


「うん」


 セラが荷物から布と水を取り出す。

 傷を洗い、布を巻く。

 その間。

 二人ともほとんど話さなかった。


◇


 帰り道。

 行きとは違って、会話は少なかった。

 リベルが何か話せば、セラは返す。


 でも短い。

 笑わないわけではない。

 ただ、どこか遠い。


「……痛む?」


「これ?」


 左腕を見る。


「全然」


「そう」


「明日には平気だと思う」


「……うん」


 また沈黙。

 リベルは隣を見る。

 聞こうと思えば聞ける。

 何でそんなに気にするのか。

 前にも同じことがあったのか。

 でも、セラは話そうとしていない。

 なら。


「今日は新しい剣、使えたな」


「……うん」


「まだ形ちょっと変だったけど」


「ちゃんと剣に見えたよ」


「ちゃんと?」


「昨日は知らないけど」


「昨日は棒だった」


「やっぱり?」


「見てないだろ」


 ほんの少し。

 セラが笑った。


「何となく」


「ひどいな」


 それでも、その笑顔はすぐに消えた。


◇


 フィンリスの門が見えてきた。

 依頼は達成。

 三体のガルクを討伐した。

 本来なら、それで終わるはずだった。


「リベル」


「ん?」


 セラが足を止める。

 リベルも止まった。


「……私」


 言葉を探すように、一度視線を落とす。


「しばらく、一緒の依頼はやめとく」


「…………」


 理由は、聞かなくても今日のことだとは分かった。


「傷ならほんとに大丈夫だよ」


「そうじゃない」


「そっか」


「……うん」


 セラが顔を上げる。


「ごめん」


「謝らなくていいって」


「でも」


「俺が急に入ったのも悪かったし」


「…………」


「だから、セラだけのせいじゃない」


 セラは何も言わなかった。

 しばらくして。


「……またね」


「ああ」


 前と同じ言葉。

 でも、前とは少し違う。


 セラが先に歩き出す。

 黒い髪が揺れる。

 鎖刃は腰に収まったまま。

 リベルはその背中を少しだけ見送った。


「……何かあるよな」


 小さく呟く。

 追いかけはしなかった。

 話したくなったら、その時でいい。

 そう思う気持ちは、前と変わらない。

 ただ、左腕に巻かれた布だけが。

 今日まで知らなかった何かを、確かに残していた。

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