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WILD HEART  作者: 日向 トキ
第三章 選んだ場所

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⑥

 銀月亭へ戻ると、ローナはリベルの後ろを見て動きを止めた。


「……何だい、その子」


「カーバル」


「それは見れば分かるよ!」


「じゃあ何?」


「何でカーバル連れて帰ってきてるのさ!」


「ついてきた」


「またそれかい!」


 ローナが腰へ手を当てる。

 カーバルはリベルの少し後ろで足を止め、警戒するように大きな耳を立てていた。


「街に入れて大丈夫なの?」


「ギルドで登録した」


「登録した?」


「うん。街の中で何かしたら俺の責任」


「そこまで分かってるならいいけどね」


 ローナはカーバルを見る。

 カーバルもローナを見る。

 しばらく互いに動かなかった。


「……部屋は?」


「入れたい」


「何か壊したら弁償ね」


「はい」


「汚したらあんたが掃除」


「はい」


「他のお客さんに迷惑かけたら、その時は外に出してもらうよ」


「分かった」


「食堂は?」


「駄目?」


「今日はやめときな。あんなに人がいたら、その子も落ち着かないだろ」


「それもそうか」


「ご飯がいるなら、あとで持ってってやるよ」


「ありがとう」


「その代わり、あんたの分と一緒にちゃんとお金取るからね」


「そこは取るんだ」


「当たり前だろ!」


「分かってるって」


 ローナが呆れたように手を振る。


「ほら。さっさと部屋行きな」


「はいはい」


 階段へ向かう。

 数歩進んでから振り返った。

 カーバルはまだその場にいた。


「……来ないの?」


 カーバルの耳が動く。

 階段を見る。

 リベルを見る。


「俺の部屋こっちだけど」


 それ以上は何も言わず、リベルは階段を上り始めた。

 一段。

 二段。

 少し遅れて小さな足音が聞こえた。


「来るんだ」


「キュ」


「今日はよく返事するな」


 部屋の前まで来て、扉を開ける。


「ここ」


 リベルは先に中へ入った。

 カーバルは入口で止まった。

 鼻先を動かしながら、部屋の中を見ている。


 ベッド。

 机。

 椅子。

 窓。

 狭い部屋だが、カーバルにとってはどれも知らないものなのだろう。


「入る?」


 答えはない。


「まあ、そこにいたいならそこでも――」


 一歩。

 カーバルが部屋へ入った。


「……お」


 さらに一歩。

 完全に敷居を越える。

 リベルが扉を閉めると、カーバルの耳がぴくりと動いた。

 だが、逃げようとはしなかった。


「ほんとに来たな」


 部屋の中央までは進まない。

 扉から少し離れた壁際で止まり、その場へ身体を伏せる。


「そこがいいの?」


「キュ」


「それは分かって言ってる?」


 当然、分からない。

 リベルは笑いながら装備を外し、ベッドへ腰を下ろした。

 しばらくしてローナが持ってきた肉と果物を床へ置く。


「食べる?」


 カーバルはすぐには近づかなかった。


「俺のじゃないよ」


 リベルが少し離れる。

 すると、ゆっくり近づいた。

 肉の匂いを嗅ぐ。

 少しだけ齧る。

 もう一口。


「あ、食べた」


 そのまま肉を食べ始めた。


「果物は?」


 横に置いた実も匂いを嗅いでから口へ運ぶ。


「そっちも食うんだ」


 知らないことが一つ分かった。

 何を食べるのか。

 それだけ。


「……他は?」


 カーバルが顔を上げた。


「何が好き?」


 当然、答えはない。


「何が嫌い?」


「…………」


「何で俺についてきた?」


 カーバルの耳が一度動く。


「街、怖かった?」


「キュ」


「いや、どれの返事?」


 分からない。

 昨日までは、それでもよかった。


 来たいなら来ればいい。

 帰りたいなら帰ればいい。

 自分が決めることではない。

 その考えは今も変わらない。

 でも。


「責任持つって言っちゃったんだよな」


 街の中で何かあれば、自分の責任。

 それなら、せめて。


「お前が嫌がってるかどうかくらい、分かった方がいいよな」


 カーバルを見つめる。

 何を考えているのか知りたい。

 言葉を話したいわけではない。

 全部を覗きたいわけでもない。


 怖い。

 嫌だ。

 行きたい。

 離れたい。

 そのくらい。


「……伝わればいいのか」


 そこで、リベルの視線が自分の手へ落ちた。

 枝脈。

 今まで、自分の身体を強くするものは作った。

 外へ形を作る力もある。

 なら。


「俺とこいつを繋ぐようなものって……作れるのかな」


 思いついた途端、気になった。


「ちょっと試してみるか」


 カーバルがこちらを見る。


「怖いことしないから」


 言ってから、少し考える。


「……たぶん」


「キュッ」


「今のは嫌そうだな」


 リベルは上着を少し捲った。

 左脇腹から胸元へ伸びる、青白い枝のような華紋。

 その先。

 青い薔薇の蕾へ意識を向ける。


 息を整える。

 魔力を流した。

 淡い光を放ちながら蕾が少しずつ開いていく。


 意識を、自分の内側へ。

 以前、《身律》を作った時と同じ。

 何をしたいのか。

 どうすれば、それが起きるのか。

 形にする。


「繋ぐ……」


 自分から魔力を伸ばす。

 相手へ届かせる。

 そこから何かを受け取る。


 感情。

 簡単な意思。

 逆に、自分からも伝える。


 細い一本の道。

 そんなものを思い浮かべる。


「…………」


 枝を伸ばそうとする。

 だが。


「……あれ?」


 止まる。

 形にならない。


 もう一度。

 自分から相手へ。

 魔力を繋ぐ。


「……違う?」


 少しだけ形になりかけて、崩れた。


「難しいな」


 《身律》の時とは違う。

 自分の中だけで完結しないからだろうか。


「俺から繋いで……」


 もう一度考える。

 その時。

 カーバルが立ち上がった。


「ん?」


 さっきより少し離れている。


「どうした?」


 一歩近づこうとすると、カーバルも一歩下がった。


「……あ」


 リベルの足が止まる。

 カーバルはこちらを見ている。

 耳は少し伏せられていた。


「嫌だった?」


「クゥ……」


「……そっか」


 魔力を止める。

 青い薔薇がゆっくり閉じた。

 リベルはベッドへ座り直す。


「俺から繋ぐ、か」


 口にしてから何となく引っかかった。


 今日。

 門の前。

 カーバルは自分で街へ入ろうとした。


 その前も。

 ついてくるかどうかは、ずっとカーバルに任せていた。

 近づこうとすれば逃げたから、追わなかった。


 来るなら来ればいい。

 帰りたいなら帰ればいい。


「……俺が決めることじゃないし」


 自分で言った言葉だった。

 なのに。


「これだけ俺が勝手に繋いだら変か」


 カーバルを見る。


「俺だけじゃ駄目なのか」


 もう一度、目を閉じる。

 今度は違う。

 自分から相手へ伸ばす一本の道ではない。


 二つ。

 自分の魔力。

 相手の魔力。

 どちらかがどちらかを飲み込むのではなく、間で重なる。

 互いに少しずつ受け取り、少しずつ返す。

 同じ流れに合わせる。


「……これならいける?」


 青い薔薇が再び開く。

 枝が伸びる。

 今度は止まらない。


 細い。

 まだ頼りない。

 それでも、先ほどより明確な形ができていく。

 自分一人で完成する部分は、ここまで。

 その先には空いた場所がある。


「……なるほど」


 そこで初めて分かった。

 この枝脈だけでは、何とも繋がらない。


 繋ぐ相手がいて。

 その相手が受け入れて。

 初めて、一つになる。


 最後まで枝を整える。

 やがて、身体の内側へ新しいものが定着した感覚があった。


「……できたのか?」


 リベルは目を開ける。

 青い薔薇が閉じていく。

 カーバルはまだ同じ場所にいた。


「よし」


 床へ座る。

 今度は近づかない。

 右手だけを、自分とカーバルの間へ出した。

 手のひらを上へ。


「俺は」


 少し考える。


「お前と繋がってみたい」


 カーバルの耳がこちらを向く。


「何考えてるか、全部分かりたいわけじゃないよ」


 そんなものは、自分だって嫌だ。


「でも、嫌なのか。怖いのか。行きたいのか。そのくらい分かったらいいなって思ってる」


 言葉そのものは伝わっていないだろう。

 だから。

 新しくできた枝へ魔力を流す。

 自分の手まで。

 そこから先へは伸ばさない。


「でも」


 カーバルを見る。


「お前が嫌なら、いい」


 それ以上、何もしなかった。

 待つ。


 廊下を誰かが歩く音。

 下の階から聞こえる笑い声。

 食器が触れ合う音。

 窓の外を抜けていく風。

 カーバルの耳が何度か動く。


「…………」


 一歩。

 近づいた。

 リベルは動かない。


 もう一歩。

 カーバルが止まる。

 こちらを見る。

 伸ばされた手を見る。

 鼻先を少し動かす。


「…………」


 さらに一歩。

 手が届く距離。

 でも、リベルは触らない。

 待つ。


 カーバルが鼻先を近づけた。

 匂いを嗅ぐ。

 一度、顔を上げてリベルを見る。


「大丈夫」


 小さく言う。

 そして。

 柔らかな鼻先が、指先へ触れた。


「……!」


 初めて。

 カーバルの方から触れた。


 その瞬間。

 自分の中にある新しい枝が、何かを捉えた。

 魔力を流す。


 今度は消えない。

 指先から伝わった細い流れが、カーバルの魔力と重なる。

 ふと何かが流れ込んできた。


「……え?」


 声ではない。

 言葉でもない。

 映像でもない。

 それでも、自分のものではないと分かった。


 緊張。

 知らない場所への怖さ。

 周囲への警戒。

 それより少しだけ強い好奇心。

 そして。

 離れていくものを追いたくなるような感覚。


「……お前」


 カーバルの耳が動く。

 また何かが伝わる。

 今度は、ほんの少し落ち着くような感覚。

 それが自分へ向けられている。


「……そっか」


 思わず笑った。


「だからついてきてたのか」


 理由を全部理解できたわけではない。

 何か具体的な言葉が返ってきたわけでもない。

 ただ。


 怖い。

 でも気になる。

 離れたくない。

 近づくのは、まだ少し怖い。

 今までの行動そのままの感覚が、初めてこちらへ伝わってきた。


「ほんと、そのままだな」


「キュ?」


 小さな戸惑いが流れてくる。


「いや。悪い意味じゃないって」


 今度は、リベルからも意識する。

 無理に触らない。

 無理についてこさせない。


 でも、一緒にいたいならいていい。

 そんな感覚を思い浮かべる。

 伝わったのかは分からない。

 けれど、指先に触れていた鼻先は、すぐには離れなかった。


「……すごいな」


 互いの魔力が、同じ流れの中で重なる。

 共に律する。


「《共律》……」


 口に出す。


「うん。これでいいな」


 新しく生まれた枝脈。

《共律》。


 まだ何がどこまでできるのかは分からない。

 今だって、カーバルの感情を完璧に読めるわけではない。

 でも十分だった。


「そういえば」


 リベルはふと気づく。


「お前、ずっとカーバルって呼んでるけど」


 大きな耳が動く。


「それ、種族の名前なんだよな」


 登録書類にも書かれていた。

 種――カーバル。

 個体名――なし。


「名前、いる?」


「キュ」


「それはどっち?」


 《共律》から伝わってくるのは、小さな好奇心。


「嫌ではなさそう?」


 少し考える。

 何がいいだろう。

 地球で知っていた名前。


 音。

 植物。

 花。


「……アイリス」


 ふと、一つ浮かんだ。


「そういう花があったんだよ」


 何となく覚えている。

 希望。

 信頼。

 そんな意味を持つ花だったはずだ。


「アイリス……」


 口にしてみる。


「ちょっと呼びにくいな」


「キュ?」


「じゃあ……」


 少しだけ響きを変える。


「アリス」


 カーバルの耳がぴくりと立った。


「アリス」


 もう一度。

 今度は、こちらを見る。

 《共律》の向こうから、小さな好奇心が返ってきた。


「どう?」


 嫌だという感覚はない。

 警戒もない。

 リベルは少し笑う。


「じゃあ、それでいい?」


「キュッ」


「今のは返事っぽいな」


 指先から鼻先が離れる。

 けれど、今度は遠くへは行かなかった。

 リベルのすぐ近くで、一度くるりと身体を回す。

 そのまま床へ伏せた。


「……近くない?」


 手を伸ばせば届きそうな距離。

 試しに手を動かそうとして、やめた。


「まあ、今日はやめとくか」


 《共律》の向こうから、わずかな安心が伝わってきた。


「よろしくな、アリス」


 大きな耳が、こちらを向く。


「キュ」


 これまでカーバルと呼んでいた一匹。

 何度近づいても逃げて。

 それでも、いつの間にか後ろをついてきた。


 平原から街まで。

 門の外から、その中まで。

 最後の一歩も。

 リベルが決めたわけではない。

 アリスが自分で近づいてきた。


 そして今。

 自分で選んだ場所にいる。

 リベルは少しだけ笑って、ベッドへ背中を預けた。

 床には、名前を得たばかりのアリス。

 その距離は、もう昨日までよりずっと近かった。

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