⑤
冒険者ギルドへ着くと、リベルはまっすぐ受付へ向かった。
「エレナ」
「おかえりなさい。今日は早かったですね」
「ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「依頼の報告より先にですか?」
「……あ」
エレナが笑う。
「ラグ二体の討伐でしたよね?」
「倒した。ちゃんと二体」
「では、先にそちらを済ませましょう」
「危なかった。普通に忘れるところだった」
「報酬を忘れる冒険者は初めて見ました」
「今日はそれどころじゃなくてさ」
討伐の確認を済ませ、報酬を受け取る。
それをしまうのもそこそこに、リベルは受付台へ身を乗り出した。
「定相種の登録ってできる?」
「できますけど……どうしたんですか?」
「カーバルが門までついてきた」
エレナの目が少し丸くなる。
「カーバルが?」
「うん。今、門の外にいる」
「本当にフィンリスまで来たんですか?」
「俺もびっくりした」
昨日は外壁が見えるところまで来て、姿を消した。
今日は違った。
人が増えても。
門が近づいても。
怖がりながら、それでも最後までついてきた。
「それで衛兵に、街へ入れるなら登録が必要って言われた」
「なるほど。同伴登録ですね」
「それ何?」
「そのままの意味ですよ。定相種を街の中へ同伴するための登録です」
「飼ってなくても?」
「所有の登録ではありませんから」
エレナは受付の下から一枚の書類を取り出した。
「街の中へ定相種を入れる場合、その個体を管理する責任を負う方が必要なんです。何かを壊したり、誰かを傷つけたりした場合には、当然その責任も負うことになります」
「俺が?」
「リベルさんが登録するなら」
「……なるほど」
思っていたより、少し重い話だった。
ついてきた。
だから一緒に街へ入る。
それだけでは済まないらしい。
カーバルは、リベルの言葉を聞いて動くわけではない。
近づけば逃げる。
触ろうとしても逃げる。
何をするのかだって、まだほとんど分からない。
「登録しなかったら?」
「街には入れません。ただ、そのまま平原へ戻すのも自由です」
「自由か」
「はい」
エレナはそれ以上何も言わなかった。
決めるのは自分。
門の外にいるカーバルを思い出す。
たくさんの人。
荷車。
大きな音。
怖そうに何度も立ち止まって。
それでも、あいつは自分からここまで来た。
「……分かった」
リベルは顔を上げた。
「俺が責任持つよ」
エレナが少しだけ笑う。
「では、確認してもらいましょう」
「今からできる?」
「簡単な確認だけですから。職員にお願いしてきますね」
「ありがとう」
エレナが受付の奥へ向かう。
リベルはその背中を見送りながら、何となく自分の手を見る。
「責任か……」
少し前まで、自分一人のことだけ考えていればよかった。
どこへ行くか。
何をするか。
何を選ぶか。
それだけだった。
でも、自分以外の何かと一緒にいるなら、それだけでは済まない。
「まあ……そりゃそうか」
自由にさせることと、放っておくことは違う。
少なくとも街の中へ連れて入るなら、そのくらいは引き受けるべきなのだろう。
しばらくして、エレナが一人の職員を連れて戻ってきた。
「お待たせしました」
「じゃあ行こう」
「早いですね」
「待ってるか気になる」
「逃げてるかもしれませんよ?」
「それはそれで仕方ないけど」
そう答えながらも、リベルの足は自然と少し速くなっていた。
◇
門が見えてくる。
人の向こう。
外側の街道。
「……いた」
カーバルはまだそこにいた。
門から少し離れた場所に座り、大きな耳を動かしながら辺りを警戒している。
こちらへ顔が向いた。
「キュッ」
「待ってたのか?」
少しだけ声が明るくなる。
カーバルは立ち上がった。
けれど、近づいてはこない。
「やっぱそこは変わらないんだな」
門にいた衛兵もリベルへ気づいた。
「早かったな」
「見ててくれてありがとう。何もなかった?」
「ああ。ずっとその辺にいたぞ」
「よかった」
一緒に来たギルド職員がカーバルを見る。
「この個体ですね」
「うん」
職員がゆっくり近づく。
その瞬間。
「クゥ……」
カーバルの耳が伏せられた。
一歩、後ろへ下がる。
職員も足を止めた。
「かなり警戒心が強いですね」
「俺が近づいても逃げるよ」
「リベルさんでも?」
「うん。でも離れるとついてくる」
「なるほど」
職員は無理に距離を詰めなかった。
少し離れた位置から、カーバルの身体を見る。
歩き方。
傷の有無。
周囲への反応。
カーバルもじっと職員を見ていた。
「リベルさん、少し歩いてみてもらえますか?」
「歩く?」
「はい。門から離れる方向へ」
「分かった」
言われるまま数歩進む。
振り返る。
カーバルは動かない。
「もう少しお願いします」
さらに歩く。
すると。
カーバルが立ち上がった。
一定の距離を保ったまま、リベルの後を追う。
「お」
「止まってください」
リベルが止まる。
カーバルも止まった。
「今度は戻ってみてください」
「うん」
一歩近づく。
カーバルが一歩下がる。
「……ほんと面倒なやつだな」
「かなり分かりやすいと思いますよ」
「そう?」
「近づかれるのは嫌。でも離れていくのも嫌なんでしょう」
「……そうなのかな」
リベルがカーバルを見る。
青緑の瞳も、こちらを見ていた。
「少なくとも、リベルさんを基準に動いているようには見えます」
職員が書類へ何かを書き込む。
衛兵も腕を組んで頷いた。
「さっきからずっとそんな感じだな」
「登録できる?」
「現状なら問題ありません。ただし、先ほど説明を受けた通り、街の中ではあなたが責任を負ってください」
「分かった」
「個体名は?」
「名前?」
「はい」
リベルはカーバルを見る。
「……ないな」
「では、今は空欄にしておきます」
書類に文字が記される。
種――カーバル。
同伴責任者――リベル。
個体名――なし。
それだけだった。
何か特別な関係になったわけではない。
カーバルが自分のものになったわけでもない。
ただ。
この街の中へ一緒に入るなら、自分が責任を持つ。
決まったのは、それだけだ。
「これで入れる?」
「はい」
「よし」
リベルはカーバルを見る。
「行くぞ?」
「キュ」
「分かってる?」
耳がぴくりと動く。
「まあいいか」
リベルが歩き始める。
少し遅れて、小さな足音がついてきた。
門を越えるその瞬間。
カーバルの動きが止まった。
「……あ」
外とはまるで違う。
石畳を踏む無数の足音。
荷車の車輪。
店先から飛ぶ呼び声。
金属を打つ音。
食べ物の匂い。
知らない者たちが、次々と目の前を横切っていく。
カーバルの大きな耳が休むことなく動いていた。
尾も少し低い。
「すごいだろ」
リベルは笑う。
「俺も最初そんな感じだったよ」
「……キュゥ」
「俺は鳴かなかったけど」
前から荷車が近づいてきた。
車輪が石畳を鳴らす。
カーバルの身体がびくりと縮む。
そして半歩。
リベルへ近づいた。
「……近いな」
今では一歩ほどしか離れていない。
通りを歩く者の何人かがこちらを見る。
「カーバル?」
「街の中で珍しいな」
「野生じゃないのか?」
声が聞こえるたび、カーバルは周囲を見回す。
そのたびに、少しずつリベルとの距離が縮まった。
「そんな怖いなら戻ればいいのに」
カーバルを見る。
戻らない。
リベルの少し後ろを歩いている。
「……まあ、好きにしてくれ」
試しに手を伸ばすと。
さっとカーバルが離れた。
「そこは駄目なのね」
「キュッ」
「怒った?」
手を戻す。
少し歩く。
するとまた、カーバルは一歩ほどのところまで戻ってきた。
「ほんと難しいな、お前」
けれど、昨日までよりは近い。
そのことが、少しだけ嬉しかった。
◇
そのまま冒険者ギルドへ戻ると、受付にいたエレナがすぐに気づいた。
「あ」
「入れた」
「本当についてきてますね」
「でしょ?」
なぜか少し誇らしい言い方になった。
自分でも気づいて、リベルが首を傾げる。
エレナは受付台から少し身を乗り出し、リベルの後ろを見る。
「思っていたよりかわいいですね」
「触ろうとすると逃げるよ」
「では、やめておきます」
「聞き分けいいな。俺はもう何回か試した」
「学んでください」
「もう学んだよ」
「本当ですか?」
「……たぶん」
「まだですね」
カーバルはリベルの後ろからエレナを見ている。
耳は立っているが、逃げようとはしない。
「これで街の中は大丈夫なんだよね?」
「はい。ただし、何かあった時はリベルさんの責任ですからね」
「分かってる」
「宿にも確認してください。登録されていても、定相種を部屋へ入れていいかどうかは宿ごとに違います」
「あ、それもあるのか」
「ありますよ」
「……やること増えたな」
「自分で登録したんでしょう?」
「そうだけど」
言いながら、リベルは少し笑った。
嫌ではなかった。
ギルドを出る。
これから銀月亭へ戻って、ローナにも話さなければならない。
その前に。
「……ん?」
通りの向こう。
武器屋の前に並べられた剣が目に入った。
リベルの足が止まる。
「そういえば」
さっき作った、剣とは呼びづらい青白い棒。
帰ったらもう少し試すつもりだった。
「…………」
店先に掛けられた剣を見る。
柄。
鍔。
刃。
さっきは、その全部を《顕現》で作ろうとした。
握る部分の太さも。
鍔の形も。
刃の厚さも。
全部。
「……待てよ」
腰の剣を抜く。
カーバルが少し離れる。
「大丈夫。戦わないから」
剣を見る。
自分が変えたいのは何だ。
昨日届かなかった。
あと半歩。
欲しかったのは、状況に合わせて変えられる間合いだ。
「だったら……」
柄まで変える必要はない。
握る場所も。
鍔も。
そこは普通のものを使えばいい。
変えたいのは、その先。
「全部、魔力で作る必要ないじゃん」
リベルの顔が上がる。
「行くぞ」
「キュ?」
「ちょっと寄り道!」
カーバルが首を傾げた。
◇
武器屋の扉を開く。
「おっちゃん!」
「うるせえ」
奥で作業をしていたバレンが顔を上げる。
そしてリベルの後ろを見た。
「……何だそいつ」
「カーバル」
「見りゃ分かる」
「ついてきた」
「何でお前は来るたび変なもん増やしてんだ」
「俺にも分かんない」
カーバルは入口近くで止まり、店の中を警戒するように見回している。
バレンもそれ以上は気にせず、手元の道具へ視線を戻した。
「で、今日は何だ」
「柄だけ売って!」
「帰れ」
「早い!」
「武器屋に来て柄だけ寄越せって言う奴があるか!」
「ここにいる!」
「胸張るな!」
バレンが大きく息を吐く。
「何に使う」
「剣作る」
「なら剣買え」
「刃はいらない」
「じゃあ剣じゃねえだろ」
「刃は俺が作るから」
バレンの手が止まった。
「……何?」
「さっき試したんだけどさ」
リベルは店内を見回す。
「ここで《顕現》使っていい?」
「駄目だ」
「まだ何もしてないだろ!」
「お前はやりそうだから先に言ってんだ」
「エレナみたいなこと言うなよ……」
「外行け」
「はい」
店の外へ出る。
カーバルも少し遅れてついてきた。
人通りの邪魔にならない場所へ移動する。
リベルは左手を前へ出した。
「こんなの作った」
青白い光が集まる。
剣ほどの長さ。
少し平たく。
先端だけ細い。
不格好な棒が形になった。
バレンが黙る。
「……何か言って」
「棒だな」
「俺もそう思ってる」
「何でこれを剣だと思った」
「剣を作ろうとはした!」
「結果の話だ」
「厳しいな!」
バレンが青白い棒を横から見る。
「握るとこまで作ってんのか」
「うん。それで気づいた」
リベルは顕現を消した。
「俺が欲しいのは刃の長さを変えることなんだよ。だったら、柄まで作る必要ないなって」
「……それで柄だけ寄越せと?」
「そう!」
「最初からそう説明しろ」
「説明したら売ってくれる?」
「それとこれは別だ」
「何で!?」
バレンは呆れた顔のまま店へ戻った。
「ちょっと待ってろ」
「あるの?」
「柄だけの剣なんかねえ!」
「じゃあ何取りに行ったの?」
「黙って待ってろ!」
少しして戻ってくる。
手には一本の剣。
いや。
剣だったもの。
刃は鍔の少し先で折れており、短い金属だけが残っている。
「これ」
「折れてる」
「見りゃ分かる」
「さっき俺が言われたやつ」
「いらねえなら帰れ」
「いる!」
慌てて受け取る。
革の巻かれた柄。
小さな鍔。
その先に、わずかに残った金属。
「捨てる予定だったやつだ。柄はまだ使える」
「これなら」
握る。
太さもちょうどいい。
何より、作ったものとは違って手の中で安定している。
「ちょっと試していい?」
「店から離れろ」
「分かってるって」
「本当か?」
「信用ないな」
「お前だからな」
「ひどい」
少し広い場所まで移動する。
カーバルは数歩離れたところで座り、こちらを見ていた。
リベルは折れた剣の柄を握る。
前と同じように、剣を思い浮かべる。
でも、全部ではない。
柄はもうある。
鍔もある。
握る場所を考える必要もない。
作るのはその先だけ。
「……刃」
魔力を流す。
青白い光が、折れた金属の先へ集まった。
伸びる。
昨日より細く。
平たく。
片側に刃を作るように。
青白い形が少しずつ伸びていく。
そして。
「……おお」
光が収まる。
まだ少し厚い。
完全に真っ直ぐでもない。
それでも、棒とは違った。
「剣だ」
「剣寄りだな」
「そこは剣って言ってよ!」
「まだ甘い」
バレンが近くから眺める。
「先が太い。厚みも均一じゃねえ」
「でも棒より全然いい」
「そりゃ作るもん減らしてんだからな」
「なるほど」
リベルは軽く振る。
顕現で作ったものより手の中でぐらつかない。
「おお……!」
もう一度。
今度は少し強く。
青白い刃が空気を切る。
「持ちやすい!」
「柄なんだから当たり前だ!」
「その当たり前を全部作ろうとしてたんだよ」
「馬鹿だな」
「自分でもちょっと思ってる」
一度《顕現》を解除する。
青白い刃だけが消え、柄が手元に残った。
「次」
もう一度魔力を流す。
今度は短く。
先ほどより短い刃が形成される。
「できた」
消す。
次は長く。
さっきより一回り長い青白い刃。
「……できる」
形を作った後から長さを変えることはできない。
でも、一度消して作り直せばいい。
近い相手なら短く。
間合いが必要なら長く。
今日届かなかった、あの距離にも。
「これなら届くな」
自然と口元が上がった。
バレンが腕を組む。
「浮かれるのはまだ早えぞ」
「分かってる」
「本物の刃とは違う。どこまで斬れるか、どれだけ保つかも試してねえ」
「うん」
「長くすりゃ、その分振りやすいとも限らん」
「それも試す」
「実戦でいきなり無茶すんなよ」
「普通の剣も持ってく」
「ならいい」
リベルは手の中の柄を見る。
剣を丸ごと作ろうとして失敗した。
今は、必要なところだけを自分で作った。
「こういうのもありなんだな」
「何がだ」
「全部自分でやらなくてもいいってこと」
バレンが少しだけ眉を上げる。
「当たり前だろ」
「俺には今分かった」
「遅えよ」
「でも分かったからいいだろ」
青白い刃を消す。
柄だけが残る。
「これ、貰う」
「廃材でもタダじゃねえぞ」
「金取るの?」
「店だぞ!」
「分かったよ!」
支払いを済ませる。
柄を腰へ差す。
いつもの剣とは反対側。
まだ完成した武器とは言えない。
刃の形も甘い。
実戦でどこまで使えるかも分からない。
それでも、以前よりできることは増えた。
「よし。帰るか」
振り返る。
カーバルはまだ少し離れたところにいた。
「待ってた?」
「キュ」
「今日はよく待つな、お前」
歩き出す。
小さな足音がついてくる。
人が横を通れば、カーバルは少しリベルへ寄る。
手を伸ばせば逃げるくせに、離れればついてくる。
「……まあいいか」
リベルは前を向いた。
腰には、新しい柄。
その後ろには、名前もないカーバル。
昨日までとは、少し違う帰り道になった。
新しい武器がどうなるのかも、カーバルとの距離がどう変わるのかも、まだ分からない。
だからこそ、少し楽しみだった。




